肯定的映画評論室・新館

一刀両断!コラムで映画を三枚おろし。

『戦艦ポチョムキン』、観ました。

2006-07-27 23:04:44 | 映画(さ行)

戦艦ポチョムキン ◆20%OFF!

 『戦艦ポチョムキン』、観ました。
1905年、戦艦ポチョムキンで起こった水兵たちの反乱で、その革命の指導者は
一発の銃弾に倒れる。死亡した彼を弔うため、オデッサの港に集まった民衆は、
帝政に対する不満を爆発させ、暴動を起こす。これを鎮圧するため、軍隊が発砲、
やがてそれは軍隊による民衆の大虐殺へと発展していく‥‥。
 “映画史”を語る上で絶対に外すことは出来ない伝説の映画。が、80年近くも
前に作られた、この“古典”映画を何の予備知識なしに若い人に見せたとして、
果たして本当に「凄い」と感じるかどうか‥‥。いや、とんでもない、これは
後(のち)の映画に影響を与えた功績とか、最初に“モンタージュ(カットの
組み合わせ)の技法”を確立した記念碑的作品だからとか、そういった“映画の
パイオニア”としての価値だけではなくて、今の感覚で正当に評価してみても、
やはり“優れた映画”であるのは間違いない。物語のスピード感と緊張感、
活劇シーンの躍動感、強烈なメッセージ性…、そのすべてに食い入るように
引き込まれ、圧倒される。さすが80年を経過して、今なお“映画史上最高傑作の
ひとつ”に数えられる奇跡の名作だ。
 さて、映画は、日露戦争直後のロシア革命を背景とし、専制君主制によって
(権力者から)弾圧を余儀なくされた民衆の“怒り”、政府への“不満”、自由への
“欲求”が、画面全体から迸(ほとばし)るエネルギーとなって観る者の心に
訴えかけてくる。中でも、堪(たま)らず号泣してしまったのは、あの有名な
“オデッサの階段”のシーン‥‥。母が我が子を失う哀しみと、叫びと、絶望とが
交錯して、観ながらにしてボクは、彼らが“僅かの自由(=ひとさじのスープ)”
のために血を流す“痛み”を味わった(涙)。改めて思うのは、この日本に…、
そして、この平和な時代に生まれたことへの幸せ‥‥。言い換えれば、今、
ボクたちが当たり前のように手にしている“自由”は、偉大なる先人たちの
“努力”と、多くの“犠牲”のもとで勝ち得たという事実を忘れてはいけないのだ。
それにしても、何の因果か、帝政ロシアにおける“自由と革命”を描いた
この作品が、監督セルゲイ・エイゼンシュテインの意図してないところで、
“映画史に革命”を起こし、今日(こんにち)のモンタージュ理論を発展させた…。
まったくもって、映画の神様は“粋な計らい”をするなぁ。