肯定的映画評論室・新館

一刀両断!コラムで映画を三枚おろし。

『悪魔の嵐』、観ました。

2012-09-16 21:59:31 | 映画(あ行)

 『悪魔の嵐』、観ました。
アメリカ、メイン州に位置する小さな孤島に、強大な嵐とともに“リノージュ”と
名乗る、謎の男がやってくる。彼は不思議な力で、次々と島の人間を殺し
「望みのものを渡せば立ち去る」というメッセージを残していく。男の望みの
ものとは一体なんなのか?そして、この男の正体は?
 1999年に製作されたスティーヴン・キング書き下ろしによるTVムービー、
各90分の3話構成からなる全4時間30分の長編だ。TV局製作のそれに
相応しく、見るからに地味で映像的にも平凡だが、一方で時間にたっぷり余裕を
持たせた物語構築の面白さは、TVムービーならでは。1日1話ずつのつもりが、
ついつい夢中になって止められず、ほとんど一気に観終わってしまった。
 さて、内容的には、近年の『ミスト(キング原作「霧」)』に通じるもので、“悪魔の
魔力”から逃れ、地下シェルターに避難した島民らが、徐々に追い詰められて
常軌を逸し、異常な精神状態に陥っていく様を描いている。ここでの“悪魔の
魔力”とは、《恐怖》のこと――。一人また一人と仲間を失い、一歩また
一歩と音もなく忍び寄る、その恐怖からくる“怯え”を使って、悪魔は人の
心を支配する。やがて恐怖に立ち向かう勇気は消え、悪魔との取引に応じ、
自分の体を切り売りする(仲間を差し出す)ことで逃げ場を探す。閉ざされた
空間における集団心理、逃げ場のない恐怖に直面した人の心の弱さ、誰しもが
背負いながら生きるしかない人生の十字架など――、この作品における
テーマ性は数知れず。その上で、キングの試みは、おどろおどろしい悪魔や
怪物を登場させることなく、細かなエピソードを丁寧に積み重ね、真綿で
首を絞められるように観る者の“内なる恐怖”を煽っていく。そして、じっくり
プロセスを踏んだ後に用意された“究極の選択”のシーンは、(主人公の立場を)
我が身に置き換えれば背筋が凍る。この作品の怖さは、決して現実離れした
“表面的な(悪魔の)恐怖”ではない。人間なら誰しもが心の奥底に隠し持つ――、
そして、この世に生を持つもの皆に共通する弱さ、欠点、無力さからなる
“内なる怯え”なのだ。本作が単なる恐怖映画にあらず、観終わって“底知れぬ
余韻”を残すのは、我々も自らの弱さを自覚し、それを他人に触れられるのを
恐れているせいかもしれない。


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