『春の雪』、映画館で観ました。
侯爵家の子息である清顕と、伯爵家の令嬢である聡子は幼なじみの仲だったが、
聡子はいつしか清顕に想いを寄せるようになっていた。しかし、不器用な清顕は
その愛情表現に対してうまく応えることが出来なかった‥‥。
何やらオイラの耳元で“女のすすり泣く声”が聞こえてくる。で、ふと横を
見れば、そこにワイフが居た(笑)。他でもない、館内でオイオイ泣いていたのは
ワイフだったのだ(笑)。それにしても、オイラの方は全くもって泣けず仕舞い。
思うに、その違いは主人公青年の“青臭さ”の捉え方にあるのかなと‥‥。
勿論、オイラとしても、己の未熟さゆえに愛を遠ざけてしまう主人公の気持ちは
よく分かるし、実際同じような経験もした。ただ、ボクには彼がその後に取った
行動は、自分の“愛する女性(ひと)”を苦しめるだけの“わがままな行為”に
映ってしまう。一方でワイフは、そんな“欠陥”だらけの主人公だからこそ、
“人間的な愛おしさ”を感じたと言う。いやはや、映画の観方って千差万別。
まぁ、同じ夫婦でそれだけ温度差があるのだから、観る人によって好みが分かれる
映画だとは思うけどね。
さて、いっさい本を読まないオイラが、三島由紀夫に触れるのはモノクロ時代の
市川崑が監督した『炎上』に続いて、これが2作品目。今回、ボクがさすがだと
思ったのは、映画が始まってまもなくの場面で、主人公男女に“黒い犬の
死体”を発見させる。すると、ヒロインはその犬に“憐れみ”を抱き、花を
供えてやろうと言い出す…。つまり、その時点で映画は、二人の愛が“悲恋”で
終わることを暗示しつつ、同時に、ヒロインは例えそうだとしても、その愛が
いつかまた生まれ変わるものと信じているのだ。時間にして僅か数分だが、
改めて三島由紀夫(もしかしたら行定勲監督かも?)のセンスを感じさせる、
大切で意味のあるワンシーンだ。
それから、最後にタイトルとなった“春の雪”について、ボクの解釈をひとつ。
例えば、公開されたばかり『四月の雪』のラストに降る雪は、(そのレビュー
にも書いたように)“新たな展開”を予感させる雪だった。しかし、今作の
場合は、それとは少し意味合いが違うように感じられる。どんなに降っても、
降り積もらずに消えていってしまう“春の雪”。それは、どんなに愛し合っても、
結ばれることのない二人の愛のよう‥‥(涙)。いや、せめて、その雪に救いを
探すとすれば、‘冬’の「現世」から‘春’の「来世」へ移り変わる瞬間の…、
シグナルだったのかもしれない。