肯定的映画評論室・新館

一刀両断!コラムで映画を三枚おろし。

『惑星ソラリス』、観ました。

2007-03-28 20:59:06 | 映画(ら・わ行)






監督:アンドレイ・タルコフスキー
出演:ナタリア・ボンダルチュク, ドナータス・バニオニス

 『惑星ソラリス』、観ました。
21世紀、心理学者クリスは、表面をプラズマ状の海に覆われた惑星ソラリスの
軌道ステーションに派遣される。そこで働く人々が混乱した原因を探る目的だが、
彼も10年前に死んだはずの妻ハリーに出会う。理性を持つソラリスの海は、
人間の潜在意識を実体化していたのだ。クリスはハリーにのめり込み、次第に
苦悩していく‥‥。
 これが2度目の鑑賞になるが、やはり“答え”は出なかった…。いや、そもそも
“答え”など出るはずがない。なぜなら、これは100回観れば100通りの感じ方を
持つ、そんな不思議な魅力に満ちた作品だから。例えば、通常の映画では、
物語結末を“到達点”として、そこで一つの結論(テーマ)を導き出すスタイルだが、
この映画の場合は、先(物語後半)にいくにしたがって、頭の中のイメージが
膨らんで、エンディングを迎えて尚、どんどん広がっていく感じ。勿論、それは
難解だという意味ではなく、「愛」「良心」「母性」「郷愁」など、言葉では巧く
説明できない“意識”の波の上をゆらゆらと漂っている、いわゆる“安らぎ”にも
似た感覚だ。では、何故、そんな哲学的な内容を“SF映画”に…??、恐らく、
監督のアンドレイ・タルコフスキーは、「人の理性」を未知なる宇宙空間にある
“ソラリスの海”としてダブらせ、イメージしたんだろう。そこでは“人類の科学”
なんて取るに足らない僅かなものにすぎない。その海は、絶えず海面の表情を
変化させながら、まだ誰も見たことがない…、もしかしたら永遠に見ることは
できないだろう…、“心の源(みなもと)”が隠されているような気がする。
 では、次に、この正体不明の生命体(?)《ソラリスの海》について分析する。
《彼女》は、人の潜在意識の中に入り込み、その内のひとりを選んで実体化する。
《彼女》は、その形状も、その記憶さえ完璧に“コピー”するが、出来ないものが
ひとつある、それが「愛」という概念だ。体の傷の痛みは分かっても、心に付いた
傷の痛みは分からない。例えば、“死の哀しみ”を知ってこそ、初めて“生の輝き”を
知るように…、愛もまた、その“苦しさ”を知らずには語ることは出来ないのだ。
しかし、そんな《彼女》にも、ついに“その愛の真実”に気付く瞬間がおとずれる。
映画終盤、一週間に一度だけ、基地の内部に現れる“30秒の無重力状態”の
場面だ。《彼女》は、空中に浮遊しながら主人公と抱きしめ合い、彼とその愛を
感じたとき…、悟ったに違いない。仮に、自分にとってはそうであったとしても、
彼にとってこれは“現実の世界”ではない。あと30秒後に消えてなくなる
“この(無重力の)世界”のように…、この愛もいつか自分の手を離れていって
しまう。なぜなら、彼は今も“過去の時間”を生きていて、ここは本来“彼の
居るべき世界”ではないのだから‥‥。ラストシーン、主人公の脳波を当てた
《ソラリスの海》にいくつかの小さな島が生まれ、彼の家族の記憶が実体化される。
《彼女》はひとつの“別れ”を経験し、“愛の痛み”を知った。そして、同時に、
その“証し”を自らの記憶の中に刻み込んだのではなかろうか。



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