肯定的映画評論室・新館

一刀両断!コラムで映画を三枚おろし。

『ソーシャル・ネットワーク』、観ました。

2012-02-25 21:16:23 | 映画(さ行)

監督:デヴィッド・フィンチャー
出演:ジェシー・アイゼンバー、アンドリュー・ガーフィールド
※2011年キネマ旬報ベストテン2位

 『ソーシャル・ネットワーク』、観ました。
マーク・ザッカーバーグは、友人のエドゥアルドにサーバ費用などを提供してもらい、
ハーバードの学生だけが使える“ザ・フェイスブック”を作る。ザ・フェイスブックは
すぐに多くの会員を獲得し、ハーバード大生以外にも人気を広げていた。しかし、
マークは、「アイデアを盗用された」と訴えられる。そして、サイトが大きくなり、
マークが“ナップスター”の創始者に心酔するようになると、親友のエドゥアルドも
マークから離れて行く…。
 例えば、『セブン』における『野良犬』、『ゾデァック』における『大統領の陰謀』が
そうであったように、デヴィッド・フィンチャーの作品は、過去の名画を骨格にして
組み立てられていることがある。ならば、この『ソーシャル・ネットワーク』の場合、
それは『市民ケーン』となる。若くして成功し、巨富を手にし、世界を支配した
(かに見えた)主人公――。しかし、そのサクセスストーリーの裏側で、“孤独な
権力者”の人生が浮き彫りになっていく。『市民ケーン』でいうところの“薔薇の
蕾”を、本作における“エリカ(恋人)の愛”、“エドゥアルド(親友)の友情”に
置き換えれば、自ずと両作品の繋がりが見えてくる。が、そうはいっても、現実的な
見地から言わせてもらうと、確かに『市民ケーン』の偉大さは認めるものの、
現在の若い人からみれば“単なる古典”にしか過ぎないのも事実。この『ソーシャル・
ネットワーク』の秀逸さは、その古典を“現代のネット社会”に置き換えて、
人物設計も“現代の若者が持つ考え方”に全く違和感なく再構築されている点だ。
また、主人公の築いた帝国が、ネットという見えない社会だからこその“脆さ”を
際立たせ、“砂上の楼閣”であることを明確に伝えている。オイラは十代の時に
『市民ケーン』を観て衝撃を受けた側の人間だが、もし今、真っさらな状態で
両作品を比べたら、『ソーシャル~』に方に軍配をあげるかもしれない。
 さて、急成長するデジタル的なネット社会と、その対比としてのアナログ的な
対人関係が、この映画を観る上での重要ポイントだ。ウィンクルボス兄弟の件は
さておき、当初、主人公らが立ち上げたサイト“ザ・フェイスブック”は、主人公の
マーク・ザッカーバーグが技術部門を、その親友のエドゥアルドが経営部門を
受け持ち、デジタルとアナログの両輪でもって成功を収めていた。が、ある時から
デジタルの急成長にアナログが付いていけず、両者のバランスが崩れ、デジタルだけが
暴走を始める。観ていてオイラが怖くなったのは、そこには大の大人達がネットの
アクセス数をみてはしゃぎ回り、毎夜毎晩怪しげなパーティに明け暮れる堕落した
光景だ。しかも、そこに集まった彼らは、ドラッグや酒を介してのみ集まった
“希薄な繋がり”にしか過ぎないのだ。いや、そもそも主人公にとって“フェイス
ブック”とは何だったのか??、少なくとも、お金が目的ではない。恋人エリカに
もう一度振り向いてもらうため――、その、たった一つの繋がりを欲して、(自らの
ブランド力を高める為)自分を誇張し続けたのだ。しかし、人と人が“(真の)信頼”を
築く上で、名声やブランド力なんて必要ない。それは、エドゥアルドとの友情を
蔑(ないがし)ろにしてまで、伝説の人(?)ショーン・パーカーのブランド力に
飛びついた“主人公の盲目さ”をみれば明らかだ。そう思うと、人間って、皆愚かで
哀しい生き物だ(涙)。それから、インターネットにおける“見えないネットワーク”と、
生身の人間同士が織り成す“見えない絆”――、同じように見えて(いや、見えなくて?)
全くの別物だな。


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