モンテとレッドウィングスの日々

モンテディオ山形、そしてパイオニアレッドウィングスをこよなく愛し続けています。

Jリーグ再開後は暫くブロック対戦?~J2は区分け難しい?

2020-05-27 11:05:13 | モンテディオ山形

6月下旬~7月初旬再開予定のJリーグですが、
J1は、暫くは18チームを近隣6チームづつ3ブロックに分けて対戦との報道。

ほほー。

J2もそれに倣うことになるんでしょうか。

でも、J2は22チームだから、分けにくいな~(笑)
11チームづつ大きく2つに分ける方法も考えられますが、

Aブロック:山形、水戸、栃木、群馬、千葉、大宮、東京V、町田、甲府、新潟、松本
Bブロック:金沢、磐田、京都、徳島、愛媛、岡山、山口、福岡、北九州、長崎、琉

これだと奇数なので毎節2チームが試合お休みになりますね。


偶数にするとすれば、8チーム、8チーム、6チームという3ブロックが考えられます。

Aブロック:山形、水戸、栃木、群馬、千葉、大宮、東京V、町田
Bブロック:新潟、金沢、松本、甲府、磐田、京都
Cブロック:徳島、愛媛、岡山、山口、福岡、北九州、長崎、琉球

でも、これでも6チームのブロックはお休みになる節が出てきますか。

22という数字は、やっぱりちょっとやっかいですな(汗)


国のガイドラインだと、8月あたりからは観客も入れられるのかな?
それならば嬉しいことですが、
やっぱりスタジアム内の対策が気になりますね。
気になるけど、やっぱり行きたい(笑)

 

ま、それもこれも第2波が来ちゃったら、全部元の木阿弥になるわけですが・・・

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いよいよ今週末Jリーグ再開の日程決まる?~全試合やれるのか?いつまで無観客?

2020-05-25 15:02:46 | モンテディオ山形

プロ野球が来月から再開のようで。
Jリーグも確かチェアマンは、29日頃発表すると言ってましたよね。

それはそれはありがたいことですが、
で、いつから?、そして何試合やるの?と。

選手のコンディションを考えると、現実的には7月再開か。
そうなると、23節磐田戦がスタートとなりますが(まずは近隣のチームとの試合をと
も言われてますので、対戦相手もやり直しでしょうけど)、
第2節~22節までの21試合が未消化ということになりますね。

理論上は、五輪休みの2週末(7月末、8月始め)と、毎週水曜日試合をやって消化す
る!とすれば、なんとか11月中に終われそうですが。
でも1試合の選手交替枠を増やしたとしても、選手の体力的にそれは実質不可能で
しょう。

昔、J2はシーズン52試合やったことがありましたが(2006年?世界一過酷なリーグと
言われた時です)、あの時だって、水曜日の試合は月2回くらいだったはず(汗)

たぶん現実的には12月までシーズンを延ばすことになるのでしょうが、そうなると雪
国はカラーボールの洗礼となりますな。
でも、それでも12月で終わるのか?疑問ですね。
年越したりして。そうなると、秋冬制ですね。


それと、しばらくは無観客でしょうけど、いつから観客を入れるのか?
新しい生活様式に照らせば、とても観客を入れることは考えられませんが、
秋くらいから、ソーシャルディスタンス前提で、抽選で1/3くらい観客を入れるの
か?
でもスタンドでマスクをつけて、声を出さないなんてことは可能なのか?
(絶対、いつの間にかマスク外して大声出してるはず)
ブルイズは踊れないのか?

そんなことを考えると、夜も眠れません(嘘つけ)。


ドイツ、韓国など先行再開しているリーグを参考にするんでしょうけど、
はてさてどうなるのか。

ま、もうチェアマンの頭の中では、結論が出ているでしょうけどね。
とにかく、禁断症状が半端なくなってきてるので(決してyoutubeのモンテ全員集合
に飽きたわけではありません)、
社会通念に反するとしても、早く試合を応援したいです(言っちゃった)。

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夏の甲子園中止

2020-05-20 17:04:04 | モンテディオ山形

本日正式に決定したようですね。

軒並みインターハイなど中止になる中、
野球だけが・・・という事なんでしょう。
無観客とか最後まで検討したでしょうけどね。

今日も甲子園を目指して練習している球児がいると思うと、
やるせない気持ちは理解できます。
「甲子園だけが野球じゃない」という励ましの言葉をかける人もいるようですが、
今は、彼らには理解できないでしょう。

あの時の自分だったら、どう考えたかな?と思いました。
ただただ早く最後の夏が終わることだけを目指していた高校時代なので(汗)
(夏休みの練習に向かう電車の中で、楽しそうに夏休みの旅行気分に浸る一般ピープ
ルを見て何度殺意を覚えたことか。)

きっとほっとしたのかな?
もしかしたら、「一寸の虫にも五分の魂」くらいの悔しさはあったかもしれません
ね。


大人げない疑問ですが、
今年のドラフトはどうなるんでしょうね。
まぁ、スカウトは公式試合以外もリサーチしてるでしょうけど。


Jリーグで言えば、
高校生、大学生の争奪戦はいつもより早まるんでしょうね。
ウチは、阿部くんと松本くん、青田買いしておいて良かったですね。
もう、大手を振って練習参加できるでしょうからね。

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モンテディオ山形総選挙~歴代ベストゲーム部門(その2)

2020-05-18 11:44:58 | モンテディオ山形

今日から、チームは全体練習再開のようですね。
やっと少しずつ日常が戻ってきそうでうれしいです。

さて、歴代ベストゲーム、残り5試合選んでみました。
ここからは、昇格、J1残留という「結果」とともに、
自分のパッションが選ばせた(笑)「記憶」に残る試合を選びました。

【2010年 第13節 ダービー 3-1】
夢にまで見た?、J1での初めてのダービー。
開始早々のマサルのゴラッソで先制し、リャンに同点にされるも、
田代の逆転弾、ダメ押し弾で快勝という、絵にかいたような試合。
ダービーとて長いリーグ戦のただの1試合に過ぎないが、充実感は何倍にもなること
を実感。
(しかし、後半戦宮スタでのアウェイ戦では0-2でしっぺ返しを食らう・・・)
この数試合前にナビスコ予選で反町湘南に3-0で快勝しているが、
それも含めてモンテがJ1に定着できるんではないか?と思った時期だった。
ただ、このシーズンの強化費の無理がたたって、翌年の降格に繋がったと思うと、
チームの強化と経営のバランスというのは難しいものだと痛感(鳥栖の例にも漏れ
ず)。
J1ダービーでは、2015年ナビスコ予選でも2-0で快勝しているが、
質、内容的にもこの試合がJ1ダービーベストゲームだったと思う。
しかし純粋に、早くまたダービーを楽しみたい。そのためにも再々昇格を。

【2009年 第30節 アウェイ柏戦 1-0】
なかなか残留を決められず、生みの苦しみを味わったJ1初年度。
雨の日立台で、後半古橋の絶妙な前線へのフィードをミヤが確実に決めて勝利。
試合後、当時の海保理事長がツアーバス1台1台を回って、我々を祝福してくれたこと
が今でも忘れられない。
たぶん、心の中でこの時すでに「ざまぁみやがれってんだ」とつぶやいていたと思う
(笑)
次節鹿島戦ではシュート0で敗戦など、その後勝ち試合からは見放されながらも、最
終節の前に残留が決定。
そういう意味で、実質的にはこの試合の勝利が残留を決める試合となった。
J1で初めての残留を決めるという意味では、歴史に残るベストゲームと言えるだろ
う。

【2018年 天皇杯準々決勝 川崎戦 3-2】
昇格という意味では早々と終戦を迎えたシーズンだったが、
天皇杯では、柏、FC東京とJ1勢を撃破。
そして準々決勝は、常勝軍団川崎。
2度あることは3度あるのか、それともやはり3度目はないのか、
試合は、圧倒的にボールを支配されながらも、前半セットプレーから2点を先取する
という、
王者を困らせるには持って来いの展開に。
後半には、カウンターからユルキ、阪野と繋いで3点目。
その後2点を返されるも凌ぎ切り、まさかの下克上コンプリート。
ほぼ籠城作戦となった試合内容は決して褒められるものではなかったが、
天皇杯専用機となった古部、坂井をはじめとした控え選手の奮闘に拍手をしたい。
準優勝した2014年の夢よもう一度の期待もかかったが、準決勝で惜敗。しかもダー
ビー。
この借りは早く返さねばならない。

【2019年 第31節 アウェイ柏戦 4-3】
結果的に昇格を果たせなかったシーズンではあったが、
もし、昇格していたら、この試合が転換点になっていただろう。
首位ターンしながら後半戦は勝ち星に恵まれず、
このままズルズル引きずり落されそうな中での強豪との対戦。
柏は主力オルンガが欠場ではあったが、
試合は前半、事前分析通りだったのか相手守備陣の甘さを見事に突いて2-0。
後半、1点を返され相手が勢いづいてきたところで、駿と坂元のゴールで4-1。
その後、2点を返されるも最後まで集中を切らさず勝ち切った。
この試合で途中加入の山岸がやっと?覚醒し、この後大車輪の活躍を見せてPOに残っ
たことを考えると、
チームに再び勇気を与えた試合だったと思う。
山岸、坂元、柳と、チーム後半戦の立役者が確立した試合でもあった。

【2019年 PO準決勝 大宮戦 2-0】
木山モンテ3年間の集大成ともいえる試合。
昨年昇格を最後に逃がし、今年に賭けていた大宮の勢いを完全に封じ込めたナイス
ゲーム。
もちろん、ダメ押しの山岸のゴールまでの流れも素晴らしかったが、
ベンチの選手が一丸となって戦っていた姿は胸を熱くしたと思う。
特に、佐藤と野田の鬼気迫る抗議は試合内容よりも熱かった。
バイアーノが欠場してしまった次のPO徳島戦も、もしこの試合と同じメンバーで戦っ
ていればと、少しだけ悔やまれる。


この他にも、【2001年 第41節 ホーム大宮戦 2-1 ATでのワッシーのダイビング
ヘッドゴール勝利】とか、
【2001年 第42節 ホーム新潟戦 2-1 大野よっくんのオーバーヘッドでのVゴール
勝利】とか、
選びたい試合はあったのですが、泣く泣く止めておきます(笑)

 

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モンテディオ山形総選挙~歴代ベストゲーム部門(その1)

2020-05-15 20:37:36 | モンテディオ山形

さて、「ベストプレイヤー」部門の次の投票は「ベストゲーム」部門。

投票は5試合。

これも悩みましたが、10試合絞ってみました(笑)

まずは、5試合を。


【2014年 プレーオフ決勝 千葉戦 1-0】
まず何といってもこの試合でしょう。
プレーオフ準決勝でまさかの劇的勝利を収めてから一週間後。場所は味スタ。
相手は、10日前に天皇杯準決勝で戦った千葉。
千葉はプレーオフ決勝のために天皇杯はメンバーを落として臨むという周到さ。
(おかげで天皇杯は落としてしまい、この試合にかける意気込みは相当だったはず)
こちらは、プレーオフ準々決勝、試合終了数分前まで負けていた試合をギシさんの神
ゴールで拾ってしまい、少々信じられない気持ちで臨んだ試合。
終始相手に押され気味の展開だったが、バズのクロスにザキさんの値千金のヘディン
グゴールを、まさに守り切って勝利。
1万人で埋めたゴール裏の歓喜。誰彼なくハイタッチしまくった終了直後。
内容はともかく、昇格という結果のためにモンテに関わる全ての思いが昇華したとい
う意味では、歴代ベストゲームだと思う。
全てが今でも夢のような試合だった。

【2014年 PO準決勝 磐田戦 2-1】
決勝千葉戦が夢のような試合だったとすれば、
この試合はまさに、未だに夢だと思っている。
相手のクリアミスからヤマのクロスをディエゴが先取点。そして同点。
終盤伊東の決定機が外れると、心の中では「うん、ここまで良く頑張ったよ」と敗戦
前提の総括。
そのまま時間は進みAT。
CK獲得で、ギシさんが上がってくる。そりゃ、気持ちとしてそうだわな。
竜つぁんがCKを蹴る。ボールはゴールから離れてやや短めに入る。
それをギシさんがヘッド。「え?ギシさん?」確かにそこまでは覚えている。
次の瞬間、自分の座席の角度からはゴールポストの上を通過したかと見えたボールは
ゴールに吸い込まれた。
一瞬何が起こったのか時間が止まる(解説の悠介の言葉も止まる)。
そして歓喜。知らない周りのサポとハイタッチ。
途中ケガで交替のディエゴが、サンダルのまま大喜び。
信じられないアンビリーバボーな試合というジャンルがあれば、モンテの歴代ベスト
ゲームだと思う。
未だに夢だと思っている。

【2008年 第44節 アウェイ愛媛戦 3-2】
初昇格を決めた試合。
相手に2度先行されるも、試合終了間際竜つぁんの起死回生のFKが決まり同点。
実はこの時点で同点でも昇格が決まっていたらしい(匠がベンチに確認)が、
その後、カウンターから財前がゴール前に持ち込んで匠がシュート、そのこぼれ球を
陽平が蹴りこんで劇的勝利。
モンテが初めて何かを成し遂げた試合という意味では、間違いなく歴代ベストゲー
ム。
ミヤの男泣きが印象的だった。

【2009年 開幕戦 アウェイ磐田戦 6-2】
J1初陣。
ユニの新しい胸スポンサー「つや姫」ロゴが間に合わず、空欄で臨んだ珍しい試合
(そこか)。
誰も勝てると思わなかっただろうし、前半早々にジウシーニョに決められた時は、や
べーなと思ったが、
新加入キムビョンソクがまさかの同点ヘッド!
後半、古橋のダイビングヘッドで逆転するも、またジウシーニョに決められ、やっぱ
りかーと思ったが、
そこからモンテの信じられない大攻勢が始まり終わってみれば6-2。
驚きと、してやったりの清々しい気持ちで、磐田サポに囲まれたバックスタンドを後
にした。
(しかし、山新観光さんなんであのエリアを取ったかね)
J1での激勝という意味ではモンテ歴代ベストゲームだと思う。J1で首位にも立ったし
(1週間だけど)。

【2008年 第20節 ダービー 3-0】
ダービーの歴史は辛酸を舐める歴史でもあった。
このシーズン、前回のダービーではユアスタで2-0から逆転されるという実に禍々し
い思いをしている。
しかも決勝点を決めたのは、元モンテの佐藤由紀彦だった。
そこから臥薪嘗胆。
ホームでの今回の対戦ではミヤのヘディングで先制し、ハセの3点目で息の根を止め
るという完ぺきな勝利。
前回の留飲を下げるには十分だった。
なお、その後の3回目の対戦ではユアスタで北京五輪帰りの陽平が決勝ヘッドを叩き
込んでいる。
サポの気持ちをスカッとさせたというジャンルでは、歴代ベストゲームだと思う。

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モンテディオ山形総選挙~歴代ベストプレイヤー部門(その3)

2020-05-14 10:45:36 | モンテディオ山形

勝手に選ぶ歴代ベストプレイヤーも最後の10人となりました。
本当は、思い出せる全員にコメント付けたいくらいなんですけど(笑)
30人でも絞るのが難しかったです。
昇格とかJ1残留に貢献してくれた選手が多くなりがちですが、
辛かったシーズンに、孤軍奮闘した選手にも光を当ててあげたいし、
記録ではなく記憶に残る選手も本当にいとおしいです。

考えながら思いましたが、
「歴代助っ人列伝」という特集もやってほしいなと思いました。
なかなか当たりくじは少なかったですが、
「ああ、あんな助っ人おったな!」と思わずクスっとしそうな企画になると思いま
す。


それでは、歴代ベストプレイヤー残りの10人です。

【山崎雅人】
2011年のシーズン途中にレンタル加入。ゴールで結果を残したがチームは降格。
翌年には完全移籍で主力として活躍。
声でチームを引っ張るタイプではなかったが、
前線から強烈な守備をするプレーは背中でチームを鼓舞した。
2014年、プレーオフ決勝でのゴールは劣勢のチームに力を与え、
見事に凌ぎぎって再昇格を果たした。
あの時ほどスタンドで狂喜乱舞したことはない(周りの誰ともなくハイタッチしま
くった)。
本人はモンテで引退したい意向だったと伝えられ、
サポからも愛される素晴らしい選手だった。

【宮阪政樹】
愛称バズ。
2012年明大から加入、即レギュラー定着。
精度の高いプレースキックでチームを引っ張る。
守備で苦労したが、2014年プレーが安定し昇格に貢献。
特に後半戦は、石川竜也と左右のキックで何度もチャンスを演出。
讃岐戦での超ロングゴール、プレーオフでのアシストと大活躍。
苦手の守備でも鬼気迫るプレーで中盤を守った。
練習の虫で、いつも最後までグランドに残って走っていた姿が印象的だった。

【石川竜也】
モンテを語る上でのレジェンド中のレジェンド(ベスト10人には入れなかったが)。
2度の昇格時に目に焼き付く強烈な活躍を残した。
2008年愛媛戦。1-2の劣勢から試合終了間際、強烈な同点ミドルを叩き込む。
それがATでの陽平の逆転昇格弾に結びついた。
そして、2014年プレーオフ磐田戦。同点で迎えたAT。
絶体絶命の中でのCKは、前線に張っていたGK山岸のヘディングを呼び込み起死回生の
逆転弾。
サッカー界の歴史に残る逆転劇を演じた。
2007年入団時は、怒りっぽい怖いお兄さんだったことを考えると、彼もモンテととも
に成長したのかもしれない。
引退後は地元静岡でのプレーも想定された中でのモンテスタッフ入り。
今後もモンテを支えてほしい。
天童市の定食屋で臨席したのが良い思い出。

【林陵平】
ゴールパフォーマンスと欧州リーグオタクぶりが先行しているが、
2013年フクアリ千葉戦で見せた、伊東のダメ押しゴール後のゴール裏への咆哮は凄
かった。
熱い男なのである。
自分も、それにつられて咆哮してしまったが、後にも先にもこれ一度きりである。
余りにその印象が強すぎてベストプレイヤーに入れてしまった。
引退後は解説者の道が保証されているわけだが(特に欧州リーグ)、いつまでプレー
するのか。

【松岡亮輔】
ナンバー7を背負った松岡は、ボランチとして2014年の再昇格に貢献。
プレーオフ決勝の試合後のベンチで涙ぐむ姿は、2008年の宮沢の涙を思い出させた。
本人が、「守備は面白いもの」と言っているように、先を読んだボール奪取力は逸品
だった。
攻め上がりにもセンスを発揮し、前線で決定的なプレーを何度も演出。
2015年には神戸戦で持ち上がりからゴールも奪っている。
守備とともに力を発揮したのがMC力。
これは並み居る関西人プレイヤーの中でもトップクラスであろう。
仙台でMC力を発揮して移籍してきた渡辺広大が松岡を見て、「MCとはこうやるのか」
と白旗を上げたことでもそのレベルの高さがわかる。
松岡がこのまま残ってくれたら、ここ2年間のキックオフイベントのグダグダ感もな
かったろうに。

【川西翔太】
2014年、FWとしてガンバから加入したものの、チームの約束事に上手くハマらず、ベ
ンチを温める日が長かった。
3バックとなった後半戦からシャドーとして居場所を見つけてからは、
持ち前のボールキープ力で前線を活性化。
終盤は、ゴールで昇格に貢献。
特に、天皇杯の準々決勝北九州戦での決勝ゴール、準決勝千葉戦での決勝アシストは
記憶に残る。
しかし、彼の持ち味を十分に発揮したプレースタイルは、2015~16年のトリプルボラ
ンチだったと思う。
攻守を繋ぐ中盤として、神出鬼没にピッチを駆け回り、変幻自在にボールを操った。
彼のテクニックを十分堪能できたシステムだっただけに、チーム成績に結びつかな
かったのが悔やまれる。
山岸祐也とともに、ピッチに一人はいて欲しい選手だった。

【山岸範宏】
言葉はいらない「山の神」。
彼の「あの」プレーは世界中のサッカーファンを驚かせた。
よって選ばないという選択肢はない(汗)
しかし、自分は彼が練習後に語った言葉が忘れられない。
確か終盤戦の頃だったか、「昇格」というか「PO」が見えてきたチームに対して、
「浮ついてはいけない。浦和では、優勝なんて言葉を言わせない雰囲気があった」
チームを引き締めるための言葉だったと思うが、
これがその後の「我々はまだ何も得ていない」という、何度も出てくる有名なフレー
ズに繋がったと思う。
彼が表に出てくれたことで、気持ち的にチームが助かった部分もあるし、
モンテは、山岸が引っ張る油断のないチームというイメージを植え付けたと思う。
彼の功績はこういうところだと思っている。

【大黒将志】
犬のトリマー問題で出遅れた加入だったが(汗)、
開幕してみれば、いきなり結果は出すし、間違いなく一流の選手だった。
しかし、それでチームが勝てるとは限らないのが団体競技の難しいところ。
彼の良さは、結果的にチームの良さを消すことにもなってしまった。
彼にチームが付いていけないのか、彼がチームにフィットできないのか。
こんな禅問答をしているうちに、ギリギリ降格を免れてシーズンが終わってしまっ
た。
しかし、プレーそのものは強烈な印象を残した。
あそこから打てるのか、なんでそこにいるのか。
アクロバティックなゴールは、刹那的にはスタンドを大いに沸かせ、
それはプロスポーツのあるべき姿でもあった。

【本田拓也】
清水、鹿島で活躍しA代表まで務めたボランチ。
なんでこんな選手がモンテに来てくれたのか未だに不思議だが、
間違いなく4シーズン目もチームにいるようだ。
現在はエドモンド本田として、youtubeで活躍中(相方はマーベラス佐藤(笑))。
清水にいたことから魚にはうるさいが、酒田の魚にほれ込んだ様子。
パスコースの読み、奪取力、視界の広さ、スペースを見つける目、等々を考えれば、
今でもJ1で活躍しておかしくないプレイヤー。
昨年、エルシオブートキャンプによりフィジカルも復活し、ベテランながらますます
意気軒高である。

【坂元達裕】
2019年在籍。
戦前、誰が今日の彼を想像できただろうか。
キャンプでは全く話題に上らなかったものの(単に情報不足かもしれない)、
開幕戦途中出場からは、ガッチリレギュラーの座を掴む。
開幕2戦目の横浜FC戦での、ダイアゴナルにゴール前に切れ込みゴールをぶち込んだ
姿に、
サポからは「今牛若丸」の声が上がった(自分だけかもしれない)。
よく試合後に語られる、「ゴール前まではボールは運べるんだけど、最後あそこに誰
かいたらなぁ・・・」の、
『誰か』のところを埋めたのが彼であった。
その後の活躍は言うまでもない。
わかっていても付いていけない切り返し、
「そこで打て!」のサポの声が聞こえるような思い切りのよいシュート。
阪野との相性も悪くなかったが、山岸がもう少し早く来ていたらと残念がるサポも多
かった(自分だけかもしれない)。
これまでもJ1に引き抜かれた選手は何人もいたが、
代表まで想像できる選手は、彼しかいないだろう。


以上、30人のベストプレイヤーを選んでみました。
いや、だんだん書きたいことが増えて、収拾がつかなくなってしまいました。

次回は、「歴代ベストゲーム」編に移りたいと思います。
また長くなりそう。


自粛要請も緩められて、やっとチームも練習再開できるようですね。
早く、元気な姿を見たいものです。

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モンテディオ山形総選挙~歴代ベストプレイヤー部門(その2)

2020-05-13 10:57:29 | モンテディオ山形

昨日は、投票のために10人に絞ったベストプレイヤーでしたが、
25年もの歴史のあるチームですから、
やっぱり思い入れのある選手は他にもたくさんおります。
投票はできませんが、今回、次回とその中から、20人くらい選んで(それでも本当は
足りない)みたいと思います。


【シジクレイ】
1998年在籍。
実は、彼の山形でのプレーをスタジアムで見たことはない(テレビで見たような気は
する)。
よって自分の中では有史以前の選手。伝説の天孫降臨プレイヤー。
しかし、当時他チームのサポから「シジクレイがこのリーグでプレーするのは反則
だ」という声があったとか。
98年は、佐藤由紀彦、健二、マルキーニョ、シジクレイで中盤を組んでいて、
ワクワクするようなチームだったと思う。
実際見ていないということで想像上の選手のため今回ベスト10プレイヤーには入れな
かったが、
彼がJ1の時のモンテにいたら、チームはJ1に定着できたと今でも思っている。

【根本亮助】
鶴商学園出身。ミスターモンテディオになり損ねた(?)選手。
2001年、ハットトリックをシーズンで2度記録しているんだから実力のある選手であ
るのは間違いない。
あの驚異のジャンプ力は未だに忘れない。
充分凄い選手だと思うが、怪我がなければもっとゴールを見れだろう。
東根市のラーメン屋で臨席したことも忘れない。

【佐藤悠介】
柱チルドレンの一人。
2001年のモンテ旋風をあの長い髪を棚引かせながら中盤で引っ張った選手。
ボランチ浮氣、SB鈴木健太郎とコンビがハマって鋭いカウンターを繰り出し続けた。
2002年、ままならないプレーにピッチ脇のボトルを豪快に蹴飛ばす事件発生。
その後、同じような場面でボトルをなでなでして手打ちをしたのは有名な話
(か?)。
引退後解説者となって、2014年あの山岸ヘッド事件の磐田戦を解説。
山岸のゴールの後、しばらく声を出せなかったのは有名な話(か?)

【小林久晃】
千葉からの移籍(だったか?)。
モンテの辛抱期にDFとして奮闘。
タッパも良かったが、対人も読みも良く、
ず~っとチームにこんなDFが欲しかったと垂涎の眼差しで見ていた。
なかなか勝てないチームの中で、確かダービーで同点ゴールを決めた印象がある。
モンテでの活動期間は短かったが、その後神戸あたりでしっかり主力として働いた。
レオナルドとともに、ベストDFだったと思う。

【佐々木勇人】
宮城出身ながら、仙台ではなく山形に入団くれた恩義人(その後最後は仙台でプ
レー)。
ルーキー開幕戦で、JFLからの昇格草津相手に衝撃の先制ゴール。
試合は3-0で快勝し、草津サポに「やはりJ2は甘くない」と言わしめた。
芝の問題で、Jビレッジでの代替開催となった湘南戦で、センターライン付近からの
豪快なロングシュートを決め敵味方の度肝を抜く。
(その後、バズによりその距離は破られてしまったが)
天皇杯ガンバ戦での活躍により、速攻で引き抜かれるが、ガンバでも活躍してくれて
うれしかった。

【佐藤健太郎】
SHでの入団だったが、コバさんに見いだされてボランチに定着。
これが初昇格の決め手となった(と思っている)。
当初ボール奪取力には長けているものの、バックパスが多すぎてイライラしたことも
あったが(汗)、
辛抱強く使ってもらったおかげで、徐々に攻撃参加。
2008年は、雨の横浜FC戦、福岡戦で強烈なゴールも決めた。
2011年、あまりのサポの罵声に嫌気がさして移籍したとの噂があったが、
真相はどうだったのか聞いてみたい。

【北村知隆】
2008年の初昇格の大切なピース。
FW入団ながら、コバさんにSHでの適性を見いだされ定着。
献身的な運動量により、右サイドで攻守に貢献。
PA内で、そこに誰かいてくれれば、というところに顔を出す「痒い所に手が届く」選
手。
その完成形(1号機)が坂元だとすれば、北村は0号機と言ってもよい(?)
(なお、来季入団の松本幹太が2号機になる予定)
2008年J1開幕磐田戦で、PAでハセのスルーからゴールを決め、ゆりかごダンスをして
もらったのは良い思い出だろう。
2011年、突然の股関節のケガで試合に出られなくなったのは本当に残念としか言いよ
うがない。

【宮沢克行】
新潟から、2度のレンタル移籍を経て完全移籍。
そのままキャプテンとして2008年の昇格に大貢献。
ダービーでのヘディングでの3点目は、未だに脳裏から離れない。
新潟時代は嫌な選手の筆頭だったが、味方になってみるとこんなに頼もしい選手はい
なかった。
キックオフイベントでは、謎の「チームは芋煮です」発言。これも山形愛の表れか。
2009年は、残留を決めるゴールを柏戦で叩き込み、歴史の1ページを作ってくれた。
引退後はコーチで残ってもらえると思っただけにちょっとだけ残念だった。

【清水健太】
桜井のサブとして加入するも、2年目からレギュラー定着。
GKは野太い声で指示するものと信じていただけに、
シミケンの甲高い声は慣れるのに少しだけ時間がかかった。
しかし、守護神として昇格、残留を支えた貢献はサポの心にいつまでも残り続けるだ
ろう。
それは、讃岐移籍後、NDスタでの試合後にゴール裏でサポから胴上げされたことでも
自明。
モンテレジェンドの一人だと思う。

【中島祐希】
J2降格後の2012年、仙台から移籍。
小原、財前の移籍で仙台アレルギーもなくなっていたので良かった(謎)
ザキさん、萬代と強烈な3トップを確立。
顔に似合わないその泥臭いプレーで何度もチームを救ってくれた。
2014年の再昇格時の主力であり、
2015年のJ1時には、清水戦で0-3からの同点劇の起点となるゴールを決めた。
モンテのスタイルに合っていただけに、退団はとても悔しかった。


残りの10人は次回へ。
しかし、ダメだ、書きたいことが多すぎる(笑)

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モンテディオ山形総選挙~歴代ベストプレイヤー部門(その1)

2020-05-12 15:51:54 | モンテディオ山形
今月号のRUSHは「特集いま振り返るモンテディオ山形ヒストリー」ということで胸熱の企画でしたね。
何度もじっくり読みこんでしまいました。いや時間経つの忘れるわこれ。

そして、6月号に向けて「モンテディオ山形総選挙」が行われるという事で、
自分も早速投票へと。
しかし、エントリーの時点で、これ考えてみたら10人に絞るの厳しいなと。
やっぱり思い入れのある選手は多いです。
泣く泣く10人に絞らせていただくと、次のようになりました。


【高橋健二】
初代ミスターモンテディオ。高校時代からの活躍を目で見ている唯一の選手。
2000~2001年あたりの絶頂期の柔らかいボールタッチとパスセンスはJ1レベルだったと思う。
チャントも一番好きな曲。

【大島秀夫】
初代キング(2代目はいない)。加入最初の開幕戦で(GKが退場で)ゴールを守ったのも衝撃的だった。
2004年の爆発力(22得点)は凄かった。おかげでマリノスにさらわれたが。
彼のダイビングヘッドは芸術の域だった。
彼のチャントも大好き。

【レオナルド】
DFから唯一の選出。ウチのDFはセットプレーに強い選手が多かったが、彼が一番だった。
徳島戦での勝ち越しヘッドが印象的だが、なんといってもJ1初陣の磐田戦でのヘディングゴールは凄すぎた。
未だに、なぜ2009年に戦力外になったのか理解できない。

【レアンドロ】
チームのシーズン最多得点者(23得点)。開幕前の評判を覆す大活躍でチームをけん引。
勝てないチームの中で、いとも簡単に得点してしまう姿は衝撃的だった。
本物のストライカーを目にした瞬間だった。

【長谷川悠】
J1初昇格の立役者。誰が開幕前に彼の活躍を予想した人がいただろう。
小林マジックの申し子。
初ゴールまでは苦労したが、その後はケチャドバ状態。ダービーでも大活躍し、留飲を下げさせてくれた選手(だから好き)。
初J1でも10得点と大活躍。開幕戦での2得点の活躍には、解説者の名波をもって「こんな選手がJ2に埋もれていたとは」と唸らせた。

【古橋達也】
ホンダ時代から凄いとは思っていたが、やはり凄かった選手。
2009年は開幕戦での逆転ゴール、J1残留を決める柏戦でのミヤへの絶妙なパスと印象に残る活躍をしてくれた。
翌年から調子を崩してしまったのが返す返すもったいなかった。

【田代有三】
噂にはあったものの、本当に移籍してきてしまった元日本代表FW。
そのルックスと太ももの太さで活躍を確信。
ダービーで相手にとどめを刺す2得点。そして味スタでのFC東京の降格を決めた同点ゴール。残留を決めたホーム京都戦での決勝ゴール。
全てが美しく、夢のようだった。

【ディエゴ】
京都、仙台時代は重戦車という印象しかなかったが、実は守備も頑張る重戦車だった。
2014年終盤での磐田戦でのゴール、そして2点目ゴールの伊東へのブッチャーを彷彿させる目つぶし攻撃。プレーオフ準決勝磐田戦での1点目。
我々を心の底から熱くしてくれたプレーヤーだった。
2015年のJ1でもチームが苦労する中10得点したんだからやっぱり本物のストライカーだった。

【秋葉勝】
健二に続く2代目ミスターモンテディオ。
FW加入ながら、歴代監督の中で揉まれることでボランチという居場所を見つける。
健太郎と組んだダブルボランチは歴代安定感ナンバー1だと思う。
ダービーでの開始数分でのゴラッソ。松本山雅の初J2開幕戦で見舞ったゴール。
健二が素人も喜ばせる天才なら、勝は玄人を唸らせる努力の人だった。

【豊田陽平】
体がデカいだけの選手かと思ったが、小林ショッカー改造手術によりデカくて怖い選手へと変貌。
北京オリンピックに出場しテレビに所属が表記された時はさすがに胸が熱くなった。
北京帰りで即ダービー出場での決勝ゴール。福岡戦での小林虎の穴で何度も練習した、相手を背負いながら反転しての決勝ゴール。昇格を決めた愛媛戦での決勝ゴール。インパクトがありすぎる活躍だった。
涙で送り出した京都で活躍できなかったのが悔しい。


ここまで振り返って、振り返りすぎて首が3回くらい捻れてしまったので、
10番目以降のベストプレイヤーは次回に。
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モンテロスの日々~自粛自粛のGW

2020-05-01 14:46:31 | モンテディオ山形

早いもので今日から5月ですね。
気づいてみると、約1か月ブログを放置してました。
前回の書き込みは、本県で初めての陽性者が出た時でした。
それから、あれよあれよという間に68人まで陽性者が増えました。
(というか、最近は収まってきていますという方が正しいでしょうか。退院者も48人
ということですね。)

この間、国では全国に緊急事態宣言を発表し、
本県では、検温の取り組みもされているようです。

そんな、怒涛のというか悪夢のような4月が終わりました。

この間に起きたことは、我々がこれまで経験したことのないものでした。

2月頃でしょうか、
テレビでこの感染は4月末にピークを迎えると仰っていた先生がいらっしゃいまし
た。
その時は、「まさか、4月なんて」と平和ボケしていた自分でしたが、
まさにその通りになっております。
あの時の呑気な自分にバカヤローと言ってやりたいです。

今考えると、2月の開幕戦は何だったんだろうと。
ちょっと現実ではないような気もしてきました(負けたからかもしれませんが)。
いっその事、開幕戦はなかったことに・・・(汗)


我々は日々の生活はできていますから、社会は動いているという事でしょうが、
経済活動はどうでしょう、半分以上止まっているような状態でしょうか。

9年前の東日本大震災の時よりも深刻なダメージですね。
五里霧中というか、先が見えないことも気持ちを重くします。

マスクなどの生活必需品を外国に、経済の活性化を観光に頼った結果がこの現状で
す。

サッカーで言えば、
チーム全体が、ラインを上げて外需というゴールに向かって前のめりになった結果、
コロナという見えない敵に、ポンとラインの裏にボールを蹴られてしまいました。

前を向いていた選手が、ひっくり返された状態(よく木山さんが使っていたフレー
ズ)。
上げたラインの裏には広大なスペースができ、見事なカウンターで、大きな失点をし
てしまいました。

景気に前のめりになった結果、防疫という守備が疎かになっていなかったか。
改めて、守りの重要さを再認識したような現状です。

やっぱり守備は重要だよな(汗)


モンテロスの我々もかなり心配ですが、
選手の事が本当に心配です。
日々の生活、トレーニング、暗中模索でしょう。
ヴィニは異国に来てどれほど心細いか。

そんな中、
チームは動画で、いろんな企画をしてくれています。
本当に感謝。
いつもは見られない選手の一面が見られて、
選手への理解も一層深まってます。

先日の第1弾に続き、4日は第2弾「モンテだよ全員集合」の料理企画?もあるよう
で、
こういう時だからこそ、皆で楽しみたいものです。


全く、落としどころが見えない現状ですが、
やれることをただひたすらにやる。
粘っ強くやる。
まさにモンテの真骨頂ではないでしょうか。


磯野貴理子さんが、良いことを言ってました。
「人間は我が強いから、「我慢」と言われると辛い。でも、「辛抱」ならできる。辛
いことを抱くことは出来る。」

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