僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

オトメちゃんが母親になっていました。

zooさん、お元気ですか。 もうご承知かもしれませんが、オトメちゃんが お母さんになっていましたね。市川動植物園のHPに 2013年、オトメちゃんがお母さんになっていたことが載っていました。赤ちゃんを抱いてカメラ目線です、オトメちゃん。こんなに嬉しいことはない。またブログを再開してくださることを願っています。 このブログの2014年8月4日の記事を読んでください。

(6/5)職場のこと

2012年06月05日 17時01分29秒 | Weblog
もう夕刻になる。
曇ってきたので、暗くなるのが早い気がした。
朝に
カーテンを洗い、
自分の休みと日差しが合致したことに喜んでいたのだが
あっというまに
この時刻。
午後、買い物から帰って寝た。

仕事から帰ったら
大体は寝るのだが
ここ数日
夜も仕事が入り
自宅に一時帰宅は1時間半。
何もできやしない。
一息ついて
猫の夕食の準備等してすぐにまた職場に戻る生活。
これが残業にならず。
時間調整という形でごまかされたような気持ちは今でも否めない。

だから
職場にて
普段そこにいない時刻(夜)に外で夜空を見ながら
一服すると
ほんの一瞬だけ詩人になるのである。
外は
日中働いた人たちがこれから
好きな場所に繰り出して
お酒を飲み、友人と談笑し、一日の終わりをそのように過ごす人たちでいっぱいだ。
私は
仕事を終えたら即帰って、翌日の仕事のために就寝。
なんのために働いている、なんて
愚痴ってもしょうがない。
答えは明らか。


夜は疲れているのだが
却って寝付けず。
目を閉じれば
職場のIさんの声が頭の中を回る。


そのIさん。
私たちのチーフ。

ある日
会議にて
私たちのチームが注意された。
日ごろ
不満に感じていたことだが
とてもじゃないが
直接Iさんに言えるはずがない。

勤務時間体制のことだ。

あまり詳しく書かないが
彼女の良いようにしてきた結果が
ちゃんと
見ている人は見ているんだね
ようやく
公の場で
名前は出さないが
問題点を指摘された。
3月にやめようと思っていたときに
洗いざらい感想等述べてやめる気持ちもあった。
私たちが指摘しない限り
彼女の好き勝手なやり方は半永久的に続くのか、と思っていたが
思わぬところで
表面化した。

それで
改善されたかというと
そうでもない。
彼女は
自分の非を認めるとか、謝るとか、弱いところを見せるとかを
しない人だとわかっていたので
その指摘に
我々に
申し訳ないね、と言うわけでもない。

攻撃は最大の防御。
自分が1年近くもやってこないで私たちに任せてきたが
それを今回から彼女もやらなければならず、しかし
私たちのこれまでのやり方にガンガン言ってくる。
開口一番。
「今まで、何やっていたのよ!」
私たちの心の中(これまで1年近くもやってこないで、その言い草はないだろう)
というつぶやき。

本来の仕事が終わったら
清掃に入るのだが
この清掃も大事な仕事の1つ。
時間をかけて広範囲の場所を清掃する。
私とEさんが組むときは
分担してやってきたので、ひとりの担当負担は軽減する。
それでも大変なのだ。
そして
Iさんと組むときは
その広範囲の清掃を私(またはEさん)一人でする、というのが不文律だった。
彼女が昨年の今頃こちらに異動してきたときに
「ここはこうやってやるのよ。」とあちこちの場所の掃除の
仕方を指導してきたのだが
1日やっただけで、あとはほんの一部が彼女の清掃範囲になっただけで
残りの90パーセントは私たちの範囲。
その90パーセントをEさんとやるときは45パーセントずつ。
Iさんと組むと、丸々90パーセント私やEさんの範囲。
私は
Eさんに、「これは異常だよ。なんで一人でやらなければならないんだ。」と
言ったこともあった。
上司もその様子を見てきたのだが
一度もその疑問を指摘されたことはなかった。
私たちがIさんに言えないのだから
上司がいつか
「なぜ、清掃のとき、Iさんはやらないんだ」と投げかけてほしかった。
それらを上司も直接言わせない空気が
Iさんに漂う。

今回彼女も加わることになったが
まずは言うべきこと、
「今まで私やらないでごめんね。」がない。
それを悟られないように
彼女は先に
私たちのやり方を大きく非難する。
先制攻撃だ。

攻撃は最大の防御、という言葉は
こういうときにも通用するものだ、とどこかで呑気な私がいる。

そのほかに
もっと大きな問題点(勤務時間体制)があるのだが
これは割愛しよう。

それは会議にて
忠告されたから
それに従うようになっている彼女。

まだまだたくさん
あるのだが、
それなりに心の中で
対処できるようになった(以前書いたね)ので
疲れるが
お付き合いしている。

これが
ブログを書かない間にあった職場でのこと。




ある場所に
鳩がじっとしている。
きっと
卵があるんだね。
それを観察している私。
無事、孵化しますように。

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(6/5)元気が出る。

2012年06月05日 10時55分31秒 | 思い出を紐解く
時折
忘れてしまいそうなのだが
自分のブログを見ている方々がいる、ということ。
今日
コメントをくださった方の励ましに
元気が出る、出る。

更新が滞っていた。
多忙、というのもあるが
疲れて疲れて、なにもかも中途半端で
せっかくの休みも家事に追われて
なんのための休み?と思いつつ
また仕事が始まる日々。
その繰り返し。

毎日
小さなことにでも何かを感じたら
記録していきたい自分なのだが
それが実行できずにいる。

がんばれや、トモロッシ。




先月中旬に
突然
私の姪が仙台にやってきた。

姪と書くのも、初めてかもしれないね。
なぜなら
戸籍上は私は一人っ子だから。
兄弟、姉妹なしということ。
しかし
実際は
父親の違う妹が二人いる。
(私は今の両親とは養子縁組)

いっしょに暮らしたことはないが
実母を通して
小さいときからたまに会っていたし
彼女たちが大きくなって家族を持って
仙台にも遊びに来たことがある。

彼女たちとは別に
実父の結婚によって、私にとって会ったことのない弟と妹がいるらしい。
こちらのほうは全く実感がない。
でも父親が同じだから、半分兄弟なわけだ。


私の実母と現在の母親は姉妹。
つまりは叔母のところに6歳で養子縁組。
ほぼ、今の両親が、「私の両親」である。
その両親とも正月に会ったきり、私は連絡していない。
なんという親不孝者、と思うことでしょう。


で、その姪だが
10数年ぶりに会った。
私が北海道に遊びに行ったとき以来。
まだ姪は小学低学年だった。
彼女は未熟児で生まれて
同級生よりもかなり小さかった。
その子が
もう20歳を過ぎて
初めて一人旅に選んだのがこの仙台。
北海道のど真ん中、旭川からたった1泊2日で
仙台にやってきた。
母親(私の妹)から
久しぶりに電話があり
「娘がそちらに行くから、よろしく」とのことだった。
高校生ぐらいだったら、あれこれ気遣いをしなくてはと思ったのだが
どのくらい、彼女のスケジュールにタッチしたらいいのかと悩んだのだが
彼女はひとりで綿密に計画を立て、
松島の瑞巌寺や仙台の瑞鳳殿や博物館など観て回るとのことだった。

到着の夜、私は彼女の泊まるホテルに行った。
どんな女性に成長しているのだろう、という思いを持って。
すると
やはり小さかった。
はかなかった。
華奢だった。
でも、お化粧はしていたので
それで成人している、と思うことはできた。
小さいときのやんちゃな雰囲気は一掃されていて
まっすぐに成長した女の子になっていた。
いまどきの若い子、というには遠い。
髪の毛も黒髪、パーマなし、ピアスなし、煙草なし(母親は喫う)、
「歴史が好き。白石の片倉小十郎など調べたい」と言っていた。
「おお、歴女だね、歴女。」と私は喜ぶ。
牛タンをご馳走して、翌日早朝には
ホテルの朝食を摂らずに、駅弁を食べる、と計画していた。
そして自分のスケジュールどおりに回って、
夕方の便で帰る前に
私の家に連れてきた。
うちの猫たちを見たがっていたので。
猫たちは、来訪者にびくついてどこかにもぐりこんでしまう。
相手をしてくれたのは
シンノスケ。
満足していた。
動物大好き、という。
「じゃ、カエルは?」と聞くと
「カエルも好き。」と答えてくれる。
たいていはカエルは嫌い、と返ってくるのだが。
私は単純に
「私の後継者はこの子。」と勝手に決めた。

いっしょに暮らしたこともないのに
血、というものが
結びつけるのか。
私の今の父親は
私とは全く血のつながりはない。
6歳からの縁だから
親子同然であるが、
私が結婚してから特に遠のいた。
そして父は
自分の甥の子供に執心している。子どもとは言っても30代。家族も持っている。
その甥の子供家族を自宅の近くに住まわせ、
何かと用事を頼んでいる。
もう娘夫婦(私たちのこと)には頼らない、という考えかもしれない。

なるほど、血だと思った。
私が
3,4回ほどしか会ったことのない姪に
親近感を感じたのもそれか、と思った。

それは後の課題としよう。

こうして
姪はたった2日の仙台旅行を満喫して北海道に帰った。
妹と大違いの子だった。
妹曰く
「私はチャランポランで母さんに心配かけたけれど、娘は全然違うの。アハハハ。」
「そうだねえ、本当に良い娘さんに育ったねえ。感動しましたよ。」と
私は言った。
姪の人生は姪が決める。
たくさん勉強してもらいたいものだ。
もう働いているけれど、興味を持ったことをどんどん追求していってほしい。
それが、おしゃれとか異性とか、若い子にありがちな通過点だが
今はそれは置いて、歴史に興味があるなんて、素敵なことじゃないか。

そんなことを感じた日だった。
しかしそれも
すぐにブログに書けずに
こうして日々が過ぎていく。


後ほど再びブログを。
今から、クリーニング屋に。



コメント (2)
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