僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

(6/19)かつての私の上司

2012年06月19日 01時12分39秒 | 思い出を紐解く
私は
尊敬、という言葉をほとんど使わない。
部分的に尊敬できるとかあっても
丸ごとその人を崇拝、尊敬というのは
長い人生、振り返ってもないような気がする。

ただ、長年の誤解や苦手若しくは嫌悪という呪縛から解かれて
強く惹かれていく、もっとその人を知りたい、ということはあった。

以前の職場での元上司である。
彼との出会いは
私の新卒後の職場、そして最悪な出会いでもあった。

新人の私(たち)は
いろいろなグループの誘い、飲み会があり
できるだけ参加をこころがけていた。
その中に
勢力として大きいファミリー的なグループがあった。
彼を中心としたグループ。
実際、彼の名字のついたファミリーという名で存在していた。
どこかに所属する、というのが苦手な私だったが
まずは、断ることもなく参加していた。

彼はまず、否定から入る。
その否定の言葉に、新人たちはギョッとさせられ
いやな思いをして、すぐに離れていく人たちも多い。
私もまずそれだった。
彼は同時に酒癖の悪い人間だった。
そして、彼の周囲の雰囲気も好きになれなかった。
体育会系のノリのようだったし、実際そういう人たちが多かった。
私は文系。彼も実は文系。文武両道というところか。
まずいことに
彼の所属の科と私は同じだった。
だから、職場の中でもよく顔を合わすし、会議でもいっしょだ。
彼のずけずけとした物言いに閉口した私は
そのうち彼のグループを避けるようになった。
ほとんどの当時の新人は
彼とうまくやっていける人が多かったが
私は苦手意識を持った。
乗らなかった。
それが彼の気に入らなかったようだ。
彼からしたら
私は、反抗的な人間に見えたのだろう。
勤めて1年目。
何かの発表会があった日の夜
飲み会があった。
何十人もの人たちが
飲み会の会場に集まり、私も軽い気持ちで
参加した。
そして
そこについたとたん
これは彼のグループが中心だとわかった。
彼の家族(奥さん)もいた。
そんなことは知らずに入っていき
彼は私の顔を見るなり
何かわめいて怒鳴りつけた。
なびかない私への罵倒である。
それまで
彼は皆の前で、私にそんなことを直接言ったことはなかった。
場が凍った。
太鼓持ちの人が
まあまあ、と言いながらその場をなだめるが
新人の私はいたたまれなかった。
早めに退散。
よく考えて来るべきだった、と後悔。
泣きながら歩いた。
そして同じく新人の人が追いかけてきて
送ってくれた。
それ以来、私は彼とは口も聞きたくない、挨拶もしたくない、と思ったし
実行した。

あの日を境に
確かに実行した。
廊下ですれ違っても
互いに挨拶もしない。
生意気な新人の私である。

彼の取り巻きの一人の女性が
私にはっきりと言った。
「彼は、あなたが嫌いなのよ。」と。
彼女はそれだけを言った。
だから何。
嫌われないように従順になれ、とでも?
「そうですか。」と言い返すしかなかった。
それから3年。
見事に彼とは口を聞かなかった。
同じ職場、同じ科、にいながらにして。

彼は
しかし、仕事のできる人だった。
会議にては発言力があり、まとめる力もあった。
リーダーとして采配を振る力もあったし、冗談も駄洒落も言い、
それなりの魅力も持っていた。
それが少しずつわかってきた。

3年も経てば
あの日の屈辱は薄れていくものである。
穏やかなときもある。

ある日
どうしても彼と仕事をしなければならないときがあった。
仕事を彼の傍で黙々とこなす私。
仕事以外の話は一切しないが
彼の態度も軟化していった。
そこで彼が
何かを尋ねた。
なんのことだったか忘れたが、それに淡々と答える私。
そして
「あんたは不思議な人だ。」と言った。
私には退廃的な空気があるように見えるらしい。
仕事もできないように見えるらしい。

その時間が
二人の硬化した3年間を溶いていった。
それがわかった。
口には出さなかったが、それがわかった。
私の中で
固まっていたものが溶けていく感じがした。
彼はどうかわからなかったが。

そして
その夜
彼から電話があった。
「いやあ、これまで冷たくしてすまない。
悪かった。これからこの職場で頑張りなさい。」と言われた。
私も
「私こそ申し訳ございませんでした。今日、あのような時間を
作ってくださってありがとうございました。」と
素直に謝ることができた。

3年間の固まりの溶解の瞬間だった。

当時、まだ独身で、今の夫とは
お付き合いをしたての頃だった。
夫に
喫茶店で、彼との確執と漸く和解したことを
興奮気味に話した。
そんな話を聞いての感想を聞くと
「いっしょに暮らしたい、と思った。」と夫からのトンチンカンな答え。

彼のグループには所属しなかったが
彼とは
どこかで互いに繋がっている、という意識を持ち始めた。
彼は相変わらず
太陽のような人で
周りを笑わし、リーダー的な力を発揮し、話題の中心だった。
新人への気配り(私に対してはなかったが)、
この職場を改善していこうという意識、バランス感覚など
酒の入っていないときは非常に信頼感のある人間だった。
恐れるもの、彼に無し、というふうに見えた。

そして家族ぐるみの付き合いもできた。
夫との結婚式にも招待し、スピーチもお願いした。
世話好きの彼は、夫の両親に対しても世話を焼いてくれた。
義父も、彼の庭にバラを植えに行ったり、彼の新築の表札を作って
プレゼントしたり、と
最初のころの最悪な関係を考えられないくらい
家族的な付き合いができた。
職場にては
淡白な関係であったが。

ある年、
彼に早すぎる昇進の話が出てくる。
彼の上にはたくさんの先輩がおり
ほぼ年功序列で、昇進していくのだが
異例の抜擢で
彼に声が掛かった。
それは私たち若いものにはわからぬ彼の悩みでもあった。
私が一人で食事をしているところに
フラッと入ってきて
彼は私に聞いた。
「これこれの役職に就くことになるんだが、早くないか。
他に競争相手がいて、当然自分たちに回ってくるものと思っていたようだが
私に回ってきた。どう思うか。」と
彼らしくない、逡巡の表情だった。
私は率直に言った。
「Kさん(彼)の日ごろの統率力とか発言力を聞いての判断ですから、
全然不自然じゃないと思います。むしろKさんの力がほしい、と強く願っているかと
思います。」と。
「そうか。」と彼は後押しの言葉を聞いて去っていく。
そして
彼はその後、2番目の地位に就く。
もう一人の人とともに。
2人体制というのも異例だが、どうしても彼の力が必要だというのが
わかった体制でもあった。

そんな順風満帆な生活をしている中で
ある日、冬。

全体の会議があった。
彼はいつものようにバランス良く、体制、反体制の意見の統率に力を注ぐ。
少々、もたついたときがあった。
しかしそれが彼にとって屈辱であったとは。

その夜、夕飯後に
電話が鳴った。
「今、○○(職場の近くの食事処)にいる。ちょっと話を聞いてくれ。
おらあ(俺)、待っているから。」と切羽詰った彼の言葉。

夫にそれを言うと
「行ってやれ。」
「行きたくない。またお酒、飲んでいるから、絡み酒になっているよ。」
「いいから、行ってやれ。」

そして雪が積もっている夜の道を自転車で行く。
そこに入っていくと
後姿が寂しい寂しい彼。
それを見た瞬間、来てよかった、と思った。
来なかったら後悔したような姿。

きっと今日の会議のことであろう、と想像はついていた。
やはりそうだった。
今日の会議は屈辱だった、と言っていた。

そして
会議を振り返って、個人の名を出して彼はその人を責める。
いつもなら、難なく彼はうまくまとめられるのにそれができなかったことの
自分を責める。

「その人が、Kさんにいろいろと注文つけたということは
Kさんの力を信頼しているからだと思います。私はそういうふうに
受け止めました。
もう一人の人(2人体制のKさんじゃない方)はこういう問題はうまく纏め上げられないからこそ、Kさんにいろいろと意見、注文したのだと思います。
難しい問題はKさんにしか解決できないからだと思います。」
と、私は言った。
難しい問題は確かに彼の方に積もっていく。
彼は
会議のときはいつも
議題に副って、自分の考えを事前に纏めていく。
彼なりのプレッシャーがあった。
そんなことは誰も知らない。
いつも臨機応変に彼はその場の的確な意見を述べていると思っている。

難しい問題は、Kさんに。
それはKさんの能力を信頼しているからこそ。
それを心に置いて、誠実に回答していけばよい。

そんなことを話して
彼は
ビールを浴びてそこを出る。

降り積もった雪道の真ん中を
自転車がズズズーと滑る彼。
酒が入っているから大声になる。

「オマエが来てくれてよかったぞー!来てなかったら、オレは職場を
やめていたぞー!」と。
心が幾分か救われて帰っていく。

ああ、来てよかった、と思った。
これほどに彼が傷心だったとは。
人は
見た目には絶対に心の奥までわからない。
話されて初めて、こちらが大して気にしていないことでも
大きな傷になっているとわかる。
そして
彼も人間だった。
弱き心を垣間見せる(いやあからさまに)人間だった。
あの
出会ったころの強い彼の姿からは想像できないほどの
雪の中のふらつきだった。

あのあと
橋から落ちやしないかと心配して
着いたころに電話をした。
無事着いていた。

その後
数年して私は職場をやめた。
彼は
「寂しい、もっと長く居られないの?」とメモをよこした。

彼はこの職場を愛していた。
だから、彼の人生計画に
更なる昇進があり、彼の構想のもとに職場の改善があったろう。
私もそれを予測していた。
しかし

定年を待たずに彼は職場をやめた。
もう、今の上司は彼を必要としなくなった体制を敷いた。
彼を昇進させずに
部外から連れてきた。

彼はその職場を去った。
だが、彼の博学ぶりは他のところで発揮され
相変わらずの向学心に燃えている。
孫達に囲まれ、文学を愛し、花を愛でている。

酒癖の悪さから
彼に、毀誉褒貶あり。
アクの強いところがあり、取り巻きの人々も去っていく。
彼のその強さだけを見て、嫌う人あり。
かつての新人の私のように。
しかし、私はいつまでも彼を擁護している。
人は完璧じゃない。
完璧に見えたが
完璧な人はいない。
順風満帆に見えたが
本人はそうじゃないときもある。


私もよく失敗した。他者にあることないこと言われた。
しかし彼はこう言った。

「仕事を多くする人ほど失敗する率も高くなる。
仕事の楽な人は失敗する率が低くなる。
そういうふうに考えて、明日から頑張りましょう。」

私はこの言葉に救われた、若い時。
あの最初の印象の悪かった彼の姿から想像できない
新人への励ましに思えた。
こういう上司だから
信頼も厚かった。

彼から
昨年葉書が来た。
うちのかつてのネコ
オオコシのことが書いてあった。
大越、と聞くと
うちのネコを思い出すそうだ。
その彼に
近況報告をしていない。
彼の人生も今、老いである。

私の両親といい
彼といい

私は全く連絡をしていない。
さて
腰を上げようか、トモロッシ。











最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ふむ…… (JMC)
2012-06-21 21:24:56
誰だべな。
気になったら連絡したほうがいいよ。
返信する
Unknown (ジャスさんへ)
2012-06-21 23:51:27
あなたも知っている方。
彼も今年、古稀です。
皆、年を取っていく。
悲しいというか、歳月が愛おしい。
返信する

コメントを投稿