僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

オトメちゃんが母親になっていました。

zooさん、お元気ですか。 もうご承知かもしれませんが、オトメちゃんが お母さんになっていましたね。市川動植物園のHPに 2013年、オトメちゃんがお母さんになっていたことが載っていました。赤ちゃんを抱いてカメラ目線です、オトメちゃん。こんなに嬉しいことはない。またブログを再開してくださることを願っています。 このブログの2014年8月4日の記事を読んでください。

(12/28)今日両親退院。

2012年12月28日 10時07分59秒 | 両親のこと、入院のこと
慌しいね。
それなのに、ブログブレイク。

今日は28日。
あと3日ほどで今年が終わる。
なんと、慌しい年の瀬。
今日、有休を取った。
これまでの公休は使い切ったのと、それらが
両親の手術日とか病院の通いに使われたので
自分の休みらしい休みがなかった。
自分の休みを取っても、のんびりなんてできなかったね。

両親、今日退院です。
父が午前中、母が午後。
母の退院の早いのが気になる(母も昨日知って、びっくりしていた)。
しかし
担当医は、今週末には退院してよい、と言ったので
今日退院することに父と決定。(父と、というより、父が決定)
自宅に戻れば
どうしても母の体力的な不安が残るが
父は全て自分が基準なため
母の気持ちを考えず、今週末可能なら、いっしょに退院だ、と決定。
母は年明けのつもりでいたのだが
父の言うことを聞く、という姿勢になったため(脳梗塞以来)
それに従うしかないわけだ。

そういう小さなことにも
私はいちいち意見したいが
聞く耳持たない父とは
もう摩擦は避けよう、と思っている。


昨日
母に
私が遺産相続放棄を父から言われたことを話した。
話した結果
話しても無駄だった、と気づいた。
父の考えに従うしかない、と思っている母には
もう
昔のように
自分の意見や考えを父に言う、ということはできなくなっている。
頭が正常なら
え?!と驚くに違いない。

そして出てきた言葉は
夫への
「○○さんは、うちに来てもしゃべらないし、社交的じゃないからね。」だった。
それは父がいつも母や父の友人、又甥にグチのように言っている言葉だ。
それを母も、その通り、と思って言っていた。

夫は
父に関わりたくない、という本音がある。
数年前の出来事や
これまでの結婚生活での父たちの言動に立腹しているのが積もっている。
だが
表立って父と衝突するわけではない。
彼もずいぶん
父の言うことに我慢していただろう。
だから
付き合いは最低限、のつもりでいたのだろう。


一昨日
こんなことがあった。

父の病院で
担当医と最後の話をした。
そのあとに
父が
両親の入院手術に私が頑張ってくれたということで
御礼のお金をよこした。
その名目は
「これは○○さん(夫)に渡してください。トモロッシはあくまでもS家の人間
(嫁ぎ先)なので、○○さんからトモロッシを借りて手伝ってもらったのだから
○○さんに迷惑をかけたので、このお金は○○さんに渡してください。」ということだった。
これだけでも面倒くさい話なんですよ。
自分の娘が嫁いでも、娘は娘、ましてや一人娘だから
私があれこれやるのは自然のこと。
しかし父は
あくまでもそういう名目をつけたがる。

私は
「トモロッシちゃん、ありがとうね。また何かあったらよろしくね。」で
よかった。
そうはいかないのが父。
聞きようによっては
なんて立派な父親、と思う方もいらっしゃるでしょう。
いやいや、そうじゃない。

さて、それを夫に
「だから、父に御礼の電話をしてね。あなたから電話をしないと
父はまた目をむき出して、{常識の知らない人間だ!}と怒鳴るから。」と
言った。

夫はそれこそ
目をまん丸にして、怒り出した。
そんな心にもないことを言えない、と言った。
心にないことを言え、と言っても言えない、言わない、というのが
また頑固な夫の考えだった。

遺産相続放棄の件も
夫は
関わりたくないから、それを受け入れるという考えだし

俺が
お金をもらう御礼を言うのはおかしい。
そんな名目なら
俺に直接、そのセリフ、トモロッシを貸してくれてありがとう、と先に言うべきだ。
それを言ってお金をもらって、俺が御礼を言うならまだしも
おかしいだろう、と言う。

確かにそうだけれど
もうもらって来たから
言ってください、また揉めるのもいやでしょ、と言う。

夫は
じゃ、御礼のセリフを書け、と言う。
俺は心に無いことを言えない。

じゃ、書きます。
「退院おめでとうございます。
お金、ありがとうございます。トモロッシが頑張ってくれたので、このお金は
トモロッシに差し上げますので。」
と私はメモする。

そして
私の携帯からまず私が電話。
「お父さん、さっきはありがとうね。今、○○さんに替わるから。」と
明るく言う。

明るく
「退院おめでとうございます。思ったより早く退院できてよかったですね。以下メモ~」
夫、メモに書いていないことを付け加えて言う。
上出来。
これで父も機嫌良くなるでしょう。

もう疲れた疲れた。
こんなことで
いつもこうして揉めている。




さて
今日、両親退院で
私がさぞ大変だろうと思うかもしれないが
実は
その退院に立ち会わない。
他の方が立ち会ってくれるのと
母のは
父が立ち会って、入院費を払うことになっているので
私は行かないことになった。

しかし
夜、実家に
夫とともに来い、と言われている。
明日早朝仕事があるので
長い滞在ができないが行かねばならない。
おそらく
遺産相続放棄の件を
正式に
夫のいるところで言われるのだろう。
いろいろまた
自分のM家、こちらのS家がどうのこうのと理屈を述べて。

私たちは
それに従うことにしている。
疑問のはさむ余地はない。
それだけ揉める時間が長いだけ。
夫は
私が可哀相だ、実家が無くなる(実家は又甥のものになる)ことが可哀相だ、と
思ってはいるが
縁が薄れる方が私のため、と思ってくれる。

思えば
結婚当初のときも揉めたね。
結婚式前夜
揉めて泣きはらしたね。
結婚して
私は
M家(実家)から解放された気分だった。
だから
それが原点だ。
その思いに立つ。
忘れてはならない。





正月休みなし。
三が日は
Iさんが独占。
Eさんも私も年末年始、働いていますよ。
駅伝も観られないし、紅白も観られない。
相棒は観たい。
正月らしい気分なしの年明けです。



コメント
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