僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

オトメちゃんが母親になっていました。

zooさん、お元気ですか。 もうご承知かもしれませんが、オトメちゃんが お母さんになっていましたね。市川動植物園のHPに 2013年、オトメちゃんがお母さんになっていたことが載っていました。赤ちゃんを抱いてカメラ目線です、オトメちゃん。こんなに嬉しいことはない。またブログを再開してくださることを願っています。 このブログの2014年8月4日の記事を読んでください。

(12/10)雪が積もった

2012年12月10日 09時55分46秒 | 両親のこと、入院のこと
昨日は雪になった。
早朝の自転車は危ない。
寒さをあまり感じない私だが
さすがに、手指の冷たさを感じての出勤。

仕事中、笑顔をふりまきながらも
胸中、いろいろともやもやする。
落ち着け、トモロッシ、と言い聞かせる。

昨日
メールが届いていた。
気づくのが遅れる。

夏に
震災関係の仕事を終えて
北海道に旅行してから
地元長崎に戻っていった方からだ。
北海道の旅のあと、地元に戻ったものだと
思っていたら
そのあと、沖縄に仕事でしばらく滞在していたとのこと。
そして
久しぶりに長崎に戻って
荷物をひもといてみると
私からのお土産が出てきたとのこと。
よかった、腐敗するものをおみやげにしなくて。
とてもおいしい白石ウーメンを持たせたんだ。

今でも
震災関係の仕事で仙台に残っている方々がいる。
人数は少なくなったが
まだまだ処理が残っているようだ。
また、新たに登場する方もいる。
2度目の冬を迎えている。
昨日の雪、一昨日の大きな地震
大変だろうが
皆、頑張っている。

私も
心から笑顔で挨拶をすることを忘れないようにしよう。


さて、両親の入院の件。

毎日のように2箇所の病院に顔を出しているので
時系列がわからなくなってくる。
なるべくなら
自分の備忘録としても
その日にあったことを少しでも記していくべきだが
なにしろ
疲れて帰宅するので
眠ることを優先。
ブログを書きたい、と思っても
他の方のを見ているうちに
PCの前で、眠っている私だ。

父と長く
2人になると
どうしても
父は
あの話を持ち出してくる。

私はじっと黙って聞くしかない。
父は
根本は変わらない。
私を排除したい、という考え方。
又甥を、M家(私の両親の姓)の直系、おまえは出て行った身、と
強調する。
又甥を直系、としているのはいいが
又甥にはきちんと両親もいる(父の甥)わけで、
まるで
又甥が自分の子のように思っている。
それもよかろう。
長年の父の計画として
自分の面倒を見るのは彼(の家族)、として
又甥が学生のころから、父の家の傍に住まわせていた。
おそらくその頃から
「いずれ、あの家は君にやるから。」とでも言っていたのだろう。
急に、ここ数年の話ではない。
それもよかろう。
私はそれは予期していた。
しかし、一人娘を排除する、という想定はなかった。

特に
絶縁してきたわけでもない、私が行方不明になっていたわけでもない
震災前は
ある程度、実家に行っていたし、縁を切ったわけでもない。

これが実の娘だったらどうなのだろう、と思った。
戸籍上、私は6歳からの養子縁組。
母方の血を引いている。
実の娘だったら、
仮にお嫁に行って、M家の後を継がないにしても
相続放棄を宣告しただろうか。

仮の話なので
父にそれをふっても
「実の娘であろうと、対応は変わらない」と言うに違いない。
仮だから
本当のところはわからない。



数年前のブログ記事に
山本博道氏の詩集について書いたことがあった。
そこで
私は
「自分に逃れられないものがある。人生の課題である。」とかなんとか
書いた。
両親のことだ。
そのあと
詩集の話になって
話題がそれているけれど、
私はあのとき
予想したことがついに来た、と思った。

2007年7月13日に書いています。

なぜ、その詩集に飛びついたか
後に説明します。
(と言いながら、いつも先延ばしの私になる)

ではこれから
手術のために行ってくる。



コメント
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