僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

オトメちゃんが母親になっていました。

zooさん、お元気ですか。 もうご承知かもしれませんが、オトメちゃんが お母さんになっていましたね。市川動植物園のHPに 2013年、オトメちゃんがお母さんになっていたことが載っていました。赤ちゃんを抱いてカメラ目線です、オトメちゃん。こんなに嬉しいことはない。またブログを再開してくださることを願っています。 このブログの2014年8月4日の記事を読んでください。

(12/12)久しぶりに夕刻、家にいる

2012年12月12日 22時56分35秒 | 両親のこと、入院のこと
今日は
両親の病院に行かないことにしていた。

久しぶりの
通常の生活である。

2時前に帰宅して
少し寛いで
眠った。

昨日も今日も
身体がふらつくような感覚があった。
そして
足が痛かった。

自分の身体も大事にしていなければ
両親が退院するまで
持たないような気がした。

一昨日
父の手術の付き添い。
父は
当日の付き添いは
又甥の母親(父にとって、甥の嫁。私の母と仲が良い)と、父の姉(80代)に
頼んでいたようだ。
わざわざ、県北から呼び寄せての付き添いである。
それほどまでして
私に付き添いをさせたくなかったのだろうか。
そんなこととは露知らず、
私は手術日を知った時点で
自分の仕事の休みの交替を頼んでおいた。

身内に娘一人しかいないわけで
自分としては当然だと思っていた。
が、あとから
M家の人たちにそれを頼んでいたと知り、
それはそれで父の希望だから
彼女たちは引き受けるだろうが
彼女たちの気持ちとして
「なぜ、娘のトモロッシさんが付き添わないのかしら?」となるはずだ。

結局、私1人が付き添うことになった。

手術は無事終わり
順調だった。

執刀医から
父の切除した臓物、ガンを見せられた。
脂肪たっぷりで、なかなか腸を探せなかったとのこと。
それらを見て
気持ちが悪いという気分にならなかった。
その辺のスーパーに売っている
鶏の臓物のように思えた。

麻酔から覚めても朦朧としている父に
翌日に読めるように
メモを置いておく。
執刀医からの説明、その他。

こうして1つの山を越えた。

昨日も2つの病院。
移動がつらい。
身体が冷え込む。
足の爪が食い込む。

母の入院先の先生と少し話す。
執刀医ではないが
循環器内科の方。
直接担当しないからだと思うが
心許ない説明だった。
明日
執刀医から手術治療の説明がある。

そして
明後日
母の手術である。

それを越えれば
2人とも
リハビリを次の日から始める。
父は今日やっていたことだろう。



そんなわけで
今日は自分の身体を休める日。
そして
「相棒」を久しぶりに観た日。
夜の食事を久しぶりに家で食べた日。
昨日までは
外食だったり、夫にも外食させたりの日。
疲れたなあ。
これまでの日々。
いろんなこと、考えたなあ。
職場でもずっとこびりついているもの。
疲れて寝ていても
頭は寝ていないような。

あれほど
やめたいと思っていた職場が
逆に
いつもの雰囲気、空気であることに
感謝していた。


その職場であるが
今日
夏に去っていった長崎の方が
突然
現れた。
先日メールを送ってくれた方と同種の仕事の方。
驚いた。
もしかしたら
二度と会えぬかもしれぬ、というお別れを夏にしたのに
ほら
こうして
生きているからこそ
再会できる。
まだまだ震災の後始末がある、ということだ。
愛媛松山から来ている方(ずっと滞在)とお話していた。
今年も終わるのに
いつまで滞在するかわからないが
2,3日という予定ではないらしい。



うちの猫
誰かが血便。
誰なのかわからず。
皆、元気。