僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

オトメちゃんが母親になっていました。

zooさん、お元気ですか。 もうご承知かもしれませんが、オトメちゃんが お母さんになっていましたね。市川動植物園のHPに 2013年、オトメちゃんがお母さんになっていたことが載っていました。赤ちゃんを抱いてカメラ目線です、オトメちゃん。こんなに嬉しいことはない。またブログを再開してくださることを願っています。 このブログの2014年8月4日の記事を読んでください。

(12/30)雨の中、墓参

2012年12月30日 21時47分27秒 | 両親のこと、入院のこと
9時を過ぎてしまった。
ようやく、落ち着いてブログを書こうかと思っても
あと30分ほどで寝なくてはならない。
彼らが退院しても
諸々のことに追われる毎日。

一昨日の夜
夫とともに私の実家に行った。
その日は
2人の退院日。
父と母は別々の病院に入院、手術、何日ぶりで
2人は顔を合わしただろうか。
時折、私はそれぞれの入院生活の様子をカメラに収めて
互いに見せ合わした。
携帯での会話も取り持った。

その夜
実印を持って(それを持ってくるように言われた)いく。

父の字で


念書 の内容(遺産相続放棄云々)

私の住所(これは私の字で)
私の名前(これも)  実印

父の名
母の名 宛

つまりは
父の遺産相続放棄だけではなく
母のもである。



なんとも
空しい。

一方的に宣言され
退院したその日に
実印を押され
名前を書かされるなんて。

そんな親子関係。
養子縁組をしたのは6歳。
そしてこれまでの彼らとの繋がりの最後は
こんな結果。
どうして
平静にしていられようか。
母とのつながりも絶たれた思いである。
それを
軽く扱う彼ら。
おそらく
おそらく
私は
彼らの葬式に出ないであろう。
(むろん、これは確定ではないが。今の気持ちである。)

父は
おそらく
自分の葬式の内容についても
考えている人だ。
誰に葬儀委員長をやってもらうとか
誰に弔辞を読んでもらうとか
そして
誰が喪主(妻であるが、母は理路整然と話せる状態ではない)にするかも。
当然
母の代わりに、一人娘の私が代わって挨拶、となるはずだが
父は
又甥にさせるだろう。
そんな葬儀に
私や夫が出られるだろうか。
どれほど
屈辱を味わわせるのだ、という気持ちだ。



昨日も
明日も呼び出しがかかっている。
あれをやってくれ、これをやってくれ、である。
又甥夫婦に頼めよ、と言いたいが
母の姿がかわいそうなので
そこが私のネックだ。
もっともっと
自分自身が冷めた気持ちになりたい。

同僚に話せば
もう、毅然として断れ、と言われている。




そんな
日々です。


そして今日は
仕事を終えたあと
雨の中
舅(しゅうと)の墓参り。

先月末の予定(命日)だったが
あの通り
私の両親の入院のことがあったので
姑に
年内には必ず墓参に行くからねと
延期していた。
今日しかないと思い
夫と姑と3人で出かける。

誰もいない
枯野の墓参。
雨も寂しい。

義父に手を合わせ
「お義母さん、夫、私を守ってください。私は負けません。」と
心の中で言う。

義父は
現金こそ残しはしなかったが
今住んでいる土地(家は私たち夫婦が二世帯として建てた)と
別な土地(これは相続後、売却した)を残してくれた。
夫も一人っ子。
何も何もお金について、遺産について揉めなかった。
それだけでもありがたい、と今つくづく思う。
それが当たり前だと思っていたから。

そして
一人っ子のこの私にも
いずれ遺産相続のことが振りかかっても
揉める要素はないと思っていた。
しかし
結果はこの通り。
父の分、母の分も放棄しろ、である。
それらはどこに行くのか。




もう
書かないか・・・
父のことを書くだけ、むなしさや悔しさが出てくるしね。

かと言って
これからも
関わるたびに
いやな思いをして
それを封じ込めて
明るくブログを書く、なんていうのも
できないかもね。


でも
明日は
今年を振り返って
今年感動したことを書いていこうと思う。

ではおやすみなさい。
あ、そうそう、今夜の雨で
うちのカエルが出てくるのではないかと
巣穴を見てみたんですよ。

ぎっしり詰まって
一番上のカエルの目が開いていました。
ひっさしぶりに
カエルを見た。
冬眠中、ライトを照らしてごめんなさい。