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僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

オトメちゃんが母親になっていました。

zooさん、お元気ですか。 もうご承知かもしれませんが、オトメちゃんが お母さんになっていましたね。市川動植物園のHPに 2013年、オトメちゃんがお母さんになっていたことが載っていました。赤ちゃんを抱いてカメラ目線です、オトメちゃん。こんなに嬉しいことはない。またブログを再開してくださることを願っています。 このブログの2014年8月4日の記事を読んでください。

ネコを室内飼いにした理由

2006年09月30日 12時11分06秒 | ネコ
おはよう。
今日のお天気は
まずまずの天気。
曇り空なんだ。
もしかしたら雨になるのかな。
でもそんなに気温も低くないし
庭の雑草取りの続きをするには
ちょうど良いくらいの天候。

ネコ用のトイレも洗って
綺麗になった。

うちはネコが多いし
しかも室内飼いだから
トイレの数も半端じゃないんだ。

以前は結構外に自由に出ていた
ネコたち。
でも、苦い思い出。

クロポチ等の姉妹の
マユが行方不明になってしまった

あまり思い出したくないので
詳しくは書かないが

この別れが
ずっと自分の心の
悲しさをひきずった
何年も

ロッシやマミたちが
亡くなったときも
悲しかったが
最期を看取ったという
気持ちがあるせいか

立ち直りもしっかりと
できた

だが、行方不明というのは
たちが悪い。
待ち続けて
何年も経ち

何よりも
自責の念が
澱のように
残ってしまうことだ

行方不明は
自分の責任だ

外へ自由に
出ていけることは
危険も覚悟しなければならない

それを忘れるほど
安全、平安だったのかもしれない

でもやはり
いやな事態になった

行方不明の先が
わからない

死んだのか
どこかでさまよっているのか
誰かのうちで可愛がられているのか

そんなことをずっとずっと
考えて
自分を責めた

祈るしかない
どこかでうんと
可愛がられてうちに
帰ってきたくないんだ

と祈ってはみても
自分を納得させるには
空しい祈りだった

そんなことがあっても
まだ他のネコたちは
外に出ていた

私が
もう絶対に
外には出さないと
決断させた
事故があった

クロポチだ

外での冒険が大好きな
クロポチは
よく遠くの場所で
見かけた

それでもきちんと
帰ってくるから
半ば安心していたが

ある時
時間になっても帰ってこない

マユのことがトラウマになって
いるはずの自分の
愚かさ

近所中聞こえるように
名前を叫んだ

すると遠い所で
悲痛な声が聞こえる
ビルに反射して
クロポチの声が聞こえてくる

もう夜9時を過ぎていた

自転車で声のする方へ
行ってみたが
暗くて
しかも民家が立て込んでいて
どこであの悲痛な声を
あげているのかわからなかった

マンションの人が
その騒ぎを聞いて
窓から
あそこで鳴いていると
指示してくれた

見れば
知らない家の裏、塀の内側のようだ

塀を乗り越えられない何かが
あったのだ

いつもなら何でもない
塀の乗り越え

その民家に事情を話して
庭、塀の方を探させてもらった
そこはネコ嫌いの人だと
分かった

この世で一番嫌いなのは
ネコだ!と言われて
それが自分の耳に
残っていたが

クロポチの救出が先だった

塀の内側にうずくまって
悲鳴を上げていた

一体何があったのか
他のノラにでも追いかけられて
腰を抜かしたのだろうか

クロポチを抱き上げて
ケージに入れ、謝罪をして
連れて帰ってくる

家の中に入っても
まだ悲鳴を上げる
腰が抜けている

いやそうじゃない
様子がどうもヘンだ

かかりつけの医者に電話をした
ネコが腰を抜かすということは
ありえない
骨折しているかもしれないから
すぐに連れてくるようにと
言われた

骨折・・・

そうかもしれない
家に帰ってきて
少しは落ち着くはずが
腰あたりを触れば
すぐに悲鳴を上げる
足が不自然に曲がっていることに
気づく

確かに骨折していなければ
塀に軽々とのぼりつたい
うちに帰ってこられる距離だ
それができなかったのだから
アクシデントがあったのだろう

すぐに病院に連れていった
うちから遠いため
もう10時を過ぎていた
先生も、病院と自宅が別だったのに
バイクで病院に駆けつけてくれた

先生は一目見て
これは骨折だと診断
即入院

しかし先生は明日から
学会のために出張

帰ってきたらすぐ手術をする
ことになったが

その間
痛みと戦わなければならないんだ
骨折のしたことのない私は
クロポチの痛みをわからない
どれほど痛いか

腰の骨である
人間が腰を骨折したら・・
と最悪なことを考えた

もう歩けないかもしれない
排泄もうまくできないかも
しれない

いろいろと
覚悟を決めなければ
ならないと思った

そして手術
何ヶ月入院しただろうか
日記を見ればわかるが

年内には退院できた
手術は成功した
あとはリハビリ

家に帰ってきたとき
しばらく不在にしていた
クロポチに
他のねこたちが
寄ってきた
病院の匂いが染み付いている
クロポチに
威嚇する皆

歩く時足が内側に曲げてバネのように
はねる
ナックリングだ
だから床に擦って
毛が抜け皮膚が見えてくる
病院から軟膏をもらい
塗ってやる
ナックリングしながら
歩き走ろうとする姿は
痛々しいが
あの時考えた事態にならず
安心した

もちろん
高い所は上れない
排便も上手くいかなかったが
自分で立ち上がって用を足しにいけると
いうのはよかった

もう二度と誰も
外に出さないと決意させた
出来事だった

クロポチの骨折という
犠牲があって
その結果の決意である

痛い目に遭わなければ
私は気づかないのかと
思わせる出来事だった

現在
クロポチは
後遺症は残っていない
元気に走りまわっている

腰をトントンしてくれと
腰をこちらに向けて
高々とあげる
ナックリングも
なくなった
用便はいつものように
硬くてコロンコロンした
ものだけれど
あまり影響はないようだ

いまだに
外に出してくれと
鳴くけれど
それは
もう不可能だよ

さてそのアクシデントの
原因であるが

わかりようがない
ネコの事故は
わかりようがない

ただあの塀づたいに
ハクビシンが通ることが
わかった

都会に住むハクビシン

うちの前の塀を走って
いく姿を何回も見かけた
ネコ同士の喧嘩なら
まず先にワーオ、ギャーオと
いう喧嘩声があるはずだ

一気にハクビシンに
追いかけられて
ドスンと塀から落ちた
のかもしれない

危険がいっぱいだ

冒険好きのクロポチには
窮屈かもしれないが
家の中でせいぜい暴れて
ほしい

写真は
クロポチとミミ
兄弟である
仲が悪い



酒井峰治と山下智久

2006年09月30日 01時49分10秒 | 山Pドラマ
もう日付は変わったが、
今日(29日)として書こう。

夜になって
ようやく
気分のテンションが
あがってきた。

それまで
低。

今日は歴史の勉強をした。

白虎隊がらみで
山下君が演じる
酒井峰治について
調べた。

それほど有名では
なかったんだね。
飯沼貞吉なら
白虎隊の生き証人として
知ってはいたけれど

だからはじめ
その人のことを
演じるのだと勘違い
していた。

なぜ酒井峰治は
有名ではなかったか。

どうも彼が
白虎隊士だというのを
公に、子孫に
知られたのは
平成5年らしい。

平成5年といえば
つい最近のことじゃないか。
歴史的に見て。

酒井家の仏壇に
隠されていた彼の
手記が発見されたのが
その年。

彼自身
生きているときは
そのことを封印して
いたのだろう

会津に残らないで
北海道に渡った

旭川で精米業をひっそりと
営んでいたという

生きている間
あるいは
会津を出るとき

どんな気持ちだったろう

当時の
会津では
自害した若者を
英雄視する傾向にあった
と思われる

時代が時代だから
遅れてでも
自害すべきだったと
なっていたのではないか

彼が生きることを
選ぶというのは
当時にしてみれば
やはり
白眼視されること
だったかもしれない

80歳過ぎまで
生きた彼は
やはり
後世に遺そうと
手記を書き
それを
生きている間に
発表せず

いつ読まれるかわからない
けれど
死んでからわかるように
大切に仏壇に
収めておいたのだろうか

もう長い歳月が過ぎ
白虎隊というのが
歴史ドラマとして
テレビで放映される時代

全ての士が死ぬというより
1人
2人
生き残ったということも
ドラマ的には
おもしろいのかもしれない

しかし
当の本人にしてみれば
そんな未来のことは
想像することはできない

テレビそのものが
発明されるのもわからない
時代に生きたのだから

どんな文章だったのだろう
愛犬クマとの再会が
生きのびるきっかけと
なっているが

その思いや
生きて故郷に残れない
つらい心情

それだけでも
涙が浮かんでくる

生きることを選択するのは
それほど当時は
だめなことだったのか

今なら
よくぞ生きていた

生命の大切さ重さに
感動するはずなのに


山下君が
演じるその酒井峰治

空の上から
観てくれるだろうか

あなたの手記が発見されたことで
白虎隊士の
別な生き様を
演じてくれるよ

あなたの
生きていることの
つらい心情を
山下君が
一生懸命
演じてくれたらいいね

恥ずべきことではないのに
生きることは

それでもつらかったんだ
犯罪を犯したわけでもないのに

自分の若き人生を語らず
故郷を語らず
ずっと
ひっそりと生きていたのだね

故郷を断ち切って
まさに北海道で
第二の人生を送っていたんだね

そしてやはり
あなたは封印できなかったんだ
なぜなら
手記として遺しているからだ
それを
どう扱われるか
どう読まれるかは
書いている当時は
全く想像できなかっただろう

でもやはり遺して
おきたかったんだ
自分の故郷時代のことを

峰治さん
今あなたの手記は
貴重な資料として
大切に扱われているよ

そして会津では
あなたと愛犬の像が
あるという

よかったね
故郷に帰れて


今回こうして
私の好きな山下君が
あなたを演じるということで
少し私も
勉強したよ

きっと彼のファンは
あなたのことを
調べているに違いない

現に
仲間も
白虎隊について
あなたについて
会津について
勉強したいって
口々に言っていたもの

それだけでも
あなたの
生きたことは
報われているよ

いやいや
今の時代
どんなことがあっても
生きなくちゃという時代だから
安心して

報われるとかそういう次元の
生じゃないんだ

ごめん、報われるという
言葉はふさわしくないね

会津に旅したくなったよ
寒くならないうちに
出かけてこようかと
本気で思っている

手記があるなら
それを読みたいと
思っている

そしてまだ
勉強するよ

どうか
あなたのことを
演じる
山下君のことを
空から
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