さぁ、いよいよ本格的に世の中が動き出しますね。それにしても、コンビニやスーパー、ファミリーレストランなど、正月休みなく働く人々も増えました。ご苦労さまです。病院やさまざまな施設で働いている方も気が抜けませんね。
さて、「べてるの家」 をご存知でしょうか。何度かテレビで取り上げられたこともありますが、北海道の浦河にある、精神分裂病患者やアルコール中毒者などの自立を支援する共同住宅です。
そもそも、べてるの家は、向谷地さんという一人の青年が、ソーシャルワーカーとしてその地の赤十字病院に赴任してきた20年以上前、その町であいていた教会の建物で、入退院を繰り返す患者さんたちと共同生活をはじめたのがはじまりです。
「べてるの家」の特徴は、従来の精神病医療とは違って、彼らの病気を治そうとはしません。みなが、自分の、そして相手の現状をそのまま受け入れ、悩み、苦しみ、それを他人と分かち合う、そうした人間関係を実践しようとしています。
規則もほとんどなく、唯一 “三度のメシよりミーティング” と言って、いつもみんなでミーティングをし、ありとあらゆる問題を解決する…というより、確認をしあいます。ここでのモットーも、普通と逆で、“手を動かすより、口を動かせ”(笑)。
ただ、こうした理想を語るのは簡単ですが、それを実践するのは大変です。
実際、ミーティングの途中でも幻覚が現われてしまう人もいれば、妄想にとりつかれている人もいます。寝転がっている人もいれば、ぶつぶつひとり言を入っている人もいます。中には暴れだす人までも…。
ですから「べてるの家」には、日頃から暴力やお金を取られたなどのトラブルが絶えません。それを解決していくというより、やはり消化するとでも言いましょうか、人の集まりだからそういうこともあるという覚悟でみなが受け入れているような雰囲気です。
そこに人間社会の縮図、すなわち人本来の姿が隠されずにあらわになっているのではないかと感じるのです。思いやりや協力という美しい場面もたくさんあるのですが、負の部分だって受け入れる。障害だって個性のひとつだという考え方です。
そうは言っても、みなが自立をし、社会参加できることが目標であることには違いありませんから、べてるは決して内部だけで完結した組織を作りたいのではなく、健常者との繋がりにも非常に積極的です。施設の運営にお金もかかりますね。
そこで、地元の昆布を販売する仕事を始めますが、ここでも座右の銘は、なんと、“安心してサボれる会社作り” です。昼寝をする人、逃亡してしまう作業員もいます。それでも、得意のミーティングで商品開発まで実行し、今では立派な企業として成り立つまでになっているようです。
こうしてまわりがそれを完全に受け入れるという社会が出来上がっていると、障害を持った人々が、(それは施設だけでなく、街も含めてですが)、ものすごい力を発揮するというのが分かります。
今や、彼らを世話する立場の人だけでなく、ベてるで暮らす、その患者さんたちまでが、さまざまなところに講演に出かけるほどだというのです。大変すばらしいと思うのですが、本書には、そうした“べてるの家” の経緯やそこで繰り広げられる様々なドラマが描かれています。
以前、このブログで取り上げた 『教養としての「死」を考える』 の中で鷲田清一氏は、社会から死や生、食や排泄までも見えなくなってしまったことが、人間が自分ひとりで生きているという現代人の錯覚を生んでいると指摘しました。
その鷲田氏が、つい先日テレビで、べてるの家の人々がごく普通に社会に溶け込んでいる、どんな人の集団でも、一定割合で障害を持つ人はおり、それが自然なのだというようなことを語っており、思い出して本書を紹介させていただきました。
近年、医療や福祉の分野に進みたいという生徒がかなり増えてきましたが、きっとこの本を読んでみれば、“社会って何だろう” “健常者と障害を持った人の本質的な違いはあるのか” “病気って?” ということを考えずにはいられないはずです。
そういう生徒には特にお薦めの一冊です。
ベテルのHPはこちら→ 【ベてるの家】
悩む力 みすず書房 詳細 |
http://tokkun.net/jump.htm 【当教室HPへ】
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『悩む力 べてるの家の人びと』斉藤道雄
みすず書房:241P:1890円