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降って来るもの

写真と散文とぽえむ

赤ちゃん

2019-06-14 06:15:02 | 植物

 ~~~ヾ(^∇^)おはよー♪

ブロ友さ~ん、今朝のお目覚めの気分は如何ですか?

ええ、余り良くない・・って。じゃ、このブログ見てせめて瑞々しい命の始めの頃を思い出して

ズッキーニの

トマトの

胡瓜の

ピーマンの

胡瓜も

ピーマンの

極甘の柿の

サンシュウの

紫陽花の

まるで蒼い打ち上げ花火

アジサイの

南天の花の赤ちゃん

それから

光の子

トウモロコシ

初見、落花生の

それから、それから、大きくなりすぎてもうもどれない”まんぼ”は、せめて遠い昔のあの頃のように「丸坊主」に

ironを操りながら聞く音楽は、あの頃の詩。「あの素晴らしい愛をもう一度」「青春の城下町」あのころ、1960年から70年代に流行った音楽を聴いて「霧の中の少女」「可愛いベイビー」「初恋」「下町の太陽」「太陽がくれた季節」「乙女のワルツ」etc

で、何となく軽やかに熟す仕事。あの頃僕は若かった。当たり前ですよね。束の間の若返りの時間です

てへ!!眩しい

anataも生き生きと一日を       06/14 06:36 まんぼ


コメント (4)
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無間

2019-06-14 05:36:01 | 詩18

      無間


両腕を伸ばして

その両掌に跨る空間が

自分で把握できる精々の世界

 どんなに足掻いても

果て無い無間の広さと深さなど

掴める訳はないから


その狭い間にさえ

数多の問題や痛苦が詰まっていて

何一つの明解も導き出せない

 要するに

inochiを漂わせる有無の空間は

曖昧こそが全て


その有無で曖昧模糊の繭から

自分を自覚する糸を紡いでは編んでゆく

 何か?が

それぞれの人生


その何かに無知のまま

畢竟のようにperiodを迎える

 大概の

Homo sapiensと称する個の小ささ


些かのinochiの重さを

知り得る者だけが

 そこに

TOKIの塒を造れるかも知れぬ

              0614Ⅺ₂

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painは

2019-06-14 05:23:03 | 詩18

         painは


痛覚は確かに

そこにinochiの存在を感じさせる

痛点は確かに

そこで脈打つinochiの裏返しのようにある


僕の肩や腰や膝に宿る

painのさまざまは

自認できない僕の姿と形を

イメージの海から

鮮やかに立ち上がらせるのだ

-女神のように・・


ただその仕様には

表裏一体のように

些かの痛苦を伴う

           0614Ⅺ₁

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