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降って来るもの

写真と散文とぽえむ

聴心記.ⅩⅢ

2017-11-26 22:00:02 | 聴心記

                  ⅩⅢ「献上物は」

 

偶にだが、神仏に祈ることがある

何時もの

ITOを持ち合う相手が恙なきように!と

それとは別に、欲張って

僕を刺激するもの達との

 物流がstopしませんように!と

 

自分勝手で、迷惑な申し出だから

神や仏も

 本気になってくれそうもないが

偶に、拝まないではいられない程に

切羽詰まることも有る

 

その後で、能々考えれば

キリリとした形跡の残る

 天恵の献上物は見当たらないのだが・・

                     「チカラの塊を」

 

どんな事に附いても

思いの丈の

 それに見合いの歳月を費やすれば

それは確かにチカラの一つになる

其々の対象に貴賤などなくて

 それは

同格に評価されるもの

例えば

 月に一冊の読破とか

日々一万歩の歩行や

朝毎の祈りや、それから

 僕の六年と九か月に亘るブログ更新も

NO.2462title目になるこのぽえむの書き込みにも

漲ってゆく一つの

 チカラの塊の存在をひしひしと感じるのだ

                     「カタコトと」

 

漣も立たない凪の時は

蓋を閉じるしかない

そうして、傍らに居て待つしかない

 

溜まってゆく執念や

意識の層の盛り上がりに

動かない蓋が、何時か

「カタコト」と音を立てだす迄

                   「イノチの本能に」

 

本当にそう思うのです

 少しでも

僕を必要としてくれるヒトやモノとしか

出逢ってはゆかないのだと

 

胸の音叉が

知らず知らず共鳴する人としか

巡り会ってはゆかないのだと

 

本当にこう思うのです

ボクが望むようなhitoとmonoとしか

縁の糸は

 結んではゆけないのだと

 

どんなに多くと擦れ違い

どんなにたくさんの触手を伸ばしても

 知らず知らずその手を握り合える人としか

本当の邂逅は無いのだと

 

そうして思う

本当にそれは数じゃなくて

一つ一つの其々の出逢いの

 濃さと深さと情愛の密度に違いないと

同じ根っこでエキスを共有する

生まれながらの兄弟姉妹なのだと

 

本当に僕は想うのだ

彼是と殊更に模索しなくても

 糸は何時でも天上から垂れ

掴めるか否かは

きっと、産まれた時に

 イノチの本能によって決まっているのだと

天啓の祝いの供物として

きっと、その瞬間に授けられているに違いないと

*11/26 22:58

 

 

 

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