ⅩⅢ「献上物は」
偶にだが、神仏に祈ることがある
何時もの
ITOを持ち合う相手が恙なきように!と
それとは別に、欲張って
僕を刺激するもの達との
物流がstopしませんように!と
自分勝手で、迷惑な申し出だから
神や仏も
本気になってくれそうもないが
偶に、拝まないではいられない程に
切羽詰まることも有る
その後で、能々考えれば
キリリとした形跡の残る
天恵の献上物は見当たらないのだが・・
*
「チカラの塊を」
どんな事に附いても
思いの丈の
それに見合いの歳月を費やすれば
それは確かにチカラの一つになる
其々の対象に貴賤などなくて
それは
同格に評価されるもの
例えば
月に一冊の読破とか
日々一万歩の歩行や
朝毎の祈りや、それから
僕の六年と九か月に亘るブログ更新も
NO.2462title目になるこのぽえむの書き込みにも
漲ってゆく一つの
チカラの塊の存在をひしひしと感じるのだ
*
「カタコトと」
漣も立たない凪の時は
蓋を閉じるしかない
そうして、傍らに居て待つしかない
溜まってゆく執念や
意識の層の盛り上がりに
動かない蓋が、何時か
「カタコト」と音を立てだす迄
*
「イノチの本能に」
本当にそう思うのです
少しでも
僕を必要としてくれるヒトやモノとしか
出逢ってはゆかないのだと
胸の音叉が
知らず知らず共鳴する人としか
巡り会ってはゆかないのだと
本当にこう思うのです
ボクが望むようなhitoとmonoとしか
縁の糸は
結んではゆけないのだと
どんなに多くと擦れ違い
どんなにたくさんの触手を伸ばしても
知らず知らずその手を握り合える人としか
本当の邂逅は無いのだと
そうして思う
本当にそれは数じゃなくて
一つ一つの其々の出逢いの
濃さと深さと情愛の密度に違いないと
同じ根っこでエキスを共有する
生まれながらの兄弟姉妹なのだと
本当に僕は想うのだ
彼是と殊更に模索しなくても
糸は何時でも天上から垂れ
掴めるか否かは
きっと、産まれた時に
イノチの本能によって決まっているのだと
天啓の祝いの供物として
きっと、その瞬間に授けられているに違いないと
*11/26 22:58