函館山と砲台跡(北海道遺産)
函館山(標高334m、周囲9m)行き方は市電十字街徒歩約10分の函館山麓駅から
山頂を結びロープウェイがありますが、私たちが訪れたときは整備点検のため営業中止で車で登りました。
ロープウェイは津軽海峡を背にして登って行くそうです。
函館山は市街地西端にある山で別名は臥牛山(がぎゅうざん)とも言います。
津軽海峡につきでた断崖上にあるため展望が良く、天気の良い日には下北半島を望む事が出来ます。
頂上の展望台から見る景観は両側を海に挟まれた独特の地形を生み出し素晴らしい
函館港、緑の島、摩周丸、市街地にはJR函館駅、その先に五稜郭タワーも望めます。
夜の観光は車の交通規制(タクシーは可能)があるためホテルから夜の観光バスに乗って出かけました。
雨が少々降っていましたが、溢れるばかりの光を見渡せ素晴らしくバスの中では感嘆の声が響いていました。
傘をさして展望台まで行くとまた格別でドラマチックで神秘的でした。
夜景の美しさをガイドの方が教えて下さいましたが、函館の夜景は秋と冬が一番きれいで
世界三大夜景(北海道「函館山」、香港「ビクトリアピーク」、ナポリ「ポジリポの丘」
日本三大夜景(函館山、神戸の摩邪山の掬星山、長崎の稲佐山)だそうです。皆さんも納得できるでしょう!
函館青函連絡船記念館摩周丸 函館市若松町
北海道南端(道南)と本州北端(青森県)の日本海と太平洋とを結ぶ津軽海峡(東西約130km)を
1965年(昭和40年)に就航、1988年(昭和63年)まで運航。
青函連絡船最後の日まで運航していた摩周丸を実際の乗り場であった旧函館第二岸壁に
係留・保存して公開しています。
船室は見学をしませんでしたが、「船の歴史としくみの解説」を伝えているそうです。
岸壁は函館朝市から近くて、蟹の注文してから船の外見だけ見に行きました。
地元の人が「写真は舳先から写すと良いですよ。」と教えていただき撮影しましたが
澄みきった青空と碧い海に白と青色の船体のコントラストが良く好きな景色の写真になりました。
五稜郭タワー
幕末の見果てぬ夢の象徴の五稜郭は展望台から見渡すと函館山や津軽海峡、特別史跡五稜郭の全体が眺望できます。
◎展望1階はゆっくりくつろぎながら五稜郭の星形の展望を楽しむ空間になっていて、カフェスタンドや売店があります。
歴史上の人物土方歳三のブロンズ立像が置かれていました。
土方歳三
近藤勇と尊王攘夷のあらしが吹き荒れる京都で新撰組を結成。
「池田屋」などの討幕派浪士を取り締まり、「鬼の副隊長」として統率していましたが、
鳥羽伏見の戦いや甲州勝沼の戦いでの敗北。新撰組局長の近藤勇が処刑された後も宇都宮、会津と戦い
榎本武場率いる旧幕府艦隊に仙台で合流し蝦夷地に渡りました。
五稜郭を本拠地とした旧幕府軍による暫定政権、蝦夷共和国では陸軍奉行並・函館市中取締りの要職を務めた。
明治2年(1869年)新政府軍による攻撃に自ら最前線で兵を励まし奪戦し、敵を撃退したが
明治2年5月新政府の総攻撃により孤立友軍を援護するために出撃しましたが、一本関で銃撃を受け35年の生涯を閉じました。
◎展望2階
五稜郭の迫力満点の展望台と五稜郭の歴史を学べるスペースです。
グラフィック展示「五稜郭物語」は、ペリー来航から始まる歴史を年表や絵図面で分かりやすく紹介。
「メモリアポール」では情景模型があって、子供たちも説明を読みながら歴史に興味持つことでしょう。
「箱館総攻撃」
箱館山の裏側から絶壁を登って表われ新政府軍の奇襲隊の様子。
「戦時下の赤十字精神」
新政府の一隊が、脱走軍の箱館病院にも突入。病院長(高松凌雲)は怪我人や病人を助けるため赤十字精神を敵に訴えた。
箱館奉行所
五稜郭内には箱館奉行所を中心に20数棟の付属建物などがあったことが発掘調査を始め、古写真や
文献資料・古図面などの調査で分かりました。それを基に箱館奉行所は2006年(平成18年)に工事を開始
史実に忠実な復元が進み、2010年(平成22年)に140年の時を超えて再現されました。
館内は、
再現ゾーン
襖を開け放すと72畳の広さになる大広間や奉行の執務室があった表座敷は奉行所の中でも格式の高い部屋でした。
中庭から見上げる太鼓橋は最も高く突き出ているのが5階部分、約16,5mの高さで港を監視するための役割がありました。
ちょっと江戸にタイムスリップした感じでした。
歴史発見ゾーン
幕末の箱館開港により設置された箱館奉行所と奉行所を守るために築造された五稜郭、戊辰戦争の最後の戦いとなった
箱館戦争の歴史を解説。箱館戦争にかかわった人物も紹介していました。
映像シアター
復元工事の様子をハイビジョン映像で紹介。専門職人による日本伝統建築の匠の素晴らしさに感服しました。
建築復元ゾーンもありました。
発掘出土品「巴瓦」にはみつ葉葵紋
「釘隠し」釘隠しは柱や釣り梁と長押が交差する部分に打った釘を隠すための化粧金具(復元工事使用品)
外観の屋根
屋根瓦は建設当時のまだらな色相を再現するために越前山の赤系4色を用いられていました。
他の復元された板倉と土蔵は売店と管理事務所として使用。
石垣
大手口から入って左側に本塁の石垣には最上部に刎ね出しがあります。
上から二段目の石が貼りだして積まれているため外部からの侵入を防ぐ構造になっています。
函館山の麓の立待岬(たちまちみさき)から切り出した安山岩などが使用されています。
珍しい石垣は子供が説明してくれました。
北海道旅行は自然の風景の素晴らしさ、歴史、美術館、美味しい食物をたっぷり堪能しました。
函館山(標高334m、周囲9m)行き方は市電十字街徒歩約10分の函館山麓駅から
山頂を結びロープウェイがありますが、私たちが訪れたときは整備点検のため営業中止で車で登りました。
ロープウェイは津軽海峡を背にして登って行くそうです。
函館山は市街地西端にある山で別名は臥牛山(がぎゅうざん)とも言います。
津軽海峡につきでた断崖上にあるため展望が良く、天気の良い日には下北半島を望む事が出来ます。
頂上の展望台から見る景観は両側を海に挟まれた独特の地形を生み出し素晴らしい
函館港、緑の島、摩周丸、市街地にはJR函館駅、その先に五稜郭タワーも望めます。
夜の観光は車の交通規制(タクシーは可能)があるためホテルから夜の観光バスに乗って出かけました。
雨が少々降っていましたが、溢れるばかりの光を見渡せ素晴らしくバスの中では感嘆の声が響いていました。
傘をさして展望台まで行くとまた格別でドラマチックで神秘的でした。
夜景の美しさをガイドの方が教えて下さいましたが、函館の夜景は秋と冬が一番きれいで
世界三大夜景(北海道「函館山」、香港「ビクトリアピーク」、ナポリ「ポジリポの丘」
日本三大夜景(函館山、神戸の摩邪山の掬星山、長崎の稲佐山)だそうです。皆さんも納得できるでしょう!
函館青函連絡船記念館摩周丸 函館市若松町
北海道南端(道南)と本州北端(青森県)の日本海と太平洋とを結ぶ津軽海峡(東西約130km)を
1965年(昭和40年)に就航、1988年(昭和63年)まで運航。
青函連絡船最後の日まで運航していた摩周丸を実際の乗り場であった旧函館第二岸壁に
係留・保存して公開しています。
船室は見学をしませんでしたが、「船の歴史としくみの解説」を伝えているそうです。
岸壁は函館朝市から近くて、蟹の注文してから船の外見だけ見に行きました。
地元の人が「写真は舳先から写すと良いですよ。」と教えていただき撮影しましたが
澄みきった青空と碧い海に白と青色の船体のコントラストが良く好きな景色の写真になりました。
五稜郭タワー
幕末の見果てぬ夢の象徴の五稜郭は展望台から見渡すと函館山や津軽海峡、特別史跡五稜郭の全体が眺望できます。
◎展望1階はゆっくりくつろぎながら五稜郭の星形の展望を楽しむ空間になっていて、カフェスタンドや売店があります。
歴史上の人物土方歳三のブロンズ立像が置かれていました。
土方歳三
近藤勇と尊王攘夷のあらしが吹き荒れる京都で新撰組を結成。
「池田屋」などの討幕派浪士を取り締まり、「鬼の副隊長」として統率していましたが、
鳥羽伏見の戦いや甲州勝沼の戦いでの敗北。新撰組局長の近藤勇が処刑された後も宇都宮、会津と戦い
榎本武場率いる旧幕府艦隊に仙台で合流し蝦夷地に渡りました。
五稜郭を本拠地とした旧幕府軍による暫定政権、蝦夷共和国では陸軍奉行並・函館市中取締りの要職を務めた。
明治2年(1869年)新政府軍による攻撃に自ら最前線で兵を励まし奪戦し、敵を撃退したが
明治2年5月新政府の総攻撃により孤立友軍を援護するために出撃しましたが、一本関で銃撃を受け35年の生涯を閉じました。
◎展望2階
五稜郭の迫力満点の展望台と五稜郭の歴史を学べるスペースです。
グラフィック展示「五稜郭物語」は、ペリー来航から始まる歴史を年表や絵図面で分かりやすく紹介。
「メモリアポール」では情景模型があって、子供たちも説明を読みながら歴史に興味持つことでしょう。
「箱館総攻撃」
箱館山の裏側から絶壁を登って表われ新政府軍の奇襲隊の様子。
「戦時下の赤十字精神」
新政府の一隊が、脱走軍の箱館病院にも突入。病院長(高松凌雲)は怪我人や病人を助けるため赤十字精神を敵に訴えた。
箱館奉行所
五稜郭内には箱館奉行所を中心に20数棟の付属建物などがあったことが発掘調査を始め、古写真や
文献資料・古図面などの調査で分かりました。それを基に箱館奉行所は2006年(平成18年)に工事を開始
史実に忠実な復元が進み、2010年(平成22年)に140年の時を超えて再現されました。
館内は、
再現ゾーン
襖を開け放すと72畳の広さになる大広間や奉行の執務室があった表座敷は奉行所の中でも格式の高い部屋でした。
中庭から見上げる太鼓橋は最も高く突き出ているのが5階部分、約16,5mの高さで港を監視するための役割がありました。
ちょっと江戸にタイムスリップした感じでした。
歴史発見ゾーン
幕末の箱館開港により設置された箱館奉行所と奉行所を守るために築造された五稜郭、戊辰戦争の最後の戦いとなった
箱館戦争の歴史を解説。箱館戦争にかかわった人物も紹介していました。
映像シアター
復元工事の様子をハイビジョン映像で紹介。専門職人による日本伝統建築の匠の素晴らしさに感服しました。
建築復元ゾーンもありました。
発掘出土品「巴瓦」にはみつ葉葵紋
「釘隠し」釘隠しは柱や釣り梁と長押が交差する部分に打った釘を隠すための化粧金具(復元工事使用品)
外観の屋根
屋根瓦は建設当時のまだらな色相を再現するために越前山の赤系4色を用いられていました。
他の復元された板倉と土蔵は売店と管理事務所として使用。
石垣
大手口から入って左側に本塁の石垣には最上部に刎ね出しがあります。
上から二段目の石が貼りだして積まれているため外部からの侵入を防ぐ構造になっています。
函館山の麓の立待岬(たちまちみさき)から切り出した安山岩などが使用されています。
珍しい石垣は子供が説明してくれました。
北海道旅行は自然の風景の素晴らしさ、歴史、美術館、美味しい食物をたっぷり堪能しました。