『知足日記』

『知足』とは、『生かされて、生きている』・『必要な物、必要な経験は与えられている』・『すべて必要。すべて良し』と知ること

【1439】「若者を使い捨てにしない社会を」という投稿文(^^;ゞ

2008-06-15 08:15:32 | 思索
『若者を使い捨てにしない社会を』という文章を、朝日新聞の『声』に投稿したのですが、
掲載されそうにありません。(^^;ゞ

なぜかというと、以下の文章を読んでもらえてば分かりますが、具体性に欠けるからです。(^^;ゞ

これに反して、秋葉原の無差別殺傷事件以後に掲載された投稿は、どれもこれも具体的で、
現場からの鋭い指摘の優れたものでした。脱帽です。(^^;ゞ

『声』というのは、日常の生活の現場からの発言によって、
世論や共感(?)を形成してゆくキッカケを作る場なのだとつくづく思いました。
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【若者を使い捨てにしない社会を】

秋葉原の無差別殺傷事件での残忍な犯行は決して許されません。
被害に遭われた方々やご家族には、心からお悔やみを申しあげます。

けれども、容疑者が派遣社員の生活を続ける中で、将来の夢を描くことができず、
解雇される不安を常に抱えて自暴自棄になったことを思うと、私は痛たまれない気持ちになります。

仕事に不満を持つのは、「本人の問題」だと言うこともできますが、
今も、多くの若者が同じような状況にあることを考えれば、
制度や法律を変えることで対処する方法もあると思います。

今回の事件の要因の一つは、私たち大人がグローバルスタンダードとか自己責任という経済的な考え方を容認し、
格差社会を認めてきた結果だと思います。若者の労働力を道具のように使い捨てにして、
自暴自棄にさせるような社会には問題があります。

派遣社員を使うことによって利益をあげている企業は、
自社の利益のみを追求して、社会的な責任を果たしていないと思います。
若者が将来に希望を持てるような働き方のできる制度や法律を、一日もはやく整えて欲しいです。
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★反省点は、(^^;ゞ
■『声』は当事者意識の有無が大切なのに、問題点を上から分析して見ているに過ぎない。(^^;ゞ
■自分の考えていることが、メディアには載りにくいのは、私の主張が、「唯識」だからです。
 『声』は、物質的物理的な社会現象を論じる場なので、私の主張が載りにくいのは、当たり前。
「自分の意見(主張)を聞いてもらおうという態度自体が、浅ましい」と思った。(^^;ゞ

「ほんとうの聖者」(笑)は、「自分の意見」は言わないそうです。(^^;ゞ
『態度』で示すのだそうです。(^^;ゞ
私は、まだまだ、凡人です。(^^;ゞ

★でも、「自分が凡人である」とわかって安心しました。(^^;ゞ
私は何か、「崇高な自分」のイメージ(たとえば、「不食の自分」)を描いて、
「今の自分」を否定的に考えて、「今の自分」を批判的にとらえていたことに気付きました。(^^;ゞ

「今の自分」で良いのです。 「凡夫の自分」でよいのです。
「悪人」の自分で良いのです。 悪人正機なのです。(^^;ゞ

■この他にも、四川大地震の件で投稿したのですが、
 重複を避けて、しっかりとした主張の短い文章を書くテクニックの勉強になりました。(^^;ゞ


【1438】自分らしく生きるとは、自分で決めて生きること(チャレンジ精神で行こう)

2008-06-15 07:36:20 | 思索
NHKの『きらっと生きる』(6月13日放送「好きな町で生きていく」)を見ました。
24時間 の介助 が必要 な横川由紀さんは、自分の意志で、自分の住む場所と生活を決めました。

介助施設を出た横川さんは、身体の自由が利かないので介助なしには生活できません。
国から保障されている介助は8時間なので、残りは、自分で工面しなければなりません。
電動車椅子の彼女は、ボランティアを募るために自分で街頭に立ちます。

私は、そのチャレンジ精神に感動しました。
横川さんの生き方に共感するスタッフ達によって、
明るく楽しく日々の介護がまかなわれています。(*^_^*)

彼女の、「自分」を状況のなかに捨て切っているところが凄いと思いました。
『すべて必要。すべて良し』の生き方です。(*^_^*)

『御心のままに!』の生き方が出来ていますね。
またの名を『チャレンジ精神で生きる』だと思います。

私ならば、「もし、集まらなかったどうしよう」と悲観的に考えてしまいそうです。(^^;ゞ
私は、案外、「自分を気にするタイプ」だと思いました。(^^;ゞ

横川さんが発行されている『小石』というミニコミ誌には、
『自分らしく生きるとは、自分で決めて生きる』という言葉が載っています。

【自分の人生は、自分で決めて生きてゆく。
それが、自分らしく生きることだ。

それ以外に、自分らしく生きる方法はないと思う。

自分で選んだ時間を生きることが大切だ。

人に指示された時間で生きるのは嫌だ。

時計は、自分のなかで回っているのだ】

「第360回 好きな町で生きていく」

【1437】「把らわれない生き方」よりは『捨てる生き方』のほうが良い(*^_^*)

2008-06-15 04:43:28 | 思索
『心の学校 佐藤義塾』さんのCDとパンフレットを送ってもらいました。
そのなかに『捨てる生き方』という冊子が入っていて参考になりました。

その冊子のはじめに、佐藤氏の自伝が漫画で載っているのですが、その題名は、
『捨てる生き方を実践しながら天職を得た一人の男の物語』です。

そこには、自分の状況や出来事や環境を「捨てる」ことによって、
佐藤氏が人生を切り開いてこられた様子が書かれています。

私の人生を振り返ってみても、「人生の変化」とは「捨てる」ことと表裏一体でした。

私は、このプログで「物事に執着しない」「把られない」と何回も書いてきましたが、
「執着しない」というのは否定的な表現よりは、
「捨てる」という言葉のほうが、より積極的だと思いました。(*^_^*)

そして、だれの人生であっても、「捨てる」という決断で成り立っていることに気付きました。(^^;ゞ

親からの自立にしろ、転職にしろ、先入観を捨てるにしろ、
人生は、「自分の把われ」を捨てることによって、次なる発展があるのです。(*^_^*)

ですから、「自分の想い」に対して、「把られない」と否定的に考えるのではなくて、
「捨てる」とポジティブに考えて行動したほうが、
『自分の気持ちがしっかりする』(笑)と思いました。(*^_^*)

「執着しない」という表現は、「執着の内容」に把われてしまっています。(*^_^*)

★ たとえば、「人間関係を捨てる」「親を捨てる」「依存心を捨てる」「人からの評価を捨てる」
「夢を捨てる」・・・・、なんだっていい(笑)のです。
捨てれば、捨てるほど、あなた(わたし)の人生は、『自由』になります。(*^_^*)

その冊子から、「捨てる内容」を拾ってみますので、「あなたの人生」にあてはめてみてください。(^^;ゞ

「あなたの人生にあてはめてみてください」という表現は、失礼ですね。傲慢ですね。(^^;ゞ
すいません。お許しください。(*^_^*)

ただ、「B型の私」(笑)は、こういう「自由感」を想像することが、とても好きなのです。(^^;ゞ
「生きる元気」が、沸々と湧いてくる(笑)のです。(*^_^*)

下記は、その冊子に載っているものです。
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①『人間関係を捨てる』
★ 依存心を捨てる
★ 恨みを捨てる
★人からの評価を捨てる
★ 恋人を捨てる

② 仕事を捨てる
★ 夢を捨てる
★ プラス思考を捨てる
★ 能力を捨てる
★ 数字を捨てる

③ 家族を捨てる
★ 子どもを捨てる
★ 自分の価値を捨てる
★ 未練を捨てる
★ 親を捨てる

④ 肉体を捨てる
★ 病気を捨てる
★ 頭痛を捨てる
★ 機能を抑制する心を捨てる
★ 道具を捨てる
★ あきらめを捨てる
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案内のCDも良かったです。宇宙意識の話だとか、「白光の教え」に通じる良い話でした。
ただ、話の全体は、複数の「合宿形式のセミナー(真我教室)」(各15万円)への勧誘案内でした。(^^;ゞ

この「真我教室」で、どのように霊性を開発するのか、そのテクニックには興味があります。(*^_^*)
なにか「行」があるとは思うのですが、(^^;ゞ

(白光真宏会は、講話会、集会、各種の行などすべて無料。神霊のごご加護付き。月額2000円です)(^^;ゞ


心の学校・真我開発講座

【1436】全人類が、印を組む時代が間近(まじか)です(*^_^*)

2008-06-14 03:38:29 | 思索
いま、『神々の食べ物』(ジャスムヒーン著)にとても興味があって、
そのなかの色々な瞑想法なども試してみたいと思っています。(追って、ご紹介します)

【1435】にも書きましたが、
『地球人類全員を浄める呼吸法』をしますと、数分で思考が停止します。
そのときの「平安な心地良さ」は、言葉では説明できません。(^^;ゞ

この「平安な心地良さ」のなかにいると、食欲が湧かないのです。(^^;ゞ

その時の心理状態を言葉で表現しますと、
【意識が『今』にある(『今』に生きている)と、気が充ちているので、空虚感(空腹)を感じない】のです。

『気が充実している』と、「食べること」や「食べ物」に興味が湧かないのです。
食欲が湧いたとしても、「なんでも良い」や「ある物を食べる」です。(^^;ゞ

昌美氏が、将来は、全人類が印を組むようになると言われたのは、
「単なる未来の予想」なのではなくて、そうならなければ、人類が救われないからです。(^^;ゞ

反対からいうと、「人類」は、全員が印を組むように出来ているのです。
人類は、「印」を組むことによって救われるように出来ているのです。(^^;ゞ

全人類が、印を組む時代は、間近(まじか)です。(^^;ゞ

白光の、古くからの多くの会員さんたちが、雨の日も風の日も、「世界平和の祈り」を祈って50年、
その間に、いろいろな「印」や「呼吸法」が降ろされ、
それを使って人類が救われる時代に、いよいよなったのです。(*^_^*)

私たちは、「人類のアセンション(次元上昇)」をこの肉体で経験することが出来る世代です。
これは偶然ではありません。選ばれて、この時代に送り込まれてきたのです。(*^_^*)

人類の意識が目覚める「アセンション(次元上昇)の時代」に遭遇できることは幸せなことです。

あの世に戻って、類霊たちに語っている自分の姿が目に浮かびます。(*^_^*)

私たちは、自らが望めば、「印」を宏めることによって人類を救うことが出来るのです。
これが、「白光真宏会」という名前の由来です。(^^;ゞ

「印」を組む人たちはだれでもが、人類を救う人材なのです。(^^;ゞ

瞑想をする人たちは、だれでもが人類を救っているのです。(*^_^*)
祈っている人たちは、だれでもが人類を救っているのです。(*^_^*)

【1435】「我即神也の印」が、世界の食糧危機を救う(*^_^*)

2008-06-13 04:06:36 | 思索
「気がついてみると、今日は好物のコーヒーを飲んでいなかった。
欲しいと思わなかった。」と気付くことが時折ありますが、
「気がついてみると、今日は何も食べていなかった。欲しいと思わなかった。」ということには、
未だに到っていません。(^^;ゞ

けれども肉体的には、長い時間食べなくても「空腹感」が起こることがあまりなくて、
なんとなくなのですが、「今在ることに癒されている自分」がいて、
そのことに満足しているので、「飢餓感がなくて、食欲が湧かない」という感じがあります。(^^;ゞ

先日、2年ほど前のノートを見ていましたら、
「我即神也の印」によって、エネルギーを自分に取り入れることが出来ると書いてありました。
いま実感として、これは本当のことだと思えるのです。(^^;ゞ

「我即神也の印」を組みますと、気が充実してきて「元気」が湧いてくる。(^^;ゞ
「やるぞ」「生き延びてやるぞ」というエネルギーが満ちてくる。そんな感じなのです。

未経験の方は、無料なので(笑)、是非試して欲しいです。

全人類が、「我即神也の印」を組んで、大気中のエネルギー(気・プラーナ)で暮らすことができれば、
世界の食料危機は解決すると思うのです。(^^;ゞ

実際問題として解決するのに、「まず自分で、試してみようとしない」としたら、
「世界の食料危機」を憂える資格がない(笑)と思います。(^^;ゞ

以前にも書きましたが、日本人の食欲が止まれば、
そして、先進国の食が止まれば、「世界の問題」の大半は解決されます。(^^;ゞ

『地球人類全員を浄める呼吸法』で、思考を停止し、
「我即神也の印」で、大気中の気(エネルギー)をとり得れて、
何事にも執着しないで暮らす。(*^_^*)

これが、人間の理想の形、人類の理想の形だと思うのです。(^^;ゞ

すべての出来事は、このことに気付くためのプロセスです。
そうであるからこそ、『すべて必要。すべて良し』と言えるのです。


★「人類即神也の印」の組み方に関しては、白光に問い合わせてください。
全国に、無料で伝授してくれる場所があります。

             (TEL 0544-29-5100)

白光のメールアドレス

光のネットワーク

【1434】アカシックレコード上のアセンション

2008-06-12 05:11:56 | 思索
『アカシックレコードリーディング』(如月マヤ著2006年 ハート社)に、
アカシックレコード上でアセンションがどのよう記録されているのかが載っていました。

『マヤ暦が終っているのは、そこが「終末」だからではなくて、
だいたいその頃には「人々の意識の上で、時間という概念が終る」
「人々の意識から、時間という概念が必要なくなる」
「体感的な時間が、時計や暦という枠組みと必ずしも一致しなくなる」ということを意味しているようです。

西暦はそのまま続きます。万国共通で便利なので、私たちが使い続けるからです。

もしマヤ暦に従って生活している人がいたら、
2012年以降は毎年、規則的に暦を付け足していくはずです。

なぜかというと、意識の上で時間の概念が必要なくなったとしても、
実生活では時計や暦というよりどころが不可欠だからです。

フォトンベルトについて、アカシックレコード上では、
いわゆる「意識のシフト」と呼ばれるような、人類の意識の「流れ」のことを表現しているようです。

この意識の変化は、物理的な現実世界でいきなり一瞬にして起こるのではなく、
長い移行期間を経て起こります。(中略)

またフォトンベルトの地球への影響について警鐘を鳴らす意見もありますが、
実際の天体が、フォトンベルトによって破壊されたというような観測データがあるわけではありません。

なので、常識的に見て、惑星間の重力関係が崩れて太陽系がなくなったり、
人類が突如として光合成を初めたり、というようなことが起こることは考えにくいです。

アカシックレコードから読み取れるのは、
人々のパニック状態ではなく、人間の意識の上での変化についてです。

よく使われる「覚醒」という言葉ですが、
この意識の移行期間における「覚醒」というのは、
深い意味があるのではなさそうです。

この期間に一般的には、現実生活や意識の上で、
自分のいままでの行動パターンを見直すとか、
人間関係や生き方を修正するというようなことを向きに合います。
この過程を経て、その人がどのような人生を選択するか、
ということが「覚醒」にあたります。』(p200)

★上の文章から分かることは、
 アセンションによって、地球世界や人類が、存続不可能になるのではないということです。(^^;ゞ

ただ、人類のいままでの価値観では、地球や人類が存続しえない傾向がますます増してくるので、
人類の意識の転換(次元上昇)が必要なのです。

『すべては、意識である』という唯識の視点からみても、
著者がアカシックレコードのリーディングによって得られた、これらの判断は正しいように思います。(^^;ゞ

現実世界の急激な変化は起こらないようなので安心しましたが、
各個人の「意識の覚醒(次元上昇)」は必要なようです。(*^_^*)

人類とは、「意識のネットワーク」なのです。

如月マヤのワーク

【1433】『すべて必要。すべて良し』とは、あらゆるプロセスを全肯定する言葉

2008-06-11 03:06:17 | 思索
★ 『地球人類全員を浄める呼吸法』の締めくくりには、「大成就」と心のなかで唱えるのですが、
この「大成就」は、『人生、パーっと楽しみましょう』という意味なのです。(たぶん?)(^^;ゞ

『人生、パーっと楽しみましょう』を意識して、
『地球人類全員を浄める呼吸法』をしていましたら、
そんなことに気づきました。(^^;ゞ

そして、『すべて必要。すべて良し』と思いながら、
『地球人類全員を浄める呼吸法』をすると、気持ちがとても落ち着くのです。

以前は、このブログで、『すべては、必ず良くなる』という言葉を使ったり検討してきましたが、
それが変化して、『すべて必要。すべて良し』と言える時代になったと思うのです。(^^;ゞ

『すべては、必ず良くなる』は、「未来の予想」(笑)でしかありませんが、
『すべて必要。すべて良し』は、「現在を断定する言葉」(成就)なのです。(*^_^*)

そこが決定的に違うのです。
ですから、この『すべて必要。すべて良し』は、
最近になって、「白光」で言われるようになった言葉なのかも知れません。

というのは、AKIKOさんの『神人日記』に、昌美氏が、
「プロセスの時代は、終わった」と言われていたと載っていたからです。

これは、「思ったことがすぐに実現する世界が到来した」という意味です。
それは、「プロセスだから仕方がない」と思わないくても良い時代になったということです。

『光明思想家の神人』にとっては、良いことばかりが、続けて起こる時代になったのです。(*^_^*)

★『すべて必要。すべて良し』とは、
「今のままでいいですよ」・「現在のままのプロセスでOKですよ」という意味です。

『すべて必要。すべて良し』とは、
「あらゆるプロセス」を、全肯定する言葉なのです。

神人日記

【1432】人生、陽気に、パーっと楽しみましょう!(*^_^*)♪♪

2008-06-10 04:52:04 | 思索
『ライトボディの目覚め』(大天使アリエル&タシラ・タチーレン著 ナチュラルスピリット刊)を読んだのですが、
今の私のやっている「白光」の行と、どう対応するのかがよくわかりませんでした。(^^;ゞ

ライトボディの心境状態が5~12次元の間で、詳しく語られているのですが、
なにしろ、「目に見えない世界」のことを言語化したものなので、
その概念(イメージ)はとても難解なものに思えました。(^^;ゞ

この本の方法で行をして、霊性を深めると、
日常生活に多少の不具合が生じることも書いてありましたが、
それもまた、「消えてゆく姿」だと思います。(^^;ゞ

一番印象的だったのは、訳者あとがきのなかの
『人生、パーっと楽しみましょう。』という大天使アリエルのメッセージです。

【ここで私たちがなすべきことは、他人がどうのという話で、暗い波動をまわりにもたらすのはやめて、
 自分自身はどうしたらいちばん幸せになれるか、に焦点を合わせることです。

 ネガティブなことを「ネガティブだよね」「こんなにひどいのもある」と、
単なるスリルを味わったり、恐がったりするために話し合ったりしないでください。

それは一種のエネルギー公害とも言うべきもので、
化学薬品などで言う「公害の垂れ流し」と変わりません。

みなさんが幸せになることを天に祈るほうが、
よほど全体にいい影響を醸し出すことは明らかでしょう。

ネガティブにはまって波動を低めるよりかは、人生、パーっと楽しみましょう!
そういう方向を選べばいいだけなのです。すべては、あなた次第です。】(p249)

こういう、「吹っ切れた陽気な明るさ」、「光明思想の陽気な明るさ」が、
『我、言葉、想念、行為に○○即神也を現顕す』のなかにはあるのです。(*^_^*)

『地球人類全員を浄める呼吸法』とは、「自分のいのちを明るく輝かせるぞ!」という宣言でもあるのです。

「頭」で、ああだこうだと考え過ぎると、「自分のいのちの輝き」から遠ざかってしまいます。(^^;ゞ
「わくわくする人生」が、大切なのです。(*^_^*)

『人生、パーっと楽しみましょう!』という、陽気で明るい開き直りの心(笑)は、
『人生とは、一瞬一瞬の今である』という言葉(真理)を聴いたときの「爽快感」と通じるものがあります。

言葉で、「把われてはいけない」「執着してはいけない」と考えると、
「把われない」ことに、把われるのです。
「執着しないこと」に執着してしまうのです。(^^;ゞ

頭で考えて、自分のなかに「平安」を作ることはできないのです。
「大いなるもの」に任せることが出来たときに、「平安」になれるのです。(^^;ゞ

みなさん、人生、パーっと楽しみましょう!(*^_^*)

人間は「自分の業」を気にしないで、自分の出来ることを、自分の出来る範囲で、
一生懸命にすれば、それで良いのです。(*^_^*)

【1431】人生は、自分の五感で楽しむもの。「生」を明るく受け止める!

2008-06-09 05:40:28 | 思索
【実を言うと、『地球人類全員を浄める呼吸法』で
『我、言葉、想念、行為に○○即神也を顕現す』と言葉にしても、
「神なる自分」のイメージがなかなかつかめないのです。(^^;ゞ

また反対に、「神なる自分」のイメージを描いて、
そのイメージと自分を比較して、自分を卑下したのでは、
ますます神から離れてしまいます。(^^;ゞ)】

と以前に書きましたが、神なる自分とは、
「無限なる愛、無限なる叡智、無限なる歓喜、無限なる幸せ、無限なる感謝、・・・」に満ちている自分です。

そう考えていましたら、テレビから『生を明るく受け止める!』という言葉が聞こえてきました。

それは、NHK教育テレビの番組のなかの、『好色一代男』についての解説でした。

江戸時代は、幼くして亡くなる幼児が多くて、七五三の祝いはそのなごりです。

そういう幼少期を無事に過ごした主人公(世之介)の物語である『好色一代男』には、
「人生は、自分の五感で楽しむべし」というメッセージが込められているそうです。

「好色」の「色」は、色即是空の「色」であり、五感で人生を愛でることを美徳とする世界観が、
『好色一代男』には書かれています。

『生を明るく受け止める』という言葉を聞いたときにコレだと思いました。(^^;ゞ

『我、言葉、想念、行為に○○即神也を顕現す』には、
『すべて必要。すべて良し』というメッセージが込められていて、
それは、「自分の人生をまるごと受け入れて、人生を愛でて楽しむ」という意味が、
大いに含まれているのです。(*^_^*)

それは、『この「一回限りの人生」を楽しみましょう。
もっと積極的に自分を肯定して、輝かせてましょう』ということなのです。

「楽しむ」といっても、それは「煩悩まみれで良い」(笑)という話ではないです。(^^;ゞ

他人のためになることが、自分の喜びであるという「無限なる愛」を顕現してゆくことが、
「人生の真の喜びと楽しみ」です。(*^_^*)

『すべて必要。すべて良し』と知ることよって、
「楽しみに満ちあふれた自分」に気付いていきましょう。(*^_^*)

【1430】食べ過ぎて体調が悪くなった自分も良し。(自分の業を認めて生きる)

2008-06-08 04:56:07 | 思索
『すべて必要。すべて良し』ということは、
食べ過ぎて体調が悪くなった自分も、『良し』として受け入れることです。
食べ過ぎて体調が悪くなった自分も、『良い自分』なのです。

これは自戒(?)の言葉です。(^^;ゞ
この辺りのことを、考え過ぎてはいけません。(^^;ゞ

考えて、『良し』と思おうと考えて、『良いことにしよう』ではないのです。(^^;ゞ

心の底から、「このままの自分で良い!」「ありのままの自分でOK!」と思えなくてはダメなのです。(*^_^*)

【ここで「ダメ」という否定語を使うのは、光明思想的(?)に問題(笑)ですね。(^^;ゞ

 それは、自分に「特定の思い」を押し付けようとしているからです。

このように、無意識に「否定語」を使って考えてしまうことのなかに、「深い問題」が隠れています。(*^_^*)

「ありのままであろう」として、「ありのままである」のは、「ありのまま」ではありません。(^^;ゞ)】

素直になって、「自分の食欲(業)を認める」ことが、
『すべて必要。すべて良し』ということです。(*^_^*)

『このままの自分で良い。あるがままの自分で良い』と思える心境が、
『すべて必要。すべて良し』の心境なのです。(*^_^*)

「このままで良い」・『すべて必要。すべて良し』に、説明は要らないのです。(*^_^*)

もっと、「あっけらかん」と、この世に在ればよいのです。
「宇宙の法則」のままに!!(*^_^*)

『生を、もっと明るく受け止める』ことが大切です。

「業を浄める」という考えも、本当は要らないのです。(と思うのです。)(^^;ゞ
そう考えること自体が、「業」を認めて、「業」に把らわれることなのです。

「業を浄めよう」などと考えないで、「業」を受けたままでよいのです。
業は「消えてゆく姿」なのですから、ほっておけば消えるのです。(^^;ゞ

「自分の業」にこだわることは、「業」に把らわれることです。
もっと、「あっけらかん」と、「自分の業」を認めて生きたいものです。(*^_^*)

「本来の自分」は、「宇宙の法則」に従って、過不足なく、「ここのある」ものなのです。

たとえば、家内が「美味しいパンだから、食べてみて」と言ってくれているのに、
「食べ物の業を受けて、胃が重たくなるのが嫌だから要らない」と言うのは、
あまりにも大人気ない態度(笑)です。(^^;ゞ

「食べ物の業」も、受けたら受けたらで良いのです。
「業」に 把われないことが大切です。(*^_^*)

「業の有無」に把らわれて、窮屈な日々(?)を送ることが、「人生の目的」ではないのです。
「自分のいのち」を輝かせることが、人生の目的なのです。(*^_^*)

『すべて必要。すべて良し』という捕らえ方は、私に「大いなる明るさ」を教えてくれました。

【1429】食は、「業の消えてゆく姿」だから、把われるな!(*^_^*)

2008-06-08 03:55:50 | 思索
【1248】の後日談なのですが、昨夜(土曜日)は家内に「おしいパン」をもらって、
寝る前に食べました。(^^;ゞ

このときの心境は、「食べて胃にもたれても、それはそれで良い」です。(^^;ゞ

この心境は微妙でして、「自分の欲」を正当化している(笑)とも言えますし、
「自分の食という業のシステム全体を認めて、それはそれとして受け入れている」とも言えます。(^^;ゞ

まあ、そんなこんなで食べましたが、胃にはもたれませんでした。(^^;ゞ

家内は、スイーツやパンが大好きなので、
そういう話を振ると、楽しそうにウンチクを聞かせてくれます。(*^_^*)

あまりに楽しそうなので、私にもついつい、「食べてみたい」という欲望(笑)が生まれるのですが、
これは本当に「縁」なのでして、
私たち夫婦は、そういうことを通じて、お互いの業を消し合う関係のようです。(^^;ゞ

そういう意味で、私たち夫婦も『すべて必要。すべて良し』の関係なのです。(^^;ゞ

家内が、食に興味のない人なら、私もその気にならないので、
「食への把らわれ」は、すんなりと消えると思えるのですが、
妻の「美味しいものへの興味とこだわり」が、
私がもともと持っていた「業」に響き、共鳴するのです。(^^;ゞ

美味しい物を食べることが、「良い。悪い」ということではないのです。

「業の消えてゆく姿」なのですから、「どちらでもない」のです。(^^;ゞ
『すべて必要。すべて良し』なのです。(*^_^*)

【1428】『すべて必要。すべて良し』を、自分の人生に活かす

2008-06-07 05:12:23 | 思索
このごろの私は、夜はコーヒーも飲まないので、8時半ぐらいに帰って、
お風呂を出たら歯を磨き、家内とすこし話をして、翌日のプログの下書きをしていたら、
眠くなるので、「統一」して寝るという毎日です。(^^;ゞ

【以前は、「コーヒーを飲んで、一服したい。そういう気持ちを味わいたい」という思いがあったのですが、
 この頃は仕事をしていても、「一服したい(=休みたい)」と思うことがなくなりました。(^^;ゞ
「いつもリラックスしているよ。ストレスなんかないよ。
やることを順番にやっているだけだよ。」という心境(笑)なのです。(^^;ゞ

疲れないのです。「休憩したい」とも思わないのです。(^^;ゞ
「いつでも、休憩している」と思える私なのです。(^^;ゞ
かっこよく言えば、『天地と一体』の心境(笑)なのです。(^^;ゞ) 】

10時半位に寝ると、午前3時ごろに目が覚めます。
そして、このブログを書くのですが、自分の心を探ってゆくと、けっこう時間が掛ります。(^^;ゞ

もちろん、投稿した後には、「統一」をしたり印を組みますが、この頃はそれほど必死ではありません。(^^;ゞ
というのは、『地球人類全員を浄める呼吸法』をすれば、いつでも「あの境地」に入れるので、生活の中でも、
その境地が切れたらまた、『地球人類全員を浄める呼吸法』をするようにしているからです。(^^;ゞ

それほどに、私にとって『地球人類全員を浄める呼吸法』は強力です。(^^;ゞ

『その日』は、家内が勧めてくれた料理を、「物欲しさ」に負けて(笑)食べてしまって、
次の日の朝に「胃がもたれて、体調がわるい」という経験をしました。(^^;ゞ

「世界平和の祈り」をしながら食べたのですが、
食べることによって生じる業があったみたいです。(^^;ゞ

それで、「胃のなかの物を出したら、楽になれるのに!」という感覚を味わいました。

安易に食べてしまったことを後悔したのですが、「あとの祭り」です。(^^;ゞ
(さほど、美味しくはなかったのです。(^^;ゞ 「美味しそうだ」とも思わないのに、
「せっかくくれるのだから」という卑しさで食べてしまった自分が悔しかったです。)(^^;ゞ

いままで、何回も同じような経験をしているのに、またやってしまいました。(^^;ゞ

けれども今回は、『すべて必要。すべて良し』という考え方を取り入れることができたので、
これはこれで、納得できました。

【肉体は、業を受ける機械装置】だったのです。

「食物の業は、必ず受ける」と考えた方がよさそうです。(*^_^*)

業をあまり受けない食べ物が、生野菜や果物です。
肉や魚やスイーツや油脂類を食べると胃が重くなるのは、「業」を受けているからです。

「人間の肉体」は、食物の業を受けるように出来ているのです。
神人だからといって、この法則からは逃れられないのです。(^^;ゞ

ですから、感謝して食べたとしても、「食物の業」は必ず受けるのです。
神人に出来ることは、「その業に把らわれないこと」です。

テレビ番組などでは、「美味しい」と言って食べる場面ばかりが強調されていますが、
食は、「美味しい」だけでは終わらないのです。(^^;ゞ

テレビメディアとしては、スポンサーがあるので、「食べると苦しくなる話」はできないのです。(^^;ゞ
民放(または世界)は、物を売るための宣伝で成り立ったいるメディア(世界)なので、
「物が売れなくなる情報」は流せないのです。(^^;ゞ

今回の『苦しさ』は、私にとって必要な体験でした。(^^;ゞ

みなさんも、「食べて苦しくなった」という体験をしたことはありませんか?
人間の体は、そうなっているのです。そういう「体」であることに、目覚めましょう。(*^_^*)
「体」は無敵ではないのです。(^^;ゞ

苦しくなることが判っていて、なぜ食べるのでしょうか?(*^_^*)
それは、習慣だから(笑)です。(^^;ゞ

「苦しい」と思いながらも、どうにか生気を取り戻したいと思って、
ヨガをすると、だんだんと「生気のある体」が戻ってきました。(^^;ゞ

つまり、ヨガをすると、体が浄まる(整う)のです。(^^;ゞ
「健康法」というのは、「浄める方法」だったのです。

ヨガ以外でも、瞑想や呼吸法をすると心がスッキリと整うので、体が元気になるのです。

【1427】浄めるために、起こっている現象だから、『すべて必然。すべて良し』

2008-06-06 02:16:15 | 思索
日本の国民の立場になって考えた時、私には、
「ガソリンの値上がりが、庶民の生活に打撃を与えている」という思いがあったので、
ちょっと憂鬱な気分でした。(^^;ゞ

ですが、起きていることは「すべて必要。すべて良し」という視点から考えますと、
「日本人の業を浄めるために、起こっている現象」だと思えました。(^^;ゞ

「想い」の転換が起こったのです。(^^;ゞ

ガソリンの値上がりは、私たちにとって不都合なことなのですが、事象中心に考えれば、
「燃料に依存しないで生きなさい。そのような人類でありなさい」というメッセージだとも言えるのです。(^^;ゞ

神さまが、私たちに「値上がり」という罰(笑)を与えているのではなくて、警鐘なのです。

★このように、自分たちにとって「不都合な事態」と思えることを、
「自分たちを浄めるために、起こっている現象」だと捉えると、
「想い」が転換されるので、割と納得できます。(^^;ゞ

『すべて必要。すべて良し』の考え方を、自分の人生に活かしましょう。(*^_^*)

【1426】『量子ミステリーの解決へ』(対談)

2008-06-05 04:35:57 | 思索
『光の箱舟―2013:超時空への旅』半田広宣・砂子岳彦著(徳間書店 2001年刊)を、
図書館で借りてきましたが、私には難解でした。(^^;ゞ

以前に「ヌース理論」を検索したときに、半田さんや砂子さんの名前があったという記憶がなくて、
私の勉強不足なのですが、半田さんはヌース理論に通じていて、砂子さんはゲージ理論の専門家なのだそうです。

半田さんの著書に対して、砂子さんが手紙を出したことがキッカケで、
『光の箱舟』が出来上がったのです。

半田さんのサイトがあり、『量子ミステリーの解決へ』と題された、
半田さんと砂子さんの対談がありましたので、興味がありましたらご覧ください。

★ かんたんに書きますと、
ヌース理論は、「あらゆる事物はイデアの影」と考えるのだそうです。
つまり、4次元に「意識」が加わって5次元であり、「意識」が4次元の事象に影響を与える。

【時空とは、『「意識」も含めた世界観である』=「見るものは見られるものである」】というのが、
多次元宇宙(平行宇宙)のあり方のようです。

この論理を応用すると、「あの世とこの世の隔たりはない」(『あの世の科学』 天外 伺朗著)となると思います。


ヌース理論とは

ゲージ理論とは

『量子ミステリーの解決へ』

【1425】私たちは、「全体への奉仕者」(^。^?

2008-06-04 04:56:13 | 思索
図書館にいきましたら、『2012年の奇跡―愛の光でアセンションー』中丸薫著(2007年刊)がありましたので、
借りてきました。

中丸さんも金星人の末裔(?)のようでして、鞍馬寺の地下の道で、裏面に「サナトクマラ」と書かれた像から、
「世界平和についての、霊的なメッセージ」を受ける話(p92)が出てきます。

サナトクマラは、日本人として現れたときには、「サルタヒコ」であったそうです。

「サナトクマラ」については、このブログでも以前に書いたことがありますが、
私は自分が「サナトクマラの末裔(?)」であり、
「祈り」によって世界を平和にする使命があることを、すっかり忘れていました。(^^;ゞ

中丸さんは、現代を牛耳っている「闇の権力」についても詳しく書いています。

彼らは、拝金主義者で死の商人、軍需産業に関係する人々であり、自分が儲けることだけを考えている人たちです。

今のままの「彼らの意識」では、2012年12月23日のアセンション(次元上昇)を通り抜けられないそうです。

大異変が起こって、人類が淘汰されることはないのですが、
『2012年12月22日までに、地球はさまざまな試練に晒されるでしょう。
 その時までに、どれほど自分の心が「浄化」できているか、それが問われます。』(p242)
ということがこの本の結論です。

★上の文章を書いたのは、1週間ほど前です。タイトルが未定であることを忘れていました。

さっき目が覚めたら、「全体への奉仕者」という言葉が浮かんだので、
「ああ、いい言葉だなあ。私たちのことだなあ」と思っていたら、この文章のタイトルでした。(^^;ゞ
 
「サナトクマラ」について、2年位前(?)にネット検索したときのは、
2つぐらいしかなかったのですが、今回は、たくさんのサイトが見つかりました。

ただ、「まやかしである」(笑)と書いてあるサイトもあって、
読んでみると案外、信憑性があるようにも思えました。(^^;ゞ

ただ、これらは「霊的な話」なので、因縁として、どこでどう繋がっているのかは、私にはよく分かりません。(^^;ゞ
鞍馬の「魔王尊」とサナトクマラは、霊的なつながりがあるのかも知れません。

★サナット・クマラ
世界の主。シャンバラに住む我々の惑星ロゴスのエーテル物質表現。
1850万年前に金星から来られた偉大な存在であり,
この惑星に魂(いのち)を入れられた存在のためのパーソナリティの表現(器)となるためにご自身を犠牲にされたのである。我々が知ることのできるもっとも近い神の相。

「サナトクマラ」

不朽の智恵の教え (語彙集)

「サナトクマラ(魔王尊)の起源と正体」