『若者を使い捨てにしない社会を』という文章を、朝日新聞の『声』に投稿したのですが、
掲載されそうにありません。(^^;ゞ
なぜかというと、以下の文章を読んでもらえてば分かりますが、具体性に欠けるからです。(^^;ゞ
これに反して、秋葉原の無差別殺傷事件以後に掲載された投稿は、どれもこれも具体的で、
現場からの鋭い指摘の優れたものでした。脱帽です。(^^;ゞ
『声』というのは、日常の生活の現場からの発言によって、
世論や共感(?)を形成してゆくキッカケを作る場なのだとつくづく思いました。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
【若者を使い捨てにしない社会を】
秋葉原の無差別殺傷事件での残忍な犯行は決して許されません。
被害に遭われた方々やご家族には、心からお悔やみを申しあげます。
けれども、容疑者が派遣社員の生活を続ける中で、将来の夢を描くことができず、
解雇される不安を常に抱えて自暴自棄になったことを思うと、私は痛たまれない気持ちになります。
仕事に不満を持つのは、「本人の問題」だと言うこともできますが、
今も、多くの若者が同じような状況にあることを考えれば、
制度や法律を変えることで対処する方法もあると思います。
今回の事件の要因の一つは、私たち大人がグローバルスタンダードとか自己責任という経済的な考え方を容認し、
格差社会を認めてきた結果だと思います。若者の労働力を道具のように使い捨てにして、
自暴自棄にさせるような社会には問題があります。
派遣社員を使うことによって利益をあげている企業は、
自社の利益のみを追求して、社会的な責任を果たしていないと思います。
若者が将来に希望を持てるような働き方のできる制度や法律を、一日もはやく整えて欲しいです。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
★反省点は、(^^;ゞ
■『声』は当事者意識の有無が大切なのに、問題点を上から分析して見ているに過ぎない。(^^;ゞ
■自分の考えていることが、メディアには載りにくいのは、私の主張が、「唯識」だからです。
『声』は、物質的物理的な社会現象を論じる場なので、私の主張が載りにくいのは、当たり前。
「自分の意見(主張)を聞いてもらおうという態度自体が、浅ましい」と思った。(^^;ゞ
「ほんとうの聖者」(笑)は、「自分の意見」は言わないそうです。(^^;ゞ
『態度』で示すのだそうです。(^^;ゞ
私は、まだまだ、凡人です。(^^;ゞ
★でも、「自分が凡人である」とわかって安心しました。(^^;ゞ
私は何か、「崇高な自分」のイメージ(たとえば、「不食の自分」)を描いて、
「今の自分」を否定的に考えて、「今の自分」を批判的にとらえていたことに気付きました。(^^;ゞ
「今の自分」で良いのです。 「凡夫の自分」でよいのです。
「悪人」の自分で良いのです。 悪人正機なのです。(^^;ゞ
■この他にも、四川大地震の件で投稿したのですが、
重複を避けて、しっかりとした主張の短い文章を書くテクニックの勉強になりました。(^^;ゞ
掲載されそうにありません。(^^;ゞ
なぜかというと、以下の文章を読んでもらえてば分かりますが、具体性に欠けるからです。(^^;ゞ
これに反して、秋葉原の無差別殺傷事件以後に掲載された投稿は、どれもこれも具体的で、
現場からの鋭い指摘の優れたものでした。脱帽です。(^^;ゞ
『声』というのは、日常の生活の現場からの発言によって、
世論や共感(?)を形成してゆくキッカケを作る場なのだとつくづく思いました。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
【若者を使い捨てにしない社会を】
秋葉原の無差別殺傷事件での残忍な犯行は決して許されません。
被害に遭われた方々やご家族には、心からお悔やみを申しあげます。
けれども、容疑者が派遣社員の生活を続ける中で、将来の夢を描くことができず、
解雇される不安を常に抱えて自暴自棄になったことを思うと、私は痛たまれない気持ちになります。
仕事に不満を持つのは、「本人の問題」だと言うこともできますが、
今も、多くの若者が同じような状況にあることを考えれば、
制度や法律を変えることで対処する方法もあると思います。
今回の事件の要因の一つは、私たち大人がグローバルスタンダードとか自己責任という経済的な考え方を容認し、
格差社会を認めてきた結果だと思います。若者の労働力を道具のように使い捨てにして、
自暴自棄にさせるような社会には問題があります。
派遣社員を使うことによって利益をあげている企業は、
自社の利益のみを追求して、社会的な責任を果たしていないと思います。
若者が将来に希望を持てるような働き方のできる制度や法律を、一日もはやく整えて欲しいです。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
★反省点は、(^^;ゞ
■『声』は当事者意識の有無が大切なのに、問題点を上から分析して見ているに過ぎない。(^^;ゞ
■自分の考えていることが、メディアには載りにくいのは、私の主張が、「唯識」だからです。
『声』は、物質的物理的な社会現象を論じる場なので、私の主張が載りにくいのは、当たり前。
「自分の意見(主張)を聞いてもらおうという態度自体が、浅ましい」と思った。(^^;ゞ
「ほんとうの聖者」(笑)は、「自分の意見」は言わないそうです。(^^;ゞ
『態度』で示すのだそうです。(^^;ゞ
私は、まだまだ、凡人です。(^^;ゞ
★でも、「自分が凡人である」とわかって安心しました。(^^;ゞ
私は何か、「崇高な自分」のイメージ(たとえば、「不食の自分」)を描いて、
「今の自分」を否定的に考えて、「今の自分」を批判的にとらえていたことに気付きました。(^^;ゞ
「今の自分」で良いのです。 「凡夫の自分」でよいのです。
「悪人」の自分で良いのです。 悪人正機なのです。(^^;ゞ
■この他にも、四川大地震の件で投稿したのですが、
重複を避けて、しっかりとした主張の短い文章を書くテクニックの勉強になりました。(^^;ゞ