『知足日記』

『知足』とは、『生かされて、生きている』・『必要な物、必要な経験は与えられている』・『すべて必要。すべて良し』と知ること

【912】「いじめ」は、守護霊様の導きである。(^。^?

2007-02-12 18:05:23 | 思索
今月号の『世界平和の祈り新聞』に、昌美氏の「いじめ」についての文がありますので、
要約して書きます。

★「いじめ」を考える上で、一番大事なことは、『子供に真理を説く』ことです。
それは、子供に『守護霊守護神の存在』を教えることなのです。

どんな人にも守護霊様守護神様がついていて、いつも守り導いているということを、
まず親が知らなければならないし、それを子供たちに教えなければならないのです。

親は子供に「あなたが立ち向かうんじゃない。あなたには守護霊様守護神様ついている。また、
いじめるあの子にも守護霊様守護神様がついている。守護霊様守護神様同士がうまくやってくださる。
あなたは、勉強のために、今こういう状況に置かれているのよ」と教えてあげるのです。

親は、どんな状況に出会っても、子供を導くのは自分ではない。
守護霊様守護神様なのだということを、本当に心の底から理解しなければならないのです。

そして、いじめる子供を、非難したり、批判したり、憎んだりしてはいけないのであって、
いじめる子供にも守護霊様守護神様がついていることを分かってあげることが必要です。

守護霊様守護神様を徹底的に信じることです。

自分の子供にも、いじめているの子供にも、守護霊様守護神様がついていて、
『その子供が、立派になり、神の姿を現すまで導いている』のだということを知る必要があるのです。
それが、真理なのです。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
★「いじめ」は両者が真理に目覚めていないがゆえの問題であり、
「いじめ」を通して、お互いが真理に目覚めてゆくのです。

「いじめ」は、双方の守護霊様守護神様同士がうまくやってくれると信じ、
自分は学びのための体験として、このような状況に置かれているのだから、
逃げないで、「ありがたい」と受け取れる位の度量が必要なのです。

【911】すべての中に神を見出す(*^_^*)

2007-02-11 06:11:59 | 経験
新年祝賀祭で新しい神事が降ろされたのですが、とても興味深いものなのです。(^^;ゞ
『富士聖地に「真理の成就の共磁場」を創る神事』といいます。

難しそうな名前(笑)が付いていますが、やり方は単純でして、すべての中に神を見出し、
それを日々ノートに書き、成就のつど、富士聖地に向けて、
心の中で、「私は成就しました」というエネルギーを送るというものです。

よく考えみますと、【910】も、この「神を見出す神事」のようですし、
このブログ日記も、そういう意図で書いていたように思うのです。(^^;ゞ

毎日書き出していると、とても楽しくて、「やる気」が起きてきます。(^^;ゞ
昨日も、マンダラ用紙や祈り新聞を受け取ってもらうことができました。(*^_^*)

陰徳というほど、大げさなものではないですが、
楽しくて、遣り甲斐のある日々です。(*^_^*)

【910】神の行為(^。^?

2007-02-10 21:35:55 | 経験
アリスのお客さんのマツウラさん(保険屋さん)は、毎年、お世話になっている人に、
自分のメッセージをいれた袋詰めのチョコレートを、440セット配るのだそうです。

それは営業活動の一貫かもしれませんが、私たちのように、お客さんでもない人にもくれるのですから、
それは「喜んでもらえたら、幸せ」という『神の行為』(?)のようにも思えるのです。

その袋詰めは、半日掛かるそうです。 そして、自転車の後ろに積んで、数日かけて配る。

一昨年には退職されたので、今年は、220セットなのだそうですが、
それでも全部自腹なのですから、頭が下がります。(*^_^*)

★最近、『世界平和の祈り新聞』を配ることに関心があって、どのような形で実現しようかと思っているのですが、
このチョコレートを配る話は、なんらかの啓示なのかも知れませんね。(^^;ゞ

【909】因縁果と『実践』

2007-02-09 22:02:18 | 経験
朝日さんによると、「因縁果」の「縁」は、実践のことなのだそうです。

「魚を食べると、頭が良くなる」というのは、「因と果」つまり、原因と結果を述べているのであって、
それは、科学的に証明できるのかも知れませんが、
「勉強をする」という『縁』がないと、「頭が良くなる」という結果が得られないのです。

つまり、何事も「縁」という実践なくしては、結果は得られないのです。
これは、「八正道」にも言えることで、実践(日記を書いて研鑽する)しなければ、
「悟り」に至ることもないのです。(*^_^*)

何事も、「実践」という水を撒くことによって、結果が得られるのですから、
知っているだけでは駄目なのです。

「縁」とは、行動であり、「行」です。
『感謝』を知っているだけでは駄目であって、実際に声に出して言ったり、行動で表す必要があります。

★そんなこともあって(?)、先日から、『少食の実行で、世界は救われる』を店先に置いています。
時々、読んでいる人もいて、「こんな本を、店先に置いたらあかんやん」(笑)というお客さんもいますが、
私にとっては、超お勧めの一冊なのです。(^^;ゞ  ある意味では、「真理の書」(笑)です。

【908】『大往生のすすめ』(*^_^*)

2007-02-08 21:51:00 | 思索
『心の時代』に、香川県立中央病院の朝日俊彦医師が出演されていました。
タイトルは、『大往生のすすめ』。『笑って大往生』(洋泉社)という本を出版されているそうです。

仏教の八正道を実践されていて、毎晩寝る前に、当日の自分の言動を「八正道」に照らして研鑽し、
日記を書かれるそうです。

死にゆく沢山の患者さんと接してわかったことは、
「死んだら、終わり」と思っている人や、自分ことしか考えない人は、自分が死ぬことに対しての恐怖が強くて、
「苦しみ」「もがく」ことが多いのですが、「あの世へ行ったら、死んだら両親に会える」と思っている人や、
身の周りの人たちを気に掛けている人は、「自分の死」を、さほど恐れていないのだそうです。

「八正道」で考えてみますと、苦しみ悩んでいるのは、「心」であって、
自分のことばかりを考えている人は、苦しみや悩み、愚痴が多いので、楽しい人生を過ごせない。

その反対に、身の回りの人や物に感謝できる人は、それだけで「幸せな気持ち」になれるし、
「感謝の気持ち」を持つことで、「心」の悩みからも開放されるのです。

「悪人」というのは、自分のことしか考えない人ですから、
「悪い事」をして、幸せになれるはずはないのです。

「悪事」は、自分だけが良い思いをしようとして為されるのですが、
それは、「不幸」な生き方の選択なのです。

【907】『偉そうなことを言わない』のが、人間の真実の姿か(^。^?

2007-02-07 21:56:53 | 経験
1月28日の『情熱大陸』は、フィリッピンの寒村で活躍する助産婦の富田江里子さん(39歳)でした。
看護婦の試験に合格した日に、母親が交通事故で亡くなったり、その生命保険金で現在の活動を始めたりとか、
まるでドラマのような彼女の人生なのですが、『取材の間、一度も偉そうなことを言わなかった』ということが、
番組の最後のナレーションでした。(*^_^*)

この言葉に、思わず自分を振り返ってしまいました。(^^;ゞ
「女性と男性は違っていて、女性は、理屈を言わない」ということもあるのでしょうが、見習いたいと思いました。

『他人には他人のプロセスがある』ということが、腹に落ちれば「批評や批判」は消えると思うのです。(*^_^*)

【906】「千の風になって」は、霊的真実(^。^?

2007-02-06 22:05:17 | 思索
『千の風になって』について、家内と話をしました。歌詞を紹介します。

私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 眠ってなんかいません
千の風に 千の風になって あの大きな空を 吹き渡っています

秋には光になって 畑にふりそそぐ 冬はダイヤのように きらめく雪になる
朝は鳥になって あなたを目覚めさせる 夜は星になって あなたを見守る

私のお墓の前で 泣かないでください そこに私はいません 死んでなんかいません
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
この歌を聴いて癒されたご家族のことが、放映されていました。

昨年の夏に、37歳のご主人が交通事故で亡くなられた、おふたりの小学生の女の子
とお母さんの話なのですが、『千の風になって』を聴いて、癒されたそうです。

とくに『秋には光になって 畑にふりそそぐ、 冬はダイヤのように きらめく雪になる
朝は鳥になって あなたを目覚めさせる、  夜は星になって あなたを見守る』
という歌詞が、お父さんのイメージと重なり、理解できたのだそうです。(*^_^*)

この「死んだ人は、お墓の中にはいない」というのは、霊的な真実だと思うのです。
私たちが『千の風になって』を聴いて、癒される理由は、その内容が霊的な真理だからだと思うのです。

「父が風(星)になった」というのは、もちろん「客観的な事象」ではないのですが、
それを理解できたことのなかに、『霊的な真実性』があるのです。

この「真実性」は、『すべてのいのちは、繋がっている』とか、
『すべては、ひとつである』という真理の延長線上にあると思うのです。

【905】「三次元的な解決」を求めるのことは、間違い(*^_^*)

2007-02-05 21:40:08 | 経験
私たちは、自分や他人に不都合があると、すぐに「カタチの上で整う解決」を求めて、
「どうにかしよう」と思い勝ちですが、ほんとうの解決とは、そういう「カタチの決着」ではなくて、
本人が、事実(兄弟の死や自殺)をどのように、納得できるのかということだと思うのです。

『他人には、他人のプロセスがある』のだとしたら、
「他人の死」は、死者本人のプロセスなのですから、三次元的な「カタチの決着」などなくて、
四次元(心理)的に受け入れて納得することしかできないのです。

身内であっても「他人」のことは、その方の守護霊さんに任せる以外はないです。

そのうえで、私たちにできることは、「他人さまの守護霊さん」の働きを、
助けてあげられるように祈ることなのです。

「他人さまの守護霊さん」の力がより発揮できるように、「自分の守護霊」を通じて、
天命を祈ることが、もっとも効果のある霊的な方法(援助)のようです。

私は、当人が「世界平和の祈り」をしたり、「白光」に繋がることが、
その方の霊性が高まることだと思っていましたが、そうではなかったのです。

その方が、「自分の守護霊」のすることをなんでも受け入れられるようになることが、
「ご自分の天命が完とうする方法」だったのです。

といいますか、守護霊さんは、やるべきことは何でもしますので、
とにもかくにも、思考停止をしてでも、守護霊さんのされることを、受け入れて生きる以外に道はないのです。

悩んでいるヒマはないというか、「悩み」は要らないのです。
このことに気づくことが、「悟り」(笑)のようです。(^^;ゞ

【904】「他人さま即神也」最高!(*^_^*)

2007-02-04 20:17:58 | 経験
『他人さま即神也』を自分に言い聞かせて、『他人さま即神也』の心境を極めれば、
かなり深い心境になれると思うのです。(^^;ゞ

そしてそれは同時に、『他人には、他人のプロセスがある』を腹に落とすことですし、
そのために「修行」や「統一」があると思うのです。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
最近の状況が気になる人がいまして、昨日「白光の案内」をポストに入れてきました。
その女性は、22年前にアリスを始めたときからの知り合いで、「不二家ケーキショップ」の奥さん(47歳ぐらい)なのです。
昨年の秋にご主人が自殺され、今年は店を閉めているのです。

それ以後に、顔をあわせたことはなかったのですが、先日、誰かと話しながら、
わりとニコやかにケーキ屋の前を掃除している姿を、道路の反対側から拝見しました。

少し安心はしたのですが、やはり気になるので、『世界平和の祈りQ&A』というブックレットと
『世界平和の祈り新聞』を、天命が完とうされることを祈りながら、郵便受けに入れてきました。

『他人には他人のプロセスがある』ので、私がとやかく口をだす筋合いではありませんが、
私の祈りの表現として、そういう方法が浮かんだのです。

【903】「他人さま即神也」再考!

2007-02-03 22:03:50 | 思索
【902】のように考えたのは、偶然にも『明日はもっと素晴らしい』(自伝・西園寺昌美著)を読んだからなのです。
そのなかの一節を読んで、自分が少し考え違いをしていることの気づいたのです。(^^;ゞ

それは、『すべては、神さま(守護霊さま)がやって下さることなのだから、
任せることが大切だ』という箇所です。

いままでの私には、人は「白光の教え」などに出会って、「真理に気付くべきだ」という思いがあったのです。
そして、真理に出会っていない人の「今」はプロセスであり、不完全な状態だという思いがあったのです。(^^;ゞ

つまり、他人を、真理というモノサシで評価していたのです。これは間違いでした。(^^;ゞ
「真理の側」に自分を置いて、他人を裁いていたのです。

それぞれの方々に守護霊さんが付いていて、それぞれの段取りと方法で、ご自分の人生を歩まれているのだという基本的なことを忘れていたのです。(^^;ゞ
「自分の見方(分析)」で、他人さんを判断していたのです。(^^;ゞ

人それぞれに守護霊さんがいて、人生とは導きのプロセスであるのですから、
「忌まわしい体験も、必要なことであり、良い体験なのだ」という視点が抜けていたのです。

そして、そういう視点が欠けていたので、
「自分の守護霊さんに任せる」ことは、ある程度出来ても、
「他人を、他人の守護霊さんに任せる」、つまり「他人さま即神也」ということが、私には解っていなかったのだと思いました。 (^^;ゞ

【902】兄弟の死に直面したら

2007-02-02 21:55:49 | 精神世界
私には、とても親しかった数人の高校時代の友人がいるのですが、
そのなかのお二人が、近年ご姉弟を亡くされたのです。

自分が、兄弟の死に直面することを考えますと、
どのような言葉を掛けてよいのかと、考え込んでしまいました。

霊的には、「死」は真理にいたるためのプロセスなのでしょうが、
苦しみのなかにいる方に、「プロセス」だとは言えません。

それで、例によって、霊的な真理(転生)をどのようにお伝えしたらよいのか、
迷っています。(^^;ゞ

自分のなかでは、かなり確信の持てることなのですが、
いわゆる 「客観的事実」ではないので、伝えにくいのです。(^^;ゞ

手元にある『霊的存在としての人間』をお送りしようとも思ったのですが、
なにか失礼な気がしますし、その気になれば、巷にはスピリチュアルな本があふれていますので、
ご本人に悟りの光があらわれて、天命が完とうされることを祈らせていただくことにしました。

【901】脊腹運動を、実践しましょう(*^_^*)

2007-02-01 21:55:08 | 経験
「脊腹運動」というのを、ほんとうにやってみてください。(*^_^*)
座って出来ますし、一銭も掛からない(笑)のですから。

《背と腹とともに動かし水飲みて、よくなると想う人はすこやか》

《背と腹とともに動かし念ずれば、業想念も消えてゆくかな》なのだそうです。

少食の人は、病気になることも少なく、死ぬときも長患いをしないそうです。

脊腹運動を実践してみますと、お腹の周りの気持ちがいいです。(*^_^*)

「脊腹運動」(西式健康法 六大法則)

西医学の世界