『知足日記』

『知足』とは、『生かされて、生きている』・『必要な物、必要な経験は与えられている』・『すべて必要。すべて良し』と知ること

【1172】「他人は神」と思うことが、自分が神であること!

2007-10-21 07:20:09 | 「白光」の教え
『言葉で他人を判断しないことが、相手の中に神を見ること』だと気付かなかった私は、
言葉で他人を判断することによって、他人が神であることを、ないがしろにしていたのです。(^^;ゞ
家内に対しても、この態度でした。(^^;ゞ

そして、そのことによって、「自分が神であること」を、ないがしろにしていたのです。(^^;ゞ

つまり、「他人が神であると思うことと、自分が神であること」は、ひとつのことなのです。

この理屈(笑)は、変ですか?(^^;ゞ

言い方を代えれば、「他人を言葉で判断しないことが、自分が神である条件」なのです。(^^;ゞ

「言葉で、人を評価し、判断すること」は、間違っています。
それは、他人を神と見ていない態度です。

そして、他人を言葉で批評することは、同じモノサシで、自分を判断することになりますから、
自分の発した言葉は、自分を自己規定する結果になります。

「白光の教え」を学んだ私も、知らず知らずのうちに、
「白光の教え」で他人を評価し判断するという「悪事」(笑)を行っていたのです。 (^^;ゞ

一般的にも、知識のある人は、言葉(概念)で他人を評価しがちです。他人を評価する心は、「神の心」ではありません。

「相手」をほんとうに神だと思っているならば、「私」に反論は、起きないです。
反論をしているとき、「自分は正しい」と思っていますが、「自分だけが正しい」と思う心は、
「神の心」ではありません。

ですが、「反論をしない」と頭で決めてもいけないのです。それは、ストレスになります。(*^_^*)
自分を「反論をしない」という言葉で規定しては、いけないのです。

では、どうすれば良いのかというと、
心の中に「世界平和の祈り」のテープを流して、
「あなたの意見は、そうだなあ~。」と相手の言葉をそのまま受け流すのです。
「取り合わない」のです。
「それは、あなたの意見でしょ」と心のなかで思っていればよいのです。

30分もすれば、どのような言い争いをしたのかさえ思い出せないほどに、
消えてゆきます。(^^;ゞ

最新の画像もっと見る