★私が宇宙と思っている現実は、「自分の思い」の「消えてゆく姿」です。
そういう意味でも「自分の思い」が湧かないことが、「意識としては正解の姿」です。
まわりの事象は、「自分の思い」が観察している事柄ですから、
「自分の思い」が湧かなければ、「事柄の把握」はないのです。
まわりの事象は、ただただ自分の思いの「消えてゆく姿」です。
★宇宙の事実をみてみれば、
「瞬間瞬間の自分の思い」が、縁(業)があって現れ、消えてゆくだけです。
「我即神也」の印は、その縁(業)を切る方法(写経も)ですから、
「自分の思い」が消えて、普遍意識(無分別智・ひらめき)とつながれるのです。
そういう意味でも「自分の思い」が湧かないことが、「意識としては正解の姿」です。
まわりの事象は、「自分の思い」が観察している事柄ですから、
「自分の思い」が湧かなければ、「事柄の把握」はないのです。
まわりの事象は、ただただ自分の思いの「消えてゆく姿」です。
★宇宙の事実をみてみれば、
「瞬間瞬間の自分の思い」が、縁(業)があって現れ、消えてゆくだけです。
「我即神也」の印は、その縁(業)を切る方法(写経も)ですから、
「自分の思い」が消えて、普遍意識(無分別智・ひらめき)とつながれるのです。