『知足日記』

『知足』とは、『生かされて、生きている』・『必要な物、必要な経験は与えられている』・『すべて必要。すべて良し』と知ること

【2910】聖なる自分が常に存在している

2011-03-16 20:43:34 | 思索
■東日本での原発の放射漏れを含めた大惨事は「現実」ではあるのですが、 それを受け入れた上で、

「放射漏れは、止まる」とイメージして、その姿を思い描いて祈ることが大切だと思うのです。

■それにしても、このような大規模な天変地変と放射能漏れ事故が、実際に日本に起こるとは思ってもみませんでした。

私たちの想念が、こういう現実を「消えてゆく姿」として現わしていると思うのです。

必要な経験として、試練として、必然として現れていると思うのです。

しかし、これはプロセスなのです。

日本人が、真理に目覚めるためのプロセスなのです。

「進化した新しい意識」(高次元意識)に移行するためのプロセスなのです。

白光誌3月号に、次のような文章が載っていました。

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>>>『聖なる自分が常に存在している』 

一番の要点は、受容できるのも受容できないのも、

すべては自分自身の意識の問題であること、

それに尽きるのである。

であるから、神人といえども、現実に直面したなら、

まずは自分の心境を否定せずに、ただ直面すればよいのである。

(中略)

自らの心の内部で不安、恐怖が生ずるその内側の自分と、

かつまたもっと奥深くに存在している光の自分、

真なる自分、光の自分に気付き、

目覚めてゆく自分とは、同時に存在しているのである。


内側の聖なる自分、真なる自分、光の自分は不安もなければ恐怖もない。

憎しみもなければ、怒りもない。

悲しみもなければ批判も非難もない。

ただそこに厳然をして在るのは、愛のみ、光のみ、真理のみ、永遠の生命のみ。


宇宙神の光の一筋として、宇宙神と全く一つに結ばれている自分が、

常にここに存在しているのである。

それに気付くと、自分はどこへも逃げる必要はない。

隠れる必要もない。退く必要もない。

騒ぐ必要も恐れる必要も全くない。

ただ黙って受け止める自分がいるのである。

今さらどこへ行こうと、何が起ころと、いかなる状況に在ろうと、

何も恐れず、不安を持たず、

そして逃げることも退くこともしない自分自身が

この地球に厳然として存在していることに目覚めるのである。


すべては自分の内から生じている。

誰のせいでもない。誰の責任でもない。

自分の責任である。

全人類一人一人がその根本真理を理解した時、

『究極の真理』に目覚めた時、

天変地変も病気も戦争も水・空気汚染も飢餓もすべては、この世から消えてしまう。

人類一人一人が今日までつくり出してきた地球、人類破滅のシナリオは、

人類一人一人の『究極の真理』の目覚めによって書き換えられてゆくのである。

人類に何が本質で何が「消えてゆく姿」の現象であるかがはっきり認識され得た時、

世界は平和になるのである。

人類即神也
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 ( 白光誌3月号p12)
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■この境地は、悟りの境地だと思うのです。

大災害をプロセスとして、悟りなさい。

「呼吸法の人類即神也の印」を何回も組んで目覚めなさい、悟りなさいというメッセージなのです。


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