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天安市銅城山城、忠南地域最初の漢城百済土城を確認

2016年09月08日 | 韓国の遺跡・古墳など
忠南天安市銅城山城の発掘が山城の北側と西側城壁、城内地域一部で行われ、調査の結果、忠南地域最初の漢城首都期百済土築山城と確認された。
銅城山城は忠南、天安市と忠北、鎮川郡を結ぶ交通路に隣接したところにあり、동성산(銅城山、海抜高度237.8m)の頂上部を囲む鉢卷式山城である。全体周囲が約930mに達する。
城内頂上部では多数の家跡とくぼみなどが確認され、内部では、脚皿と硬質土器破片など4~5世紀の百済土器が集中出土した。
今回の発掘で、銅城山城の存在は漢城首都期百済勢力が馬韓の古土(過去の地域)に軍事的な進出があった直接的で明確な証拠である。
[参考:聯合ニュースほか]

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キーワード: 忠南天安市
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忠南天安市稷山・慰礼山城 百済最初の都? 城門跡を初めて確認

2010年05月03日 | 韓国の遺跡・古墳など
てんなんしてんあんし 忠南天安市(충남 천안시)は、昨年11月から三国遺事など文献の記録と一部史学会で比定された「百済の最初の都が天安市稷山慰礼山城(직산 위례산성)」の事実を確認するために、忠南歴史文化院(충남역사문화연구원은)に依頼し天安市慰礼山一帯の発掘調査を始めたが、1次調査では百済時代から統一新羅時代に達する遺物などを多数発見したが、百済最初の慰礼城を特定する成果は得られなかった。(2010.4.1)

 忠南歴史文化研究院は3日、慰礼山城発掘調査で生活遺構跡と共に門跡1ヶ所を確認したと発表した。慰礼山城で初めて門跡が確認され、城門場所の年代測定のため細部調査の必要性が提起された。
 確認された門跡は版築されていて、改築された城壁の下の層で確認され、細長方形と長方形に近い石材を段々に積み上げた側壁が明確に露出しており、側壁は城内側から丸く弧をなし城の外まで長くの延びているのに片側面だけしか確認されなかったため、正確な構造および築造時点は確認できなかった。
 また、発掘調査では「牛角形把手部(우각형 파수부)片」「三足土器(삼족토기)片」の他に、製作年代を百済漢城期まで推定可能な「打捺文土器(타날문토기)」が出土した。
 天安市は今回の発掘調査結果を基に、今年下半期に2次発掘調査行い慰礼城の築造時期に対するより具体的で幅広い資料を確保する計画。
[参考:2010.4.1聨合ニュース、2010.5.3聨合ニュース]

2011.5.18追記
 忠南天安市は18日、百済初めての都として知られる天安慰礼城および成歡、聖居、稷山、笠場面など周辺遺跡の考古学的学術研究のための「天安聖居山慰礼城3次学術調査」を実施すると発表した。
 三国遺事に「慰礼城は今の稷山」と記録されたのをはじめとして高麗史と新増東国輿地勝覧(1530年)、朝鮮王朝実録など多くの史書が稷山慰礼城を百済の初めての首都として紹介しているが、最近ではソウル松坡区一帯が百済の初めての首都という学説が主流をなしており、稷山慰礼城は非主流学説に押されている。




キーワード: 忠南天安市山城

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