歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

石川県志賀町・千浦二子塚古墳群 県内2例目の双室墳を確認

2011年08月21日 | Weblog
 石川考古学研究会と石川県志賀町教委は20日、同町西海千ノ浦の千浦二子塚古墳群のうち、縦12m、横16m、高さ1.5mの楕円形の古墳で、一つの墳丘に二つの横穴式石室が並ぶ「双室墳」を確認した。 県内では七尾市能登島須曽町の須曽蝦夷穴古墳(すそえぞあなこふん)(注1)に次いで二例目。
[参加:中日新聞]

(注1) 須曽蝦夷穴古墳
 東西18.7m、南北17.1mの方墳。 7世紀中頃の築造。
 墳丘内部には付近の海岸から運んだ安山岩板石で造られた一対の墓石(横穴式石室)がある。(双室墓)
 横幅の広い奥室(玄室)やドーム形に持ち送る天井など、朝鮮半島の墳墓に通じる特色を備える。
[参考:七尾市蝦夷穴歴史センター・パンフレットより]

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福島市・曹洞宗 松柏山 常円寺 放射性を無くすヒマワリに願いを込めて

2011年08月21日 | Weblog
 昨日の韓国・聨合ニュースで、「放射性を無くすヒマワリ(해바라기)を植える日本・僧侶」と題して記事が出ていた。
 福島県・常円寺の阿部光裕(こうゆう)住職が、福島原子力発電所で放射性流出事故が起きた後、
① 失意に陥った住民たちの元気を取り戻そうと、放射性物質を除去するためにヒマワリを育てて住民たちに配っていること。
 現在まで、花と種を合わせて800万株になるという。また、ヒマワリは放射性セシウムを除去する効果があると期待されている。
② 庭が汚染されたと心配する住民たちの家から、汚染土を持ってきて寺に積み上げていること。
を採り上げている。

 地元紙の福島民報では、この2つを別々に採り上げてニュースとしているが、東京の新聞ではどうだろうか。 毎日新聞が②のみ採り上げて記事にしているだけのようだ。 東京の新聞より、韓国の新聞が先に採り上げているとは実に寂しいことである。

 曹洞宗 松柏山 常圓禅寺(常円寺)ホームページの中の「福島復興プロジェクトチム 花に願いを」を、一度是皆様にも見ていただきたい。
 合わせて、常円寺の歴史も。

備考:
曹洞宗 松柏山 常円寺 (常圓襌寺)
 福島県福島市山口字寺屋敷4番地
 天正15年(1587)、開基・大波(おおなみ)氏、開山・鶴庵全賀(宮城県登米郡・養雲寺2世)として建立される。
 大波氏は、和歌山県栗原より出て栗原氏となり、のち安積氏、信夫氏を名乗って信夫文知摺城に居し、大波城に移って大波氏となり、さらに山口城を築いたとされている。

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板東市・長右エ門元屋敷遺跡、馬立原遺跡、駒寄溜遺跡 発掘調査成果を8月20日に現地公開

2011年08月20日 | Weblog
 県教育財団は、坂東市中心部を流れる江川両岸に位置する長右エ門元屋敷遺跡、馬立原遺跡(まだてはらいせき)、駒寄溜遺跡(こまよせだめいせき)の発掘調査結果を発表した。

■長右エ門元屋敷遺跡は縄文時代~近世の複合遺跡。平安時代9世紀半ばのものとみられる火葬墓が見つかり、中からは人骨を納めた二重の須恵器の甕による蔵骨器が出土した。骨は男性の可能性が高いという。二重構造の蔵骨器は霞ケ浦流域で見られる特有の構造。
■馬立原遺跡からは、室町時代鋳造とみられる「弥勒仏立像」(高さ4・5cm)が出土した。 関東一円の「坂東三十三カ所観音霊場」が鎌倉時代に成立していることがわかる発見。
■駒寄溜遺跡からは、縄文時代中期と平安時代前期の竪穴住居跡1軒を確認した。

 現地説明会は20日(土)午前中に行われた。
[参考:茨城新聞、朝日新聞、産経新聞、毎日新聞、茨城県教育財団HP]

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済州抗蒙遺跡・内城 建物遺跡などを確認

2011年08月19日 | Weblog
 済州市文化遺跡管理事務所は19日、国史跡第396号の済州缸坡頭里抗蒙遺跡(항몽유적)(注)試掘調査に伴う現場説明会を開いた。
 調査結果、内城跡は台形でそれぞれの長軸長さは北側178m、南側192m、東側194m、西側192m程度であり、内城中に位置した建物と付属施設などは全て北西側で確認された。
 多数の、建物跡、遺構のほか、13世紀末の多様な象嵌青磁類、瓦などが出土した。
[参考:聨合ニュース]

(注) 抗蒙遺跡: 13世紀末のモンゴルの侵入の時、祖国を守ろうと立ち上がった三別抄が最後まで抗戦した場所。
 日本では、同時期に元寇(蒙古襲来)があった。

過去の関連ニュース・情報
 2009.2.27 韓国・江華・高麗宮城 初めて痕跡が現われる

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京都府与謝野町・小峠古墳群 6世紀前半の舟形木棺跡が出土

2011年08月19日 | Weblog
 与謝野町教委は18日、小峠古墳群(京都府与謝野町明石)で、古墳時代後期(6世紀前半)の円墳(直径16m)から舟形木棺の埋葬跡が見つかったと発表した。
 円墳中央部にあった舟形木棺跡は長さ4・5m、幅0・8m、深さ0・3mで、先端に向かって緩いカーブを描き、実際に使用された舟のサイズに近い細長い形状であり、実際の舟を転用した可能性もあるという。
 木棺跡からは鉄鏃、須恵器などが出土した。 そばから、箱形木棺跡も確認され、夫婦で並べて埋葬された可能性があるとみている。
 舟形木棺跡は丹後地域で十数例が見つかっている。
 現地説明会は21日(日)午後1時半から開かれる。
[参考:京都新聞]
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高松市・萩前・一本木遺跡 古墳時代から奈良時代にかけての大規模集落跡が見つかる

2011年08月19日 | Weblog
 香川県高松市仏生山(ぶっしょうざん)町の萩前・一本木遺跡(はぎのまえ・いっぽんぎいせき)の発掘調査で、古墳時代から奈良時代にかけての大規模な集落が見つかった。
 市教委は2008年度に試掘調査を実施し、これまでに竪穴建物12棟、掘立柱建物7棟、数百点の遺物を確認した。多くが古墳時代後期~飛鳥時代(510~610年頃)の建物という。
 中には、奈良時代のものと思われる縦70cm横60cmほどの柱穴の大型掘立柱建物跡が見つかったり、当時都で流行した器などを似せて作った土器やガラス玉なども出土した。 古代道・旧南海道跡に近いことを合わせて考慮すると、付近に郡衙などの公的施設が存在した可能性があるとみている。
 現地説明会は、20日(土) 午前8時半、9時、9時半からの3回開かれる。
[参考:四国新聞、読売新聞、毎日新聞]

2011.8.21追記
 現地説明会に300人が訪れた。[参考:毎日新聞]

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京都市東区・六波羅政庁跡・六波羅蜜寺境内発掘調査 六波羅蜜寺の堀や門跡が見つかる

2011年08月18日 | Weblog
 京都市埋蔵文化財研究所(上京区)は18日、同市東山区の元六原小で行っている発掘調査で、室町時代後半(15世紀末~16世紀後半ごろ)の堀や門の跡が見つかったと発表した。 調査地は六波羅蜜寺の北と西に接しており、当時の同寺の北築地と門、西限の堀に当たるとみられる。
 西限の掘は薬研堀(深さ1・8m、幅2・2~2・5m)で、南北11mにわたって出土した。その東側に沿って、柵や壁などの基礎とみられる遺構が見つかり、防御のために設けられたと考えられるという。
 堀からは16世紀後半の瓦や土器などが出土しており、治安の回復に合わせて埋められたらしい。
 現地説明会が20日(土)午前10時~同11時に開かれる。
[参考:京都新聞、読売新聞、(財)京都市埋蔵文化財研究所HP]

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福知山市・ゲシ山3号墳 床一面に礫を敷き詰めた古墳時代中期の埋葬施設が出土

2011年08月18日 | Weblog
 福知山市教委は17日、5月末から同市土師(はぜ)のゲシ山古墳群の北側を発掘調査し、ゲシ山3号墳で床一面に礫を敷き詰めた古墳時代中期の埋葬施設(墓壙、全長4.1m、幅1.9m、深さ0.8m)が出土したと発表した。
 敷の大きさは6~15cmで、中央に排水溝が掘られていた。 礫敷きは排水機能を高める目的とみられる。 箱形木棺(全長2・6m、幅0・8m、深さ0・2m)の痕跡と木棺を固定する桟木を配置した跡がみられた。
 方墳の形をしており、出土した土師器の破片から4世紀末~5世紀前半の築造と推定されている。
 墓壙内の床一面に礫を敷いた例は、同市猪崎の稲葉山8号墳および10号墳、大江町の大良古墳、南丹市園部町の黒田古墳で確認されている。 黒田古墳を除くと由良川中下流域沿いに集中している。
 現地説明会が20日(土)午後1時半から開かれる。
[参考:京都新聞、両丹日日新聞]

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愛媛県越智郡佐島・宮ノ浦遺跡 県内初の塩田跡を確認

2011年08月18日 | Weblog
 愛媛大考古学研究室の調査チーム(代表・村上恭通教授)は17日、越智郡上島町に属する、弓削島の隣の佐島の海岸沿いに位置する宮ノ浦遺跡(みやんないせき)を試掘調査した結果、県内で初めて中世の塩田跡を確認したと発表した。
 文献では、多くの記録が残る中世の塩の荘園「弓削島荘」の初の考古史料発見としている。
[参考:愛媛新聞]

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桜井市・脇本遺跡 大来皇女が滞在した泊瀬斎宮の掘立柱穴列か?

2011年08月18日 | Weblog
 奈良県立橿原考古学研究所が17日、桜井市の脇本遺跡(注)で7世紀後半のものとみられる大型の建物か塀跡とみられる掘立柱穴が見つかったと発表した。
 見つかったのは、柱穴14個で柱穴は一辺が80cmから150cmで、柱は抜き取られており、太さは直径35~45cmとみられる。柱間は1.95〜2.5m。 南北8m、東西12mの範囲で東西に長い建物か2重の柵の柱列で、コの字形に並び、調査区外の西側に続くとみられる。
 周辺では東西100mに渡って同様の柱の跡が見つかっている。 もし、柵である場合、この遺構とあわせ東西の長さが約100mに及ぶ可能性があり、泊瀬斎宮に関連する大規模な施設の可能性があるという。
 現地説明会が20日(土) 午前10時〜午後3時に開かれる。

(注) 脇本遺跡: 673年に伊勢神宮に仕えた天武天皇の娘、大来皇女(661〜701年)が斎王(巫女)になる前に身を清めるために滞在した「泊瀬斎宮(はつせのいつきのみや)」の所在地と伝わる。
参考: 日本書紀天武天皇二年条
 夏四月丙辰朔己巳。欲遣侍大來皇女于天照大神宮。而令居泊瀬齋宮。是先潔身。稍近神之所也。
[参考:共同通信、日経新聞、読売新聞、奈良新聞、産経新聞、毎日新聞、MBS毎日放送]

過去の関連ニュース・情報
 2010.6.3 脇本遺跡 大型建物跡が出土 欽明天皇の宮殿か?
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湖西市・神座古墳群 駒澤大による発掘調査

2011年08月17日 | Weblog
 湖西市神座(かんざ)の東雲寺(注1)北西側にある神座古墳群(6~7世紀)で、駒澤大(東京)による発掘調査が8日から始まった。9月3日までの予定。 調査は再来年にかけて夏季に行われる予定。 地元では古くから存在が知られていたが、学術的な調査が入るのは今回が初めて。
 古墳には、内部に横穴式石室があると考えられているという。
(注1) 曹洞宗・東雲寺(とううんじ): 建長2年(1250年)鎌倉時代に建立される。 勝利の神様として有名な摩利支尊天を祀る。 徳川家康が戦場へ赴く際に必勝を祈願したとされる。
(注2) 山頂付近で円形墳8基が確認されている。
[参考:中日新聞、駒澤大学考古学研究室HP]

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行橋市・延永ヤヨミ園遺跡 古墳時代の「導水施設」が九州初出土

2011年08月17日 | Weblog
 行橋市延永・吉国地区の延永ヤヨミ園遺跡(のぶながやよみそのいせき)で、古墳時代の近畿起源である水の祭祀遺構「導水施設」とみられる、木の表面を刳り抜いた約4mの長大な木樋が出土したことが、今朝の毎日新聞ニュースで報じられた。
 この導水施設は昨年12月~今年3月の調査で見つかったようで、行橋市市報「ゆくはし 平成23年7・1号 No.1096」で紹介されているし、7月12日から始まっている「発掘速報展2011」(九州歴史資料館・小郡市)で調査成果が公開されている(~9月11日まで)。
 同遺跡は、標高10m前後の高台にあり、県教委が07年から約4万㎡を発掘調査し、弥生末~古墳時代の竪穴住居跡が400軒以上、掘立柱建物跡、井戸、土坑、奈良時代の道路跡が見つかるなど、当時の大規模集落遺跡と判明した。
 「導水施設」の木樋は、長さ4m、幅35~70cm、厚さ5~15cmで、一方の端(上側)に2つのくぼみがあり、そこで水を濾してきれいな水を得たとみられる。 時期は古墳時代(3~6世紀)で、詳細な年代は調査中とのこと。
 導水施設を表現した埴輪が、全国で約10点の発掘例があり、九州では大分県杵築市の御塔山(おとうやま)古墳で出土している。

 先の大規模集落跡は、奈良時代になると住居はほとんどなくなってしまうという。 そのかわり、今回丘陵の北側から、奈良時代頃の1つの柱穴が1m四方ある3棟の建物跡が見つかり、そのうち1棟は3面庇建物であることがわかった。 井戸、道路、墨書土器が見つかっており、周辺には、1km東には古代の主要な港とされる「草野津(くさのつ)」推定地、3km西には椿市廃寺(700年頃建立)があることから、建物は役所のような施設であったと考えられている。
[参考:毎日新聞、九州歴史資料館HP、行橋市市報「ゆくはし 平成23年7・1号 No.1096」]

過去の関連ニュース・情報
 2010.8.7 堺市・御廟山古墳 家形埴輪と囲形埴輪の接合作業により形状を確認

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ボストン美術館蔵・伝仁徳天皇陵出土品 年代、購入記録などから大山古墳出土の可能性低い

2011年08月13日 | Weblog
 米国ボストン美術館が所蔵する伝・仁徳天皇陵出土(注1)とされる獣帯鏡など5点について、宮内庁書陵部が初の公式調査を行い、年代や購入記録などから大山古墳出土の可能性は極めて低いとの見解をまとめたことが分かった。 新見解は同庁発行の「書陵部紀要」に掲載される。

伝・仁徳天皇陵出土品の判定結果
獣帯鏡 1個(5世紀、直径23.5cm) → 判定、5世紀後半~6世紀前半
馬鐸 2個(5世紀、高さ16.8cm、幅10.0cmおよび高さ18.7cm、幅11.1cm) → 判定、6世紀前半
三環鈴 1個(5世紀、高さ6.3cm、幅13.0cm) → 判定、6世紀前半
鐶頭柄 1具(5世紀、長さ23cm) → 判定、6世紀前半

 堺市にある大山古墳(堺市、5世紀半ば)は宮内庁により仁徳天皇陵に指定されている。 築造時期は墳丘の須恵器から5世紀半ばとみられている。
 フェノロサの後、ボストン美術館中国・日本美術部に迎えられた岡倉天心(1863-1913)が、明治39年(1906)に京都、奈良へ出張した際、一括購入したことがわかった。
 岡倉天心が作った購入品リストなどに大山古墳を示す記載は見つかっていないという。
[参考:共同通信、スポニチ、産経新聞、読売新聞、ボストン美術館東洋美術名品集(ボストン美術館東洋部編集、1991年日本放送出版協会発行)]


北茨城市大津町にある岡倉天心の墓

米美術館所蔵の太刀など、仁徳陵出土に疑問符(読売新聞) - goo ニュース
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関市・池尻大塚古墳 石室を解体調査、主体部の調査へ

2011年08月12日 | Weblog
 関市教委(文化財保護センター)は11日、池尻大塚古墳(同市池尻)の第2次発掘調査を実施し、幅2.5m、奥行き1.8m、厚さ0.8m、重さ6.5トンの天井石をクレーンで吊り上げ、石室の一部解体を行った。 2008年の発掘調査では、一辺26mの方墳であることが確認されている。
 同古墳周辺には、日本書紀にも登場する美濃の古代豪族・ムゲツ(身毛津、牟義都、牟下津とも)氏の氏寺として1959年に国の指定を受けた弥勒寺跡を中心にした「弥勒寺官衙遺跡群」がある。
 今後、10月まで主体部を調査し、古墳の形や築造時期を特定する。
[参考:中日新聞、岐阜新聞]

過去の関連ニュース・情報
 2008.9.23 池尻大塚古墳 7世紀前期の方墳を確認

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桜井市・談山神社 第2次世界大戦の空襲でご神像を守った防空壕跡が見つかる

2011年08月11日 | Weblog

写真左は談山神社本殿(拝殿より写す)  写真右は左に本殿、右に拝殿

 桜井市の談山神社と同市教委は10日、先の大戦が終結する昭和20年、空襲に備えて鎌足公御神像を納めたとされる防空壕と木箱が見つかったと発表した。
 防空壕は本殿床下から見つかり、東西2・2m、南北2・1m、深さ1・8mの大きさで、内部に東西1・2m、南北1・7m、深さ1・7mの木箱(コウヤマキ製)が埋まっていた。 蓋は外して床下にあった。
 同神社の記録には、20年8月1日に仮の施設(防空壕)が完成、翌2日に神像を移し、終戦後の9月16日に本殿に戻されたことが記されている。
 発掘調査では、古代の創建を考古学的に初めて明らかにする平安時代初期の瓦片や室町時代や江戸時代に本殿を建て直した際、土地の神を鎮める儀式に使われたと見られる仏具や鏡、それにガラス玉なども出土した。
 出土品は、同神社拝殿で9月30日まで展示される。
[参考:産経新聞、共同通信、MBS毎日放送、NHK]

2011.9.1追記
 2011.8.10のニュースでは、鎌足公御神像を納めたとされる防空壕と木箱が見つかった本殿床下から、古代(奈良から平安時代初め)から近世までの瓦や地鎮具などの遺物が出土した、と報じられていた。
 65年前に防空壕を掘った際、銅鏡や五鈷杵(ごこしょう)などが発見されており、それが室町時代のものと判明したとしている。
 また、今回、出土したのは、江戸時代の密教法具「輪法」、ガラス玉、奈良~平安時代の瓦、銅製の釘や玉など。
[参考:毎日新聞、広報「わかざくら」平成23年9月号・桜井市発行]
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