京都市西京区の松尾大社は23日、同神社周辺の摂社、末社にまつられていた平安時代後期から鎌倉時代の神像17体(いずれも高さ約30cm~50cmの木像)が発見されたと発表した。
男神像、女神像のほか僧形像などがあった。 櫟谷宗像神社(いちたにむなかたじんじゃ、西京区)に祀られていた女神像1体の底には、墨書で制作年とみられる康治二年(1143)の文字があり、当時の松尾大社神主だった「秦頼親(はたよりちか)」の名も記されていた。
大宝元年(701)創建の松尾大社には、一木彫りでは国内最古級とされる平安時代前期の神像3体(重要文化財)がある。
[参考:京都新聞、共同通信、産経新聞]
備考
A. 櫟谷宗像神社
櫟谷神社(祭神:奥津島姫命)、宗像神社(祭神:市杵島姫命)とも、往時は嵐山にそれぞれに独立した社殿があった。 櫟谷神社は『延喜式』神名帳に『松尾末社』と注を付される由緒ある式内社である。 奈良時代大宝年間(701-704)から鎮座されているという。
古文献に、
『続日本後記』 嘉祥元年(848)11月 「奉授山城國無位櫟谷神從五位下」
『三代実録』 貞観十年(868)閏12月10日 「授山城國從五位下櫟谷神正五位下」
『三代実録』 貞観十二年(870)11月17日 戸近於葛野鑄錢所宗像。櫟谷。清水。堰。小社五神。奉鑄錢所新鑄錢。
『百錬抄』 仁治二年(1241))8月7日 櫟谷宗形両社焼亡。
と記されている。
B. 松尾社一切経
本門法華宗大本山妙蓮寺(京都市上京区)には、平安時代後期に松尾大社で書写された3500巻余りの『松尾社一切経』が所蔵されている。 松尾大社の神主であった秦親任・頼親父子等発願により、永久3年(1115)から康治2年(1138)にかけて書写されたものである。
2011.12.1追記
京都市西京区の松尾大社で、平安時代後期から鎌倉時代にかけて制作された神像全18体(男神8体、女神7体をはじめ、僧をかたどった像など)を展示する「秋の特別展」が開かれている。4日まで。[参考:産経新聞]
男神像、女神像のほか僧形像などがあった。 櫟谷宗像神社(いちたにむなかたじんじゃ、西京区)に祀られていた女神像1体の底には、墨書で制作年とみられる康治二年(1143)の文字があり、当時の松尾大社神主だった「秦頼親(はたよりちか)」の名も記されていた。
大宝元年(701)創建の松尾大社には、一木彫りでは国内最古級とされる平安時代前期の神像3体(重要文化財)がある。
[参考:京都新聞、共同通信、産経新聞]
備考
A. 櫟谷宗像神社
櫟谷神社(祭神:奥津島姫命)、宗像神社(祭神:市杵島姫命)とも、往時は嵐山にそれぞれに独立した社殿があった。 櫟谷神社は『延喜式』神名帳に『松尾末社』と注を付される由緒ある式内社である。 奈良時代大宝年間(701-704)から鎮座されているという。
古文献に、
『続日本後記』 嘉祥元年(848)11月 「奉授山城國無位櫟谷神從五位下」
『三代実録』 貞観十年(868)閏12月10日 「授山城國從五位下櫟谷神正五位下」
『三代実録』 貞観十二年(870)11月17日 戸近於葛野鑄錢所宗像。櫟谷。清水。堰。小社五神。奉鑄錢所新鑄錢。
『百錬抄』 仁治二年(1241))8月7日 櫟谷宗形両社焼亡。
と記されている。
B. 松尾社一切経
本門法華宗大本山妙蓮寺(京都市上京区)には、平安時代後期に松尾大社で書写された3500巻余りの『松尾社一切経』が所蔵されている。 松尾大社の神主であった秦親任・頼親父子等発願により、永久3年(1115)から康治2年(1138)にかけて書写されたものである。
2011.12.1追記
京都市西京区の松尾大社で、平安時代後期から鎌倉時代にかけて制作された神像全18体(男神8体、女神7体をはじめ、僧をかたどった像など)を展示する「秋の特別展」が開かれている。4日まで。[参考:産経新聞]