「夜通し、想う。」
其の夜、普段通りの日常的な業務をすっかりこなし、心置きなく京都南インターから名神高速の流れに紛れることができたのは、やっと23時を過ぎてからのことだった、とはいえ其れは、無謀ながらも予定通りの時刻なのであって、初めての戸隠蕎麦を味わわんが為に、日の出の頃合いに長野ICを降りようと企むには、むしろまだ早いと言えなくもない、実際そんな出発時間なのである。
其の目論見はまんまと叶い、目的の其の蕎麦屋が店頭に用意する当日予約の用紙に記帳することができたのは、朝一番の6時を少し回った頃だっただろうか、だがしかし、ガラス張りの其の店内では既に多くの店員が忙しく立ち働いており、開店前のひとつのパフォーマンスとして、しばし其の場で蕎麦打ちを眺めているということもできる、そんな仕組みの店舗構造なのだ此の店は。
待つ間、戸隠神社の奥社までゆっくりと歩みつつ其の蕎麦を想い、蕎麦屋の開店時間である10時半に扉の前まで戻ってくる、すると、店主が執り行う、一種、儀式のような開店の挨拶の後、いよいよ店内へと招き入れられ、早速に給仕の女性たちのてきぱきとした礼儀正しい歓待を受けることとなる。
蕎麦切りは兎も角、蕎麦掻きというものの在るべき姿というものが、今ひとつイメージできないでいる故、あえてまたひとつ所望してはみたものの、正直、此処においてさえ、まだ得心には至らない、だがやはり、其の蕎麦切りは非の打ちようもなく、まさに此れが蕎麦というもののスタンダードなのですよと諭されている、其のような気にさえさせられる、そんな優等生的な食感であり、風味であった。
避暑というのでも紅葉というのでもない、オフ・シーズン、しかも平日であったからなのか、事前に覚悟していた程の混みようではなかったものの、其れでも客足は途絶えることなく、記帳の為の空欄は徐々に埋まって行き、ガラス張りの厨房ではじゃんじゃんと蕎麦や天麩羅が調理され、お運びの女性陣によって、てきぱきと客の待ち受ける其の座席へと運ばれて行く、其の高度にシステム化された客あしらいの手際の良さに、只々感心させられるばかりなのか、勿論のこと文句のつけようはないけれど、其れでも其処から、何か一抹の寂しさや、そこはかとない虚しさのようなものを感じてしまうのか、其れはまた、其の蕎麦の旨さとは別の話ではあるのだろうけれども。
其の夜、普段通りの日常的な業務をすっかりこなし、心置きなく京都南インターから名神高速の流れに紛れることができたのは、やっと23時を過ぎてからのことだった、とはいえ其れは、無謀ながらも予定通りの時刻なのであって、初めての戸隠蕎麦を味わわんが為に、日の出の頃合いに長野ICを降りようと企むには、むしろまだ早いと言えなくもない、実際そんな出発時間なのである。
其の目論見はまんまと叶い、目的の其の蕎麦屋が店頭に用意する当日予約の用紙に記帳することができたのは、朝一番の6時を少し回った頃だっただろうか、だがしかし、ガラス張りの其の店内では既に多くの店員が忙しく立ち働いており、開店前のひとつのパフォーマンスとして、しばし其の場で蕎麦打ちを眺めているということもできる、そんな仕組みの店舗構造なのだ此の店は。
待つ間、戸隠神社の奥社までゆっくりと歩みつつ其の蕎麦を想い、蕎麦屋の開店時間である10時半に扉の前まで戻ってくる、すると、店主が執り行う、一種、儀式のような開店の挨拶の後、いよいよ店内へと招き入れられ、早速に給仕の女性たちのてきぱきとした礼儀正しい歓待を受けることとなる。
蕎麦切りは兎も角、蕎麦掻きというものの在るべき姿というものが、今ひとつイメージできないでいる故、あえてまたひとつ所望してはみたものの、正直、此処においてさえ、まだ得心には至らない、だがやはり、其の蕎麦切りは非の打ちようもなく、まさに此れが蕎麦というもののスタンダードなのですよと諭されている、其のような気にさえさせられる、そんな優等生的な食感であり、風味であった。
避暑というのでも紅葉というのでもない、オフ・シーズン、しかも平日であったからなのか、事前に覚悟していた程の混みようではなかったものの、其れでも客足は途絶えることなく、記帳の為の空欄は徐々に埋まって行き、ガラス張りの厨房ではじゃんじゃんと蕎麦や天麩羅が調理され、お運びの女性陣によって、てきぱきと客の待ち受ける其の座席へと運ばれて行く、其の高度にシステム化された客あしらいの手際の良さに、只々感心させられるばかりなのか、勿論のこと文句のつけようはないけれど、其れでも其処から、何か一抹の寂しさや、そこはかとない虚しさのようなものを感じてしまうのか、其れはまた、其の蕎麦の旨さとは別の話ではあるのだろうけれども。
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