カゲロウの、ショクジ風景。

この店、で、料理、ガ、食べてみたいナ!
と、その程度、に、思っていただければ・・・。

童夢

2012年11月11日 | 京都
「おもちゃ箱。」

結局のところ、この童夢のケーキというのはなかなかのものだという結論にしかならない訳ではあるのだけれど、きっと長くはならない、一応のこと順を追って話しをしてみたいと思うのです。

そもそも幼少の頃から甘味というものを然程欲しない男という生き物にとって、それがそこそこの美味しさであったとしても、まるごとひとつがおよそ同じ味わいばかりのケーキひとつ、饅頭ひとつというのは、食べているその最中に早くも飽きがくる、そのような現実は実感として否めませんでした。

それは例えば年に一度、夏休みに念願の海水浴に出かけ、当初はその砂浜ではしゃいで遊んではみるものの、その茫洋とした自由、そして其処に在るのは実は海水と砂だけでしかないという事実にふと気付かされ、然程の時を経ずしてその喜びを見失ってしまう、そのような心持ちと少し似通っているのかも知れません。

またひとつ、別の話、別の面で言うのなら、既に故人である自身の祖父などは、同じく男という生き物でありながら、一日一個、大きなおはぎを毎日おやつに平らげていたものですが、その世代的な差異、そして戦争経験のあるなしなどとも相まって、実際その味覚ですら相通じることのない自分とはまるで別の生き物のようにすら思えぬでもない、そんな気さえしたものです。

兎も角、凝った甘味処など和洋問わずその影すら見当たらない、そんな田舎において育った男としては、甘いものは全般少しでいいという固定観念が形成されてしまうこと、それは成り行き当然でさえありました。

だがしかし、自ら車を運転するようになって幾分か見聞を広め、世間に溢れる情報、その詳細をPC、その他から吸収するようにもなれば、そんな甘いものですら実は一概ではないらしいということに、薄々気付かされるようにもなって行く。
世の中に存在する甘味というのは、昔ながらで片付けられてしまうような一概に甘いばかりのものだけではなく、非常に凝った造りの、飽きさせないスイーツというものも実は都会には幾らか在るのだということを、今更ながら知らされることにもなって行くのです。

そしてそれら凝った甘味というのは、やはり実際のところ最新の洋菓子であることが多く、何重にも仕掛けられた風味の複合体ともいえる、あまりに贅沢で高度なケーキを戴き、感心させられるというようなことも昨今ではめずらしくありません。

ただ、そうなのではあるけれど、そうなってくると、その高度な味わいの前にはいったい何が在ったのか、それをもう一度試してみたくなるのが人情というものです。

そしてやっと、いよいよ話はこの年季の入った雰囲気を漂わせる童夢に行き着くのですが、なんと驚いたことにこのケーキは、明らかに懐かしさに由来する風情をその外見に漂わせているにもかかわらず、まるで積木のように積み上げられたその多彩な味わいというのは、食べる者の味覚を飽きさせない仕組みには事欠かない、ちょっと侮れない、そんなケーキであったのです。

現代的で細やかな複雑さや、ねっとりと瑞々しい有機的な肌合いに関しては少々希薄ではあるものの、それでも、作り込まれ、計算され尽くした職人的味わいというのは、男には容易に知りえぬこの甘味の世界にも、ずっと以前から、既にやはり存在していたのです。

童夢ケーキ / 出町柳駅今出川駅
昼総合点★★★★ 4.0