「芳しく、香ばしい。」
果たしてこの店はいつから此処にあるのだろう。
出町柳の駅をあまり使うことのなかったカゲロウは、残念ながら学生の頃、この店の存在すら知らなかった、いや、知っていたところで、当時わざわざこの場処でパンを買うということもなかっただろう、そうなのかも知れない、そしてもし、このパンを口にしていたとしても、当時その美味しさに気付くこともなかっただろう、その頃の自分を顧みて、そう思う。
旧くも新しくもなく、在るがまま、甚くそう感じさせられる、この柳月堂のパン。
だから駄目だと思うのか、其処が好いと思うのか、きっと若い頃の自分にとってこのパンは、とても保守的なものに思えたことだろう、そしておそらくその変化のない在り様に少々苛立ちを覚えたりもしたことだろう。
新しさには疎いくせに、旧いものは認めない、今もその嫌いはあるものの、それはそれでその考えというのも不公平なものだと、今なら心を平らにすることも幾らか出来なくもない。
だが、人に、世間に、そして若さに揉まれ続けるばかりの当時というのは、自分が自分でいるだけで精一杯だった、その頃を振り返り、カゲロウはそう思う。
しかそんな当時ですら、この柳月堂のパンは何ひとつ変わらぬ姿で此処に在ったのだろう、20世紀も、21世紀も、そんな時代の流れなどものともせず、褒められても貶されても変わることのないその芳しく香ばしい風味を、この出町柳の道行く人々に放ち続け、その人が子供から大人になり、そして年老いた後でさえ、其処に或る一定の価値観を変わることなく提示し続ける、これからもそれが、この柳月堂のパンの存在意義であるに違いない。
果たしてこの店はいつから此処にあるのだろう。
出町柳の駅をあまり使うことのなかったカゲロウは、残念ながら学生の頃、この店の存在すら知らなかった、いや、知っていたところで、当時わざわざこの場処でパンを買うということもなかっただろう、そうなのかも知れない、そしてもし、このパンを口にしていたとしても、当時その美味しさに気付くこともなかっただろう、その頃の自分を顧みて、そう思う。
旧くも新しくもなく、在るがまま、甚くそう感じさせられる、この柳月堂のパン。
だから駄目だと思うのか、其処が好いと思うのか、きっと若い頃の自分にとってこのパンは、とても保守的なものに思えたことだろう、そしておそらくその変化のない在り様に少々苛立ちを覚えたりもしたことだろう。
新しさには疎いくせに、旧いものは認めない、今もその嫌いはあるものの、それはそれでその考えというのも不公平なものだと、今なら心を平らにすることも幾らか出来なくもない。
だが、人に、世間に、そして若さに揉まれ続けるばかりの当時というのは、自分が自分でいるだけで精一杯だった、その頃を振り返り、カゲロウはそう思う。
しかそんな当時ですら、この柳月堂のパンは何ひとつ変わらぬ姿で此処に在ったのだろう、20世紀も、21世紀も、そんな時代の流れなどものともせず、褒められても貶されても変わることのないその芳しく香ばしい風味を、この出町柳の道行く人々に放ち続け、その人が子供から大人になり、そして年老いた後でさえ、其処に或る一定の価値観を変わることなく提示し続ける、これからもそれが、この柳月堂のパンの存在意義であるに違いない。