ザ☆シュビドゥヴァーズの日記

中都会の片隅で活動する8~10人組コーラスグループ、ザ☆シュビドゥヴァーズの日常。
あと告知とか色々。

三大欲求について

2017-02-19 22:52:12 | ヨン様
こんばんは、ヨン様です。


昨日さらさんから人間の三大欲求に関する言及がありましたね。
実はちょうど私も三大欲求について少し考えていたところでした。
便乗して書いてみたいと思います。

良く知られているように、人間の三大欲求とは「食欲・睡眠欲・性欲」の3つがあります。
それぞれ「食糧を摂取したいという欲求」「睡眠を摂りたいという欲求」「幼女をペロペロしたいという欲求」と、ざっくり規定することができるでしょう。
私はこの三大欲求に対し、長年抱いている疑問があります。
それは、分類が恣意的過ぎるのではないか、という点です。
具体的に説明しましょう。

三大欲求のそれぞれが人間という個体や種の維持に必要不可欠な欲求であるということは、誰しも疑うことはないでしょう。
長い歴史の中である程度の耐性があるとはいえ、人間は食事によって栄養を摂らなければ死んでしまいますし、睡眠活動も脳の休息には不可欠であるとされます。
また、性欲がなくなってしまえば幼女をペロペロしたいという人間はいなくなってしまい、人間という種は滅びてしまうでしょう。
このように、個体レベル、種レベルという違いはあれど、三大欲求はいずれも人間の存続に必要不可欠なものなのです。

しかし問題なのは、人間の生命活動に必要なのは、なにも上記の三大欲求に限らない、という点です。
例えば、呼吸はどうでしょうか。
我々は意識的に呼吸を止めることができますが、おそらく運が悪ければ「断食」や「断眠」するよりもずっと短い間隔で死に至ってしまうでしょう。
また、ある程度無意識的なものであるとは言っても、呼吸を止めた際に「息を吸いたい」という欲求が生じることから、これも広義の欲求の一つであるということができます。
このように、呼吸は紛れもなく我々の生命活動に不可欠な欲求です。
ところが、呼吸は人間の三大欲求に数え上げられることはありません。
なぜなのでしょうか。

他にも、類例はいくつかあります。
食事をしたあとで、当然待っているのは排泄です。
これも我々が抱く欲求の一つであり、かつ、生命活動に不可欠なものです。
これも同様に「排泄欲」などとしてカテゴライズされることはありません。
食欲がリストアップされているのに、なぜ排泄はリストアップされないのでしょうか。

このような疑問に対する根本的な問いについては、私はよくわかりません。
生理学や生物学をご専門とされる方なら、あるいは何か答えをお持ちなのかもしれません。
しかし「三大欲求」なるカテゴリーが、果たして客観的妥当性を持つものなのかという点については、やはり疑問の余地があると言えるでしょう。

おそらく、三大欲求がこのような分類となっているのは、人間の文化と無関係ではないように思われます。
人類は、食糧が十分に供給されている時代よりもはるかに長い期間、食糧が不足している時代を歩んできました。
したがって、食糧を「神/自然からの授かりもの」として神聖視する価値観は、多くの文化に見られます。
また、睡眠というのは人間の生活習慣の中で大きな比重を占めています。
1日のうち約三分の一は眠っているわけですから、睡眠が極めて有標的な活動に思えても不思議はありません。
さらに、人類はこれまでに多くの幼女をペロペロしてきました。
性欲が人類の精神活動に不可欠であるとされるのも無理からぬことです。
このように、三大欲求とされるものはいずれも人間の文化活動に大きな影響を及ぼしてきているのです。

それに対し、呼吸や排泄はどうでしょうか。
一部の宗教的・武道的価値観において呼吸が重要視されることはあるのかもしれませんが、人類は生まれてからこのかた「空気不足」に悩まされたこともありませんし、「排泄不足」に悩まされたこともないでしょう。
また、これらはいずれも人間の生活習慣に深刻な影響を与えるほどのものではなく、お世辞にもそこから派生した文化芸術が多いとは言えません。
つまり、文化的にそれほど重要視されてこなかった(排泄に至っては、むしろ忌み嫌われてきた)といわけです。
こういった事実は、これらの活動が生命維持に不可欠であるのにも関わらず三大欲求に含まれなかったことと無関係ではないのではないでしょうか。


というわけで、三大欲求のお話でした。
TPOに応じて欲求を抑えることも大切ですが、適度に発散することも大切です。
欲求のため過ぎにはご注意を。

それでは!