高松市の南側の郊外に向かって、「三徳」へ。ツルハゲ坊主がお店の徴です。
移転してから、初めて行きます。お店の外観、内装はレンガを使ったりしてあって、元は焼肉屋さんだったんじゃないか、という感じです。
ツルハゲ坊主の人形が。シャム社長は、これが売っていれば買う、ともうしておりました。あんなもの買って、どうするのでしょう。抱いて寝るのかなあ。
おっと、ホンモノが…。シャム社長は店主の風貌と店名からの連想で、「お坊さんがやっとる店なんでないのお」と、あいかわらず独自の論理を展開していました。
さて、このお店、いろいろな種類のうどんがあることで有名です。影響されやすい我々は、ガイド本に載っていた山かけ鉄火しょうゆ(630円)を注文しました。こうした色物系のお店のうどんはどうか。一抹の不安を抱えながらすすると、ちゃんとコシのあるうどん。やや太めのなめらかなつるつるうどんで、おいしいです。山かけで鉄火だと、おしょうゆの適切な量を見極めるのがむずかしかったです。最後に残った山芋は、かなりしょっぱくなってしまいました。
お次はさらに南に行って、仏生山の「龍雲」に。高松の松平家の菩提寺・法然寺の境内にあります。うどんでもうかったせいか、法然寺は五重塔を建立中でした。
お昼どきにさしかかってきたので、ちょっと待たされました。
ここの名物・つけだれうどんの食べ方が指南されています。最初はそのまま、次は温玉を割って、最後は残ったタレをご飯にかけて、とのことです。
影響されやすい我々は、ここでもそのつけだれうどんを頼みました。
こちらは、牛肉と温玉のつけだれうどん(600円)。ごまのきいたタレです。
シャム社長は、ねぎと温玉のつけだれうどん(500円)。基本となるタレは同一のようで、牛肉が加わるかどうかの違いだけのようです。
このうどんが、愛媛のうどんよりもいくらかコシがあるという程度の、ふぬけたうどんで期待はずれ。
指示通り、ご飯にタレをかけて食べました。タレはかなり濃い目の味つけになっているので、全部かけるとちょっとしょっぱすぎるかもしれません。
ご飯つきであったこともあり、4軒目でけっこうおなかが太りました(伊予弁)。腹ごなしに法然寺を散策してみました。本堂への入り口では、うどんが売られていました。お寺の兼業事業というと幼稚園あたりが一般的だと思いますが、うどん店というところが、さすがは香川です。
法然寺は、建築物としては、重要文化財とかその手のものはなさそうだったので、膨れた腹をかかえて、北北西に針路をとって、早々に出発しました。
移転してから、初めて行きます。お店の外観、内装はレンガを使ったりしてあって、元は焼肉屋さんだったんじゃないか、という感じです。
ツルハゲ坊主の人形が。シャム社長は、これが売っていれば買う、ともうしておりました。あんなもの買って、どうするのでしょう。抱いて寝るのかなあ。
おっと、ホンモノが…。シャム社長は店主の風貌と店名からの連想で、「お坊さんがやっとる店なんでないのお」と、あいかわらず独自の論理を展開していました。
さて、このお店、いろいろな種類のうどんがあることで有名です。影響されやすい我々は、ガイド本に載っていた山かけ鉄火しょうゆ(630円)を注文しました。こうした色物系のお店のうどんはどうか。一抹の不安を抱えながらすすると、ちゃんとコシのあるうどん。やや太めのなめらかなつるつるうどんで、おいしいです。山かけで鉄火だと、おしょうゆの適切な量を見極めるのがむずかしかったです。最後に残った山芋は、かなりしょっぱくなってしまいました。
お次はさらに南に行って、仏生山の「龍雲」に。高松の松平家の菩提寺・法然寺の境内にあります。うどんでもうかったせいか、法然寺は五重塔を建立中でした。
お昼どきにさしかかってきたので、ちょっと待たされました。
ここの名物・つけだれうどんの食べ方が指南されています。最初はそのまま、次は温玉を割って、最後は残ったタレをご飯にかけて、とのことです。
影響されやすい我々は、ここでもそのつけだれうどんを頼みました。
こちらは、牛肉と温玉のつけだれうどん(600円)。ごまのきいたタレです。
シャム社長は、ねぎと温玉のつけだれうどん(500円)。基本となるタレは同一のようで、牛肉が加わるかどうかの違いだけのようです。
このうどんが、愛媛のうどんよりもいくらかコシがあるという程度の、ふぬけたうどんで期待はずれ。
指示通り、ご飯にタレをかけて食べました。タレはかなり濃い目の味つけになっているので、全部かけるとちょっとしょっぱすぎるかもしれません。
ご飯つきであったこともあり、4軒目でけっこうおなかが太りました(伊予弁)。腹ごなしに法然寺を散策してみました。本堂への入り口では、うどんが売られていました。お寺の兼業事業というと幼稚園あたりが一般的だと思いますが、うどん店というところが、さすがは香川です。
法然寺は、建築物としては、重要文化財とかその手のものはなさそうだったので、膨れた腹をかかえて、北北西に針路をとって、早々に出発しました。