今日書こうと思っていたネタがあったのですが、
急遽変更。
というのは、昨年ギャラクシー賞を取った
所さんの番組での特集「吹奏楽の旅」を
今更チラッと見たから(笑)。
夕食を食べながら、僕はHDDにたまった録画番組を
よく見るのですが、そこにそれがほったらかしになっていた(笑)。
というより、見るのに精神力が必要だと思って、
敢えて避けていました。
通常番組の時の放送をチラチラとは見ていたので、
大体は分かっていたのですが。
だいぶ前に、吹奏楽と合唱の比較を書いたのですが、
もう少し踏み込んで書いてみたいと思っています。
しかしやらないといけないことが沢山あるので、小出しで。
僕は中学生の頃、吹奏楽部でした。
合唱は特設部。期間限定でした。
楽器はトランペット。
小学校5年生の時のマーチングバンドが最初で、
中学校でもそのままトランペットを。
しかし、実は最初、優良部活生ではなかったのです。
この辺の話は今日は端折りますが。
吹奏楽は合唱に比べると非常に盛んなイメージです。
本当は客観的な数字を出したかったのですが、今度。
団体数で言うと、中学・高校・大学までは吹奏楽が隆盛です。
しかし一般になると、合唱の方がはるかに多い。
それもおかあさんコーラスは山のようにある。
しかし一般の吹奏楽団は、それに比べればそれほどの数ではない。
若い人たちの吹奏楽を支えているのが、コンクールであることは
間違いの無い事実だと思います。
合唱の分野では、中高がコンクール一辺倒と言うことが
言われていますが、吹奏楽に比べればそうでもない気がします。
今日も「吹奏楽の旅」を少し見ましたが、
入れ込み方が尋常じゃないですね。
まあ、合唱で全国に行く団体もそうなのかもしれません。
僕自身はコンクールという活動に正直
それほどの重きを置いていないので、
コンクールに吹奏楽の様に打ち込むことは
真似する必要は無いと思っています。
ただ、合唱が吹奏楽に学ばないといけないことがあります。
個人練習です。
吹奏楽において、団員が一生懸命な理由。
それの一つに、
「個人の責任の重さ」
があると僕は考えています。
僕の中学校の吹奏楽部では、確かAの部で、
35人以下の編成でした。
トランペットはだいたい全部で4人。
それを、1st、2nd、3rdに分ける。
つまり、一パート1人。
僕は3年生のとき1stで、地区大会では
相当のプレッシャーがかかりました。
だって一人しかいない。
結局失敗したのですが(苦笑)。
人数的なことは、他のパートも大抵同じ感じです。
対して合唱。
ソプラノ、アルト、テノール、バス、の4パート。
中学校にいたっては混声三部。
少しディヴィジョンがあるだけで、団員は騒ぎます。悪い意味で(笑)。
簡単に言ってしまうと、
合唱においては、個人の責任が軽い。
あくまでも言っておきますが、
これは、僕の考えではなく、一般論です。
僕はこの一般論が悲しいですが。
「一人だと歌えないけど皆と一緒なら歌える」
これは合唱団員の多くの偽らざる心境だと思います。
しかしですね、ブラスの世界でこれを言ったら、
ブラスは成り立ちません。
要は、良い演奏をするためには、個人練習を沢山して、
一人演奏しても確実に演奏できないといけないのです。
そう、音は沢山鳴っていても、
小編成なら一人一パートという状況が普通。
間違えたら目立つ。だから練習する。
勿論、どの団もそう一生懸命だと言う訳ではないですよ。
僕は提言したいのです。
「合唱団員は、もっと個人練習をしないといけない」
合唱団員が、「個人として」責任が軽い傾向になるのは、
練習の仕方にあると思っています。
恐らくですが、中高大の合唱部において、
基本的な練習というのは、全体練習とパート練習です。
そこに「個人練習」という時間は存在しません。
ヴォイストレーニングがあるじゃないかという方もいるかもですが、
合唱団のヴォイトレを受けるために、
皆さんは個人練習をしますか?
音取りじゃなくて、自分個人の発声技術を伸ばすために、
「一人で」普通に声を出して、「一人で」練習をするか、ということです。
いくら団でヴォイトレを雇っていても、しないですよね、多分。
僕は、ここに大きな問題があると思っています。
「一人だと音が取れない」
「上手く歌えない」
「声量がない」
確かに、一人一人がブラスの楽器以上に、
個性の強いそれ自体が楽器であることは、
合唱における大きな特徴です。
しかし、それを逃げ道にしていないだろうか。
「一人だと音が取れない」
「良い声じゃないから」
だから一人の責任が薄まるのか。
違いますね。
実際、吹奏楽でも、楽器を手にするのは、
ほとんどが中学生くらいからでしょう。
テレビでもしていた「淀川工業」の吹奏楽は、
8割が初心者からのスタートだと言っていました
(因みに、ここの合唱部も、ほとんど初心者からですが)。
そういう意味では、スタートの問題ではない。
「楽譜が読めないからパート練習」
これも理由にならない。
というより、山ほどある部活の時間をもって、
合唱部を卒業しても、楽譜が読めない人がいるのは何故なのか。
「個人の能力を上げることから目を伏せて、
全体練習でまとめてしまおうとしていないか」
ここに問題提起してみます。
今回、本来僕が好きではない「極論」に近い形で
敢えて書いたのは、その問題性を
よりクローズアップさせるためです。
一般の合唱団にいると、余計にそう思うのです。
週1回の練習ではやれることが限られる。
そういう意味で、
せめて合唱部で歌っていた人には、
歌っていたなりの能力を身に付けて、ここにやって来て欲しい。
勿論、初心者にも、一般合唱団は門戸を開かないといけない。
しかし、週1回の練習という限界を考えないといけない。
勿論、一般合唱団でも、個人のレベルを上げることから
逃げてはいけない。
でも、そこには明らかな限界がある。
そういう意味で、中高大の現場にいない僕が言うのは
ズルいかもしれないが、
部活動を受け持っている先生には、大きな責任があると思う。
その3年間なり、6年間なり、大学4年間なりを、
有り余るほど時間があるその時間を、どう使うか。
これこそが、先生に与えられている最も大きな責任だと思う。
歌う喜び、合唱の喜びを伝えるのは、教師なら「当たり前」。
これだけ時間があるのなら、個人ののスキルアップに
もっと時間を割かないといけない。
その、「個人の責任の重さ」が、そのまま、
「個人のスキルアップへの意識・責任」となり、
「上達への興味」
「吹奏楽自体への興味」
となっていくように思うのは僕だけだろうか。
合唱団員のそういう一人一人の意識が、
合唱自体に対する興味を喚起しないことになっているのでは、
というのが今日の小論のまとめです。
勿論、これが途中で終わってしまうことは、
吹奏楽界の大きな問題だと思うけど。
このブログ閲覧者は、kodamanさんやめるさんなど、
ブラスの経験者や、オケ畑の人も結構いるので、
そういう視点から、コメント頂けたらとも思います。
「それは違うぞ!」とかも。