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事故が相次ぎ、当時の韓国は「事故共和国」「災害共和国」と言われました

2016-05-27 05:20:43 | 韓国旅行

セウォル号が全羅南道・珍島沖で沈没事故を起こしたのは2014年4月16日のこと。

 

韓国で各種の大規模事故が多発するようになったのは、軍人政権時代が終わりを告げ、1993年2月から文民政権時代に入って以降のことです。金泳三大統領政権下の1994年、1995年に大規模な事故が集中して起こりました。

 

・1994年10月21日、ソウルの聖水大橋の中央部分約50メートルが崩落、橋を走行中の乗用車や    バスが墜落し32人が死亡、17人が重軽傷。完成後15年の橋だったが、手抜き工事が崩落の原因。

・1994年10月24日、忠清北道丹陽郡の忠州湖を航行中の遊覧船が炎上、30人が死亡・行方不明、33人が負傷。

・1994年12月7日、ソウル市内の韓国ガス公社の地下ガス供給基地でガス爆発、12人が死亡、32人が負傷。

・1994年12月9日、忠清南道唐津郡の工場新築現場でクレーンが倒れ、作業員ら8人が死亡、2人が負傷。

・1995年4月11日、全羅南道和順郡で路線バスと列車が衝突、14人が死亡、20数人が負傷。

・1995年4月28日、大邱市の地下鉄工事現場でガス爆発、100人が死亡、薬120人が負傷。

・1995年6月29日、ソウル市内の三豐百貨店が崩壊、502人が死亡、937人が負傷。6年前に開店したばかりだったが、強度不足が原因で崩壊した。

 

こうした事故が相次ぎ、当時の韓国は「事故共和国」「災害共和国」と言われました。

 

聖水大橋の事故では、日本統治時代に架けられた橋はみな健在なのに、戦後に韓国が架けた橋がわずか15年で崩落したことが、国民に大きな衝撃を与えました。

 

1996年9月26日には、1977年に韓国の建設会社がパラオに架けた橋梁(全長約400m)が崩落し、2人が死亡、4人以上が負傷しています。手抜き工事によるもので、完成直後から中央部が凹み、たびたび補修や補強が行われていました。

 

500人以上の死者を出した三豐百貨店の崩落事故では、セウォル号事件でも見られた、考えられないほどの無責任さが顕著でした。

 

事故前日には従業員が屋上のひび割れに気づき、当日の朝にひび割れがさらに大きくなっていたので、すぐに上司に報告しています。これを受けて会長以下の経営陣は午前9時に緊急会議を開いたのですが、そのまま営業を開始しました。午後3時には建築士が調査したのですが、「閉店時に補修すれば問題ない」と報告したため、営業は継続されました。そして営業中の午後5時57分に崩壊しました。会長をはじめとする役員らは、なぜか事前にデパートの外へ出ていたため事故を免れています。

 

崩落の原因は、これもセウォル号事件に通じる、建造上の非常識きわまりない「ずさんさ」によるものでした。

 

韓国はなぜこうなのでしょうか。無責任がとくに悪いこととはされず、何事についても「いいかげん」でよしとする気風が、当然のように国民の間に広く蔓延しているから、というはかありません。1995年以降、各種の事故防止のための法律がいくつか制定されていますが、現実を見ればほとんど効果がないことは明らかです。

 

根本にあるのが法律以前の「人間問題」だからです。

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