硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

上京雑記。

2013-06-21 15:26:26 | 日記
宿泊は横浜関内にあるカプセルホテル。ここ数年のパターンである。少しばかり古いが、繁華街の真ん中で安くて使い勝手がよいので、必ず此処に宿泊する事にしている。最初の年は地理がよく分からないままぐるぐる歩きまわり探し当てたホテルであったが、今では周辺のどの駅で降りても迷わずに辿りつけるまでになった。しかし人ごみでの疲労は相変わらずである。

関内に宿泊する理由はジャズである。通りを歩けばよい香りを漂わせた夜の蝶がひらひらと舞っていてふいに気が緩む。しかし高級車を取り囲むスーツ姿のこわもての男達、パトカーの巡回、ホスト達の叫び声、等々に危険を感じ気を引き締めなおす。

目的のジャズバーは分かりにくい処にあるが大変気に入っている。ビルの地下へ通じる狭い階段を降りてゆくとそこにある。

演奏はすでに始まっており、若いバーテンダーに案内されて足早に席に着く。客は数名であるが、僕としてはゆっくりと出来てよい。

柔らかめのソファーに腰掛け、メニューの中からビールとフライドポテトを注文。

日常にこのような空間があり、好きな時にジャズの演奏を聴きに行ける環境は羨ましい限りである。目の前で演奏する一流のプレイヤー達。選曲もなじみのある曲ばかりでとても嬉しい。

ボーカルの入る演奏は、歌声の印象が残るが、今回はジャズメンの演奏が素晴らしすぎてボーカルの印象がかなり薄い。

バンドマスターはボーカルの女性にかなり気を使っている様子であったが、それでもなぜか演奏が勝っていたように思う。

正面のカウンターでは常連さんと思わしき紳士が2人でバーテンダーの方と楽しそうに会話されている。

時頼聞こえる大御所芸能人の話に聞き耳を立てつつも、話し方が標準語であるのでなにかのドラマを見ているようでもあった。

冷えたビールは疲れた体に染み渡り、心地よい演奏が心を癒してくれる。大変贅沢だと思いつつも、年に一回の事なので考える事を忘れて楽しむ事に専念する。

いつものように2ステージを終えた処でチェックし、店を出る。通路で休憩してたpianistに軽く会釈をし階段を上がると、まだ沢山の人が行き来していた。いつもこの時間は仕事以外は布団の中である。また僕の住む街では暗く静かである。

その事を考えると笑えてきてしまう。

少しお腹が空いていたので、通りのコンビニでパンを買う。商品を選びレジに持って行きお金を払う。この際に小さいころからの習慣で「ありがとう」を言うのであるが、支払いを済ませいつものように「ありがとう」を言うと、店員のお兄さんが目を丸くして驚いている表情が見えた。

その時「しまった。此処は田舎ではないのだ。」と我に返ったが、都会ではこういう場で「ありがとう」は言わないのだろうかとしばし考える。

コンビニを出てホテルに向かう途中、なんだかよく分からない人達が騒いでる。無理に楽しもうとしているのか、楽しんでいるのか分からない。また、そこには行き場を失ってしまった人がベンチに腰を掛け、しけもくを吸っていたりと人生の明暗が入り混じっている。その様子を見て少し心がくたびれる。

長居は無用と足早にホテルに向かう。無愛想なホテルマンにカギをもらい、風呂に入りカプセルに潜り込む。映りの悪いテレビを観つつも、耳に残ったジャズの演奏が頭の中で再生される。大変心地よい。テレビを消し目を閉じると深い眠りに就いた。

気がつくと朝の6時であった。ペットボトルのお茶を飲みつつニュースを観て7時まで過ごす。7時ならば朝食が摂れる店もあるだろうと思っていたからである。時間になり、軽く洗面をし鍵を預けて土曜日の朝の街へ出る。クラブの前ではホストとその客であろう女性が何やら騒いでいる。当初は「なぜこんな時間に!!」と驚いたものであるが、今ではもう慣れてしまった。時代は移り変わっているが、新しい人達がその場所にエントリーをして誰かの後を引き継いでいる。本当にエネルギッシュな街である。

朝の通りは、昨晩の余韻を残しつつ家路へと向かう人と、犬の散歩、早朝ジョギング、職場へ行く人が交差していた。それでも行き場を失った人たちが店の軒先に腰を下ろし、皺くちゃになった競馬新聞を観ていた。誰もが同じような新しい朝を迎えても、新しい朝が来ない人もいる事を知る。

背伸びしてゆっくりと歩いていると、女性と目が合う。するとにわかに近寄ってきて「これから呑みに行かない?」と誘われる。朝の7時過ぎである。彼女はまだ夜の続きであろうことは分かったが、その言動には衝撃が走った。思わず関西弁で「ないわ~。ないない。あらへんで~。ごめんなぁ~。」といってお断りした。女性も少し笑っていたが諦めてくれた様子であった。

スタバに入り、なれないメニューに戸惑いながら朝食を頂く。窓に面した席に座り行き交う人をぼんやりと観ていた。

お客は僕一人であったが、暫くするとキャリアウーマンがさっそうと入ってきて、日常動作のようにメニューを注文し迷わず席について、鞄から経済紙を取り出して朝食をとりながら読んでいた。 これさえもドラマのようである。

次に入ってきた男性は少しくたびれた感じであった。どこかで働いた後と見え、朝食を机に置き椅子に座ると、オーディオプレイヤーのイヤホンを耳に入れそのまま寝てしまっていた。

都会に来ると人の流れがこうも違うものかと感心しつつ、消費すること、貨幣を運動させる事が重要課題である街ではこの現象も必要なのだなと思いながら、スタバを後にした。

天気予報では、少しぐずつくといっていたが初夏を感じさせるほどの快晴であった。