やまゆり園事件の続報の記事は犠牲者は匿名にしておくべきか公表すべきかが問われていました。殺人事件が報道されるとき、特殊なケースでない限り、被害者と加害者の名前が知らされていますが、名前の公表の賛否という判断に差別はあるのかという問いには上手く答えることが出来ません。
被害者の個人名を出し、人となりを報道する事で、障碍者の人にも人生があるのだということが多くの人に知ってもらえるというメリットはあるけれど、理不尽な暴力によって命を奪われたご両親や関係者の悲しみや苦しみは消えません。
それと同時に、終わりの見えない援助の突然の幕引きに、内心ほっとしている人もいるかもしれません。
しかし、この心情は当事者にしか分からないので、そっとしておいてあげる事が双方にとっても良いような気がします。
多様性を承認することはとても難しい事です。客観性を保つとどちら付かずになります。
中庸や中道は、時に他者を不快にさせます。思想の反する者にたいして批難せず、自身の思想もゆずらないという立ち位置に立ち続ける事はストレスフルなことです。
夏目先生は、このような状況を物語を通してこうおっしゃいました。
「智に働けば角が立つ、情に掉させば流される、意地を通せば窮屈だ、兎角に人の世は住みにくい」と。
被害者の個人名を出し、人となりを報道する事で、障碍者の人にも人生があるのだということが多くの人に知ってもらえるというメリットはあるけれど、理不尽な暴力によって命を奪われたご両親や関係者の悲しみや苦しみは消えません。
それと同時に、終わりの見えない援助の突然の幕引きに、内心ほっとしている人もいるかもしれません。
しかし、この心情は当事者にしか分からないので、そっとしておいてあげる事が双方にとっても良いような気がします。
多様性を承認することはとても難しい事です。客観性を保つとどちら付かずになります。
中庸や中道は、時に他者を不快にさせます。思想の反する者にたいして批難せず、自身の思想もゆずらないという立ち位置に立ち続ける事はストレスフルなことです。
夏目先生は、このような状況を物語を通してこうおっしゃいました。
「智に働けば角が立つ、情に掉させば流される、意地を通せば窮屈だ、兎角に人の世は住みにくい」と。