硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

一年前の事件をもう一度考えてみる。

2017-07-28 21:08:30 | 日記
やまゆり園事件の続報の記事は犠牲者は匿名にしておくべきか公表すべきかが問われていました。殺人事件が報道されるとき、特殊なケースでない限り、被害者と加害者の名前が知らされていますが、名前の公表の賛否という判断に差別はあるのかという問いには上手く答えることが出来ません。

被害者の個人名を出し、人となりを報道する事で、障碍者の人にも人生があるのだということが多くの人に知ってもらえるというメリットはあるけれど、理不尽な暴力によって命を奪われたご両親や関係者の悲しみや苦しみは消えません。
それと同時に、終わりの見えない援助の突然の幕引きに、内心ほっとしている人もいるかもしれません。

しかし、この心情は当事者にしか分からないので、そっとしておいてあげる事が双方にとっても良いような気がします。

多様性を承認することはとても難しい事です。客観性を保つとどちら付かずになります。
中庸や中道は、時に他者を不快にさせます。思想の反する者にたいして批難せず、自身の思想もゆずらないという立ち位置に立ち続ける事はストレスフルなことです。

夏目先生は、このような状況を物語を通してこうおっしゃいました。
「智に働けば角が立つ、情に掉させば流される、意地を通せば窮屈だ、兎角に人の世は住みにくい」と。

遠ざかる誰かの希望。

2017-07-27 21:02:18 | 日記
蓮蓬議員が党首を辞任されるというニュースを観た。追い込まれたんだなと感じました。朝の新聞の雑誌の広告見出しは、各出版社そろって稲田防衛大臣を批判するものだったので、もうダメなんだろうなと思っていたら、ニュース速報が辞任の意向であることを伝えていました。

その事から、男性社会は彼女たちを必要としないと判断した事が分かり、表向きには分かりにくいけれども、女性の社会進出がまた一歩後退したことを意味する事象なのかもしれません。

完璧な人なんていないのに、いつまでこんなことを繰り返すのでしょうか。政治を司る人達がこんなんじゃぁ、社会福祉を取り巻く環境も良くなるわけがありません。

大人なることはつまらない事だと言っているような物なのになぁ。

一年前の事件をもう一度考えてみる。

2017-07-26 22:44:53 | 日記
朝刊に「やまゆり園事件」を起こした被告が新聞社にあてた手紙についての記事が掲載されていて、時間を掛けてじっくり読んでみたところ、たいへん複雑な気持ちになりました。
「意思疎通のとれない人は安楽死させるべきだと思っております」と考える被告は、その定義を「正確に自己紹介をすることが出来る人」だとしていました。

これだと、極端に人見知りの人やあがり症の人も含まれてしまうので、被告の思考の浅さを窺い知ることが出来ます。その事から、彼の極端な思考性や視野の狭さ、社会は多様性に富んでいる事から目を逸らしたのかが分かります。

しかし、どこかで被告の考えも肯定される部分があるのではという思いも捨てきれません。

それは、先ほど「ハートネットTV」を観ていたのですが、その中に「生産性」というワードが出てきて正直ぞっとしたからです。「生産性」それは、福祉用語ではなく「経済用語」なので、違和感があります。「福祉」と「経済」結びつかないわけでもないけれど、ユーザーのニーズが明らかに違います。

たしかに、経済から見れば「消費するだけで何も生み出さない」のだから、「いらない」となってしまうのでしょう。そこで「少しでも生産性を上げる」為に、つまり「労働力のある人を家庭に留まらせておかない」ことを社会福祉が担うという一面もあるのです。
それでも、「損失を上回るリターン」は見込めないから、大きな投資も出来ないということになります。したがって行政は「社会福祉への投資は最小限に留める」という判断をすることになってしまいます。といっても無視するわけにはいきませんので、行政は、国民が政治を大きく変えてゆくほど不満が出ない程度の不満を懐かせ続けてゆくというバランスを取り続けてゆくのではと考えます。

これが経済的な考え方なのではと思います。

でも、よく考えなければならないのは、経済と尊厳は別の所にあるという事です。

まず、尊厳とは、人はなぜ生まれてくるのか。なぜ人は死ななければならないのか。なぜ人は、多様な言葉や肌の色を保有しているのか。という問いに対して、きちんと答えねばなりません。
経済とは、貨幣とは何か。生産とは何か。富と貧困とは何か。政治とは何か。社会とは何か。過程とは何か。という問いについてきちんと答えねばなりません。

つまり、人生とは、生きる理由とは、幸福とは、という問いはまた別の所にあるということになります。だからこの要因を一括りにして正論を導き出すというのは、誰もできないと思われるのです。

ただ、法治国家であるので、殺人はもってのほかであり、憲法第13条では、すべての国民は、個人として尊重され、生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とするとされ、憲法第25条では、健康で文化的な最低限の生活を営む権利を有する。と示されています。

しかし、数学者の岡潔さんが、「矛盾がないと説得する為には感情が納得しなければ駄目なんで、知性が説得しても無理なんです」「ともかく知性や意思は、感情を納得させる力がない」「人間というものは感情が納得しなければ,本当に納得しないという存在らしいのです」と、言われているように、人が感情を有する以上、緩やかに上下しながら価値観が激変する地点まで、(戦争が起これば弱者の尊厳など皆無になってしまいます。また、医療や科学が進歩しポストヒューマンが生み出されれば障害は無になるでしょう)人々はそれぞれの価値観の中でそれぞれの答えを求めて考えてゆくのではないかと思います。

無い知恵を絞りだし言葉をこねくり回してみましたが、ざっくり言うと、僕たちは、愛がなんであるか分からない存在なのではないかと思う。

ゴースト。

2017-07-23 20:59:47 | 日記
日報隠蔽疑惑問題についての記事を読んでいて思ったことを一石。

稲田さんを辞任させ、その後に安倍さんもという流れに持ってゆきたいというストーリーを感じますが、もし、稲田さんを辞任させることができたとしたら、誰が、どのような理由で隠蔽する事を決定したのかを、この問題の責任を稲田さんに求めた人や、問題にかかわった関係者、メディアは伝えなければならない義務があるように思う。
でも、おそらく、その情報開示にはメリットがないから誰も引き受けないように思う。

もし仮に、稲田さんが純粋に国や国民を護りたいという想いで議員をされていらっしゃるのであれば、スノーデンさんと同じように、覇権を握り続けたい者から圧力が掛かっているではないかと感じたのです。

そのように捉えた方が、現在の状況にも合点がいくように思われるのです。

政治って、どうしてこうも複雑なのだろうか。これではゴーストを捕まえようとするのと変わらないと思う。

護りたい。 映画「海賊と呼ばれた男」「スノーデン」

2017-07-19 21:36:12 | 日記
先日、DVD化されるのを待っていた映画「海賊と呼ばれた男」を観ました。
そして今日、新聞記事の中に「昭和シェル石油との合併前進」という記事を見つけた。

合併を進めているのは経営陣であり、反対しているのは創業家だという事は、新聞を通して知ってはいたけれど、創業家が反対している理由は全く分からなく、生き残ってゆく為には合併は必要なのにどうして古い体質から抜けられないのだろうかと思っていました。

でも、海賊と呼ばれた男を観ていて「あああっ、これがその理由なのか!!」と感動したのです。そして、知らぬは一生の恥だなと反省。

本当に守るべきものは何なのかを考えさせられる映画であるけれども、昨日、もう一つ待ちに待っていた映画「スノーデン」を観て、メジャーに深部まで食い込まれ、あらゆるインフラに枝を貼られてしまっていては、一石投じることはできたかもしれませんが、依然として覇権を握り続けようとする人達は、びくともしないようです。

しかし、自分の国を守りたい。愛すべき人を護りたい。そんな熱い思いがひしひしと伝わってくる二作品です。

九州豪雨。

2017-07-16 21:03:25 | 日記
もうずいぶん前のお話です。施設に入所していた、あるお婆ちゃんは認知症を患っていて、今自分がどこにいるのかも分かりませんでしたが、そのお婆ちゃんは生まれ育った故郷の出来事を何度も繰り返し話してくれました。

三重県育ちの僕には聞きなれない、うきは、杷木、日田、という地名や青の洞門、長野水神社、五庄屋、にまつわる話を独特の訛りで懐かしそうに語るお婆ちゃん。
でも、辛い話も楽しい話と同じくらい繰り返し話してくれました。

お婆ちゃんの住む町には、筑後川という大きな川が流れていて、普段はとてもきれいなのだそうです。でも、ある日、大雨が降り、川が氾濫してしまって、あちこちで土砂崩れが起きてしまい、お婆ちゃんの近所の家も土砂に埋もれてしまいました。それを聴きつけた町の人達が家の人を助けるために、懸命に土砂を取り除いたのですが、奥さんをもらったばかりの泥まみれの男性は仏さまとなっていたそうです。奥様は偶然にも助かりましたが、雨の降る中、お婆ちゃんも手伝いに来ていて、その様子を観てとても可哀想だったといっていました。

認知症を患ったお婆ちゃんが忘れずに繰り返し話した辛い出来事が、お婆ちゃんの話を思い出させるかのようにテレビに映し出されていました。

コンビニで買い物をするとレジの横の募金箱に即席の張り紙がされていた。ささやかだけれど何かの役に立つと良いなと思う。

そんな価値観にはついてゆけない。

2017-07-14 20:59:11 | 日記
人は老化しない。身体は動かし続ければ動き続けることが出来る。人は精神的に強く叱咤激励すれば強く成れる。お釈迦様の説いた生病老死という苦とは無縁である。
というのが、今の介護現場の価値観の本流らしい。

死に向かって老いる事を否定したい気持ちはわからないでもないけれど、誰も避けられない事が真理である以上、どうする事も出来ないのである。だから自身が老いた時に、気づくしかないのである。

しかし、人は怠慢でもあるので、老いた時には老いた事を肯定し、動けという若者に食って掛かり、若かりし頃の自身の発言には責任は持たぬであろうと思う。