硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

「わろてんか」 こういう見方をしてみる。

2018-03-28 08:46:05 | 日記
最近「わろてんか」をよく見る。それも時々なので時代が一気に進むという展開。

物語は明治の後半から始まり、大正を経て昭和に入り、その時代を描く為には避けては通れない戦争に突入した。
北村てんさんを取り巻く生活スタイルも、江戸時代の地続きから始まり、一気に西欧化してゆき、戦争がはじまると一気に統制されてゆくという目まぐるしい移り変わりが見て取れます。

このようにテレビドラマという形で短期間で文化や時代、経済の移り変わりを目の当たりにすると、文明を急進に進歩させると、市井の人々にそのしわ寄せが来るのかなと感じましたが、それと同時に、国の舵を切る人達が諸外国の圧力、様々な人たちの思惑の中で、文明や文化、経済をどこにも負荷かけることなくコントロールする事は困難なのかなと思ったのです。




それって、どうなの。

2018-03-27 09:04:49 | 日記
朝、蒲団の中でうとうとしながらテレビの音を聴いていたら、文書の改ざん問題についてのアナウンスがなされていて、首相夫人が「よい土地ですから前に進めてください」と言う発言が論点になりそうだというニュアンスを感じ取ったけれど、よく考えてみたら、家を買おうとしている人が、土地を探してみて回っているとき、その土地に家を建てる事を前提にその土地を観た時、理想に近ければ「いい土地ですねぇ」というのが普通ではないでしょうか。

また、家を買った人の家を訪ねた時に、「いいお住まいですね」とか「いいところですね」とか「立地条件がいいですね」というような感想を述べないだろうか。
また、「よい土地ですから」という後の言葉の「前に進めてください」も、感想なので「がんばってくださいね」とか「あきらめないでね」とか「いいと思いますよ」と同じ感覚で発言したのではないでしょうか。

挨拶のような日常的な会話が権威を持つはずがないわけで、それを権威を持ったと思い込んだ人が、躓き、その発言に権威があるからと思い込んで気を使った人も躓いてしまった。それを国会で喧々諤々と議論し続け、メディアもそれを深読みし、「これは無駄な時間を浪費しているのではないか」と疑問を持たないのはどうしてなのでしょうか。

もしかして、それが仕事だから?


都市伝説。

2018-03-24 21:45:27 | 日記
地震について調べていたら、都市伝説のような話がいくつかあった。それは意図的に地震を起こすというものであるのだけれど、疑いつつも、言葉の巧みさに本当かもしれないなぁと思う気持ちも芽生えてしまう。

そこで、都市伝説を一つ考えてみた。

与党が野党に代わった為に、西の隣国との距離を縮めてゆこうとする動きが活発になった。其れを観た東の大国は、このままではジャパン・ハンドラーとしてあり続けることが出来なくなる恐れがあると感じた。野党になった政党もこのままでは勢いの飲み込まれてしまうと思い、東の大国に相談をした。政権を奪還する為には与党にダメージを与えなければならないと考えた双方は、人工地震というテクノロジーを使い、失脚させることにした。大国はその見返りとしてお金を支払うことを要求した。しかし、あからさまにお金を支払うと疑いの目が向けられるので、賠償金という形をとればわからないだろうと考えた。意図的に大きな大きな地震は起こされ、予想通りの被害が出て、与党は失脚に追い込まれた。シナリオ通り与党に返り咲いた政権は、賠償金という名目の対価を得る為、被災地にむかい、その為に被爆してしまったという形をとった大国に対価を支払った。大国は再びジャパン・ハンドラーとして君臨する事と、大きな対価を得ることが出来ましたとさ。

もし、こんな悪魔の取引が本当にあったとしたら、世も末だと思う。

文明を発展させるには。

2018-03-23 21:33:59 | 日記
昨日、ニュース速報で川崎市の有料老人ホームで起きた事件の容疑者の判決が出た事を知った。そして、詳しい事は明日のニュースで知ることが出来るだろうと思ったのですが、朝のニュースでは殆ど取り上げられなかった。

とてもショッキングな事件だったのに、テレビニュースで扱わないという事は、どこかから報道せぬようにと圧力が掛かったと考える事も出来る。

それは、不安を煽る事で利益を得る人より不利益を被る人の方が多いからだろうか。

しかし、それでは介護現場の環境は向上しないのではないかと思うが、環境を向上させない事が本当の狙いかも知れない。

文明を発展させるには、やはり大きな犠牲を払わねばならないのであろうか。

誰がではなくてさぁ。

2018-03-20 19:23:15 | 日記
朝テレビをつけた瞬間映し出されたのは、文書の改ざん問題であった。話はややこしさを増しているけれど、シンプルに考えれば、籠池さんと直接不動産の話をされた方が、

「私は、国に仕え、法に仕え、国民に仕えているのです。したがって相手が誰であろうと平等に接し、法を順守しなければならないのです」

と、断言できる権限を保有していれば、こんなことにならずに済んだのではと思いました。

個人的な問題になってない?

2018-03-17 15:12:19 | 日記
朝、テレビをつけた瞬間映し出されたのは、文書の改ざん問題であった。しばらく観ていたのだけれど、やはり大人げない議論に映る。

追い詰める方は、辞任に追い込みたいという意志は伝わってくる。追い詰められている方は、傷が深手にならないうちに逃げ切りたいという意思は伝わってくる。しかし、逃げ切れた後、引き下ろした後、この問題を、政治を、どのように立て直してゆくかというプランはどちらからも一向に見えてこない。

上手く言えないけれど、このような事態になってしまったのは、問題が「組織」ではなく「個人」に向けられたからではないかと思う。

国民や国を背負っているという自負があるなら、その道筋を明確に示した方が国民からの支持を得られるのではないでしょうか。

哲学者ヘーゲルさんは言います。「経験と歴史が教えてくれるのは、民衆や政府が歴史から何か学ぶといったことは一度たりともなく、また歴史から引き出された教訓に従って行動したことなど全くないという事です」

大人げない議論。

2018-03-14 19:04:30 | 日記
文書が改ざんされ、それがだれの指示によってなされたかが問われているけれど、改ざんすることによって一番利益を得るのは誰なのかがとても気になる。
首相と奥様は面識があるとしても、現在の世界情勢から考えれば、失脚しかねない口利きを図ったとは考えにくい。だから、一応面識があるのだから忖度した方がよいだろうと考えた人がいて、忖度したことにより貸しを作っておき、法案を通すなどの何かの際の為に「カードを保有」しておいたほうがよいだろうと考えた人が指示したと考えた方が咀嚼しやすい。

難しい言葉を用いて議論しているが、議論の筋は「スタップ細胞事案」と同質であり、責任者不在のままの不毛な議論は、時間の無駄なので早々にやめた方がいいと思うし、こういう事案は前代未聞ではないので誰かを止めさせたところでクリーンにはならないと思う。

記憶と忘却。

2018-03-11 22:13:41 | 日記
90歳を超えたお婆ちゃんは、認知症を患っていて、自身で持ってきたカバンを一度どこかに置いてしまうと、どこに置いたか分からなくなってしまうほどの短期記憶障害で毎日が新しい一日なのです。しかし、そのお婆ちゃんの記憶は少女の頃、そして、母になった頃の記憶のある一部分が鮮明に残っていて、そのお話は幾度となく繰り返されるのです。

少女の頃の記憶は戦中の話。お婆ちゃんの住む町にB29がやってきて、焼夷弾を沢山落としていき、街はまる焼けになってしまったけれど、お婆ちゃんの住む家は川を挟んでいたので空襲の被害を免れました。でも、お婆ちゃんの記憶は空襲時ではなく、その後の話なのでした。

まだ幼かったお婆ちゃんは、普段からの遊び場だった川向こうの焼け野原になった街に行くと、その中に呆然と立ちすくむ人達を観ました。野原の前に立つ人は、そこに住んでいた家族。お婆ちゃん幼いながらも、なんと声をかけてよいのかと思案したそうですが、ついには言葉にすることが出来なかったそうです。

そして、母になったお婆ちゃんは、旦那さんの仕事の都合で引っ越し、大きな川の近くの社宅に住むことになりました。
ある日の事、びっくりするくらいの大雨が降り、普段は穏やかな川が今にも溢れそうになりました。そんな状況下、旦那さんは地域を護る為に家には戻れないので、お婆ちゃんは子供たちを連れていつでも逃げられる準備をしながら川の様子をうかがっていた所、対岸はお婆ちゃんの住む社宅より低地になっていたので、そちら側に氾濫しました。そして、川上の街も洪水によって押し流され、沢山の家財道具や車、倒壊した家の材木を濁流の中に観たといいます。

翌々日の新聞で、水害による死者数がとても多かったことを知り、濁流の中に人もいた事を想うと居た堪れなくなったと言います。

お婆ちゃんが体験した半世紀以上も前のお話で、認知症であるのに忘却できない記憶なのです。



無題

2018-03-09 21:35:03 | 日記
夕方、外に出て空を見上げると、3日ぶりに青空が見えた。雨上がりだったこともあってか、青空ってこんなにきれいな色だったかなと改めて感心した。

西に傾いた太陽が照らし出した街並みも、とても新鮮に見えた。

いつもの風景が違った感覚で観ることが出来る時もある。それは、生かされているのかなと感じる事も出来るのではないかと思った。

こんなことって、ありますか?

2018-03-05 22:29:11 | 日記
アカデミー賞、メイク・ヘアスタイリング賞で辻一弘さんが受賞された。アカデミー賞では日本人は獲れないんじゃないかと勘ぐっていただけにとてもうれしい。
さて、話はずいぶんズレてしまうのですが、最近俳優さんの名前がよく出てこなくなるという現象が増えた。

たとえば、ハリーポッターのハーマイオニーは解るのだけれど、肝心の「エマ・ワトソン」という名前が出てこない。ディオールの宣伝を観て、「レオン」とか「ブラックスワン」に出てた人なんだけれどなぁは出るのだけれど、「ナタリー・ポートマン」が出てこない。
ニコール・キッドマンの時は、トム・クルーズの元奥さんというのが先に出てくる始末。
最もひどかったのが、すごく好きだった映画「ノッティングヒルの恋人」の主役の二人がまったく出てこなかったときはもうダメだと思った。(その後、ジュリアロバーツとヒューグランドだったことを思い出しました。)

素敵な俳優さんが沢山出てくればくるほど、忘れてしまう俳優さんも出てきてしまう。
(でも、メリル・ストリープの名はすぐ出てくるのです。つくづく変な脳だなと思う。メリルさん今年も素敵でしたね。)
悲しい現象だなぁと思いつつも、生み出される映画をこれからも選り好みして楽しんで観てゆきたいと思います。