硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

何処にもない世界。

2019-02-19 20:17:29 | 日記
千葉県の小学校で起こった歪な行為の音声を聞いて思ったことを一石。

切り取られた内容だけに、断言できないけれど、やられても、やり返さない事が大切な事なのだとしたら、奴隷は主人に逆らわず奴隷として、分を弁え、奴隷として全うせよ。という論理にはならないであろうか。

また、やり返すことが暴力であるなら、暴力をふるう事は暴力にはならないのであろうか。

そこに至った背景が不明なのでなんともいえないけれども、音声だけを聞いていると、著しく公平性を欠いている教育現場であるように思う。

この情景を傍観していたクラスメイトは、どう感じただろうか。

担任の先生や教頭先生の発言に同意しただろうか。忖度し、沈黙し続けるだろうか。それとも、多くの人が抱いた感情と同じような不快感を覚えただろうか。

穏やかで平和な世界というのは、どこにもないのかな。

楽しい仕事ってなかなかないとは思うけれど。

2019-02-11 21:48:40 | 日記
飲食店での不快な動画をテレビでよく見る。やっている事は、小学生の悪戯なのですが、そこに「大きな対価」が働いている事に彼らは気づかない。
チェーン店であるから、多くの店舗を出し、ライバルを退け、勝ちあがる事が、重視されてしまっているので、なるべく安い賃金で、文句を言わず働きづつける人を、雇用する事になってしまう。そういう職場では、社会で、様々な困難にもまれながら、自身の人格を形成してゆくというような要素は希薄になってしまうであろうし、どうすれば、皆が働きやすく、且つ、仕事に取り組む姿勢を培ってゆくかとか、いかにして職場を護ってゆくかという論理も、生まれにくい。また、きちんと叱ってくれる人が不在なら、そこに大きな対価が働いていても、子供は子供のままで良いのだと、子供は思い込んでしまうのではないでしょうか。

大変だけれど、仕事をしているとき、割と楽しいと感じる職場だったら、わざわざ小学生のような悪戯して、楽しまなくても済むのだと思う。

おとなというひとたちは、つごうでやくそくがまもれなくなります。

2019-02-04 20:59:56 | 日記
昼食を摂りながらテレビを観ていたら、児童虐待の事件についてコメンテーターの人達が様々な意見を出していた。そして、事件の経過が詳らかにされてゆくと、酷い父親や、教育機関に対してのコメントに熱が帯びてくるのが分かった。それは、流れてくる情報ではあるけれど、嫌な気分になるものでもあった。こういう時、留めて考えてしまうと、神経に支障をきたしてしまうので、なるべく留めないように心がけてはいるのですが、どうにも、吐き出しておきたいことも出てしまう。

事件の元凶は、父親である。しかし、問題は、その子の母、そして、学校や、教育委員会、児童相談所といった公的機関に及んでいる。

多くの大人が関わっていたのに、力を合わせる事もせず、勇気も知恵も出せず、一人の暴力的な男から、少女を救えなかった。

少女の周りには大人が不在だったのだろうか。