硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

その努力は・・・。

2014-02-23 21:42:25 | 日記
ソチ五輪関係の番組を観ていてふと思った。あの場所に憧れて、競技に身を投じ、小さな大会に出場し、その頃から天才と呼ばれた人や、努力して才能を開花させ代表に選ばれて、周りから太鼓判を押されていても、世界の前で最高の結果を残すことは難しいのだなと。

また、あの場所に憧れ、努力し続けても代表として選ばれなかった人はどれくらいいるのだろうかとも思ったのです。

そして、選ばれなくとも、今日もどこかで、いつかの為に、ひたむきに努力を積み重ねている人がいるんでしょうね。

そう考えると、「夢」って努力の積み重ねの先にしか見えないものかもしれないですね。

傷つけてもどうにもならないでしょ。

2014-02-22 19:16:52 | 日記
都内の公立図書館で「アンネの日記」とその関連した本が破られていたというニュースを見た。

単にいたずらだとしても酷すぎる。図書館を利用する者の一人として胸が痛みます。

だから、その行為にどんなメッセージが含まれているのか読みとりたくもないし、「本」を傷つけた処で、他者から尊敬される事はないと断言したい。

それよりも「本」は破られても何も言わないけれど、その行為で傷ついてしまう人が沢山いることを知ってほしいと思う。


きっと想いは届くと信じて。

2014-02-14 10:54:16 | 日記
2月14日。若かりし頃は「なぜもらえないのか!」と悲しんだものですが、上手く歳を重ねる事が出来たのか、いつからか拘る事が無くなったけれど、その為かおもわぬ視点に出くわす。
その視点というのは、チョコレートの原材料カカオの多くは西アフリカの貧困層の子供たちの手によって先進国の人々に届けられているという事実である。数年前の新聞記事でその事を初めて知ったのですが、僕も普段からチョコレートをよく食するので、その事実はかなり衝撃的だった。

そして、今日の新聞にもその記事が掲載されていて改めて現状は変わらない事を知った。
身売りされた子供たちは、今もなおスーパーで買える板チョコの4分の1の日当で働き、チョコレートを食べた事がないと言う。
それは資本主義社会が貧困層からの搾取によって成り立っているという暗部であり、改善される事のない構造なのかもしれない。
しかし、この構造を少しでも善くしようとフェアトレードというルールを用いてチョコレートを販売している企業もある事を知り、暗闇ばかりの未来ではないのでほっとする。

僕たちに何ができるかという問いには答えられないけれど、今日の日のようにチョコレートには夢と希望がある半面でどうにもならない切ない想いが詰まっているんだと、チョコレートを食す時にふと地球の裏側の子供たちに想いを馳せてみる事は大切な事なんじゃないかと思ったりするのです。

贖罪の告白と信じたい。

2014-02-09 10:08:51 | 日記
音楽家にもゴーストライターが存在していた事に驚いたが、もしかするとゴーストライターと言う存在は私達があまり知らないだけでごく普通に潜んでいるのかもと思った。

しかし、ゴーストライターと言う立場を放棄し、公の場に姿を現し、胸に仕えた思いを吐露することは、自己の存在を知らしめると共に、何かを失うという事でもある。作品自体に魅力があれば新垣氏の才能は受け入れられると思うが、佐村河内氏のセルフプロデュースにより作品に神秘性を含ませている作品から「神秘性」を引いてしまった時、その作品は芸術して受け入れられるだろうか。

いや、そもそも耳の肥えた人々を唸らす音楽は、誰をも魅了する音楽と言えるだろうか。ちがう。芸術とは万人受けしないものだから芸術で在り続ける事が出来るのではないか。マイノリティーな中で鍛錬され鮮麗され絶賛されることが芸術なのだろうと思う。ちがう。芸術とは凡人の僕のようなものが取り扱えるものでなない。そういうものでなくてはならない。

しかし、新垣氏はどうしてこのタイミングで吐露したのだろうか。そこがとても気になって色々考えてみた。

もし、芸術に対して謙虚な人であったなら、西洋の音楽を日本に紹介し育んできた先人に対して畏敬の念を抱いたのではないかと思う。そして、その思いを強く抱いたきっかけがオリンピックでの使用だったのではなかろうか。
今までは国内での発信が主であったものが、公の場で世界に向けて発信される。その音楽を聴いた人々は、作曲者の神秘性を含んだ曲に様々な想いを馳せるであろうから、商業的には成功するのではと予見する。しかし、それは先人に対して冒涜になるであろうし、音楽を愛し、譜線上の音符に神の存在を見るものであるなら、欺瞞は退けるべきだと思ったのではないだろうか。

そう思って決断したのだと信じたい。そして、もうこのニュースは観たくないと思った。




雪山で思った事。

2014-02-04 10:25:41 | 日記
男三人スキーツアーも今年で20周年を迎えた。もはやスキーツアーではなく慰安旅行と言った方が正しいかもしれない。それはさておき、目的地は長野県白馬村の八方尾根スキー場。ゲレンデは様々あるが、もうここしか来なくなってしまった。なぜなら、ゲレンデの長さと雪質の良さとご飯がおいしいからである。しかし本年はその魅力の一つである雪質が異常であった。例年の2月と言えばベストシーズンでサラサラの雪なのであるが、コンディションはもう4月中旬のようで、しかも長野北部まで来て雨なのであった。20代の頃、春スキーにも良く訪れたが、その記憶をたどってみても雨の中のスキーは初めて。しかし、慰安旅行と化したツアーでは心配無用。少し滑って、定番の小屋でお酒を飲んで、天気を見ながら又滑り、お酒、とゲレンデにいる時間よりも小屋にいる時間の方が長いかもしれない。それでも友人は「これでええんちゃう。」「もうそんなに滑らんでええわ。」と言って、お酒と雑談を楽しんでいた。
それは、僕たちが共通して「もう上手くならなくていい」「しんどい事は避けよう」という価値観が一致しているからである。したがって、リフト券の有効時間を3時間以上も残しゲレンデを去って温泉に浸ることも暗黙の了解の上であった。

そして、変化と言えば気象だけでなく、客層にもずいぶん変化が見られた。それは海外の方が以前にも増していて、ゴンドラやリフトの搭乗中に多種類の言語を聞けて不思議であった。また男女共に容姿が「ヴォーグ」に登場するような人達に沢山出会い、わが目を驚かせた。そして、ゲレンデにたたずむ姿はエクストリーマーなのであるが、滑り出すとあまり上手くないというギャップに少し笑えたが、それ以上に優しい人に出会えたのが印象深く心に残った。

そのエピソードの一つに、滑走中、訳がわらかぬまま板が外れで転んだ時である。何で転んだんだろうと思って頭上を見てみると、20代前半のスノボ女子が僕の板を踏んで座っていた。ああ、後ろから踏まれたんだなと納得していると、「すいませ~ん。」と謝罪があったから、愛想良く「いいよぉ」と返事をすると、すっと立ちあがったかと思うと、僕の板を残して去って行ってしまった。拾ってくれるだろうと思っていた僕はスノボ女子に落胆しつつ板を取りに雪山を登っていると、かっこいい海外の男性が僕の板の前で立ち止まり拾ってくれるではないか! その男性は僕の所まで来ると、片言の日本語で「ド・ウ・ゾ」といっていたを渡してさわやかに笑った。おもわず「かっこいい!!」と思いつつ「サンキュー」挨拶すると、さわやかな微笑みを残して滑って行ってしまったのである。こんな時、英語を話せたらなぁと思うのであるが、気持ちが持続しないので全く進歩がないのである。

今回はさまざまな変化を感じたツアーであったが、八方尾根は普遍な雄姿をもって、訪れる人々を魅了し続けるのである。