硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

見えてきた出口。

2022-08-25 16:16:29 | 日記
朝5時。夜が明け、外は少しづつ明るくなってきた。窓の外を見ると曇ってはいたが雨は降っていなかった。

「よし、いくか」

少し気合を入れて着替えると、誰もいない田舎道をとぼとぼと歩きだした。
身体は重く、足もうまく進まない。両腕の重さも感じるほどに体がだるい。

体温は35℃台になり、病気は治ってはいるけれど、身体のなまりはどうしようもない。
いつの間にか、田んぼの稲は、ほどんど刈られていて、砕かれた藁と切り株が顔を出していた。稲作の為に止めていた川は堰を切っていて、川底の固い地面が乾ききらない地表をさらしていた。きれいに刈られていた路肩の草もすっかり再生されていた。

時より伝わってくる風も少しひんやりして,コウロギ等の虫の鳴き声も聞こえてきていた。寝ている間に少しづつ季節が変わってきている。
ちょっとした浦島太郎の気分である。
精神的に追い詰められてた気持ちも、この休みの間にほとんどなくなったが、時々余計な事を考えてしまう癖からは抜けられていない。
僕自身の問題ではない事を考えても、何の得にもならない。考えてはいけない。考えてはいけない。そう言い聞かせながら、黙々と田んぼ道を歩く。

40分ほど歩いたところで、さび付いていた関節がようやくスムーズに動くようになったのを感じた。うまい具合に人にあわずに済んだ。
体力はずいぶん落ちているけれど、焦らずにゆっくり回復させていこうと思う。

のどの渇きとお腹が減ったことを感じる。ようやく、身体が戻ってきた感じがした。




臥床しながら考える。

2022-08-24 19:56:59 | 日記
身体はずいぶんよくなり、本も少しずつ読めるようになってきた。時々立ち上がると貧血のように体がふらふらするけれど、今の所、比較的軽い症状で済んでいる。

これまでに何度か発症までの経緯を思い返してみるも、依然としてどこでもらったのか見当がつかない。それが不思議である。保健所の人にも尋ねたところ、「そういわれる人は多いです」との答え。
目に見えないだけに、どうすることも出来ないという事実だけが残る。

そんな状態だから、ニュースを観ていても、感染者は増えるばかりなのも仕方がないのであるが、その状態でも貨幣を循環させようとしているのだから、歯止めは聞かない。
しかし、人とモノの動きを留まらせるような政策は、富豪さんの機嫌を損ねる。

貨幣の循環を優先する事によって、罹ってしまった人や医療現場の人は本当に大変な思いをしているのであるが、政治家さんは、なにもしない事が、富豪さんに迷惑をかけない事なのだから、下手に手を打たないのが、自身にとって得策であると考えるのではないかと思う
こういう構造を覆すには、現在大変な目にあっている人達が次の選挙は現在の野党に投票すると宣言すればよいのであるが、政治に失望したままでいてくれた方が、次の選挙にも当選しやすいから、なにもしないで政治に失望させておいた方が政治家さんにとっては好都合なのだろうと思う。
それが、日本の将来を見越した布石なら仕方がないとは思うが、その是非はわからない。

そんな事を考えながら、思い至ったのは、「新自由主義」「シン資本主義」というよくわからない思想の定義は、「富豪が、より豊かになるための経済」に、なるのではないかと思った。

濃厚接触者である人は・・・。

2022-08-23 17:29:11 | 日記
病院から帰ってくると、妻は「やっぱりね」と言った。
どうやら、最初から疑っていたようである。そしてクイズ番組の難解なクイズを解いた時のようなしたり顔である。

なんだろうなこの人は、と思いながら、「そんな事だから、実家へ帰った方がいいんじゃないか」と言うと、即答で「もう感染しているかもしれないから動けない」と言い切り、続けざまに僕にあれこれと指示を出す。
こういう時、全権を委ねるしかないので素直に従い、早々に隔離部屋で臥したのであるが、確かに妻も感染していないとは言い切れない。何か打つ手はないかと一瞬頭をよぎるものの、すぐに思考は停止して深い眠りについてしまった。
その間に、妻はネットで色々調べ、僕が次に目が明けるまでに、感染対策を強化させていた。マスクを外して寝ていると、様子を見に来た妻に「マスクして」と凄く迷惑そうな顔をして注意され、「もうちょっと優しくできんものかな」心に思ったが、価値観が真逆の人は、こういう場合には功を奏するのでは思った。

翌日、妻にも咳が出てきて、「これはヤバいかも」と言いだしたが、次の日には早々に取り寄せた抗原検査キットで検査すると「陰性」と出て、僕にキットでの検査結果を見せに来た。
「よかったね」とガラガラ声でいうと、なぜか不満そうに、「病院に行って診てもらってくる」と言って、再びネットを駆使して、どこかの病院で受診を取り付け、診断してもらうと、「アレルギーだって」と、薬も貰ってきていた。

インフルエンザの時もそうであるが、妻にはうつらない。潔癖な性格が防衛に強く働いているのかもしれないが、狭い空間なのにと思う。

そして、現在。妻は発症せずに、「アレルギー」の薬を飲みながら普通に仕事に出かけている。
心身の弱さは自覚しているけれど、いったいこの差はなんだろう。

ついに到達してしまった。

2022-08-22 17:24:32 | 日記
朝、布団から出ると体が重かった。時々陥る症状であるから、いつもの事かなと思い洗面所で顔を洗う。顔を上げると片頭痛もある事に気づく。憂鬱な気持ちになり食卓に着き、妻に「なんだか体が重いんだよ」と、何気なく言うと、「夕べ、久しぶりにいびきが大きかった。猫も何度も見に行ってた」とあきれていた。
やっぱりなぁと納得し、とりあえず体温計を取り出して、脇の下に挟む。
体温は37.5℃。
これはどうしたものかと考える。微妙な微熱だがコロナ過では初めてである。焦る心を落ち着かせながらとりあえずご飯を食べる。コロナ感染なら、味覚嗅覚がダメになるというのは定説。
しかし、お味噌汁の香りはよい。ご飯の味もしっかり伝わる。目玉焼きの白身と黄味の違いもしっかり判る。嗅覚味覚共に良好である。
一安心し、とりあえず職場に連絡。事情を話し、休むことを伝える。
そして微熱の原因がなんであるのかを確認し、わかり次第連絡する事を伝える。

面倒なことになったなと思った。これくらいの熱なら、風邪薬を飲んで半日寝ていれば回復するところであるが、時節はそれを許してはくれない。

スマホを手に取り、県のホームページからコロナ関連のページへ。
24時間対応している連絡先を見つけ、すかさず電話してみる。
つながりはしたが、混みあっているので時間をおいてかけ直せ留守電が告げている。
その後、何度もリダイアルするが、結果は同じ。考えていても仕方がないから次は市の保健所へ。
しかし、つながらない。まったくつながらない。これはどうすることも出来ない。
次の手を考える。ゴリゴリと検索していると発熱外来というのを見つける。
実施している病院の一覧表を見ながら、診察券を持っているクリニックを見つけた。
即電話。ここもまたつながらない。診療時間内なのにつながらない。同じことを考えている人が予想以上に多いのだと思い、残るは総合病院しかないと判断。

総合病院に電話し事情を話すと、気持ちを汲んでくれて、相談に応じてくれた。電話口からは忙しさが伝わってくる。簡単な問診をしたのち、発熱外来は終了したが何とか見てくれるとのこと。一安心である。一通りの手順の説明を受け、受診は午後からに決まる。
ようやく活路を見出したのは午前10時過ぎ。かなりエネルギーを消耗する。
検温してみると37.5℃。まだ大丈夫だ。口に含んだ麦茶の味もしっかりしている。
12時までアイスノンを頭に敷いて仮眠。

タイマーの音に驚いて目覚める。だるい体を奮い立たせ、身支度を済まして病院へ。

電話で言われたとおりに病院からの指示に従い受付を済ませ車内で待機。
いつもより長く感じる時間を車内で過ごしていると、携帯に連絡が入る。再び指示に従い、車を移動しドライブスルー形式の受診を受ける。前には車が一台のみで、早く済みそうかなぁと思っていると、完全防備の看護師さんがやってきて、簡単な説明をされて、渡された用紙に必要事項を書き込む。前者の人が終わると、車を進めて待っていると次の指示が出た。
用紙を渡して、車から出ると、小さなプレハブの窓の前に立って、テレビでよく見た細長い綿棒で鼻の奥底の粘液を採取され抗原検査を受ける。
看護師さんの指示に従い、再び駐車場で待機。ラジオを聞きながら連絡を待っていると、ようやく携帯が鳴り、受診された場所まで再び車で移動すると、用紙を渡され陽性であることを告げられる。まさかと思い「よっ、ようせいですか? 」と聞き返すも「陽性です」と言い切られる。

仕方なし・・・・・。

上の空の中、職員さんから、支払いは症状が出なくなってから来てください、処方される薬はなく常備薬で対応してください、後から保健所から連絡がありますので指示に従ってくださいと告げられ、なんとなく「わかりました」と生返事を返す。
さて次に何をすればいいか・・・・・・。思いつくことからつぶしてゆくことにした。
まずは妻にメール。次に職場へ連絡。
家に帰ると、部屋は隔離モードになっていて、妻の指示に従い、手を洗いうがいして着替えた後、ゼリーを食べた後にインフルエンザになった時にもらったロキソニンを飲んで、再び寝床へ。
体温はいつの間にか38.5℃まで上昇していた。
目を閉じるといつの間にか眠っていた。

夕方ごろにショートメールが保健所から届き、必要な登録に取り掛かる。発症から10日間の隔離が必要であると記してあり、仕方なしとあきらめ、すぐにその旨を職場に伝える。
よく読んでいればサクサクできるはずなのに、完了させるのに30分ほどかかり、保健所からの連絡は、電話ではつながりにくいのでショートメールでのやり取りへと変更となったことを知った。

登録を完了すると、急に疲れが出て再び寝床にダウン。

妻が夕飯を持ってきてくれたが、いつもの量に加え、おかずが炒め物だったのでちょっと驚きながらも、「負けてたまるかっ」と気合を入れて、時間をかけて完食。
失われるのではないかと思っていた味覚も嗅覚も依然確保できている。症状としては、のどの痛みと、悪寒と、頭痛と、鼻詰まりという、風邪の症状と変わらない。

しかしである。家と職場、いつものスーパーとホームセンターとコンビニと本屋という限定された行動範囲で、手指消毒、マスクも怠らずにしていたと言うのに、いつ、いったいどこで、誰から、もらったというのだろう。記憶を辿ってもさっぱりわからない。

歯を磨き、シャワーを浴び、着替えて再び寝床に着く。電気を消すと知らないうちに眠っていた。

そこから、2日間、朝ごはん、夕ご飯、シャワーの前後、保健所への体調報告のわずかな時間以外はずっと眠った。24時間のうち、21時間が睡眠時間となっていたので、もうこのまま死んでしまうのだろうかとも思ったが、8時間を開けて4錠服用したロキソニンと、その後に変更したパブロンはなんとか解熱へ向かわせ、少しずつ目を開けていられるようになっていった。

そして現在、薬を飲まなくても体温は安定し、ようやくパソコンを開いて、6日前の出来事を思い出しながら記録を残している。
あと4日間はこの部屋から出られないのであるが、もともと出不精であるので不自由を感じない。意外だったのは、症状のせいか、嫌なことも、心配事も頭の中から消えて、むしろ少しすっきりした気持ちでいられている。

テレビをつけると、いつの間にか甲子園の決勝戦は終わっていて、換気の為に窓を開けると少し涼しさを感じる風が吹いていた。

8月15日。

2022-08-15 17:56:02 | 日記
8月15日。正午のラジオのニュースは終戦記念日の事が端的に報じられていた。

77年前の出来事であるが、たった77年しか経っていないのに「このままでは戦争に突入してしまうのではないか」と、言う声も聞こえてくる。

介護職に就いていた時に、高齢者が語る戦時中の話には耳を傾けようと心がけ、沢山の人たちから様々な体験談を聞いた。そして、皆、「戦争はあかん」と口をそろえた。

しかし、どこにでも、他者の命より自身の私欲を優先したいという人がいる。
権力を行使し、事実を巧みにぼやかし、利益を得るために人と人とを争いの場に立たせる人がいる。

そして、人類は兵器を手放すことができずにいる。

想像力は無力なのであろうか。

人類はどうやって誕生したのか。

2022-08-13 09:35:55 | 日記
NHKのラジオ放送を聞いていると、ちょっと興味をそそられる情報が語られていた。
「人が進化の過程で言語を操れるようになったのは喉の構造が単純で安定して音が出せるからだという研究結果を京都大学などの研究グループがまとめた」と言うものである。

研究過程で43種類のサルの標本を比べた所、どのサルにも声帯の近くにヒトにはない「声帯膜」と言う組織があったという。

なるほどなぁと感心しつつ寝床の上でぼんやり考える。

進化は、種の保存と環境に適応する為に長い時間をかけて身体を変化させてゆく、まさに「神の御業」のような細胞の活動である。
人類が進化の過程で声帯膜なくなったとしたら、祖先はなぜそれを望んだかである。
言語を獲得する為に進化させてきたのだとしたら、言語を欲したという事になる。
単純なコミュニケーションをとるなら「ウホ、ウホ、ウホホ」でもよかったのに、複雑な言語に欲望したのはなぜだろう。
もし、今のおサルさんも言語に欲したら、言語を獲得する過程の種も存在しているはずである。

そう考えた時、やはり、人類はサルから進化したとは考えにくい。
じゃあ、人類はどうやって忽然と誕生したのか。
これからの研究に期待したいところであるが、もうどこかではその謎は解明されていて、何かの不都合により私たちに開示されていないだけなのかもしれない。



さらば、愛しきガンマン。

2022-08-09 17:53:04 | 日記
小林清志さんが鬼籍に入られた。

物心ついた時からブラウン管のテレビで観ていた「ルパン三世」。
回を重ねるうちに、次元大介と言うガンマンをカッコいいと思うようになった。
アニメや漫画から離れた時も、なぜかテレビで放映されていると何気に観ていた。
その時も次元大介はカッコいいと思った。

小林清志さんの声は様々な番組で聞かれたが、小林さんの声を聞くと思い浮かべるのは「次元大介」だった。

Part6では、一話のみの吹き替えとなったが、声が聞けて嬉しかったのと同時に、笑い声がかすれてしまっていることに気づいた。

物心ついた時から聞いていた声である。その僕もいいおじさんになってしまったのだから仕方がない事だよなと感じた。

2話目から大塚明夫さんへバトンが渡された。大塚さんと言えば「バトー」のイメージが定着しているので、どうなのかなと思ったが、大塚さんの声もすごく素敵で違和感を覚えることなく最後まで観る事が出来た。

原作者も、part1からの声優さんも、この世から居なくなり、さみしい限りである。しかし、「ルパン三世」という漫画に魅了される人がいる間は物語は続いてゆくのだろう。

小林清志さん。お疲れさまでした。そして、ありがとうございました。

ついにたどり着いてしまったか。

2022-08-01 09:10:02 | 日記
僕の生活圏内の半径10メートルでコロナウィルス感染者が出た。

長い時間をかけ、変異を繰り返し、ワクチンをすり抜け、人類の間を巡り、ついにここまで来てしまった。

しかし、これは仕方のない事である。

海外で変異株が流行し始めたら渡航者を制限しなければならない所を、海外では規制緩和が進んでいるのだから、渡航者の制限も緩和するという方向に舵を切って、その結果変異株が流行してしまったのだから。

それは、政府の失策と言えるかもしれないけれど、緩和しないとした時に、経済の回復が遅れれば批判されてしまうのだから、判断はギャンブルみたいなものである。
ただ、ウィルスそのものが、まだ常態化していないのだから、落ち度があるとしたら、「もう大丈夫なんじゃない」と、考えた人全員に落ち度があると言える。

科学力で抑制するか、人類が抗体を持つかしない限り、息苦しい日常は続いてゆくけれど、明日は我が身と心得、コロナ過でのルールを守って、静かに過ごしていきたいと思う。