硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

何が問題なのかわからない。

2022-07-30 16:53:45 | 日記
自民党、総務会長福田達夫さんが、旧統一教会との関係性についての「何が問題なのかわからない」というコメントが物議を醸しだしている。

国会議員は、国民の生活を守るのが仕事であり、国民の生活を守っているから国民の税金を給料として頂けているという大前提で国会議員と言う仕事が成り立っている。
だから、旧統一教会の布教活動によって家族崩壊してしまっている事実があるにもかかわらず、「何が問題なのかわからない」と、コメントされた事に疑問を呈した人も多いのだろう。

しかし、彼の感覚ではそれが正解なのかもしれない。

彼のお爺さんである福田赳夫さんは安部さんのお爺さんの岸信介さんに仕え、総理大臣に昇り詰めた人である。達夫さんのお父さんも、総理大臣になられた方である。
各家庭にしきたりやルールがあるように彼にとってもそれが福田家のルールなのだから、疑問を感じる余地はない。ゆえに、安部さんと思想は同じと考えるのが自然。

だから、「何か問題でも? 」は、彼にとって素直な回答であったに違いない。・・・・・・のではないかと思う。

知性とは ?

2022-07-24 21:13:08 | 日記
最近文章を読むのが億劫になってきた気がする。楽な方に流されているのも自覚しているが、本を読んでも、生きるのが辛くなるばかりではないかと感じる事が多いというのも原因の一つにある。

それでも、時々、僕の能力では上手く言葉にできずにいた感情を見事に言語化してくれている論考に出会うと、脳の芯が震え、一瞬幸福感に包まれる。

今朝の中日新聞の「視座」は久しぶりにその感覚に陥った。

筆者は田中優子さん。テーマは国家・宗教・個人である。

彼女は、中高をカトリック系の学校で過ごし教会で公教要理を学んだが、信仰とは何かが解らず洗礼を受けなかったという。
僕がそこに至ったのは40歳くらいであったが、彼女は15歳から18歳の間に至っていて、その理由として、「自分の中に沸き起こった関心が知的好奇心なのか、信仰なのか、判断が付かなかった」と、言語化していた。
早熟な知性にも驚きであったが、それ以上に彼女の文章は僕が長年引きずっていたもやもやを見事に言語化していて、目からうろこがこぼれる思いだった。
そして、そこからの文章も、僕のもやもやを見事に消し去って、さらに学びの部分も与えて頂けていたので、読後感がとても清々しかった。

田中さんは法政大学の前総長という肩書をお持ちの方なので、学のない僕がこんな感想を述べるのもおこがましいとは思うけれども、読後感の清々しさは偽りのないものである。

しかし、これほどに素晴らしい知性が、なぜ知識人の間で共有されないのだろか。なぜ、拒絶されてしまうのであろうか。それとも、彼女の知性には、どこかに間違いがあるのであろうか。共感した僕も間違っているのであろうか。
もし、彼女の知性が間違ったものでないとしたら、なぜ権力の前では無効になってしまうのだろうかという疑問が頭をもたげ、晴れやかだった頭の中が再びもやもやしてしてしまったのである。

信仰とは。宗教とは。

2022-07-15 19:55:38 | 日記
そもそも宗教とは、つらい世を生き抜いてゆくための指針であり、心の支えである。

現世のモノはあの世には持っていけないし、この世のモノを収めても、神仏へ代弁は本当に届いているのかもわからないし、奇跡はめったに起こらないものだから、宗教に絶望してしまう人ができるのである。

神社仏閣、教会はコミュニティーセンターであり、人生に迷わないために人々が集う場所であり、お布施はセンターを維持し運営してゆくためのお金であって、誰かの私腹を肥やす為ではない。
また、集めたお金で政治にコミットし資本を増やすために働きかけるモノではないし、政治家も信者の票を獲得する為に資本主義宗教に接触してはならない。

繰り返すが、宗教とは辛い浮世を生きてゆくための言葉であり糧である。
それを利用し、暴利を貪る様な宗教家は、祖の教えに背いている詐欺師に他ならない。

聖書を読まれている人ならご存じの言葉がある。

主イエスは言われた。

「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返しなさい」と。

完結として。

2022-07-11 18:30:18 | 日記
事態はあらぬ方向へと動いている。このままゆくと、宗教団体への批判が高まり、視点はズレて本質から逸れてゆくのではないかと思う。

そして、今日、早々に記者会見を開いているのをみて、こう考えた。もしかしたら、団体が注目を集めるのは、最初から織り込み済みだったのかもしれないと。

確たる証拠はないけれど・・・。

2022-07-10 20:31:17 | 日記
加害者の彼の供述が少しずつ出てきている。

気になるワードがあったので、昨日のお昼くらいに10分ほどネットサーフィンして目星をつけて明日さらに検索してみようとシャットダウンした。
今日、再び気になるワードを検索して10分ほどネットサーフィンしてみると、様子は変わっていた。
確たる証拠もなく、感覚的でしかないけれど、情報が操作されている気がする。

トランプ元大統領とバイデン大統領は今回の事件を「暗殺」と表現している。
常に世界を把握する為に活動する諜報機関を有するアメリカの主が出すコメントである。
しかし、幕引きはJFK事件の時のようになるかもしれない。

選挙に行く理由。

2022-07-09 22:06:26 | 日記
明日は参議院選挙投票日。だれに投票しようか迷っている。珍しく地元テレビの政見放送もしっかり見ていろいろ考える。

基本的な事として、今回は参院選挙なのだから、その役割は衆議院で可決された法案を吟味する事にある。したがって、衆議院で過半数を占めている政党に票を投じてしまうと、民主主義であるから、衆議院で可決された法案が通りやすくなる。
だから、法案を吟味してもらえるようにするには国会を意図的に「ねじれ」させておかなければならない。
それが真の民主主義国家であるのではと思う。

そして、野党と呼称されている様々な党のどこに票を投じればいいのかであるが、これが難しい。
自分の考えに一番近い政党に票を投じるのが正しいと思うが、政治家を目指す人が当選した途端に政治屋に変わってしまう危険性もあるのでうかつには票を投じれない。

白票でもよいのであるが、それならば、人気のある党に投じるのと同じになってしまうので、やはり、どこかには票を投じたい。

僕の願いは、平和で退屈で平凡な社会。

蛇口をひねれば飲み水が出て、電気のスイッチを入れれば明かりが付き、排泄がしたくなったらトイレで排泄ができて、お腹が減ったら、働いたお金と交換して、食べ物を食べる事ができて、少しの贅沢と暇つぶしができるそんな社会。

当たり前じゃないかと思うかもしれない。でも、それは先人たちの犠牲の上にその社会は成り立っているだけであって、現代に生きる人たちが破壊しようと思えばたやすく破壊できる世の中である。

誰に票を投じたって何も変わりはしない。それはわかっている。
でも、考えて一票を投じれば、僕の思想は守られる。

まだ、時間はある。布団の中で眠りにつくまでじっくりと吟味したい。



いつも僕はMinority

2022-07-08 21:38:49 | 日記
職場での休憩中。スマホを観ていたおじさんが、少し興奮気味に元宰相の悲報を口に出した。
近くには僕しかいなかったので、それに対して、「因果応報。仕方がないですよ」と答えた。すると、「そんな考え方は遺憾だろう」と、責められた。

家に帰ると妻が、「なんだか悲しい」と僕に言った。テレビは特番が放映されていた。
「悲しくないの? 」と問われたので「何も感じない」と答えると、怪訝そうに僕を見て「なんで」と言った。

僕は、政治を語る事とは、自身の思想を語る事であると思っている。
しかし、思想を口にしなければならない時、常に少数派になってしまう僕。
だからデリケートな話題にはなるべく口を噤むようにしている。

歴史から得た知見をもって、思想を語ってくれるのであればいくらでも耳を傾けるし、止揚を目指す事もできると思うが、ありふれた上面の情報に、感情を乗せて思想を語られると、頭が痛くなり気分も悪くなり、その場から逃げ出したくなる衝動に駆られる。

僕が批判される理由もわかる。たしかに功績は大きいし富裕層には恩恵も多く、支持率の高さから考えても人望も厚い人であろう。
しかし、英雄視され、神格化され、国民が熱狂すれば、誰かの思うつぼである。

隣国との緊張が高まる中、こういう時こそ、冷静になり、515事件からたった90年しか経っていないのであるから、その後国がどうなっていったのかを十分に鑑みなければならないのではないかと思うが、このような考え方も、きっと少数派なのではないかと思うし、理解されにくいのではと思う。

ただ、言えるのは、どんな思想であろうとも、殺人は違法であるし犯罪であるのだから、法治国家である日本では、公平な裁判と、法によって裁かれなければならない。

山手線。

2022-07-07 09:47:06 | 日記
朝テレビをつけると、駅員さんがすごい剣幕で起こっている映像が流れた。
乗客が線路上に落とした財布を拾ってほしいとお願いするも、駅員さんが拒否している様子であった。

その部分だけ見ると、なぜ駅員さんが起こっているのかがさっぱりわからない。
解説を聞いてみると、財布を落としてしまったので自分で線路上に降りようとしたところを、駅員さんに止められ、拾ってほしいと頼んだところすぐにはダメだと言われたため、乗客は非常停止ボタンを押して、過密運行を続けている山手線の外回り内回りの電車を止めてしまってからの映像であるらしい。

分間隔で運行している山手線の利用客は一日に100万人近くの人が利用しているようなので、その中には彼以上に困っている人が存在している可能性がある。
また、非常停止ボタンは、人の命を守るための装置であって、個人的な要求を満たすための装置ではない。

それなのに、沢山の人が電車に乗って移動している最中にもかかわらず、「なぜ、私のための動いてくれないのか」「私は大変困っている」の方が優先されなければならないのであろうか。
そして、運行にかかっているコストよりも個人のお財布が優先されなければならないというのであろうか。

財布を落としてしまって焦る気持ちはわかるけれども、大勢の人の命を預かっている公的機関に踏み込んでいるのだから、ルールは公的機関にゆだねられなければならないと考えるのが普通である様に思う。

あの映像は、あの部分だけであると、「私は悪くない」「これはパワハラだ」というメッセージと自己の行為をたくさんの人に肯定してほしいという意図が伝わってくる。
しかし、個人的な要求を満たす為に、人の命を守るための非常停止ボタンを押しているのであるから、彼が画像を拡散したことは迷惑行為の上塗りと言えるのではないか。

したがって、駅員さんが激怒しているのは、彼が危険で間違った行為をしているからであり、自分の非を認めようとしないからといえる。

もしこれで、財布を落とした彼の言い分が正しいという事になれば、今後、日本の鉄道は利用者にとって大変不自由になってゆくのではないかと思う。

そして、この事象を報道したテレビ局は、彼がこれから、どのような理由でどのような処分を担わなければならなくなったのかをきちんと取材し報道しなければ、報道機関としての責任は果たせないのではないかと思うし、SNSは大変便利なツールであるけれども、過ちをひっくり返すために拡散したいのであれば、ひっくり返す事に失敗した時、他者を非難した以上に非難を浴びなければならなくなるリスクを承知の上で自己責任を意識して拡散しなければならないのではと思う。

この出来事は、鉄道ファンとして、とても悲しい出来事であった。

上京雑記。

2022-07-04 10:26:24 | 日記
4年ぶりに上京した。
コロナウィルスの広がりが少しずつ収まってきた事と越境が緩和された事とまとまったお休みができた事で、この機会を逃してはならないと重い腰を上げる事にした。

目的は、3年ぶりに列車に乗る事とときわ荘を観に行く事である。

列車に乗ることが生活の一部なら日常であるが、列車に乗ることがないので、何もかもがとても新鮮に感じた。そしてなによりも新鮮だったのは乗客のすべての人が梅雨明け後でもマスクを着用している光景であった。
コロナ過以前ならありえない光景であるし、冬場でも常にマスクを着用していた僕がマジョリティーに移行したのは不思議に感じる。
3年ぶりに聞く車内アナウンスはたどたどしさが残る女性の声であった。車掌さんに成り立てなのかなと想像してみた。
そして、駅から発車する時のホームアナウンスが最後に「安全よし」という言葉で締めくくるのも以前にはなかったものであった。

名古屋駅に着くとその人混みに圧倒されつつも、気合を入れてJRの新幹線乗り場へ向かう。
いつもなら、のぞみの指定席を購入するのであるが、列車の旅が目的であるので、各駅停車「こだま」の自由席を選択しいざ東京へ。

果たして座れるだろうかと心配したが、車内は三分の一程が空席であった。まだ、コロナウィルス感染の影響が出ているのであろう。
荷物を膝に置き少しシートを倒し少し車窓から外を眺める。列車が動き出すと景色ゆっくりと流れてゆく。そして新幹線独特のヒューと言う加速音が聞こえてくる。
この瞬間、遠くへ行くのだという気持ちが高揚する。
タンタンタンタン、タタン♪ と言う音楽と共にアナウンスが入る。車内販売をしていないというアナウンスが今を物語っている。そういえば、キオスクも少し様子が違った事を思い出す。目に見えないウィルスの脅威は今まで構築してきた物事をいともたやすく破壊してしまったのだなと思った。

いろいろ思いを巡らせながら外の景色を堪能していると、全日警の方が車内に入ってきた。
一瞬「えっ」と思ったが、ならず者の為に警備する人が必要な時代になったのかと理解した。

各駅停車は時間がかかるが、停車駅の周辺がじっくりと見て取れてなかなか楽しい。
20代の頃は時刻表を片手に在来線のみで移動したことが数回あるが、昔過ぎて駅の記憶が残っていない。記憶をたどっては見るが、なにも思い出せないのが残念だった。
また、東海道線と言えば「ムーンライトながら」が思い出深い。
何回かお世話になったが、今はもう存在していないようである。
死ぬまでにもう一度、時間とお金を気にせずにのんびりと在来線の旅もしてみたいなと思いながら、愛知を斜めに南下し、横に長い静岡を越え、神奈川を斜めに北上し、用意してきた文庫本を一度も開くことなく東京へ。

事前にスマホで検索した通りに、品川駅で下車し、山手線の外回りに乗るコースをたどる。
品川駅構内の構造もほとんど分からないので、びっくりするほどの人の波の中を泳ぎながら表示案内を頼りに歩いてゆき無事に山手線外回りのホームにたどり着く。

ホームにつくとすぐに列車が入ってきて、迷わず乗り込む。
戸惑うのは、どこを歩いていても驚くべき人の数である。

介護職員時代に覚えた島倉千代子さんの「東京だヨおっかさん」という歌に、「お祭りみたいに賑やかね」という歌詞があるが、地方から出てくると、この歌詞の意味がよくわかる。わかるようになったなとしみじみ思う。

山手線の車内はよく冷房が効いていて、暑さで茹だり切った身体を癒してくれた。
汗を拭きながら上部を見ると液晶画面に映し出される広告が目まぐるしく情報を与えてくる。ぼんやり見ていても情報が入り込んでくる。
中吊り広告も健在ではあったが、デジタル画面の広告は、つねに動いていて、目に留まりやすく、乗客が持つスマホは検索エンジンを搭載しているので、広告が気になればすぐに検索できる体制にあるというのも時代にマッチしているのであろうと考えた。
時代はデジタルへと移行していっているのだ。
そして、オンラインゲームの広告も普通に流れているのには驚きだった。
昭和の高度成長期位にこの世に生を授かり生きてきた者にとっては、本当に不思議な事象である。「ゲームなどは子供のやることだ」という空気感は、ゲームを愛し続けてきた人たちの手によって、マイノリティからマジョリティへと移行させ、ゲーム開発を大きな対価を生むという事業へと押し上げたのだ。

駅に掲示されている大きな広告も漫画やアニメを扱っていて、驚きと嬉しさがごっちゃになる。
いつのまにかアニメや漫画は日本の文化の一つと認められ、普通になってしまった。
サブカルチャーが好きな方だという意識はしていたが、いつの間にか時代遅れになってしまったと首都に来て痛感した。

駅に着くたびに目まぐるしく乗り降りする人々を見ながら、これでは感染者数が高止まりしても仕方のない事であるし、地方からではわかりにくい事なのだなと感じた。
そして、多くの人々が何かの理由で移動し、その移動には対価が発生していて、多くの人が移動すればするほどお金は運動し、お金の価値が最大限に発揮できる場所が東京なのだと腑に落ちる。その反面、人の移動とエネルギー消費は等価交換であるという事実。
これだけ多くの人々の生活を支える電気エネルギーを原発で支えられてきた首都のエネルギーを今後どのようにして補っていくのだろうかと考え込んでしまう。

池袋駅に到着すると、人に押し出されるように列車から排出される。右も左もわからない。激流の中で留まることは難しく、構内の柱を掴むように流れの裏手に周りしばし休息。
スマホを取り出し西武池袋線へのルートを探る。本当に便利である。これがなければうろうろしてしまう所である。
案内掲示板とスマホを頼りに、お祭りみたいに賑やかね状態の池袋駅構内を歩いてゆく。
田舎では浮いてしまうようなファッションや露出度の高い服も周りに溶け込んでいる。
華やかさと刺激が強すぎる街では価値基準の平均が高いのだろう。それは人の欲望をかき立てる環境だから人々はこぞって消費してしまうのだろうかと思いながら目的地を目指す。
今思い返しながら記しているけれど、どこをどう歩いてたどり着いたのかさっぱり覚えていないが無事に西武池袋線にたどり着く。路線図を見て、料金を確認し切符を買う。
ほとんどの人々は、自動改札口でカードなどを押し当て通過してゆく。ピッ、ピッ、と言う音が4ビートの勢いで鳴り響いている。

電子掲示板を探し、発車を待つ電車の行く先を確認しつつ列車に乗り込む。ここでもお祭りみたいに賑やかね状態である。
開閉扉を背に立っていた僕の前に夏の制服を着た女子中学生が立ち、しかも僕の存在が透明人間であるかのように、周りに囚われずスマホを巧みに使い、時々会話しているようにも見えた。何を操作しているのか大変気になったので、気にならない程度に観察させてもらっていたが、何をしているのかさっぱり分からない。しかもリュックのサイドポケットにはかなり読み込まれた文庫本があった。彼女を構成する要素から察すると、情報処理能力が極めて高いと推測される。僕にとっては最強と思える存在である。

この少女があと10年したらどんな世の中になっているのか、彼女はその頭脳を駆使して何者になるのだろうかと考え、ため息をつく。

電車は見知らぬ街の中を通ってゆき、目的駅である椎名駅に到着すると、不穏なアナウンスが流れていた。
炎天下の東京。コロナ過の東京。希望と絶望が何層にも積み重なった人や物がすごい勢いで流れている東京。人が多ければ多いほど競争も激しいであろうし、素晴らしい交流もあれば、妬みや誹りもそれ以上に多かろう。そのような状況下では、生きづらさも感じやすくなり自身を見失ってしまうのではないだろうかと思いながらスマホで目的地を検索するも、なぜかうまく作動しなくなっていた。
そう、僕の機種はauだった。

悩みながらも駅を出て案内掲示板を探すと地図があった。
「ときわ荘」は観光資源であるから豊島区も力を入れてくれているのが伝わってくる。
本当にありがたい。
線路沿いの細い道を歩いてゆき左に曲がると、目的地が路面に表示してある。
本当に助かった。
炎天下の中、汗を拭きながら目的地を目指す。マスクの中も汗で湿ってきている。
少し細い路地に入り人がいない事がわかるとマスクを取って汗を拭き、本日三本目の水をごくごく飲み塩分チャージのタブレットを口に放り込む。しばらくタオルで口元を隠し、時々深呼吸すると、向かいから自転車に乗ったおばさんがマスクをしていない僕をじっと見てくる。思わずタオルで口元を抑える。
人類におけるウィルスの拡大は人類が存在している以上避けられない事象である。したがって、人が作り出したガイドラインに沿って対応してゆかねばならない。
それが、秩序と治安を維持し安定させる。それを同調圧力と呼ぶのかもしれないが、個人的な思いはそれぞれでありつづけるし、個人の脳の中にある思想まで統治することはできないのだから、早くこんな世は終わればいいのにという結論にたどり着く。

路地をずんずん進むと、伝説の漫画家が良くお参りしたというお地蔵さんが家と家の間にひっそりとたたずんでいた。
田舎では考えられないレイアウトに驚きながらも静かに手を合わせ旅の無事を祈る。
商店が連なる歩道を歩き続けてゆくと、街灯の上部に「ときわ荘まんがミュージアム」の看板が、残りの距離を示してくれていた。
さすが豊島区! 

その看板を目標として歩んでゆくと、左手にときわ荘公園が見えてきた。
公園に入ってゆくと木陰で涼を取っているおじいさんと、スマホ片手に楽しげに話しているカップルがいるだけで、実に静かであった。
もちろん、下調べをして来ているのであるから、リニューアルオープンは数日後であることは承知している。
別に中は入らなくてよいのである。巨匠たちがいた場所。聖地とも呼べるところに来たのだから。
静かなときわ荘を写メに収め、しばらく佇む。
ついに来た。喜びがじわじわ込み上げてくる。汗もじわじわ噴き出てくる。少しぬるくなった水を飲み建物をじっと見る。
いつか来ようと思っていて、来る機会を失い続けていたので実に感慨深い。

木陰に入りベンチに座り少し休憩。それでも、暑いものは暑い。
もし、重い腰を上げる事が出来たらまた来よう。そしてこの街をもう少し散策してみようと思いながら、早々に後にした。つながりにくいスマホに頼りながら東長崎駅を目指す。
途中、豪商岩崎家の軒で暑さから避難。都内にもこんな建物が残っているのかと感心。
しばらく歩き、細い路地を右へ。その先には踏切が見える。もうすぐだ。
踏切の手前を左に曲がり道なりに進んでゆくと、ようやく駅が見えてきた。
ホームにはたくさんの人が待っていて、想定外の出来事と異常ともいえる暑さにぐったりしているように見えた。
駅のアナウンスに耳を傾けると、まもなく復旧すると告げていた。
駅の階段を上がり切符を買い、ホームへ続く階段を下りて人の列の最後尾につく。
しばらくすると椎名駅で止まっていた列車がホームに入ってきた。
ずいぶん歩いてきたが、この列車に乗ってきたのかと不思議な気持ちになる。
そして、池袋行きの列車が入ってくる。この車両で・・・。と、言う所で思考を止め人の波に乗って列車に乗り込む。列車の中も地元の通勤時間の列車内位に人でいっぱいである。
クーラーの風は冷たい風を送り続けているけれど、熱くなった身体が冷える事もなく、とめどなく汗が噴き出てくる。麗しきお嬢さん達の迷惑にならぬようにと小さくなって首に巻いたタオルで汗を拭く。
駅に着くとスマホがほとんど機能しなくなっていた。構内に入ってしまうと真っ白な画面がずっと続いていた。つながるのを待ち次の目的地を探る。駅から2キロ弱。
暑いけれど歩いてゆこう。そう決心して本日4本目のペットボトルを開け、夏目先生のお墓へと足を進めた。

迷いながら池袋駅を出て、雑司が谷霊園を目指す。スクランブル交差点の向こうに雑司が谷霊園の表示が見えた。
豊島区さすがです。

信号が青に変わる。一気に人が歩き出す。どんどん引き離されてゆく。歩行者用の信号機の青い点がみるみる減ってゆく。三重県モードで渡っていては渡り切れないと気づき小走りをする。
ぎりぎりで渡り切る。つくづく田舎者なのだなと実感する。

ビルとビルの間に続く道を歩いてゆくと、飲食店の前に人の列ができているのを見た。もうお昼なのだなと気づく。暑さのせいか食欲も湧かないし、モードを切り替えて信号を渡ったせいか若干速足になりながら、頼りにならないスマホを片手にどんどん歩いてゆくと、その先に緑と踏切が見えた。
ここを訪れるのは三回目であるから、見覚えのある風景にホッとする。

都電荒川線の踏切を渡り、墓地に続く細い道をゆくと、沢山のお墓が東京の街のように遠くまで並んで立っているのが見えた。記憶をたどりながら歩いてゆく。生い茂った木々の下は少しばかり涼しい。気持ち風も心地よく感じる。霊園の中央を走る道を左に曲がってゆくと、何かの作業をしている軽乗用車が止まっていた。その横に生花を販売していたお店があったはずであるが、家の周りには簡易フェンスが張られ、木々や草が茂っていてすべての活動を停止しているように見えた。時代は留まってはくれないのだ。
左手を気にしながら歩いてゆくと、少し大きな石碑が見えてきた。ああ、訪れる事が出来たと、またホッとする。

墓石の前で手を合わす。言葉にならない。ただ、もう少し頑張ってみますとつぶやく。
もと来た道をもどり、小泉八雲の墓石にも寄って手を合わす。帰化したとはいえ墓石も日本式。なぜと思って調べたら、キリスト教嫌いだったのですね。

都電荒川線に乗り大塚駅を目指す。小さな車両が満員である。しかも運賃は170円。
そんな少額でなぜ維持できるのかと驚く。そして、新しくなった大塚駅を見てまた驚く。人口が減少していると感じさせない力がここにある。
当たり前であるが、地方都市とは根本的に構造が違うのだから、都市のロールモデルにはなりえないのだ。

山手線に乗り東京駅を目指す。車内は比較的空いていた。座席に尻を落とし、疲れた身体を休憩させる。
液晶パネルの広告にも慣れ、流れてゆく窓の外の風景や目まぐるしく入れ替わる人々を見ながら、ふと気づいた。

様々な事が変化していたけれども、最も変化していたのは、窓に移った老いた自分の姿だった。