硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

映画「マンデラ 」を観る。

2014-05-29 21:22:49 | 日記
ただいま上映中の「マンデラ 自由への長い道」を観る。前南アフリカ共和国大統領、故ネルソン・マンデラの自伝である。

この映画を観れば、勇気が出るのではないかという期待で見たのであるが、勇気どころか疑問だけが沢山残ってしまった。

マンデラさんの事をもっとよく勉強してから観れば手ごたえはあったかもしれない。いや、それ以前にマンデラさんの人生を160分で描くことがそもそも無理なのかもしれない。

しかし、物語を考えてみると、もしあれが真実なら、まず、酒場で出逢った男が身分証明書を忘れていなかったら、警察に連行されなかったら、泥酔していなかったら、彼は政治活動に身を投じなかったであろうし、最初の奥さんとも離婚せずに、(愛人は作ったかもしれないが・・・。)子供たちと平凡な日々を送り、弁護士と言う仕事に従事しつつ、マンデラさん自身が言っていたように、白人と同じような生活水準を持ち名誉白人として平和に過ごせたかもしれない。

アパルトヘイトにしても、オランダやイギリスが原住民を押しのけ植民地化しなければ起こらなかった事であろうし、アフリカの最南端へ重火器が渡らなければあれ程の血が流れずに済み、憎しみも増えなかったであろう。(おかしなことに人種争いが1990年代に入ると民族間での争いに変容した映像があった。その様子はざっくりと描かれているのでどうしてそうなったのかよくわからなかったが、狩猟民族なのだから争いは必然だったのかもしれない・・・。)

また、彼らを見下していた人々の不思慮もよく解らない。多岐にわたり文明が進歩している人達であるのに、肌の色が違うだけで、身体や頭脳までも劣っているとどうして思ったのだろうか。

マンデラさんはクリスチャンであったが、若かりし頃の躓きは偉業を成す為の道程だったのかもしれないと考えると、神の働きは本当に正確なものであったのかなと思ったのですが、物語全般を通して人の幸せを考える時、改めて幸福とは何だろうかという着地させることのできない想いが残ってしまったのです。

「憎しむ事が出来るならば、愛する事も出来る筈だろう。」確かこのようなセリフがエンディングで語られるのですが、普遍的な素晴らしい思想であるけれども何と難しい事であろうかと感じたのです。






SNSの有難さ。 少女達の希望。

2014-05-28 18:48:06 | 日記
SNSを通して被害にあった当人や、メンバーの人達がそれぞれの立場から自身の声で発信されていたことをニュースで知る。

そのコメントは前向きなものであるので驚きつつも、これ以上に辛い出来事を潜りぬけてきたのであろうかと少しばかり勘ぐってしまったが、どちらにしても、彼女たちはほんとうにアイドルと言う職業が好きなんだなという思いはとても伝わってくる内容であった。

今回の件から、ファンサービスの形態がどのように変わって行くのか分からないけれども、握手会を継続させてゆくなら、彼女たちを心から応援しているなら、公的なセキュリティーに頼りきるのではなくファン一人ひとりが彼女たちを護る事を意識してゆかなければならないのかもしれない。

何処にも改ざんされることなく発せられた勇気あるコメントが少女たち希望であるならば、それは、ファンの希望でもある。

もし仮に、これが商業的戦略の方針であったとしても、希望をいう気持ちはプライスレスなのだと思う。


少女たちは未成年なのだから・・・。

2014-05-27 08:10:22 | 日記
命に別状はなく無事退院となった映像が流れていた。少女たちは健気にも報道関係者に向け頭を下げた。

心身に受けた傷の痛みを考えると居たたまれない光景であり、少しばかり憤りのようなものを感じた。

少女達は一人で人気を背負っているアイドルではなく、大きなグループの中の途上中の未成年である。

それに対し報道関係者はもういい大人であろう。

理不尽な暴力の被害者となった少女達に対して、そっとしてあげた方がいいのではという配慮は出来なかったのだろうかと思った。

のこぎりで裂傷した部位の痛みはかなりのものであり、傷口はふさがったとしても、状態によっては麻痺やしびれ、PTSD等の精神的な後遺症が残るかもしれない。

今後の活動にどう影響が及ぶかまだ分からないが、少女達の未来がどうか明るいものであってほしいと思う。




アイドルとファンが構築してゆくもの

2014-05-26 08:05:14 | 日記
朝刊やニュースを観て心が痛む。AKBの人が暴漢に襲われたという。これは人気者の運命と言うべきなのだろうか。

握手会は、他者との距離を敢えて取らないことで親密感を増し、親交を深める事で消費を促すものであるから、安全性の担保は、簡易なセキュリティで留められており、その大半はファンの道徳観にゆだねられているというハイリスクなイベントである以上、こういった事件が起こらないとは言い切れない状態で続けられていたのだとおもう。

しかし、せっかくの楽しいイベントであるのに傷つける行為を行うという心理に至った経緯はどんなものであろうか。もしかしたら、好きな女の子にいたずらをする感覚が根っこにあるのかもしれない。

しかし、それは異性のファンであればどこかしらで持っている感情であるから、それ以外の大きな何らかの要因があるはずである。

もしかすると自身の行き詰まりの吐け口がたまたま自身とは対照的なAKBの女子に向けられたのかもしれない。

時間を持て余していれば、ネガティブに陥りやすいものである。

AKB商法と揶揄されている部分もあるが、その事でそこに携わる人々の生活が豊かになるであろうし、社会と葛藤し日々を懸命に生きている人にとって「癒し」や「憧れ」、「夢」や「希望」であり、それは対価を払ってでも得たい「救い」であるかもしれない。

それがアイドルと言う職業が担う心の支えと経済効果なのだと思う。

しかし、今回の加害者のような危険な考えをもつものが道徳の一線を越えてくると、イベントそのものの運営が危ぶまれ、親密度が減るということは、上記の逆説を意味する。一人の男の身勝手な行動により多くの人達の「幸福感」が失われるのである。

アイドルと言う職業は時代の象徴であり、誰かの歴史の一部になりうる存在であるから、ファンがアイドルを育てるという意味合いも分かる気がします。だからこそ、ファンが守って行かなければならないはずであるのに、ネットで誹謗中傷したり、アイドル自身が身をわきまえない発言をしたり、今回のような身勝手な人がいることが残念でならないが、アイドルもファンも人間だからこそ、特殊な関係性の中で人間性を構築させてゆくことが大切かなと思うのです。




名文。

2014-05-22 23:02:54 | 日記
今日の朝刊に大飯原発差し止め判決要旨が記載されていたのでじっくり読んでみた。

原発問題を考える時、僕の場合どちらつかずの論理を述べてしまうのは中庸を目指したいと言う気持ちが強いからですが、どちらから見ても中途半端でしかなく歯切れが悪くなってしまいます。こういう論理ではマキャベッリやサルトルなら怒るのだろうなと思いつつも上手く白黒つける事が出来ないのです。

しかしです。昨日の判決要旨を読んで感動してしまったのです。

ご存知の方も多かろうと思いますが、僕が特に感動した部分を抜粋しますね。

「たとえ原発の運転停止によって多額の貿易赤字が出るとしても、これを国富の流失や喪失というべきではない。豊かな国土に国民が根を下ろして生活している事が国富で、これを取り戻す事が出来なる事が国富の喪失となる。」

何という名文でしょう。霧のかかった眼前が晴れてゆくようです。何人たりとも揺るがす事の出来ぬ真理ではないでしょうか。

判決要旨で述べられた国富を考えた時、その道が遠き道であったとしてもやはり手放さなければならないのかなと思ったのです。

何を語るべきか。

2014-05-19 19:28:08 | 日記
コンビニで買い物ついでに「美味しんぼ」を読む。

テーマがテーマだけに上手く軟着陸させた感があるが、此処まで話題となってしまった後では不完全燃焼でもやもやする。

問題再提起という立場で物語を組み立てたならば、現状における事象を双方から書き出し、読者に物語の完結を見届けていただけるお願いを訴えながら物語を進めても良かったのではと思う気がします。

しかし、テーマがテーマだけに、首相すらこの話題を口にするほどなのだから、この辺りが限界があったのであろうかとも思ったのです。

昨日も述べたけれど、「美味しんぼ」ってめぞん一刻、YAWARA、に続いて面白い漫画だったのになぁ。




漫画は真実を語れるのか?

2014-05-18 21:52:48 | 日記
デリケートな問題なので慎重に思っている事を述べておこうと思います。

まず、目に見えないものに対しての真実を人は語れるだろうか。人は人の身体及び疾患の理由を100%理解できているだろうか。

ストーリーの型は基本、起承転結である。したがって表現者であるのなら結び終えることが表現者としての責務ではないか。

現実社会で苦しんでいる人をさらに苦しめる事になる表現は表現者と言えるだろうか。

言葉が足りないならば誠実に言葉を紡がなくてはいけない。

「究極のメニュー」・・・。連載当初は面白く読ませて戴いていたのだけれど、知らない間にどうしてしまったのだろうか。

社会問題を取り扱うなら、せめて作品を変えて新たなキャラクターたちで取り組んでほしかったと思う。


僕は変なのだろうか。

2014-05-17 19:28:46 | 日記
午後から書店に行きぶらぶらとしてみる。書店に入ってすぐの場所に、現在注目されている本が綺麗に陳列されている所から見てゆくのが僕の行動パターンである。

その中に10万部売れていると謳われている一冊を手に取った。前から新聞でも紹介されていて電車内でその本を読んで号泣した人がいるというフレーズが残っていたから感動するのかなと思いつつページを開いてみた。

「なるほど」と思いつつ読み進めてゆくとシンプルな絵と言葉が次第にしみ込んでくるのがわかった。

5分ほどで読み終え表紙を閉じる。しかし、号泣も感動もない。それどころか胸の中がズンと重くなる感じがした。 

「それでも僕は夢をみる。」生きる希望が湧いてくる良い本だと思う。しかし、僕にとってはなぜ心に響かないのだろうかという疑問だけが残った一冊であった。

 

考える。

2014-05-16 17:57:24 | 日記
集団的自衛権の憲法解釈変更について、色々考える。

以前にも記したけれど、大変難しい判断であると思うが、どうして武力をもたなければならないのかと思った。

武力をもつ事は護ることであり、攻める事である。犠牲を出すことであり、利益を得るものである。

誰かが攻めるから護る。では、攻める理由とはなんだろう。

豊かさ? 地位の向上? 権力を持つ事? 覇権を握る事? いったいなんだろう。

根本には豊かさがある。しかし、豊かさを得る為に武力が必要であるとは何と矛盾した事だろうか。

武力をもたねばならぬ理由。それは豊かさに対する嫉妬ではないだろうか。

際限のない欲望、豊かさへの執着ではないだろうか。たしかに誰もが豊かになりたいと願う。しかし略奪や搾取が永遠の豊かさをもたらすだろうか。

歴史は私達に何を語りかけるだろうか。

正義とはなにか。それは誰のための正義なのか。人が口にする正しさは本当に正しいのか。真に正しいのは神しかいないのではなかろうか。

真に正しい創造主がどうして争いを止めぬ「人」を想像したのであろうか。

考えた所で、世を変えられぬ事は出来ぬ。もちろん結論などない。しかし、よく考えねばと思う。 

久しぶりにグイッと来るテレビドラマ!

2014-05-13 20:09:02 | 日記
先日、新聞のテレビ番組の紹介欄を読んでいて「面白そう。」と思ったテレビ東京系の深夜ドラマ「リバースエッジ 大川端探偵社」を録画しておいてようやく観た。

こういう時の勘は良く冴える。

松田勇作さんの「探偵物語」以降の探偵物の雰囲気がこの作品にも感じられ、文句なしに面白いのである。

音楽もego-wrappinが担当しており、「ああ分かっているなぁ」と思ってしまいました。

そして何よりも登場人物がガンガン煙草を吸う。これが良い!! 僕はタバコは吸わないのだけれど、観ていて本当にかっこいいと思ってしまう。

観る人によってはさっぱりかもしれないけれど、久しぶりにグイッと来るテレビドラマに出逢った感じがする。

観終わった後、もちろん毎週録画に設定したのは言うまでもない。




穏やかな日々

2014-05-07 18:12:02 | 日記
少し肌寒い東風が緩やかに頬をつたう。五月のサイクリングはとても気持ちがよい。いつものコースを走っていても緑が鮮やかに写る。

海岸通りに出て堤防を走る。海の色はまだ青く水平線に浮かぶタンカーや対岸がよく見える。

漁港前の小さな公園に辿り着くと自転車を降りしばしの休息。すると、波打ち際で遊ぶ子供とそれを見守る女性の姿が見えた。
女性はヒジャブを巻いている。子供たちの肌の色は少し浅黒い。すると女性の旦那さんと見える体格の良い男が女性に近寄って行き笑顔を見せ何か話している。本当に幸せそうである。

そしてふと思う。イスラムの民がこの浜辺で噛みしめている平和と、私達が思う平和は随分違うのだろうと。

日常的に繰り返される、暴力や内戦もテロも心配する事がない。彼らの心情を想像することは出来るが、個人的な葛藤は多いが、生まれてこのかた、社会の平和が維持されている日々に生きる者としては心の底から平和な日々を噛みしめる事は難しい。

しかしこの浜辺で平和を噛みしめている彼らも境遇に恵まれた人であろう。遠い故郷に残る親や友は依然として不安定な社会の中で生活してるのであろうと思われる。

アッラーフの教えは本来共存することの大切さを説く。イスラムの民が一つの教えに到達する事を祈るばかりである。

少し悔しい。

2014-05-05 21:52:40 | 日記
姉が高校生の姪をつれて帰郷してきた。その際、姪は必ずマンガを持ってくるのでおこずかいをあげるついでにどんなマンガを持参しているのかいつも見せてもらっている。彼女のセンスは姉と同様少しメインから外れているが、かならずいくつか当りを引いてくるのでそれが楽しみの一つである。

挨拶をしに行くと、やはり床に寝そべってマンガを読んでいる。昔なら飛びついて来たのに覚めた感じで「こんにちわ」である。

そして、やはり漫画が何種類かつんであるのが見えた。「おおっ。ちょっと見せてよ。」といって手に取る。

まず表紙の絵柄を確認した後、ぱらぱらめくって話の筋をつかんでゆく。

こんなマンガが面白いのかと思いつつも、その中に一冊だけ引っ掛かって来たものがあった。ぱらぱらめくった後、もう一度じっくりと読み返してみるとなんだか面白い。おもわず「これってキュンとくるね。面白いわぁ。」というと、姪は満面の笑みで「そうでしょ!キュンキュンするでしょ!」と食いついてくるではないか。そして、「この漫画は4コマ漫画があって、そっちの方がいいよ。よむならそっちにしたほうがいい。」と助言してくれた。

スクェア・エニックスから出ている「堀さんと宮村君」である。オーソドックスなストーリーなのだけれど、それはわかっているのだけれど年甲斐もなくキュンとしてしてしまったのです。

買って読んで見ようかしらん。(笑)


ヘルパーさんの呟き

2014-05-04 20:31:29 | 日記
知人にヘルパーの仕事に従事している人がいて、久しぶりに会食することとなった。知人は女性であるので話の話題は多岐にわたり楽しい会食となったが、仕事の話となると少しばかり深刻になった。話を聞いていると、どうやらいろいろ問題があるようであった。

もうずいぶん前から指摘されている事柄ではあるが、その問題が一向に改善されないのには「サービスの提供」が人によって行われているからである。

「?」と思われる方も多いかもしれない。しかし、「人」である以上避けられない問題なのである。

それは、同じ事業所でも「ビジネス」と割り切れる人と「人情」で働く人が混在していて、そこに「差」が生まれる。法律上出来ない事であっても「人情」でやってしまうと「ビジネス」と割り切って働いている人にとっては煙たい存在になる。もちろんどちらも正しいから、どちらも譲れないので、職場の人間関係がぎくしゃくしてしまうという。

だから着地点が見いだせないままその場の話は次の話題へとジャンプしていったのであるが、一人になってふと考えた。

着地点がないのは、介護は医療とちがい目的が明確でなく、医療ならば病気を治す事であるが、生活援助となるとその振り幅が広すぎることと、専門的な事でないので、情に訴えられやすいからなのだと思う。

そして、提供する側にも同じ「生活」があるからである。

そう考えると制度が確立するには、まだまだ時間を要するであろうと感じるが、その前に介護保険自体が破たんしてしまうような気がしてならないのです。

しかし、それも私達が心のどこかで臨んでいることかもしれない。


憲法記念日。

2014-05-03 17:12:45 | 日記
新聞に目を通すと、集団的自衛権の解釈変更について様々な有識者がそれぞれの持論を述べていてホッとした。

なぜなら、これが解釈変更の声に偏り始めると今迄の価値観で国政を考える事は難しくなると思われるからです。

でも、不思議なのはなぜどこかの国で戦わなければならないのかである。戦わなければならない理由はあるかもしれない。でも、近年の戦闘で皆が幸せになったという話は届いてこないのはなぜであろう。

純粋に軍事介入により沢山の人々が幸福になっているのであれば、もっといいニュースが報道されてもいいはずであるのにいつまでたっても争いが絶えない。

どこの国でもどんな人種であっても肉親を理不尽な暴力によって奪われれば、怒りや恨みが残るであろう。赦しが無い限り断ち切れない負の連鎖が生じてしまう。

誰もが聖人でない以上、理不尽な暴力に身を投じれば、「見ず知らずの誰かに恨みを買う事」、「恨みを持ってしまう事」に繋がる。はたしてそれが幸福といえるだろうか。

しかし、ここまで経済が発展してしまっていると、経済と軍事行動が密接な関係である以上、無視する事はできないのも事実である。

また、再び大国同士がにらみ合いになっている現在において改憲はあらぬ火種を作ってしまう事になりかねない。

そう考えると大変難しい局面である。どうか、沢山の人々が平和に暮らせて行ける世が続いてゆくように舵取りをしてほしいと思う。