硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

無題。

2014-04-28 08:25:09 | 日記
食べられなくなったおばあちゃんが息を引き取った。大往生だったのでこれでよかったのだと思って気持ちを落ち着かせた。

しかし、改めて我が人生を振り返ってみると、福祉の仕事に従事したて頃は関わった人が死んでしまうと言葉にならない複雑な気持ちになったけれど、最近はどうも違った意味で複雑な気持ちになる。

随分昔、ガールフレンドが看護婦さんで僕はまだ会社員だった頃、彼女の仕事の話をたびたび聞く事があって、彼女が人の死について「最初は悲しんだりしたけれど、不思議と慣れていって普通になるんだよ。」と言っていた事があった。その時は「人の死について慣れる」という感覚がよく理解できなくて曖昧な返事をしていたけれど、彼女の言葉を最近になってよく思い出す。

確かに慣れてゆく。彼女の言っていた通りだなと思う。そして彼女の言葉からもう少し思考を深めて極論を言えば、人の死も業務の一環という不気味な感覚に襲われる。おそらく、彼女の「普通になる。」と言う言葉はこういうものだったのかと考える。

そして、おばあちゃんの死の後、驚いたのはまだこの仕事について月日の浅い若い職員さんがかなりドライで、自身の事になると大変執着するのに、他者の死については無関心であったことである。

人の死は尊いはずであり、無関心でいられないはずがないと思うのですが、よく分からなくなってきた。
生きてきた時代が違い価値観が違うから死に対する考え方も異なるのだろうか。

では、ドライに割り切ってしまう社会福祉が人の死に対してどこまで手を差し伸べられるだろうかという疑問と、「サービス」と呼称されるものが死の尊厳を果たす事が出来るのだろうかと疑問が浮かび上がってくる。

また、そこまで社会福祉制度に頼ってよいものなのだろうとも考える。

人生が誰かの仕事上の中で終わりを告げるのは、その人が今までに無意識に選んできた選択肢の帰結であったのだろうと思う処もあるが、医療や福祉が行き過ぎているのではないかと思う処もある。

しかし、社会が希求し対価が発生し続ける以上、必要な事はあるけれども、人の死が対価を生んでいいのだろうかとも考える。

すべてが矛盾し、もたれ合いが生じ、軽薄さが横行しつつも、どこかに誠があり、支え合いが生まれ、愛が育まれているから不安定ながらもその体を保っているのが実情である。

現在の特養待機者が全国で52万人いると云われていて、それはまるで他人事のように報じられているけれど、それは誰かの未来図でもあって、現在の選択がそこに繋がっているのだと考えると、様々な意味で人の死まで社会に依存する事は大変危険なように思うのです。




悲しい船舶事故。

2014-04-22 23:57:00 | 日記
毎日ニュースで動向を見つめる。本当に悲しい事故である。

あの船の改造前の写真を観て、思わず「あっ」と声が出た。あの船体には見覚えがある。

ノストラダムスが地球の滅亡を予言した年の夏。僕はあの船の上にいた。それまで勤めていた会社を辞めて、石垣島までの片道切符を手に家出同然で飛び出した。

何処までも青く続く大海原の景色。怖い位の満天の星空。ギュウギュウ詰めの三等船室。仕切りのない海を優雅に泳ぐシャチの群れ。甲板の日陰で食べたパンの味とウクレレをぎこちなく鳴らしていた女の子。とぎれとぎれの記憶の中に、A lineの文字。間違いない。

とても快適な船旅だった。引退して他の国で頑張っていたんだ。

改造しなければ、そのままの使い方をしていれば、皆、快適な旅になったはずだと思う。






無題

2014-04-19 23:28:39 | 日記
となりの席の人のご飯まで手を伸ばして食べようとするほど食欲のあったおばあちゃんが全く食べなくなった。自力で食べなくなったので介助を行って食べてもらえていたが、今では色々と試すけれども少し食べたら口をつぐんでしまい、食べようとしなくなった。

食事摂取を促すのは大切であるけれど、本人の意思で食べなくなった時、もしくは認知症が進み食べる事を忘れてしまった時、それでも栄養を取ってもらえるように工夫するのが介護と言う専門職の仕事であるけれど、本当にそれが幸せにつながるのだろうか。

確かに栄養をとる事は生命のかなめであるけれど、自力で食べられなくなった時、意志疎通のとれない人の心理状態を正確に判断する事が誰に出来ようか。

それなのに、介護福祉士やヘルパー2級やケアマネージャーという資格で行使して本当によいのだろうか。なんでそれが正しいと言い切れるのか。正しいという根拠はどこにあるのだろうか。

人が死に向かって歩んでいる事を忘れて、長生きはいいことだと押しつける事が本当に幸せと言えるだろうか。

用意した食事を食べてもらう事が仕事だから、幾度なく声を掛け、おかずを変え、口元にスプーンをもっていくけれどきゅっと口をつぐんで食べようとしない。

おばあちゃんの手を握るときゅっと握り返してくる。そして、眼が合うと静かに頷いた。
「もう食べられないの?」と聞くと大きく頷いた。

「配慮のない救済はそれを受け取る側の尊厳を失う。」有名な神父さんが言っていた言葉だ。しかし、こういう事を口にすると誰かの自尊心を傷つけてしまうのだ。

技術や知識を向上させるよりも、組織に対して従順である事を求められるのだ。介護保険が導入された時は輝いていた職種だったのに、今や誰もやりたがらない職種になってしまった。どうしてこんなことになってしまったんだろうか。






一つの時代。誰かの想い出。

2014-04-17 21:43:54 | 日記
雑誌「小悪魔ageha」で有名なインフォレストさんが事業を停止したというニュースを観て、また時代が変わって行くんだなぁと思った。

しかし、よく考えてみれば、流行とは「流れ行く」ものだから、いつまでもメインに居続ける事はできない。だから商売として扱った時、その引き際を見定める事は大変難しいように思う。

そして、若くて勢いのある狭いマーケットは爆発的に伸びるけれど、飽きられてしまうのも早いんだなと、この歳になって気づいたのである。


棚から一掴み

2014-04-08 23:37:49 | 日記
久しぶりにCDラックの整理をしてみた。棚から一掴みというほどあるわけではないが、何処に何があるか分からなくなっていたから一枚ずつ出してみてはどんなCDだったのか確認してゆくと、懐かしいCDが出てきた。

10年くらい前のものであるけれど、その時の友達だった人のアコーステック・デュオのインディーズCD。僕が詩を書いた歌もあるので、プレゼントにと貰ったものだ。

思わずCDケースから取り出し、プレイヤーに載せてみる。アコギの軽快なリズムが聞こえてきた。嗚呼、友人は今でもどこかで元気にしているだろうか。

そんな事を想いながら、僕が書いた詩の歌を聴いてみた。「おおおっ。なかなかいい曲ではないか!!」友人の作曲のセンスもよいのであるが、ここは自画自賛。「こんな詩を書いていたのかぁ。それにしてもいい詩だなぁ。」と、思わず顔がほころびその頃の事を少し思い出す。

たしか友人が路上やイベントでこの曲を歌った時、初めて聴いた人が「いい曲だね。と、いってくれていたよ。」と言う話を聴いて、感動して少しばかりほろりとしてしまった事があった。

僕の詩が友人のメロディにのって、出逢った事のない人の心に響くという不思議な現象は今まで味わったことのない感動だった。

それは、僕の人生において大切な思い出の一つである。


疑問?

2014-04-05 21:15:12 | 日記
今日の新聞に「外国人労働者、介護、家事に拡大」という記事を観た。気になるトピックだったのでじっくり読んでみたのだけれど、何故だかしっくりこない。

介護や育児の為に仕事に就けない女性が沢山いると云う現実は理解できます。でも、その為に外国人労働者を受け入れるのだとしても結局、労働者にお金を払う為に働かねばならない。もちろん、個人の能力によってその方が生活が豊かになる人もいる反面、その為だけに働かねばならない人も出てくるのではと思う。

実際に自分の親の介護を他の施設に任せて介護施設で働く女性もいるので、本当に何が幸せなのかよく分かりません。

また、外国人だからと言って、「マシン」ではないのだから、ストレスも疲労も老化も避けられぬ。

介護現場で働く者としては、人手不足が慢性的になっているので介護現場に参入して頂ける事は大変うれしい事だけれど、離職率が高く、人を育てることもままならないストレスフルな職場で、言葉の壁を乗り越えてまで介護の仕事を続けられる人がいるのだろうかと考える。また、もし、外国人労働者が介護現場で朗らかに働ける環境になった時、人件費の高い日本人が介護現場で働き続ける事が出来るだろうかと考えてしまう。

首相の言葉は一見、明るい未来を語っているように見えるけれども、斜に観ると女性票を獲得するためのパフォーマンスなのではないかと思ってしまうのです。

2012年度の介護給付費が8兆1280億円だったと云います。今後さらに増加する見込みだそうです。ちなみに、本年度の日本の防衛予算の倍の額なのです。

そう考えると、平和である内はいいのだけれど、有事の際には真っ先に切られる予算であるような気がします。


音楽を聴いて元気になれることもあるけれど。

2014-04-03 10:21:22 | 日記
昨晩、突然10代の頃よく聴いた歌が無性に聴きたくなったので、you・tubeで探してみた。

ネットのヘビーユーザーではないので、使うことなんてめったにないのだけれど、音楽や映像を探すには大変便利という事は知っていたので、元気をもらいたく今回は頼ってみることにした。

歌謡曲からニューミュージック、アニソンと様々な曲を検索にかけると、聴きたい曲が誰かの手によって必ずネットに上げていてくれていて凄くうれしかった。知る人ぞ知るというような曲でも見つける事が出来て、あまりの懐かしさに思わず鳥肌。目がしらもうるっとなってしまうほどであった。

そして、何度もいい時代だなぁと感心した。レコードもプレイヤーもカセットもいらないし、聴きたい曲が探せば聴けてしまうのだから本当に素晴らしいのである。逆にこれが当たり前なんだという世代が羨ましいほどである。

そして、最近テレビを観ていたら、これまた懐かしい人がベストをリリースする事を知った。

しかしである。解散コンサートも行ったほど好きだったけれど、なぜだか聴く気にはなれない。

ゴシップと同じ時期にCMが流れるなんてもはやロックではなく、がっかりである。時代の地層にロックのまま埋もれていてほしかったなと思う。