硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

お釈迦様はどう思ってらっしゃるだろうか。

2014-11-30 17:34:49 | 日記
長崎県対馬市で仏像の盗難事件が起こっているというニュースを観て思った事を少しだけ述べておこうと思います。

厳密に言うと、信仰する、信心する事に偶像は必要ないかもしれないけれど、心のよりどころとして、信心する方向としてとても大切。それが地域に根付いているのであれば、そこに何かが宿っていると思っても不思議はないと思うのです。

しかし、それが偶像であったとしても、仏像を盗みお金に換金する事に抵抗がないという心は理解しがたい。

大陸から渡って来たもので、長い歴史の中で略奪されたものであれば、速やかに返還するべきであると思うし、誰もが納得できる適切な手続きで返還要求すれば済む事です。

適切な手続きを踏まず不法侵入し器物を破損し窃盗する行為は、どう考えてみても悪い事だと思います。もし歴史の中から前例を引っ張り出し主張し、それが正しいとするなら、地球上の国や地域は略奪と搾取で混沌としてしまうでしょう。

誰もがそう言う世界を望むでしょうか。争いの絶えない世界を好むでしょうか。

そうは思えません。

もし、仏像に魂が宿っていて言葉を発するなら何と言われるでしょうか。

きっと、「正しく生きなさい。固執してはいけません。怒ってはいけません。許してあげなさい。」と、言うのではと思うのです。


特撮博物館。

2014-11-26 22:08:56 | 日記
「館長庵野秀明 特撮博物館」を観に行って色々思った事を呟いておこうと思います。

会場には平日にもかかわらず沢山の人が詰め掛けていました。鑑賞者は年齢は若者もいたけれどやや高め。中には展覧物の前で同志と知識の好感をされるほどコアな方もいらっしゃりなかなか熱い会場でした。

僕も特撮を観てきた世代であるので、ほとんどの展示物についておぼろげに覚えているけれども、どこか後ろめたい気持ちが付きまとっていました。それはゴジラもウルトラマンも好きであったけれど、ある時期を境に「これは子供の観るものだ。」と決めつけ断ち切ってしまったからです。

なぜ、そう思ったのかは、記憶の断崖に落ちてしまっていて回収する事が出来ませんが。でも、断ち切ってしまったという気持ちだけは残っているので、ノスタルジーに浸るという気分にはなりませんでした。

しかし、博物館としては十二分に楽しめました。それは、特撮におけるすべての造形の実物を自身の目で直接見る事は美術館で芸術作品を鑑賞する事と変わらない事であると共に、それが仕事として積み重ねてきたものであり、それが結果として芸術の域に達しているのだと感じたからです。

また、改めて思ったのは、巨人達が創造し続けて来た物語にはテーゼや普遍性があったのに、それに気づかず「断ち切ってしまった」己の稚拙さに恥じいるばかりでした。

そして特撮博物館のおまけである「巨神兵 東京に現る」では、「ナウシカ」で、不完全な巨神兵が登場する場面の原画やそれに対する宮崎駿さんの落書きが展示してありました。その落書きを観ると宮崎駿さんは当時から庵野さんの才能に一目置いていた事が伺えます。また、メイキングを含めて大きなサイズで「巨神兵~」を観て見ると、その仕事のすごさに圧倒されます。

宮崎さんや庵野さんのように、だれしもが好きな事をやり続ける情熱を持ち、それが結果に繋がるわけではないけれど、突き抜けないと観えない事も多いのかなと思いながら博物館を後にしたのでした。
 

名作なのに観れなくなってしまった。

2014-11-22 22:16:29 | 日記
昨日「千と千尋の神隠し」を観ていた。物語がどうやって進んでゆくのかも知っている。しかし、序盤で早々にチャンネルを変えた。

「風の谷のナウシカ」の時もそうであった。テレビで何度も放映されていて普通に観ていられたのに、トルメキア軍が風の谷を武力で占拠するシーンを観ておもわず「ひどすぎる!」と、叫んでしまい(笑)ナウシカが敵兵を剣で殺してしまうシーンで胸がざわざわしてチャンネルを変えてしまい、そして、「嗚呼、ナウシカはもう観れない。」と思った。

「千と千尋の神隠し」も、同じである。千尋の両親があまりにも不思慮な行動を取ることによって物語は進んでゆくのであるが、そのシーンで「ひどい!」と思わず言葉が漏れ、しだいに胸がざわざわし出して、食堂で食べ物を食べる場面でとうとう我慢できなくなりチャンネルを変えてしまった。(苦笑)

僕はどうしてしまったんだろうか・・・。




「サヨナラ世界の皆さん」。と言った彼女の幸福。 その2

2014-11-20 09:41:28 | 日記
小さな記事を見つけた。彼女の尊厳死をバチカンは「非難すべき事である。」とメッセージを出したと言う。

その記事を読んで、突如思い浮かんだのは聖書の中の物語。

禁じ手なのですが、少し言葉を省略して紹介したいと思います。

イエスがオリーブ山に行かれた時、律法学者とパリサイ人が姦淫の場で捕えられた女性を囲んでいて、イエスの姿に気づいた者が、「モーセはこういう女を石打ちにするよう命じています。ところで、あなたは何と言われますか。」と言って、イエスを試した。

それは、当時、危険因子であったイエスを告発する理由を得る為でしたが、イエスはしばらく身をかがめ、指で地面に何かを書いていました。しかし、彼らは一向に問い続けを止めなかったので、イエスは身を起してこう言われました。

「あなた方のうちで、罪のないものが、最初に石を投げなさい。」

その言葉を聞いて、イエスを告発しようと目論んでいた律法学者とパリサイ人は、年長者から一人ひとりその場を離れていきました。

そして、その場に一人残されたイエスは、女性に語りかけました。

「婦人よ。あの人たちは今どこにいますか。あなたを罪に定めるものはなかったのですか。」

すると、彼女は言いました。

「だれもいません。」

そこでイエスは、

「私もあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。」と、言われました。

                  ヨハネ伝 8.1-11

バチカンという国の主がイエス・キリストであるなら、彼女の死も赦すべきであるし、彼女の魂が二度と迷わぬよう祈るべきであると思う。



これも真理なのでしょう。

2014-11-12 18:26:06 | 日記
ほぼ寝たきりのお爺さんのおむつを替えさせていただきながら、お爺さんの話に相槌を打つ。お爺さんは認知症でもあるので場所や記憶や時間が曖昧。それでも瞬間の会話は成り立つ。

お爺さんは若い頃、ハチャメチャに生きてきて家族にもずいぶん迷惑をかけ、それが原因で疎遠になってしまったというが、それでも「あの頃はそれで良かった」。と豪語する。そして、まだやりたい事が沢山あるとも言う。

そこで僕は、「煩悩が多いですねぇ」。と、返答すると、お爺さんは、

「死ぬまで煩悩は消えんよ」。と、自慢げに答えられた。

僕はその返事にハッとし、これは一本取られたと思い、「ああっ。たしかにそうですねぇ。悟ってますね」。と、言うと、

お爺さんは「そうだろ」。といって、にやりと笑った。


「ごめんね青春」。

2014-11-05 18:44:29 | 日記
毎週楽しみにしている唯一のドラマが「ごめんね青春」です。脚本はあの宮藤宮九朗さん。やっぱり外れないのです。

学園ものといえば、どうしてもいじめなどの問題を取り扱い、ドラマを通して問題提起する傾向が強いのですが、このドラマ本当にコメディでお気楽なのです。

でも、観ていて楽しいと思えるドラマ、笑って過ごせる番組って必要なんじゃないかと思う。たしかにやり過ぎると問題を引き起こしかねない番組内容もあるし、社会問題を物語として映像化し皆で考える事は必要だとも思います。でも、人は楽しい事の方が好きなはずです。

だから、厳しい現実からドラマを観ている間でも逃避できる時間ってあった方がいいと思うのです。

最近ふと気付いた事があるのですが、仕事や家庭で嫌な事があった時、ふさぎこんで黙ってバラエティ番組を観ていておもわず笑わされてしまい、笑いの壺に入ると不思議とふさぎこんだ気持ちがフッと軽くなるのです。

面白い番組ばかり観ていると更に面白い番組をと思うけれど、ある程度テレビから距離を取って不意に観るコメディドラマやバラエティ番組は嫌な気持ちを忘れさせてくれるのです。そしてこれが「笑いの効果」かと納得したのです。

そして、「ごめんね青春」を観ていて、学生時代はあの時しかなく、あの時しかできない事も多く、恋愛至上主義的に振舞っても許される時期でもあったのだなと痛感しました。いっぱい恥をかき、いっぱい傷ついて、いっぱい努力して、いっぱい喜ぶ。無理に性伸びをしたり、思い悩んだりしても、その時の経験は必ず次に生きてくる。そう言う貴重な「時間」なのです。

逆にいえば、誰かを傷つけたり、貶めたりする事は、自身の成長を止める事であるので、とても無駄な時間の使い方であるという事になります。

実は宮藤官九郎さんは「ごめんね青春」を通してこう言う事が言いたいのではと深読みしてしまうのです。でも、はちゃめちゃなコメディタッチで描きながらも、抑える所はきっちりと抑えてくる脚本家なので、意外と当っているかもしれませんね。

また、ドラマの方もびっくりするほどのベテランさんや上手い役者さんが揃っていて物語をぐいぐい引っ張って行きます。そして、生徒役の皆さんもそれについてゆこうと頑張っている感じが伝わってきます。その中でも意外な発見があり、AKBの川栄さんが自然体で演じられていて驚きました。台詞の場面は長くないのでまだわかりませんが、前田さんや大島さんより上手いんじゃないかと思ってしまいました。

そして、何よりも満島ひかりさん・・・。もともと好きな女優さんだったのですが、壁ドンの演技にキュンとしてしまいました。
(笑)演技が上手いからなのですが、それでも、旦那さんしあわせなんだろうなぁと心でぼやきつつも、彼女が登場するドラマが観れて(きっとクドカンのドラマであるから更に僕好みなのだと思うけれど・・・。)思わず顔がほころびます。


きっと、賛否両論があり好き嫌いがはっきりと出るドラマであるかもしれないけれど、僕は日曜日の夜9時が待ち遠しいのです。

本当に面白いよぉ。

「サヨナラ世界の皆さん」。と言った彼女の幸福。

2014-11-04 09:36:47 | 日記
安楽死を予告していたアメリカの女性が予告通り死を選択した。

その選択に対して様々な声が上がっているけれど、彼女の痛みや苦しみは誰も変わってあげられる事が出来ない。

次第に動かなくなって行く身体。無くなって行く記憶と言語。その時の悲しみと絶望感。

医療は生への希望であるけれども、命は取り留めたものの、その後、身体が不自由になった事に心がついてゆかない人にとっての人生は苦難の日々になる事が多い。

心から生きたいと強く思っても、身体がそれを赦してはくれないという状況は当人になってみなければわからない事。

だから、本来なら他者が踏み込める域ではない気がするのです。

彼女は五感で感じる事の出来る人生を「生きたかった」。のだと思う。それが「安楽死」を選んだ理由なら、彼女にとってはそれは残された人生の唯一の幸福であったと思うのです。


男女の格差を埋めるには・・・。その3

2014-11-01 18:24:30 | 日記
更に続きを考えてみました。

これまで述べてきた事は、個人が競争主義と共産主義という働き方を選択できるわけですが、どちらを選択しても、福祉が充実しているので平等に社会保障制度の中で、育児、介護が保証される権利を得る事が出来ます。ただ、生活の格差はさけられません。

また、仕事が分散される事で個人への負荷が減るわけですが、真面目に働く人と働かない人が混在していれば、おそらく働かない人は更に要領よく振舞う事になるでしょう。それでも、対価は平等に支払われるのですから、やはり共産主義体制の中では不健全な劣悪平等に陥る可能性は否めません。
さらに言えば、社会構造が女性の主張に沿うように整ったとしても、パワハラやマタハラやセクハラが無くなるわけでもなく、社会格差への嫉みや誹りを助長するのではないかと危惧するのです。

つまり、構造改革で解消できない問題の4割の理由が此処にあるのではないかと考えます。この問題の根源は「隣人」にあり、いかに隣人が私の気持ちを汲んでくれるかが問題を解決するキーワードなのだと思います。
それには、人の心の成長が不可欠になるわけですが、私や隣人が柔和で寛容であったのなら、ここまで社会問題にならなかったのではと思ったのです。