硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

やってはいけないと注意されるのは、年齢では決められない。

2021-01-28 20:33:31 | 日記
随分前のネットニュースで、フジテレビさんが成人式の様子を取り上げた際、コメンティターのカズレーザーさんが、彼らはニュースを観ないので放送する意味がないのではという趣旨のコメントをされていたことを知った。

ニュースを観ない若者に、公の場でお酒を飲んで騒ぐ事の是非をテレビを使って問うても、その行為が楽しいと思っている彼らには、心に響かないのではないかと思っていたので、その短い記事を読み、代弁してもらえたようで少しばかり心が晴れやかになった。

今日、議員さんが緊急事態宣言下でも、飲みに出歩いていたと報道されていた。
このご時世で、議員さんという立場なら、平時よりニュースを見るであろうし、これまでにも叩かれている議員さんがいらっしゃるのだから、自身が世間にどう映っているかも気になるはずである。

成人式で騒ぐ若者は、まだ幼いから自制の効かないという理由もたつであろうけれども、仕事の延長とはいえ、いい年をしたおじさんが、しかも、多くの人の支持を得て、議員の職に就いた人達が、自制できないとはどういうことだろうか。

そもそも、「やってはいけないよ。」と、注意されてることをしてしまっていては、成人式でお酒を飲んで騒いでいた若者に「俺達と一緒じゃん!!」と言われても返す言葉がないように思うし、自制している若者からは軽蔑されるのではないかと思う。



困窮する世の中を断ち切るには。

2021-01-26 21:48:09 | 日記
コロナ禍で、女性が困窮しているというニュースを観た。
一昔前に比べ、女性の社会進出は進んだけれども、本当の意味で自由を獲得するには、自立する事が必要と考えられる。それは、なんらかの理由で孤立してしまったとしても、生活に支障を来さない為である。

その為には、まず、安定した賃金を得られる職に就くか、自身の力で対価を得なければならない。
しかしである。起業できる人は別として、仕事が細分化した現代社会では、就職は出来ても、ブラック企業と称されるストレスフルな職場も多くなり、働き続ける事も難しい時代となってしまった。

それは、「女性は家を守るために個人を放下し我慢する事」を社会的に強いられた時代の構造が、「性差を問わず、賃金を得る為には、個人を放下し我慢する事」という構造に変わっただけといえるのかもしれない。

しかし、時代は令和であり、女性が活躍できる窓口も格段に増え、自身のスキルを活かす事で、社会進出の機会が増えた。
けれども、なんらかの理由で社会に出てバリバリ働くことが出来ないという人や、ギリギリで生活している人との格差は広がってしまい、コロナ禍が世を覆ったことで、国が保護しない、スキルを必要としない職業から持続困難になり、連鎖的にその職業に就いていた人々が窮地に立たされることになったといえる。

この時初めて、現代社会の中心を生きる女性は、社会的自立とは、個人とは、自由とは、という根源的な問題に直面したのではないかと思う。
そして、この問題は、性差に関係なく、人によっては精神的に重く感じるものなので、身に詰まる思いをなさっている方も多いのではないかと思う。


この問題を社会保障制度によって回避しようとするならば、福祉サービスの充足が必要不可欠であるが、お金でどうにかしようという構造が変わらない限り、増税は避けられないと思われる。
また、トリクルダウン理論が前提にあるとするならば、富める人々が大胆に消費するという事が前提にある以上、コロナ禍では困難なように思う。

したがって、現時点では、集団免疫を確立することでしか、現状を乗り切ることが出来ないといえる。

しかし、コロナウィルスが終息した後でも、この構造が変わらない限り、また厄災が降りかかるとき、同じような思いをする人が必ず出てくるという事ではないだろうか。

それは、今日生まれた子供たちが体験するかもしれない。

この問題はコロナ禍を生きる人たちの宿題であり、現状に責任を感じているのならば、選挙権のある人は、人任せにしないで、自分で考えて、信じられる人に必ず一票を投じなければ、未来での厄災も、回避できないのではないかと思う。



ウィルスとの戦い。(2017年3月のブログより再録)

2021-01-23 09:40:52 | 日記
インフルエンが流行し始めた。職業柄予防する事は必須なので毎年の事ではあるが、この時期になると会議の議案に上る。今回はインフルエンザについてのDVDを観て予防知識を習得する狙いがあったのですが、僕は会議での狙いよりもスペイン風邪について少しだけ語られていたことが気になってしまい、本腰を入れてネットで調べてみた。

しかし、謎が深まるばかり。こういう時はやはり図書館。

知の宝庫から見つけた、石弘之さんの著書「感染症の世界史」よると、インフルエンザウイルスというのは北極圏の近くの湖や沼でじっとしている存在でしたが、渡り鳥の体内に入り込み腸管で増殖する事に成功し、移動が可能となり、越冬地と増殖地のとの移動で、糞と共にウイルスをばらまいてゆくようになったことが、流行の原因となったようなのです。

それまでは、インフルエンザウイルスはほとんど害のない存在だったそうなのですが、感染を繰り返してゆくうちに遺伝子を変異させ、他の動物にも増殖可能なものに変異させてたそうです。
その変異スピードというのは、哺乳類が100万年かける進化を一年で変異させてしまうというものなので、人類がワクチンを作っても効かないケースが出てきたようです。

さて、スペイン風邪の歴史ですが、1918年のアメリカの基地にある豚舎の清掃員が最初の感染者と言われています。越冬してきた渡り鳥の糞から豚へ感染し、豚の中で変異を遂げ、人に感染した経路が有力な説です。また、第一次世界大戦中、西部戦線において英仏軍は大勢の中国人労働者を使っていて、その中に保菌者いた為、そこから感染が広がったという説もあります。
しかし、スペイン風邪が流行する前にスペイン風邪と同じ症状の病気が流行っていたという記録がある事から、中国説の可能性を否定する事は難しいと考えられます。
中国南部では庭先でアヒルやガチョウが豚と一緒に飼われていて、庭先には池には食用の魚が飼われていて、網を張った上に鶏が飼われていて、その鶏糞を魚やガチョウが食べるという環境が多くあることから、中国が起源ではないかと考えられているようです。

そして、ヨーロッパ戦線から帰還した兵士の中に保菌者がいて、そこからヨーロッパ全域に流行が始まったと言われています。さらに、時間の経過に伴いウイルスも変異し、さらに猛威を振るいます。第一次世界大戦は植民地であったアフリカに飛び火し、1919年、ヨーロッパと西アフリカを結ぶ航路の石炭の補給基地として重要な港だったフリータウンに感染者を乗せた船が入港、現地の労働者が石炭などを船に運んだ際、インフルエンザに感染しシエラレオネの人口の5パーセントが亡くなり、ウイルスは人を媒介にして港から港へ、そして鉄道で内陸地へと広がっていったのだそうです。
そして、西部戦線の悪環境での戦闘はインフルエンザを蔓延させ、独軍、英仏米軍ともに多くの兵士の命を奪い戦争の終結を早めたと言われています。

また、環境変化という原因からは、農地転換や開発によって、沼や湿地が減り、渡り鳥の越冬地は過密になったことや、畜産革命によって、メキシコでは高密度家畜と不潔さから豚インフルエンザ生まれたとされています。

そしてなにより、僕を困惑させている情報は、なんと、感染拡大の原因が予防接種にあったという情報でした。
日本ホメオパシー医学協会の普及啓発活動のホームページによると、当時の医師は病状を抑圧しようとし、有毒な薬物を投与し続けた結果、被害が拡大したと記してありました。
最初は都市伝説ではないのかと疑ったのですが、母里啓子さんの著書「インフルエンザワクチンは打たないで」を読んでみると、予防接種が原因だったという説の疑いも拭いきれなくなりました。

考えれば考えるほど謎は深まるばかりですが、一つだけ分かった事があります。それは、
すべては経済活動が発端であり、人類は富を得る為に、隣人の犠牲も厭わないのだなと思ったのです。

とすれば、ウイルスの突然変異と自然淘汰は神の御業ということになるのかもしれません。



ダーウィンの溜息。

2021-01-22 21:31:43 | 日記
「この理論が人々に受け入れられるには、種の進化と同じだけ時間が掛かりそうだ。」

チャールズがため息を吐く。なぜなら固定観念に囚われていては、到底理解されないからだった。

「生き残る種は、もっとも強いものではない。もっとも知的なものでもない。それは変化にもっとも対応したもので、厳しい自然環境が生物に起きる突然変異を選別し、進化に方向性を与えるのだ。」

思考を巡らすチャールズの机の上に紅茶を差し出した妻は微笑んで、「私達には、難しすぎて分からないわ」と、言った。

「そうかもしれないね」と、前置きして、湯気の立つ紅茶を一口飲み終えると、「でもね。種の進化を考えた時、自然淘汰は避けられないと思うんだ。」

と、妻に語り掛けた。しかし、妻は言葉の意味を図りかね、「自然淘汰って、なに? 」と、優しく尋ねた。

すると、チャールズは、ガラス窓から見える青空を見つめ、

「自然淘汰とはね、有用でさえあれば、いかなる小さな事であろうとも、保存されていくという原理だと僕は考える。」

と、未来の人類に向けて、静かに語った。

マスク着用お願いしますは・・・。

2021-01-20 11:05:26 | 日記
マスク着用の要請を拒否し続けた男が逮捕された。
彼の言い分に耳を傾けていると、気持がざわざわした。

自己の権利や主義を主張する事は、悪い事ではないとは思う。また、同調圧力に屈しないメンタルには羨ましさも感じる。
けれど、飛行機の離発着時間を遅延させる事等は、同じ空間で同じサービスを購入している他者へ損害を与えたことになる。

それなのに、私には落ち度がなく、サービス提供者のあいまいな注意喚起が問題を引き起こしたのだというロジックを展開する男には、閉口してしまう。
しかし、法を自身の都合のいいように解釈する事が、彼の思考にあるのだとしたら、彼は逮捕された理由を理解することが出来ないし、おそらく、逮捕した国家に対しても、自身の理論を展開するのではないかと思う。

きっと、彼は、そうすることで、社会を生きてきたのだと思う。

社会とのズレを読む術を知らない事は、生きてゆく上で有利かも知れないが、往々にして孤立してしまう事になりがちである。しかし、孤立する事も、生きてゆく上で支障がないという価値観がゆるぎないものであるとしたら、世の中からどんなに批判を受けようと、彼は、彼の中の「正しい人」であり続けるのだろうと思う。

けれども、このご時世に、マスクの不着用の外出は、自分にとっても他者にとってとっても、日常に支障をきたす要因になる事と、自分だけは大丈夫というエゴがウィルスを広めている事実は覆すことが出来ないと思う。

コロナウィルスの終息点とは。

2021-01-16 21:53:59 | 日記
「こんにちは。今日はどうなさいました? 」

爽やかな笑顔で、先生は私を見た。

「一昨日くらいから、熱が出て風邪薬を飲んで寝てたら、熱は下がったんですけど、どうも、味覚が鈍くなったような気がするんです。」

私がそう答えると先生はカルテにさらさらと文字を書き、「じゃあ、少し診させていただきますね。先ずは、おおきく口を開けてください。」
と、言った。

私は、少しためらいながら大きく口を開けると、先生がペンライトで口の中の様子を見て、

「はい、ありがとうございます。じゃあちょっと首を触りますね。」

と言って、手際よく両手で私の首の喉回りを抑えた。

「うん。扁桃腺は大丈夫ですね。」

「じゃあ、心臓の音を聴きますので上着を上にあげてください。」

私は、いそいそと上着をめくりあげると、先生は聴診器をつけて、私の心臓の音を確かめた。

「うん。大丈夫ですね。ありがとうございます。じゃあ念のため、PCR検査しますね。」

「ちょっと痛いですけど、すぐ終わりますので我慢してくださいね。」

先生は繰り返される動作のように、袋から綿棒を取り出し、私の鼻の穴の中に入れて粘液を取り出した。

そして、綿棒を取り出すと、看護師さんに渡し、「これ、検査お願い。」と、言った。

「五分ほどで結果が分かるので、中待合でお待ちください。分かり次第お呼びします。」

「ありがとうございます。」

私は、中待合に移り結果を待った。その間、先生は、私の次に呼ばれた患者さんの診察に移った。
ぼんやりとした頭で、色々考える。明日は仕事を休もうか。それとも、このまま熱が下がったら、ちょっと無理してでも仕事に行こうか考えていた。

「○○さん。」

さっき、検査しに行った若い看護師さんが私の名前を呼んだ。あまり力の入らない身体を持ち上げて、診察室に移る。

「○○さん。コロナA型、陽性です。今以上に症状が重くなるといけないので、注射を打っておきますね。それから、熱が出た時の頓服と、コロナウィルスを抑える薬と、胃が在れるのを抑える薬を2週間分出しておきますので、最後までしっかり飲み切ってください。それから5日間はしっかり自宅でしっかり休んでください。会社への診断書はどうされますか? 」

「あっ、すいません。ありがとうございます。診断書もよろしくお願いします。」

「わかりました。診断書も出しておきますね。お大事にしてください。じゃぁ、隣りで注射を受けていってください。」

「ありがとうございます。」

すると、先生の後ろにいた看護師さんが、

「じゃあ、こちらへどうぞ。」

と、言って私に優しく声をかけてくれた。

「最初に熱が出た時は辛かったでしょう? 」

「はい。インフルエンザかなとも思ったんですが、念のために受診しておいてよかったです。」

「よい判断でしたね。ほおっておくと、後が大変なのがコロナの特徴ですからね。じゃあ注射しますね。腕まくりしてください。」

若い看護師さんは手際よく注射を打ってくれて、とても感心した。

「後はゆっくり休んで、体力をつけてくださいね。お大事に。」

「ありがとうございました。」

私は軽く礼をして、安堵しながら診察室を後にした。


コロナウィルスが終息した医療現場は、こういう状態を指すのだと思う。

恋物語。3

2021-01-15 09:55:12 | 小説
やるべきことはやった。後悔はない。と、言えば嘘になる。これでフラれたら、止めとけばよかったと思うんじゃないかという自分もいるからだ。
もやもやした気持ちを断ち切るために、勉強しようとするけど、平川綾乃の笑顔が頭をよぎると、思考は止まってしまうし、何も手につかなくなってしまう。

こんな時は、雑誌を開き、誰もが可愛いと絶賛するグラビアアイドルの水着姿を見て気を散らせばと思うけれど、この切なさは解消されない。
顔を洗っても、歯を磨いても、ご飯を食べていても、通学途中の電車の中でも、テキストをめくっているときも、風呂に入っているときも、思い浮かぶのは平川綾乃の笑顔だ。

そう、なにかが足りない。平川綾乃との日々は、何物にも代えがたいものなのだ。
僕はそれに気づいてしまった。

あんなに煙たい存在だったのに、なんで、こんな事になってしまったのだろう。

「僕は馬鹿になってしまったのか」

と、呟いたところでどうなる。思いは募るばかりだ。

本当にフラれたらどうする? どうなる?  失恋に撃ち抜かれた心の穴は埋まるのか? 強がってみせた所で、どうなる? それならば、気持ちが伝わるまで、求め続けるか。そうだ、そうすれば、こころに穴は開かないし、諦めなければうまくいくかもしれない。
告白してから、そんな思いが何度も頭の中で巡っている。僕が・・・・・・。

「おいっ。川島。大丈夫か? 」

我に返る。さっきまで、携帯をいじっていた、通称『ホトケ』と呼ばれている松嶋弘人が不意に呼びかけた。

「ああっ。ごめん、考え事してた。」

「かなり深刻そうな顔してたから、具合でも悪いのかと思ったぞ。」

「そっ、そうか?   いや・・・。進路どうしようかと思ってさ。」

「おー。それは迷いが生じるな。その苦悩する顔から察するに、色恋沙汰ではと思った・・・。」

真面目な顔で、『ホトケ』が言う。相変らず鋭い洞察力だ。松嶋弘人は、お寺の次男で、お寺は継がないが、環境がそうさせているのか、仏教に精通している。目も細く、丸顔という風貌からか、はたまた、時々悟りきったような事を言うことからか、皆から『ホトケ』『ダイブツ』と、呼ばれるようになっていた。

「そっ、そんなふうにみえたか。」

「ああ。しかし、原因はなんにしろ、心が苦しいのなら相談にのるぞ。」

「大丈夫。進路のことだから。」

「そうか・・・・・・。だが、その苦悩を少しでも軽くしようと思うなら・・・・・。」

そう言うと、『ホトケ』は、細い目をさらに細め、電車から見える風景の一番遠い所を見つめた。すると、雲の切れ間から『ホトケ』の顔に日が差した。余りのタイミングの良さに笑いそうになったが、そこはこらえて『ホトケ』の言葉に耳を傾けた。

「恋にしろ、進路にしろ、よく分からない価値観というものには囚われないようにした方がいい。」

「・・・それはなぜ? 」

「人の心に実体がないように、価値観というものも実体がない。そして心と同様、常に変化する。今が正しいと思っても、時の移り変わりで、正しくなくなるってこともある。その時、己の眼が曇っていては猶更だ。それをだな、イチエイマナコニアレバクウゲライツイスというのだよ。」

僕らには分からない言葉を繰り出す『ホトケ』。これを面倒臭いと思ったり、煙たがったりする人もいるが、僕は『ホトケ』の言葉には、感覚的に、良いヒントがある気がしていた。

「おっ、有難い説法が始まりましたな。アリガタヤ、アリガタヤ。」

「茶化さず、よくお聞きなさい。路頭に迷う若者よ。」

「松島ぁ。若者って、同じ年じゃないか。」

「ほっほっほっ、話の腰を折らずに最後まで聞けよ。」

「ごめん。では、説法の続きをお願いします。」

「ふむ。まぁ、そこまで、かしこまって聞くものでもないが、ただ、物事は移り変わってゆくものだって事さ。俺の気持ちもお前の気持ちも、明日には変わっているかもしれない。明日には明日の俺たちがいる。それが真理だ。だから、深刻にならずに気楽に行けよ。やるべきことをやったら後は御仏にすべてを任せるという感じでさ。そうすれば、俺たちの未来は、きっと明るいはずだ。」

松嶋弘人の言葉にハッとした。確かにそうだ。目の前の選択は未来に繋がってるけど、目の前の事だけに拘ってては、僕の、僕たちの未来は大きく変わってしまう。
そうだ、今は受験勉強に集中しよう。大学に行けば、今より世界は広がる。
平川綾乃の事を諦めずに求め続ければ、僕は傷つかないかもしれないけれど彼女が僕の事を好きになってくれなければ、彼女が傷ついてしまう。『ホトケ』の言う所の「己の眼が曇る」とは、この事かもしれない。

フラれたっていいじゃないか。初志貫徹。心で泣いておこう。
どっちに転んでも、僕の未来は明るいはずだ。

「なあ、松島」

「なに? 」

「明るい未来を掴みに行こうぜ。」

「うわぁ、アオハルかよ。」

「柄にもない事言うなぁ。」

僕たちは、混みあっている電車の中で必死に笑いをこらえた。


この寒さは。

2021-01-13 21:05:53 | 日記
つい先日に起こった事である。

朝起きて、猫の飲み水を変えてあげようと小さな皿を見ると、氷が張っていた。冬になれば薄氷が張る事は時々ある。なにげなく、ひっくり返して水を棄てようとすると、すべてが個体であった。おぼろげな記憶ではあるが、おそらく10数年ぶりに見る光景である。そして、空になった皿に水を補充しようと蛇口をひねようとすると、固くてひねる事が出来ない。地面に転がっている氷の塊を見る。そして腑に落ちる。水道が凍っているのであった。
昔、父さんが、蛇口の下の水道管に、タオルとか自転車のチューブとか巻いてたなぁと感慨に耽っていると、猫が足元で水が補充されるのを待っていた。
家の中に入り、水を入れて、皿を定位置に置くと、猫はゆるっと近づき、小さな舌を使って水を飲み始めた。

朝ご飯を食べ終わると、腹ごなしに散歩に出た。風も弱く、雲の切れ間から時々顔を出す太陽の暖かさに救われながら、田舎の道を歩く。すると、ここでも気候の変化を見てとれた。
畑の横を通ると、畑の土が霜柱で持ち上がっていた。川沿いを歩くと、流れが澱んでいる場所に氷が張っていた。家の樋から流れ出た水が全て凍っていた。山肌がむき出た細い道を上って行くと、苔先からいつも水が滴っている場所の苔に、つららが下がっていた。

小学生の頃、友だちと、つららを取って、なめていた事を思い出し、よく腹を壊さなかったなと感心した。

昨年の夏は、外にいると死んでしまうのではないかと思うほどの猛暑であった。したがって、冬も暖冬で過ごしやすいのではないかと立秋頃に考えていた。
しかし、冬が訪れてみれば、小さいな時の頃の記憶を呼び起こすほどの気候になったが、地球が温暖化してるなら、この寒さは何だろうかと考えた。

夏暑くて、冬が寒い。専門家ではないので、妄想の域を出ないが、可能性としては、地軸が少しずれたのか、太陽の活動自体が影響を与えているのかのどちらかではないかと思った。

人類の経済活動による二酸化炭素の排出量の増加が地球温暖化の原因なら、例年通りに、冬も比較的温暖を維持するのではないかと思う。

そして、最も気になるのが、この寒さが北極にも訪れているなら、現在の氷の量の変化はどうなっているかという事である。
氷が解けて海面が上昇すると、大々的に報道されていたのだから、この冬が過ぎ去った後の北極の様子も報道してほしい。


これからどうなってゆくのかな。その2

2021-01-12 14:29:19 | 日記
脱炭素化 ニューグリーンディール SDGs等の指針に沿って世界を再構築視してゆく為には、項目2の「全体的に不便にはなるが、あらゆる生産や流通、物販を地産地消できるまで縮小し人口に見合った経済に再構築する。」を選択する事になると思うけれど、「コーポレート・ガバナンス」が必要になるとするならば、主導する国に利益が多く入る仕組みになるのではないかと思う。

それが世の常ですものね。

さて、具体的に実現する為には、削ってしまえるところから、手を付けなければならないように思う。

例えば、議員数の削減、軍事兵器の生産や開発を停止する。森林伐採やそれに伴く土地開発の停止。エネルギー消費の抑制、原発や火力発電の縮小、畜産や漁業の生産や捕獲量の制限、現状以上のインフラ整備の拡大を制限し、補修に重点を置く。装飾品の生産の縮小、公共電波の縮小、製造物やサービスが重複する企業の統廃合、AIや機械化導入の抑制、医療や福祉、教育などの公的サービスの再構築。等々、考えだしたらもっと多くなると思います。

しかし、本当にこれを全部実現させようとしたら、独裁国家下でしか、実現できないように思います。

既成概念や固定観念に抗っていかなければ、後退してゆくだけの未来ではあるけれど、既得権益がある以上、歩みのスピードは上がらない。

となると、人類の未来は、科学力が、人類の欲望に対し、どれだけ、働きかけられるかに、掛かっているように思えるのです。



これから、どうなってゆくのかな。

2021-01-09 09:22:03 | 日記
コロナ禍で実経済が悪くなっているという記事を読み、これから、どうなってゆくのかなと色々妄想してみた。

さらに、人口減少と内需が拡大しない日本が、これからも持続可能な社会であり続けるにはどうすればよいのかも含まれているのだから、とても大変。その要素も含め、素人なりに考えて、3つの項目でまとめてみました。

1、今よりもさらに人件費の安い国でモノを作りをおこなう、もしくは現状のまま移民を多く受け入れ、人件費を下げて生産性を上げる、はたまた、人工知能とマシン化を促進し、人口減少に対応させ販路を拡大してゆき、エネルギーを安価で大量に生産し、大量消費させ、あらゆる古いものを壊して、新しく作り、内需を拡大させる。

2、全体的に不便にはなるが、あらゆる生産や流通、物販を地産地消できるまで縮小し人口に見合った経済に再構築する。

3、理不尽な事を押し付けるアメリカから独立し、今最も力のある中国が主導でアジア連合を創設し、加盟国になりアジア圏の貿易をフリートレードにして、地産地消の幅を広げ、欧米などの諸外国に対抗する力を高める。

その為には、国民の同意を得なければならないので、教育やアートやメディアを通して思想を理解させつつ、移民を緩やかに帰化させ、既存の地盤を維持し続ける議員の地盤を、彼らの支持政党へ塗り替えてゆけば、表向きは民主主義によって政権は変わってゆき、アジア連合への加盟という難しい壁も超える下地が出来上がる。

と、いうような妄想をしてみたのだけれど、最も現実味のある方法は、一番最後なのではないかと思う。


「マツコの知らない世界。80年代アイドル」を観て想いに耽る。

2021-01-07 10:11:52 | 日記
3日の夜に放送された、「マツコの知らない世界」で80年代アイドルを現在の20代の女性が推しているという番宣で気になったので、観てみたのだが、やはり、とても興味深かった。

最近、ショッピングモールを歩く若い女性のファッションが「?」という感じの雰囲気があった事も興味を持つ要因であったが、この番組を通して、80年代のポップカルチャーも一部の人達には実際に「エモい」と感じていることが分かった。(エモいって使いにくいなぁ)

しかし、僕にとっては過ぎてきた時間である。しかも、冷静にみて、事象を分析しようとする余裕も少しばかりあるので、80s90sのアイドルと音楽業界の移り変わりを論じてみようと思う。

アイドルに対してマツコさんほどの愛情はないけれど、当時は歌番組に夢中だったことは事実である。そして、前述のように、緩やかに衰退していく様も体験している。
島崎和歌子さんがデビューした時、そこはもう焼け野原だったと当時を回想していたという話にも、なるほどなぁ。と思った。

今思うと、バブル経済が頂点に達しようとした頃、アイドルが華やかだった時代もピークであった。

それを境に、アイドルと歌番組は衰退してゆくのであるが、僕なりに思ったのは、その要因の一つに「エレキギターが市民権を得た」からではないかと思う。

一つ前の世代では「エレキギターを持つと不良になる」という風潮があった。
(笑えるけれど、当時は真面目に捉えられていた)
そういった価値観を、スターと呼ばれる人たちが打ち破り、浸透した世代が、時代のセンターに来て、ロックが成功者と位置づけされるようになった。
その事象と同時進行で、経済も豊かになり、エレキギターを持つ事が普通になり、スターになる事を夢見る人たちも増えた。その結果、すそ野は広がり、需要が増え、音楽を楽しむ人の絶対数がある以上、何かが衰退してゆく事は必然であった。

それが、当時のアイドルであり演歌であったのかもしれない。

バンドブームの特徴は、始まりは小さなライヴハウスであり、最初のファンはライヴを見て好きになり、当時はSNSはない時代だから、口コミで広がってゆき、メジャーになってゆくという構造を持っていた。また、プリンセス・プリンセスを代表とするガールズロックグループも現れ、女性もロックをしていいんだという流れが出きたように思う。
其れとは逆に、マツコさんの「アイドルはコンサートに行かないと本当にいるのかどうかわからない」というコメントが表しているように、アイドルは視聴者との距離が遠すぎたため、すそ野が広がりにくい構造を変えられなかった。だから、逆に誰もが憧れる存在でありえたともいえる。

その構造を意図的なのかは不明であるが、現実的な所まで引き下げたのもアイドル業界であったように思う。これが二つ目の要因である。

ヒットメーカーである秋元康さんは、高根の花であった「アイドル」を「おニャン子クラブ」という集団で、同級生感覚にまで引き下げた。(確か放課後というコンセプトだったようにおもう)その狙いは顕著に出て、次第に音楽シーンに浸透していき、スターも生まれた。
その事象は、女の子が「私もアイドルになれるかも」という希望を生み、男性ファンの人達も同級生に近い女の子が、どんどん売れていく様を見て、喜んだ人も多いように思う。

(たしか、AKBは、逢いに行けるアイドルでしたね。つまり、ライヴを基礎としたことで、アンダーグラウンドのコアなファンの声が、SNSによって広がり、爆発的な人気につながっていったように思う。おニャン子の時は、その逆で、テレビから、ラジオ、雑誌、という媒体に広がり、コアなファンを生み出しながら、縮小していったのではないかと思う。)


不思議な事ではあるが、同じ時代に、同じ推移でレコードはCDに変わり、ウォークマンの登場により、手軽に、好きな音楽が好きなときに聞けるような時代へと変わった。

次第に、音楽シーンにロックが占める割合が多くなり、テレビでの音楽番組に、多様性が無くなっていった。テレビは万人受けすることで番組が成り立つのだから、コンテンツが細分化されてしまえば、観る人は限定的になる。限定的になれば、視聴率は下がり、スポンサーもつきにくくなって、アイドルに投資してもリターンが少なくなれば、投資目的を失う。
その様に捉えると、一見、お金の問題とも観れるが、当時の番組の作り方にも、問題があったように思う。

違う番組で、ジャニーズの東山さんが、当時の事を振り返り、プロデューサーとの折り合いが悪くよく怒っていたという事を言われていた。これと同質の問題を、某ロックバンドの人も言われていて、その事から、音楽番組の作り手側が時代を読む力がなかった事も、音楽番組が衰退させてしまった要因の一つであるように思う。
そして、とどめを刺すように、バブル経済の崩壊が訪れてしまったことで、音楽番組の維持が難しくなったように思う。

それでも、ロックは変わらず人々の心をつかみ続けた。多くのバンドが生れ、ビジュアル系と呼ばれるバンドが現れた時、そのムーブメントが、アイドルを追っかける事はダサいという流れを作ってしまったのではないかと思う。

そのような、もろもろの要因が重なりつつ、音楽の方向性は、情景や情緒よりも、個人に向けて、且つ、メッセージの強い、インパクトのある音の方へシフトしていった。

その後、とんねるずさんやダウンタウンさんが、お笑いを通して、歌い手さんの背景を掘り出す事で、歌をより魅力的に紹介する番組を成功させたけれど、それも、長くは続かなかった。

大昔、歌を紹介する際に司会の人が言っていた、「歌は世につれ、世は歌につれ」というフレーズは、その言葉は、音楽番組が保有する性質を表していたのだった。

そして現在。
K‐POPというジャンルが出てきて、アイドルも多様化し、若い世代の人達はよりクリエイティブな音楽をデジタルネットワークで発信していて、音楽はさらに細分化され、ディープになり、音楽を楽しむ人たちは自分に合った音楽をスマホというツールで探し楽しんでいる。
そして、昨年。最も大きな変化は、一昔前では到底考えられなかった、アニメの主題歌がレコード大賞を受賞した事である。
僕自身は、鬼滅の刃の人気より、この快挙の方がうれしかったのである。(この記事を読んだ時、心の中で、時代が動いた! と叫んだのである。Lisaさんおめでとう!)

まさに、「歌は世につれ、世は歌につれ」である。

以上が、個人的な80年代からの音楽シーンの移り変わりの感想である。


そして最後に。

当時のVTRを観て気づいたのは。マツコさんの言うように「中森明菜」さんは別格の存在であり、アーティストであった。
そして、そんな明菜さんが、なぜ、普通の幸せを手に入れられなかったのかが、本当に悔やまれるのでした。

明菜ちゃん元気にしているだろうか・・・・。来年の紅白に出演してほしいなぁ。

恋物語。2

2021-01-04 12:48:51 | 小説
『付き合ってください』
『えっ。』

突然の告白に驚いた。けど、川島健吾くんはいつだって真面目だ。だから、冗談を言ってごまかす事なんてできない。

「ダメかな?」

ちょっと申し訳なさそうに尋ねる川島君をちらっと見ると、ちょっと困った顔をしてる。
私が無理を言うときによくする顔だ。

「あっ、なんか・・・意外な展開に、驚いちゃった。」

とっさに言い返せたけど、ぜんぜん上手くない。
変な返事をしても川島君はいつも優しい。ごめんね川島。なんか答えなきゃ。

「う~ん・・・・・・。川島君て、すごく丁寧に英語教えてくれるし、喋っていても楽しいけど・・・・・・。なんて言うか・・・・・・。彼氏っていう目で見てなかったし・・・・・・。う~ん。なっていったらいいのかなぁ。」

横目で確認。あ~。やっぱ、よわってるよぉ。言い合いになって気まずくなったことはあるけど、こういうのはなかったから、なんか緊張してきた。
とりあえず、リラックス。手を組んで身体を伸ばすといいと誰かが言ってたっけ。
「う~ん。」
なるほど、身体を伸ばしてみると確かに落ち着く。でも川島君の緊張は継続中。

「あ~。やっぱり困るよね。突然そんなこと言われても。」

川島君すごく困ってる。こんな川島君を見るのは初めてかもしれない。

「・・・。なんか焦っちゃった。」

「そうだよねぇ・・・。やっぱり、好きな人がいるの ?」

どうしよう。そんなことを聞いてくるなんて思いもしなかった。
弱ったな。ごまかす事も出来るけど、それじゃあ、ますます気まずくなる。
やっぱ、ここは、嘘をつかずに言おう。

「あ~。うん。ずっと気になっている人はいるんだよね。その人の事を追って、進学したしね。」

ますます困った顔をする川島。ごめんね。でも、事実だから仕方ないよ。

先輩との出会いは中学1年生の3学期の終わり頃だったと思う。小学生の延長が抜け切れてなかった私は、学校の階段で、友達と、はしゃぎながら駆け下りてて、転びそうになった事があった。身体のバランスを崩し、ヤバいって思ったその時、偶然にも階段を上ってきた、1こ上の圭介先輩が、私をガシッと受け止めてくれた。それは、少女漫画のような展開で、ときめかないわけがなく、いきなり好きになってしまった。
そして、サッカー部だったことも知って、ますます好きになり、2年の2月にはチョコレートを渡した。でも、先輩はかっこよくてモテてたから、彼女になれないんだろうなと思いながらも、この想いが、いつか届くんじゃないかと思って、先輩の進学した高校へ私も進学した。
高校に入学してからも、ストーカーにはならない程度に、試合を観に行って応援したり、手紙を渡したりしていたから、その努力の甲斐もあってか、時々、カラオケに誘ってもらったり、LINEしたりする中にはなったけど、彼女というポジションには程遠いなと感じていた。それは、二宮佐紀さんという、この周辺の高校生の中では知らない人はいないという位、美人な人がいつもそばにいたからだ。二宮さんはサッカー部のマネージャーと言う立場だから、先輩との距離が近いとも思えたけれど、側から見ていると、「彼女」にしか見えない時もあった。だから、二宮佐紀さんと話をするチャンスが巡ってきたとき、思いきって、先輩との関係を聞いてみたけれど、二宮さんは、

「彼女じゃないよ」

と、圧倒的な笑顔で、涼しげに否定した。でも、私からすれば、簡単に信じられるわけがなかった。
だから、私のもやもやした気持ちは、先輩が卒業してからもずっと続いていた。いつか、はっきりさせなきゃと思っていた。そこへ、川島君の告白。私の頭の中は、おもちゃで散らかっている子供部屋のようになってしまった。

「そうかぁ・・・・・・。」

「うん。」

どうするだろ。諦めてくれるかな。でも、それはそれで、なんか寂しい気がする。
変な感じ。これは、今まで、感じた事のない気持ち。
どうしよう。まずは、先輩の気持ちを聞いた方がいいかな。それで、「友達」とか「可愛い後輩」とか言われちゃったら、悲しすぎるし。どうしたい私っ!

「そっ、そりゃ、そうだよね。好きな人がいない方が変だよね。平川さんは可愛いから、モテるしね。」

川島くん,珍しくきょどってる。それに、今そんなこと言われていも、どう答えていいか分かんないよ。かと言って、何も返事しないっていうの悪いしなぁ。もう、普通に答えちゃえ。

「いやぁ。そうでもないよ。」

「・・・そ、そうなんだ。」

ごめんね川島。余裕がない私にはこれが精いっぱい。もじもじしていると、川島君、思いつめた顔で話をつづけた。

「あのっ、平川さん。」

「うん  ?」

「付き合っている人がいないんだったら、僕の事・・・考えてくれないかな ? 返事は急がないよ。気になる人に告白してからでもいいよ。それくらい僕は、平川さんの事が好きなんだ。」

うわぁぁ。マジヤバい。今日の川島君、いつもと違うよぉ。

川島君は、良い友達。それははっきりしてる。話も聞いてくれるし、勉強も教えてくれるし、その場の空気を読んでくれる。男子だけど、女子っぽい感覚があるのか、一緒にいても楽。
だから、川島君の気持ちを聞いた時、頭が真っ白になった。しかも、ちょっと嬉しいって気持ちもある。
私が告白されてるんだから、ここは甘えても悪くはない。
けど、テレもあって、真面目に答えられない。もう、いつもの感じでいこう。

「わかった。わかったよ。川島がそこまで言うなら・・・・・・。じゃあ・・・、考える時間もらっていい ?」

いやっ!はずかしい! 顔が熱い。こんな顔、川島君に見られたくない。
早く、ママの車にのってしまおう。そう決めた私は、川島君の一歩前に出て、返事を待たずに、足を速めた。

「もちろん。」

「なんか、ごめんね。中途半端になって。」

「僕の方こそ。」

「じゃあ、また明日ね。」

「うん。また明日。」

「バイバーイ。」

振り返りながら手を振って、ぎごちない笑顔で答える。こんなの、今までになかったな。
車に乗り込むと、私は反射的に、「ママ、早く帰ろっ! 」って、言ってしまった。

「あやちゃん。どうしたの ? 顔が赤いよ。熱でもあるの。」

なにも知らないママは心配してくれてるけど、告白されたなんて恥ずかしっくって言えない。

「いいから早く。」

ママ何も聞かず「はい。はい。」と、返事をして車を動かした。
川島君が立っている姿が見えたけど、余裕なんてない。

「あやちゃん。川島君、手を振ってるよ。」

「わかってるって。」

照れている事をママに知られたくなくって、ちょっとキレ気味に答えて、川島君の方は見ずに、カバンの中からスマホを取り出して、圭介先輩にLINEを送った。

「明日、少しだけ時間ありますか? お話したいことがあります」

「逃げるのは恥だが役に立つ」にハマり。

2021-01-02 14:33:20 | 日記
末から、テレビドラマ「逃げるのは恥だが役に立つ」の再放送をずっと観ていた。第一回目の放送時も、噂を聞き、少しだけ観ていたけれど、通してみると、本当に面白い。
平匡さんとみくりさんの恋の行方にハラハラしつつも、新たな発見は多い。なるほど、観るたびに発見の有る物語というのは、やはり面白いものなのだと再確認。

「ムズキュン」や「恋ダンス」が表立ったドラマであるけれど、その裏に隠された社会への問題提起がなかなか面白い。

会社と個人、労働と対価、ジェンダー、シングルマザーとそれを取り巻く環境、パワハラ、女性の社会的地位、恋愛において高学歴が足かせとなっている(この設定が物語に深みを与えているのだと思う)平匡さんとみくりさんの議論によって浮き彫りになる主婦と労働、男女の在り方と社会等々。

パロディを盛り込みつつ小気味よい緩急を通して、やんわりと且つ鋭く物語の中の人達が発する言葉によって訴えられている。

物語りを作ってゆく上で、原作があったとしてもプロデューサーさんと脚本家さんの間で、かなりもめたのではないかとさえ思う。

気になったので、さっそく、脚本家の野木亜希子さんググってみると、「掟上今日子の備忘録」の脚本もなされていた事を知り、腑に落ちた。

西尾維新モノなら「アニメ」という固定観念があるので、ドラマは全く見なかったのだけれど、西尾維新さんの物語の脚本を手掛けるとは、その難解さを理解していらっしゃるという事でもある。

西尾維新さんの物語にもよく見られるけれど、誰かのセリフの始まりによって話のギヤが変わる瞬間がある。ムズキュンにドップリの人にとっては、流されてゆく言葉でもあるが、そのギヤチェンジについてゆくと、それまでの感触とは違うざらりとしたきわめてリアルな領域へいざなわれる。(この表現は不適格かもしれない)

僕にとって、そこが、「逃げ恥」の最大の魅力だったのだとようやく気付いた。

平匡さんを見ていると、青年の頃の自分を思い出して、共感してしまう所も多かったけれど、今の自分からは少し上から目線で「面倒くさい人だな」と笑って観れてしまう心の余裕さえもある事に気づいた。
みくりさんに関しても、「小賢しい」ではなく、「面倒くさい」人だなと、これまた上から目線で感じることが出来た。(新垣結衣さんのルックスをもってしてもそう思える。これは、僕の成長の証と言えよう。笑 )

「人生を手探りしながら生きてゆく」という、同じ価値観を共有する平匡さんとみくりさん。
その二人の結婚なされてからの物語が、今夜待っている。

楽しみでしょうがない。とりあえず録画もしておこう。