硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

徴兵制度は復活するのか。

2015-07-30 21:24:17 | 日記
朝のニュースを観ていたら、国会で「徴兵制度」について討論されている場面が映し出された。安全保障関連法案の議論はそこまで及んでいるのかと驚きもしたけれど、経済の部分だけをみて考えると、無理なことが多いように思う。

21世紀初頭までの戦争では、国と国との衝突であったので人海戦術も有効な戦法の一つであったが、現在ではハイテク機器が多いためそれを使う人の育成には大変コストがかかる。したがって、人をたくさん集めても、教育と隊員の生活をみなければならないので、さらにコストがかかることになり、現在の税収率ではとても賄えるとは思えない。

しかし、戦う相手が国ではなく、組織となっている現在、ルールなど皆無なので、例外的な出来事にも対応できる超法規的に活動できる体制に整えておかないと、ある日突然行われるテロには対応できないともいえる。

改憲がどこまで進むのか予測できないけれども、いったん堰が崩れればどこまで崩れてゆくのか見当がつかないのも然りである。

それならば、今まで通りでよいのではとも思うのだけれど、それでは許してくれぬ大きな力が働いているから、無理にでも法案を通そうとしているのだと思う。

対価を求めるだけの事業の末路

2015-07-24 20:26:16 | 日記
認可外保育施設で起こった事件について思ったことを一石。

そもそもどのような理由で保育施設を立ち上げたのでしょうか。保育施設として起業したのであるから、利用する人達を助け、且つ、喜んでもらえるからという動機ではないのだろうか。

ホスピタリティー色の濃い事業は社会的弱者自体に対価が発生しているので、契約時のサービスが確実に提供されているか否かは当人でないと分からない。しかも、その当人が言語で意思疎通を図れないのであれば、サービスの提供はサービス提供側の良心に委ねられている事になる。

しかし、その企業を信用してサービスを利用するのだから、利用者側としてはネグレクトは青天の霹靂でしかない。

弱者からの略奪と搾取は、大きな富を築けるかもしれないが、持続困難な働きであり、肥大化すれば崩壊することは免れない。

もし、事業主が起業時から対価を求める為だけに事業を立ち上げたのだとしたら、優しさや思いやりは不要であるので、事件は避けられぬ結果であり、犠牲者が出なかったとしても遅かれ早かれ問題は表面化したに違いないのではないかと思う。

介護事業もそうだけれど、持続可能な仕事として事業を構築し社会資源として地位を築いてゆくというよりは、無意識化で、今の私達の権利と益が確保できれば後のことはどうでもよいというような気持ちで福祉事業に従事している人が多いように感じるのですが・・・・・・気のせいかもしれませんね。

確かに君だった。

2015-07-22 17:31:59 | 日記
仕事帰りにレンタルしたCDを返却するためレンタル店に寄り、駐車した車を降りて店舗に向かおうとした時、一つ向かいの駐車場から一人の女性が携帯電話で会話しながら僕の前を横切った。見覚えのある姿に目を凝らすと、ずいぶん前に恋をした女性であることが分かった。右手にはレンタル袋を持っていたから向かう場所は同じであることが分かり、少しばかりドキドキしながらレンタルコーナーに向かうわずかな行程を自然な距離を保って歩いた。

彼女の後姿を見ながら歩いていると、どうしてあの後姿を抱きしめる事が出来たんだろうと不思議に思った。少し感情も高ぶっていたから声をかけようかと迷ったが、今は関係のないただの男と女でしかないし、ノスタルジーに浸ったところでどうなるわけでもない。すぐに我に戻り「いかん。野暮なことはするまい」と言葉を飲み込み、時間の経過と選択の結果をかみしめた。

相変わらず電話に夢中の彼女は無造作に返却口へレンタル袋を入れ込むと、次のレンタル作品を決めているのか、まっすぐ奥へと歩いて行った。彼女の後ろを歩いていた僕もレンタル袋を返却口に入れたが、店には入らずくるりと向きをかえ店舗を出て、夏の風に吹かれながら「これでいいのだ! 」と胸を張った。


忘れてしまうものなのね。

2015-07-18 20:53:47 | 日記
「もうお米がないからついてきて」と母が言った。お米がなくなった場合、元来から農家である僕の家ではまず玄米を精米所に持って行って「ついてくる」工程が必要となる。それは身体に染みついた工程であるから歩くのと同じ感覚なので玄米の入った袋を担いで車に乗せて精米所までゆく。大人になってからは車を使うけれど、小学生のころは精米所が近くにあったので米袋を一輪車に乗せて父とともに出かけた思い出もかすかに残っている。

そのころの精米機は米をつくのに一時間ほど掛ったため、ノートに日付と時刻と名前を書いてその場を離れる事がふつうであったが、今の精米機は5分もかからずにつけてしまうので、この機械を初めて使ったとき「文明の力というものは、なんとすばらしいことか! 」と思ったほどであった。しかし一方では悲しい思いもあり、使いにゆくといつも床に白米が散乱している光景を目にした。僕は父からコメは大切にしなければいけないと何度も叱られたから、ご飯を残すことはもちろん、袋から入れ替える時もこぼれたらきちんと拾う癖がついた。周りが農家ばかりであるから当然どこの家庭もそういう価値観なのだろうと思っていたので、この光景にずっと違和感を感じていて、母に精米所の床には白米が散乱してることを話すと、「昔はな、(ごみの分別がまだなかったころ。過剰米が出始めたころ)古米や古古米を普通にゴミ捨て場に掘る人がおったよ。」という衝撃的な証言を聞き、父がコメを大切にすることを厳しく説いていたことと矛盾していると話すと、「おじいさんがそう教えていたんじゃないかなぁ」と言った。

それは食べ物が不足していて餓死する人もいたとういう時代から30年くらいしか経っていない頃の話である。そしてそこから、人は豊かになると本当に大切なことすら忘れてしまう生き物でもあるのだということを知った。

しかし良い点もあり、精米所の床に散乱してるお米は外に掃きだして集めておくと、雀などの鳥達が食べてくれるので一応循環機能を果たしてると言えなくもないのです。

短編「取引」

2015-07-15 22:01:55 | 日記
 富も名声も得たある国の王様が、ベッドに入った時不意に呟いた。
「もっと富を増やしたい。何かいい方法はないだろうか」
すると、突然王様の前に黒いマントを纏った者が現れ、
「王様よ。もっと多くの富を得たいか」
と言った。王様は飛び起き、護衛兵を呼ぼうと声を出そうとしたが、どうあがいても声が出なかった。ならばと枕元に忍ばせてあった剣を手に取り黒マントの者を突き刺さそうとしたが、黒マントの者は王様の剣よりも早く静かに右手をスッと伸ばし細くて青白い人差し指で王様の剣先に触れると、自慢の剣が飴細工のようにぐにゃりと曲がった。
「無駄だ。王様でもかなわぬものがある事を知れ」
黒マントの者がそう言うと、王様は曲がった剣を見つめながらへなへなと座り込んでしまった。すると、
「安心しろ。危害は加えぬ。私はお前の願いをかな得る為に、ここにやってきたのだ。お前の剣を見れば私がどういう力を持っているかわかるだろう」
といって、曲がった剣を王様から奪うと、両手に取ったかと思うと瞬く間に元の姿に戻して王様に返した。確かにさっきまで使い物にならなくなるほど曲がった剣が嘘のように元通りになっている事に驚きながらも黒マントの者を見て「わが願いをかなえてくれるというのか! 」と言うと、黒マントの者は
「そうだ。だだし条件がある」
と言った。王様はいぶかしく思ったが、富を得るためならと、
「条件? 我の望みを叶えてくれるというのであればどんな条件でも飲もう」
と言うと、黒マントの者は、
「本当だな。それではお前の願いをかなえてやる代わりにお前の国で暮らしている民を命もらおう。よいな」
と言った。
 その条件を聞いた王様は少しためらったが、富が増えぬ原因の一つに、人口の増加と働かぬ者が増えたことによるところがあったため、これは良い条件かもしれないと思い、
「いいだろう。国民の命を好きなだけ持って行け」と言った。すると黒マントの者は深くかぶったフードの下で薄ら笑いをしながら、
「では、今からいうことをすぐに実行しろ。まず、公共事業を増し民を喜ばせろ。そして兵を増強し武器を造れ。時が熟せば何処かからお前の国を奪おうとする者が現れる。その者たちと戦い続けろ。民の命をたらふく頂いたら私が争いを止めてやる。無論お前に勝たせてやるから侵攻してきた者たちから多くの権利を奪え。さすれば今よりももっと多くの富と名声を手に入れられるだろう。だがもし、この命令に従わなければ、病気を蔓延させて無条件に命をもらってゆくぞ。よいな」
と言った。王様は恐怖を感じたが、民の命と引き換えになるのだから約束は果たされるだろうと思い、「わかった。では、早速明日から実行に移す。」というと、黒マントの者はフッと王様の前から消えた。
 あくる日、王様は政治を司る者たちを城に呼び寄せ、命令し実行に移した。しばらくすると黒マントの者が言った通り敵が攻め入ってきて国境で戦争が始まった。そして国民が総動員されありとあらゆるものが消費されていった。しかし、その戦いは何十年と続き王様は勝利を見ることなく病でこの世を去ったが、あの世で黒マントの者と再会した。
王様は大変怒り「約束通り戦争をしたが勝てなかったではないか! 」と言って詰め寄ると黒マントの者はゆっくりとフードをめくり上げ、その姿をさらした。黒マントの者は蓋骨であったので王様は腰を抜かしその場にへたり込んだ。

そして王様にこう言った。

「約束通り富は増え、国はお前が王様として君臨しているときよりも栄えるであろう。その富をお前が享受できぬ理由は、条件通り、お前もお前の国で暮らしている民にすぎぬからだ」


いじめについての散文。

2015-07-11 20:16:50 | 日記
岩手県で中学生の男子がいじめによって自殺したという記事を読んで胸が痛んだ。そこで実体験から学んだことを述べておこうと思います。

いじめにあっても大人にはもっと複雑な関係があるからあてにならないと考え、自身の力で自身を助けなければ未来は開けてゆかない。その為には優しさを捨ててドロップアウトすることや立ち向かってゆく勇気やほかのことに集中する強い意志を持つことや、無関心、鈍感になることが生き延びる術であるけれど、心が弱ってくると次第に自信を追い込んでゆくしか道がなくなってゆくのがいじめを受けている者の心の動きである。

しかし、それに対して加害者達はきっとこれからも普通に生きてゆき、誰かを追い込んで死に至らしめたことすらも記憶からなくなるのだと思う。なぜなら、いじめの対象者というのはいじめの対象になった時点でクラスメートではなく排除すべき対象になってしまうからである。

また、恐怖というものは倫理観や道徳観を持ったものでさえ、その恐怖のゆえにいじめを否定する言葉を失う。個性とかありのままとかいう言葉が重宝される世というものは、ある側面では自己主張の強い者が弱者からあらゆる物事を搾取する事を優先する人間を肯定してしまう。

なんとか争いを避けようと努力しているものや気の弱いものが我慢を強いられるのである。心の平和を望むものにとって現世というものは常に苦である。

どんな社会構造を構築しようといじめは根絶できぬ。なぜならそれが人間だからである。だから、どんな環境に生まれようとも、この世に生を受けたのであるから、生き延びる努力をし続けなければならぬ。

いじめを受けているときは辛い。立ち向かう勇気もなく、生きる気力もなくなりそうなら、閉じこもらずにとにかくそこから逃げよ。環境を変えて息をひそめて皆が忘れるまで耐え忍べ。その間に自身を見つめなおし、次の環境では上手く立ち振る舞えるように努力せよ。そうすれば本当に大切なものだけが見えてくるはずだと思う。

それはとても難しいことかもしれない。しかし、自分を追い込んでゆく前にじっくり考えてみてほしい。学校を卒業した後の自身の未来のことを。

そして、少年を追い込んだ人達も彼の「送るべきはずであった人生」を少しでも考え、それを奪ってしまったことに胸を痛めてほしいと思う。

合掌。

国立競技場は誰のためにあるのか。

2015-07-09 21:16:36 | 日記
新しく建て直される国立競技場。新聞記事やニュース番組を観ていて不思議だなぁと思ったことを一石述べておこうと思います。

あの未来的で斬新なデザインは夢やロマンがあってよいと思うけれども、あのデザインで建設するとなると莫大な費用と維持費がかかるという問題が取り上げられています。

そこで思うのですが、出来てしまってから様々な問題が出てくるのは予測し得なかった問題が発生したのだから仕方がないことだけれども、これから起こるであろう事が事前にわかっているにもかかわらず軌道修正をしようとしない事が不思議なのです。

確かにリスクを恐れていては何も成し得ないけれども、開閉式の屋根などはコストがかかり過ぎるという前例がいくつかあり、景気も右肩上がりが続く保証もないわけであるから、素人の僕が考えても、抑えるべきところは抑えておいた方が次世代の人達のためにもよいと思うのです。

もし、個人の誰かがデザインの変更に難色を示していて、それが理由で軌道修正出来ないのであるとすれば、国立競技場は誰のためにあるのだろうかと思ってしまうのです。

夢の乗り物だったのに。

2015-07-04 20:34:48 | 日記
新幹線で焼身自殺を図った事件が連日報道されていた。年に一回乗るか乗らないかという位にしか利用しない新幹線でこのような事件が起こると大変残念に思う。ワイドショーはほとんど観ないので新聞記事を読んで色々考えてみて思ったことを一石述べておこうと思います。

事件そのものにも驚いたが、現時点での報道では自殺を図った男性が高齢者であって生活が困窮していた事が動機だと報じられていた。しかし、そこで疑問がわいたのです。

疑問とは、生活に困ることと、新幹線で自殺を図ることが上手くつながらないということです。しかも関係のない人を巻き込む形となった。生活に困窮し生きてゆく希望が無くなったのならひっそりと人生の幕を引いいてもいいはずである。しかし男性はわざわざ新幹線の車内を選んだ。

そこで思ったのが男性の経歴。

男性は若い時は流しをして生計を立てていた時期もあり草野球も参加してたといわれてる。少ない情報から考えるとどうしてもバイアスがかかってしまうけれど、大きく捉えれば男性は自由を愛してきた快楽主義者であるような気がします。

そのように仮定すると、男性は常に他者との関わりを求めていたのではと考えられます。関わりというよりも注目を集めていたいという欲望と考えたほうが自然なのかもしれません。流しにしても草野球にしても他者から注目を集めるという事物が働いているからです。

そう考えると、男性にとって辛かったのは、生活が困窮している事も、他者から注目を集められなくなったから、せめて人生の最後でもう一度多くの人から注目を集めようと考え新幹線の車内を選んだのではと考えると納得がゆくのです。

そして、情報過多の世の中で新幹線で自殺を図ればどれほどの人が迷惑するかを考えなかったのは、男性は後先をよく考えぬ快楽主義者であったからだと考えれば多くの疑問も腑に落ちるのです。

しかし、男性の身勝手な行動により多くの人に迷惑がかかり、死者まで出してしまったことには変わりはありません。

新幹線は夢の超特急に変わりなく、時間に正確で、安心して乗車でき、乗り込んだ時のわくわく感は特別なのに、その列車に個人の心情を挟むなんてどうかしていると思いながらも、孤独に打ち勝てず事件を模倣する高齢者が出てくるのではないかと危惧してしまうのです。