硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

体質。

2016-04-26 21:26:33 | 日記
三菱自動車は燃費試験用データのとり方を、法令で定められている方法とは異なる手法で1991年から取り始めたとメディアが報じていた。

思わず、う~んと唸る。会社が大きいと風通しが悪くなるのは分かるけれども、データを改ざんして売り上げを伸ばしたとしても、開発者はちっともうれしくないだろうし、改ざんしたことが公になった時の損失を考えると、売り上げが伸びた事よりも、後に企業に降りかかるリスクの方が大きいと考える。

また、人の噂も七十五日というけれど、それで、失ったものが取り返せるかというと、現代社会ではそんなに簡単ではないように思う。

他者に競り勝つために期日を早めて、現場の人達を追い込んだり、データーを改ざんさせたりする体質。なんとかならないのだろうか。

本当に車が好きなら、いい製品をこの世に出して、ユーザーに喜んでもらいたいなら、こんなことしないはずだと思う。

このような事が起こると、未来は好きな事に情熱を注ぐことのできる若者たちがつくるものであって、目先の利益に目がくらむ老人がつくるものではないと言われても仕方がないと思う。

名作「エデンの東」

2016-04-21 20:46:09 | 日記
名作「エデンの東」を観た。今まで手が伸びなかった映画でしたが、一度は観ておこうと思い立ちレンタル。
名作と言われるだけあって、確かに物語に引き込まれてゆくのだけれど、物語には疑問が残ります。

登場人物の名前からも分かる様に物語の伏流には聖書があります。でも、この物語はアウトローであったケイレブとアロンとの愛に疑問を抱いていたアブラだけが幸福に至ります。

それに対し、聖書に人生の規範を置く、父アダムと息子アロンは自ら荒れ野を歩むことになりますが、なぜ敬虔な信仰者が不幸になるのでしょうか。それは聖書が物語の根幹にあるからでしょうか。

疑問はそればかりではありません。まず、アダムの妻であるケートは、流れ者であったが美人であったため、アダムは恋に落ち、結婚に至るのだけれど、自由奔放なケートを敬虔なクリスチャンとしての型にはめようとした事を嫌い、反発したことが離縁の原因なのですが、敬虔なクリスチャンなら、なぜ容姿を重視して伴侶としたのでしょう。また、愛しているなら、なぜケートを自由に「させておかなかった」のでしょうか。アダムはなぜケイレブがアダムの為に苦心してこしらえたささげ物を「正しい行い」として受け取らなかったのだろうか。戦争で得た益を嫌うならば、なぜ徴兵役員等に就いたのであろうか。

アロンも、また敬虔な信仰者であるなら、なぜケイレブの誘いに乗ったのでしょう。辛い現実を突き付けられて、なぜやけを起こして隣人を傷つけ、嫌っていた戦争に身を投じたのでしょうか。
アロンの恋人アブラはアロンを愛していると言いながら、ケイレブを慕う農奴の女性らの気持ちをわかりながら、なぜケイレブを愛する事になったのでしょうか。
脳出血に陥ったアダムが世話人としてケイレブを選んだのは、赦しではなく、気の強い利己的な看護婦より、頼りになると思ったからではないでしょうか。

名作に違和感を抱くのは日本人だからでしょうか。
それとも、信仰に寄りかからず、自身の思うように生きろ。というのが本作品のメタ・メッセージなのでしょうか。それならば、アダムは最後の最後に「信仰」を手放した「言葉」によって、ようやく真の幸福を得られたのではないかと考えられるのではないでしょうか。

ジェームス・ディーンの名演技が光り輝く作品であるけれども、僕にはこの映画の良さが今一つ分からないのでした。

こんな時だからこそ。

2016-04-16 22:15:34 | 日記
今朝の朝刊で、ツイッターで関東大震災時の事件を模倣したヘイトスピーチがツイートされていたという記事に目が留まった。一瞬目を疑ったが、記事を読み証拠として掲載されていたツイート画面を見て、とても憂鬱な気持ちになった。

なぜ、こんな時にそのようなデマを流すのであろうか。しかも、ツイッターと言う文明の先端ツールを使って、文明を逆行させようとする行為が理解できない。
ヘイトスピーチの対象となる人がツイートした人に生活できぬほどの不利益を与えているなら気持ちも分からないでもないが、ツイートできるという事は携帯、またはPCを所有できているのだから、生活が困窮するほどの不利益は被っていないと言える。
もし仮に、意図的にデマを流し、人々の心を揺動し、混乱を作り出すことで、自身の虚栄心を満たそうと言うのであれば、その行為は余りにも未熟。
記事にもあったが、こんな時だからこそ文明の力を人の為に活用することが、人として隣人として何かできる事はないかと模索する事が、大切なのではないでしょうか。
つまらぬことをする前に他者の気持ちを考えよう。小さなことで良いから、見返りを求めずにやれることをやってみよう。たとえ偽善あっても、未熟なデマを流すよりましである。

通勤時、コンビニに立ち寄るとレジ横の募金箱は、被災地への募金に代わっていた。無力である僕はお釣りを募金箱に入れると、店員さんが「ありがとうございます」と言ってくれた。その時、憂鬱だった心が少し軽くなった。

お願いが届いたのかな。 ユアタイム in 市川紗椰

2016-04-13 22:15:21 | 日記
録画して一日遅れのユアタイムを観る。この時間のニュース番組は今まで縁がなかったが、今までとは少し違った視点でニュースを観させていただけるので観ていても不思議と苦にならない。出来事を淡々と報道されているとどうしても聞き流しがちになるけれど、実験的な視点の変換が聞き流しを抑止しているように思う。また、市川紗椰さんの初々しさ、モーリー・ロバートソンさん出力の速さ、野島さんの冷静な判断力と安定したアナウンス、田中さんの三人の流れに乗るような爽やかなアナウンスが上手くマッチしていてこれまでの報道番組とは一線を画したバランスが取れているように感じる。それをモーリーさんは「シェアハウス」と表現していたが、大いに納得である。

そして、驚いたことに早くも僕の願いが届いた!!(偶然だろうけれどね)

2016年の本屋大賞に選ばれた「羊と鋼の森」の著者、宮下奈都さんとの対談が行われた。二人から繰り出される質問に圧倒されつつも、物語を理解したうえでの質問に喜ばれていた宮下さんがとても印象的でしたね。でも、余りにも時間が短すぎる。もう少し長くしてください。フジテレビ殿。

でもでも、時間が経てばどんどん鮮麗されてくるに違いない。4人のポテンシャルはとても高いので、視聴率には反映されないかもしれないけれど、何かしらの相乗効果が出るはずである。

そして今回もフジテレビさんと市川紗椰さんに届くことを信じてお願いするのである。

昨年のノーベル文学賞受賞者のスヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチさんにインタビューをお願いしたいのです。 とてもわくわくした対談になると思うのですが、どうでしょう。

謝罪会見。

2016-04-11 17:48:31 | 日記
謝罪会見を観て思ったことを一石。

人生の中で幾度とないチャンスを自らの過ちで閉ざしてしまうのは身から出た錆であることは分かるけれども、幾度とないチャンスを取り上げてしまう社会の狭量さには少し疑問を感じる。
生きていれば、社会で活動していれば、誰だって過ちを犯すし、誰かを傷つけてしまうものであり、それが常習的ならば、罪に対して罰を与えねばならないと思う。しかし、殺人や傷害ならば問答無用であるが、それ以外の過ちならば、厳重注意位で留めて置く事が社会には必要でないかと思う。

乙武さんの事にしても、彼の素行をリークした人は本当に正義であったのであろうか。
彼の素行を知り、憤慨した人達は本当に正義なのだろうか。

確かに彼の行為は不貞であるし、障碍者だからといって特別に扱ったら彼の人生のテーマを自ら逸脱することになるけれども、四肢全廃という特徴は現実であり、そこは配慮してもよいのではと思う。もし、彼が議員さんになれば、障碍者の人達、その家族の声が国政に届きやすくなるはずであるから、彼の過ちに目を閉じておいてもメリットも多いはず。

それとも、彼は神でなければならなかったのか。

仮に、それを否とする人が彼の素行のリークに働きかけたのだとしたら、国政は弱者のためには働きかけないという事になるまいか。そこには本当に正義があるのだろうか。

赦さない社会というものは、自身をも赦してくれなくなることを分かっているのだろうか。

近頃の殺伐とした事件を観察していると、その要因は「不寛容」というよりも「嫉妬深さ」が大きく作用しているように思えるのですが、豊かな社会というものは、人々の間に確執を生じさせ、ひいては嫉妬心をも育ませるものなのかもしれない。

ユア・タイム in 市川紗椰

2016-04-05 21:44:38 | 日記
新聞のテレビ欄で市川紗椰の名前を見つけた。しかも報道番組であった。

ああついに来たかと思い、10時半には就寝する戒を破り頑張って起きて観てみた。少し緊張している感じが伝わってきてドキドキしたけれども、市川紗椰さんに抱く感情は恋愛的なものでなく畏怖に近いものだと思った。
そして、彼女が彼女の潜在能力を発揮する場所はランウェイではなく、こういう番組なのだろうなと思いつつも、多くの人が彼女の魅力に気が付き知名度が高まってゆくことを思うと少し寂しい感じもした。

であるから、知名度がぐんと上がる前に紗耶さんがこのブログにたどり着いてくれることを信じて、今のうちに個人的なお願いをしておこうと思う。

まず、ジャズスタンダードのカバーアルバム出してほしい。
歌声がとても素敵なのです。

そして、ユアタイムで一か月に一回でよいから内外の作家さんと対談するコーナーを設けてほしいのです。
市川紗椰さんが作家さんの言葉に対してどのように対応してゆくのか観てみたいのです。

紗椰さん、フジテレビさん、どうでしょう。

虚構物語

2016-04-03 17:29:35 | 日記
とても長い時間だった。どれほど漂ったか忘れてしまうほどの長い時間だった。私はようやく彼らを見つけ、彼らの元に舞い降り、人生で最も幸福な時間を過ごした。
溺れるようなぬくもりに包まれた私はそこに愛がある事を疑わなかった。
しかし、時間が経つにつれ、私とは違う自我が自覚し始め、私を忘れ去ろうとしているように感じた私は私であり続けようと何度も抵抗したが手足を動かす感覚は次第に私のものではなくなっていった。
それでも私は、彼女が苦しむ度に、注がれる愛情の濁り感じ、不安を覚え、新しい自我に働きかけようとしたが、新しい自我は彼女の感情に対して無知だったから、私はなす術がなかった。でも、私はこう考えた、ここからは新しい自我の人生なのだから、私は傍観者として新しい自我の深層で見守ろうと。

時期は訪れ、私はこの自我の深層へ向かった。新しい自我は彼女の力を借りて、最も幸福な場所から離れようと自身の生命力を試すように全身を使って彼女から出た。私はその瞬間に消えるはずだったが、私を抱えた彼女が困惑しているのが分かると、私の自我は急に目ざめ、新たな自我がどこかに消えた。私は気が動転し、これはどうしたことかと叫んだ。すると彼女の手は一層冷たくなり、表情も後悔の念と悲しみに満ちていった。

冷たい手に抱きかかえられた新たな肉体を得た私は無力だった。彼女は現実を否定し私を冷たい水に沈めた。私は抵抗する事も出来ずただ苦しみの中で、再び、あの長い時間の中で漂わねばならない事を思い出し、彼女の理不尽さに怒りと恐怖を覚えた。

すると、薄れゆく自我の中に女性が現れ私に言った。

「私と同じ苦しみを味わうがいい。悔しければ、あの女を呪うがいい」

私は気づいた。私は同じように女性の命を奪ったのだと。