硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

短編 「待ち受け画面の人」

2015-04-29 21:48:46 | 日記
母の故郷へ帰郷しご先祖様のお墓参りに出かけていた時、お墓の前で手を合わせているお婆ちゃんが立ち上がろうとしてしりもちをついた。先祖の墓の前で手を合わせていた私はその様子を見てお婆ちゃんの方に駆け寄って、「大丈夫ですか?」と声をかけるとお婆ちゃんは、「ありがとう。年を取るとこれだからねぇ。」と言って微笑んだ。
私はお婆ちゃんの身体を支えながら立ち上がるのを手伝うと、「ほんとうにすまないねぇ。ありがとう。」といって、曲がった腰をさらに折るようにお辞儀した。恐縮した私は「いえ、いえ。」というだけで精いっぱいだった。
お婆ちゃんは背をのばすと、「やっぱり平和な世の中っていいわねぇ。」とつぶやき、それを聞いてしまった私は少し考えて「そうですね。」とだけ答えた。すると、お婆ちゃんは腰の後ろで組んでいた両手を離し右手に持っていた線香や数珠の入った小さな布製の手提げ袋から携帯電話を取り出した。そして、少し曲がった人差し指でタップすると画面に若い男性の姿が映った。
「かっこいいでしょ。これ、私の旦那。」お婆ちゃんはそう言って私に画像を見せ少しはにかみながら微笑んだ。私は、「かっこいいですねぇ。お幾つくらいの時のものですか? 」と尋ねると、「そうね。もう70年くらい前かな。消去しようと何度も思ったけれど、やっぱりできなくてね・・・。」と言った。
お婆ちゃんの背よりも高くなった石碑にはその映像の人が眠っているのだろうと思った私は返答に困ったけど何か言わないといけないと思い「いつごろ亡くなられたんですか? 」と尋ねてしまった。するとお婆ちゃんはため息をついて「数十年前の紛争の時よ。」と答えた。私は紛争と言っても学校の歴史の時間でしか聞いたことがないからスーツ姿でいかにもビジネスマンという感じの爽やかな男性が紛争とどう関係があったのかよく分からなかった。すると、私の様子をうかがっていたお婆ちゃんは左手を肩のところまで上げて墓地の隅の方を指さした。何かなと思ってその方向を見るとずいぶん古いお墓が少し高い墓石を中心に左右に分かれ整列しているように立っていた。
「なんですか? あのお墓は? 」そう尋ねるとお婆ちゃんは「あそこには私の大お祖父さんのお墓があるのよ。あれは何で並んでいるかわかる? 」と言った。分かるはずのない私は、「なんだろう。なんか特別な感じはするけれど、わからないなぁ。」と、答えるとお婆ちゃんは、「そうそう、私もあなたと同じ年頃の時はそう思っていたわ。」と言って笑った。
私はなぜ笑うのだろうと不思議に思った。でも、お婆ちゃんは懐かしそうに微笑んでいた。
そして、「誰でもそんなものだわ。穏やかな日々を過ごしていると争い事なんて私たちに身に降りかかるなんて思いもしないものだもの。」というと、「あの並んでいるお墓はね、ずいぶん昔にこの地域から出兵していった人達のお墓なのよ。帰りにお墓の横を見てみなさい。どこで戦死したのか刻んであるから。それが刻んでないお墓はどこで亡くなったのかもわからないままなのよ。」
今までそんなものだとは知らなかった私は驚きを隠せず言葉を失った。お婆ちゃんは曲がった背をまた伸ばして、「争いは知らない間に私たちの足元に忍び寄ってきて、ある日突然私たちを飲み込むのよ。旦那はサラリーマンだったけれど、紛争が起こって事態が悪くなってきたら突然徴兵制度が引かれてね、そしたら訳が分からないうちにサラリーマンだった旦那は兵士になってしまった。それでね、知らない国に行って命を落としてしまったの。」
遠い過去のしかも授業の中で少ししか聞かなかった事が急に生々しいことに思えてきたけれど、それでも想像することは難しかったから、「そんなことがあったんですね。」とだけ答えた。お婆ちゃんは「でも、もう昔の話だわ。」と言ってから、「それでもね、私たちの時代からナンバー登録になったおかげですぐ捜索してもらえてね。大お祖父さんの時代とは違って、こうやって弔うことが出来たのは唯一の救いだと思ったわ。でも、あなたはまだ若いからこんなこと言ってもよくわからないわね。」と言った。
私は複雑な気持ちになって「そうですね。」と答えると、お婆ちゃんは「ごめんなさいね。突然話しかけちゃって、この年になると愚痴をこぼす相手もいなくなってね。つい話しかけてしまったわ。」と、言って頭を下げた。私は「こちらこそ大切なお話を聞かせてくれてありがとう。」とお辞儀をすると、お婆ちゃんは皺くちゃの笑顔になった。そして、左手に持っていた今ではほとんど見なくなったスマートフォン型の携帯電話の画面をまた少し曲がった指でタップし画面を消すと、線香や数珠の入った布製の小さな手提げ袋に入れ両手を腰の後ろで組んで青色のシニヤカーへ向けて小さな歩幅で歩いて行った。

またかという感覚が当たり前になってゆくことへの恐怖。

2015-04-28 20:33:24 | 日記
三歳の男児を虐待死させた両親が逮捕されたというニュースを観て憤りを感じるまえに、「またか。」と、思った。フリーキャスターの吉川美代子さんはコメントを求められ、「鬼畜」という厳しい言葉で切り捨てられてみえ、僕もその心持に同意しましたが、何故そのような事が出来てしまうのかをしばらく考えた。そして、日々事あるごとに考えていた事が言葉となってするりとこぼれ落ちた。

なぜ、そのような事ができるのか。今までは愛がないからだと考えていましたが、それでは様々なところで説明がつかなくなる場合が出てしまうのです。

そこで、愛という言葉を少し横に置いといてその事象を考えてみたところ「対象に対して不思慮で狭量になれるから」だという結論に至ったのです。そして、逆に問えば「対象に対して思慮深く寛容」である場合には対象を排除しないといえるでしょう。言い換えればそれは、「あなたがいてくれなくては困る」という気持ちになるからです。

そう考えてみると、つい先日に少女を生き埋めにした容疑者の人達も被害者の少女の気持ちに対して不思慮で狭量だったから、あのような事が出来たのだと説明がつくのです。

また、他者の喜ぶ顔が私の働きによってもたらされる事で感じられる幸福というものが情念によって断絶された時、人は幸福を自らの手によって放棄することになるのかもしれません。

そして、報道がなされ、「またか。」と、いう、どこからか湧き出てくる慣れという感情に恐怖を感じずにはいられないのです。


ほかにも手段はあるはずなのに。

2015-04-26 20:11:55 | 日記
ドローンを飛ばした男性が出頭した。事件が複雑化せずに解決してほっとしましたが、なぜ彼がそのような行動に出たのか気になったので、ニュースで報道されていた彼が書き溜めていたホームページを観てみたのですが、デザインも文章も閉鎖的で嫌な感じがしたのですぐに閉じた。

でも気になったのは、容疑者の男性はいいおじさんであるけれど、ドローンに「グリフォン」という名を付けていたというところなのですが、そのようなネーミングをしてしまう幼さがあったからこそ、ただ周りの人達に迷惑をかけただけの落としどころのない事件を起こしてしまったのだと腑に落ちたのです。

反原発運動をするならもっとほかに手段はあるはずなのに、これでは内海課長じゃなくて、失恋して作業用レイバーでやけを起こした作業員と同じだよ。




ドローンという名の凶器

2015-04-23 21:15:50 | 日記
新聞やニュースは「ドローン」の話題で持ちきりである。墜落していた場所と搭載していたものが放射線セシウムだったことが更に拍車をかけている。

これによって、首相官邸におけるセキュリティーは見直しを迫られることになるであろうし、「ドローン」と呼ばれる小型無人機の取り扱いにも何らかの規制が掛けられるのではと思われるが、それ以上に、ドローンはこのような使い方もできるんだよ。と、世間に知らしめることとなったのではないかと思う。つまり、いたずらも含め意図的に目標に向けて飛ばされる危険が増えるということである。

また、ドローンに搭載されいた放射線セシウムは自然界にはほとんど存在しない物質だというから、これは首相に向けられた非言語的なメッセージだということが推測できる。
それが、どういうメッセージかは分からないけれど、僕が妄想する範囲では「あなたもこの危機を身近に感じるべきだ。」というものか、「用意は整っていますよ。次は本気でいきますよ。」であるか、2020年に控えているオリンピックを前に、「日本のセキュリティーはこんなにも甘いのですよ。」「原発事故は未だ何の解決にも至っていないのですよ。」と言うメッセージを海外に示したかったのではないかと思うのです。

どんな理由であるかはドローンを飛ばした本人にしか分からないけれど、飛行機やヘリコプターのラジコンをこよなく愛し、飛ばすことを自身の生活の一部としているラジコンファンにとっては大変迷惑な話である。

そして、模型飛行機というものは、凶器ではなくロマンでなければならないと思うのです。

介護という仕事についての散文。 その3

2015-04-22 20:41:23 | 日記
新聞に彼らの処罰が小さく掲載されていた。名古屋区検は彼らを暴行罪で逮捕後、略式起訴し、同日、名古屋簡裁は彼らに対し罰金10万円の略式命令を出したとあった。


虐待を働いた彼らは虐待をいたずら程度にしか考えていなかったから動画に残せたのだと考えられ、その行動から推察すると、彼らの職場での働きは、自己益の増大化が最優先事項であり、自身の嗜好を満足させるものにしか興味を示すことができなかったから、言葉の発せぬ弱者から権利を搾取できたのだと思う。また、自身の権利を主張できぬ心優しい職員に対しては、その優しさに付け入って仕事を押し付けていたのではと考えられる。そして、彼らの暴走をだれも止めることができなかったのは彼らが不快感を示すことにより、他者を威圧し、取り巻きを増やし、自身の考えは常に正しいと主張し、他者の意見に一切耳を貸さない硬直した原理主義的な人達であったからではないかと思う。

そして、稚拙で、権威主義で、原理主義である彼らを職場に留めておけたのは、権威主義であるがゆえに上層の権威に対して卑屈になれたからであろうと思う。そう考えられるのは、もし、上層の権威に立ち向かってゆくほど職務に対して実直であったなら、弱者に対していたずらなど働かないと思うからです。

彼らはほんの軽いいたずらのつもりであったのだろうと思うが、その行為の因果は今後の人生に前科が付きまとう結果となり、介護職というハードルの低い仕事すらにも就けなくなってしまった。

漏れるはずがないと思い込んでいたデーターが間接的に漏れてしまったのは、彼らが自身の正しさを疑わなかったからであり、その事象をお年寄りがよく使う言葉を借りて表すなら、「ばちがあたった。」と言えるのではないかと思うのです。

花燃ゆ。

2015-04-19 21:45:04 | 日記
なぜだか観てしまうNHKの大河ドラマ「花燃ゆ」。 吉田松陰先生の物語であるので、言葉で人を動かしてゆこうと志す人達の物語であるが故に、前回の「軍師黒田官兵衛」のような殺陣のシーンがほとんど見られないから、命のやり取りに魅力を感じる人にとっては少し物足らないのもうなずけてしまう。

しかし、吉田寅次郎の熱意や彼を慕う人達の気持ちは「こんなだったのかもしれないなぁ。」と思いながら観ていると面白いし、時代劇を通して現代を批判しているともとれるところもあり、物語に芯の強さを感じます。でも、寅次郎の熱さというか、実直さというか、少し不器用なところが痛いなと感じつつも、僕はそこがとても共感できてしまい。事あるごとにテレビに向かって「わかる、その気持ち分かるぞぉ。寅次郎。」と語りかけてしまうのです。

寅次郎にもっと柔軟性があれば、勝海舟と巡りあっていたかもしれないし、出会っていれば歴史は大きく変わっていたかもしれないが、熱き男の運命は次世代を育てることが役目であり、幕府からみればテロリストであったが為、斬首刑という結末は予定調和だったのかもしれない。

偶然か必然か?

2015-04-13 21:51:06 | 日記
長い雨。桜の花も散り、水田に水が張られ、賑やかにカエルが鳴いている。寒い日が続いているがもう春である。

僕は、ここ数年、冬になると必ず風邪かインフルエンザにかかり寝込んでいた。そして、その度に妻が大変迷惑そうな態度をとるので、精神まで弱ってしまい、さらに「マスクはした? うがいはした?」と、子供相手のように言われ続けているので、風邪を引きやすくなったのはストレスが原因なのではないかと考えた。

しかし、ストレスをため込む僕は、どうしたものかと悩んでいると、テレビで「ヤクルトを飲めば風邪をひきにくくなる可能性がある。」と、いうCMが目に飛び込んできて、「これだ!」と思い、翌日からヤクルトさんの販売促進にのっかってみた。

幸い、通勤経路にコンビニがあるので、毎日通い「ジョア」を一本買って飲み続けた。百円をだせば二円お釣りがくるというリーズナブルな価格もその継続性を高めた。

そして、昨年の十一月の終わり頃から飲み続けた結果。なあんと、今年は風邪も引かず、インフルエンザにも掛からず冬を乗り切れたのです。

無論、飲むだけで予防できたとは思えないけれども、この工程は僕の身体に大きく作用したことは間違いないと思う。

シロタ株の効能恐るべし。

その立場が意味するもの。

2015-04-09 08:58:35 | 日記
ニュースを観ていて驚いた。北朝鮮のミサイルが米国に到達する能力があるとアメリカ側から明らかにされていたのですが、北朝鮮のミサイルの性能もさることながら、その表明をされていた、北米・航空宇宙防衛司令部、ゴトーニー司令官という方の肩書に驚きを隠せなかった。

衛星軌道上であるなら、「航空防衛」でもよいはずである。しかし宇宙という範囲をつけるとなると、米国の考えるところはその先の防衛も視野に入っている。つまり地球を防衛するという立場をとっているということになると思うのです。

北米・航空宇宙防衛司令部といえば、イヴの夜にサンタクロースの追跡を担っている基地でも有名なのですが、すでに私達のしらない所で宇宙防衛が行われているのかもしれない。

この海は誰の為にあるの。

2015-04-05 23:14:58 | 日記
沖縄県知事と官房長官が会談するシーンが流れる。一時間話し合った中の数秒であったが、互いの想いが重なり合うことはないように映った。

官房長官の個人的な本心は分からないけれど、問題の原点がどこにあるのか遡ってゆくとしたら、日本はなぜアメリカと戦争を始めてしまったかという所まで遡らなければならなくなり、米軍の基地が設置されたのは沖縄県が占領されたからであるけれど、そこに問題の所在を求めるのだとしたら、占領を回避できなかった軍部の責任となる。

しかし、時間は遡る事が出来ないから現状からできることを考えてみるけれども、誰もが満足のいく結果を出すことができないように思います。

沖縄本土から米軍の基地を撤退させる条件として考えられるのは、極論であるけれど、戦闘できる軍を保有するか、沖縄県が日本から独立し独自で米国と交渉するか、どこかの国と同盟を組み、米国との関係を断ち切るかしなければならないように思います。

しかし、それは大変危険な選択でしかありません。日本が独立するのですから、平和であろうとも構造は戦前に逆戻りです。

移設には反対だから基地はよそでやってくれないかという意見がすんなり通らないのは、日本が敗戦しているからです。もう七十年も経つんだからいい加減勘弁してくれないかと許しを請うても相手は簡単に権利を放棄してはくれません。

もし、貨幣がすべての問題を解決するという選択が通ってしまえば、あのきれいな海は戻らなくなります。

いつか訪れるかもしれない有事の為に綺麗な海の一部を献上すると思えば呑み込めなくはないけれども、あの海は未来の島民のものでは無くなってしまいます。

地球規模からみれば蝸牛の角の先位にしかならないかもしれないけれど、そこに息づく人々の想いを汲み取る事ができなければ、幕府が倒れたように日本政府も倒れてしまうようなきがするのです。

そして、「シーザーのものはシーザーに返せ。」という論理が正しいなら、本来のあの海はいったい誰のものなのだろうかと考えてしまうのです。





介護という仕事についての散文。 その2

2015-04-03 15:50:19 | 日記
あのような事件が起こるたびに、介護職員なのにどうして思いやりに欠けるのかという疑問をずっと抱いてきましたが、介護という仕事を客観的に考えてゆく上で、少し視点を変え「愛」や「思いやり」や「受容」という言葉を意図的に使わないで表現してみることを試みた結果が前回の散文なのです。

しかし、改めて読み返してみると、やはり、自身でも少し異様に感じます。

でも、逆に考えれば、人が人を支えるという働きの起源は、宗教的な思想から発生しているので、「愛」や「慈悲」という普遍的な思想が欠落していては成り立たないということであり、介護というビジネスとして立ち上げてしまうと「愛」や「慈悲」がなくても成り立ってしまうという矛盾に陥ってしまっているように思うのです。

それでも、普遍的な思想が無くならない限り、希望も無くなるわけではなく、人が人である以上、その働きも、形を変え未来へ受け継がれてゆくものだと思うのです。


介護という仕事についての散文。

2015-04-01 21:14:06 | 日記
公表する目的もなく、ただ考えの整理をしようと仕事について書き留めた取り留めのないたいへん読みづらい散文があったのですが、今日の新聞で介護施設に入居している高齢者に虐待を働いた職員が逮捕された事件を観て、悩みに悩んだけれど此処に載せておくことを決意しました。悩みに悩んだのは誰かを傷つけることになるのではと憂慮したからですが、それでも、載せておくことで誰かの手助けになるのではと思ったからです。大海に小石を投げるようなものですが、良くも悪くも何かを感じ取って頂ければければ幸いです。


今、社会問題になりつつある介護職が抱える問題を現時点の僕なりの解釈でまとめておこうと思います。

まず、メディアが伝える離職率が高い理由として、待遇の低さが指摘されていますが、実際に現場から見ているとどうも待遇ばかりが原因ではないように感じます。確かに待遇改善をすれば一時的に人の流動を抑えることができるかもしれません。しかし、それは一時的であっていずれ同じ水準に回帰すると思います。

その根拠として、介護という仕事は介護保険で成り立っているので労働に対しての対価はどの介護施設もさほど変わらないのですが、離職してゆく人の多くが再び介護職を選ぶという現象が対価でないことを物語っています。また、本当に対価が魅力をであるなら賃金の低い介護職を選ぶ理由が分かりません。

したがって、労働に対する対価だけが問題ではないと考えられます。では、何が原因なのでしょう。次に考えらえるのは人間関係なのではないかと思います。それは働きづらさ、と言えるかもしれません。
今までに幾人もの離職者から、なぜ離職してしまうのか聞き取りを続けてみたところ、大半の人が人間関係をあげていました。中には「此処の人間が嫌いだ」と、断言していた人もいたほどです。
さて、人間関係となると問題の根が深いので、なにが原因はわかりづらいのですが、大きくとらえると、個人の資質もさることながら、組織の構造にも問題があるようにおもいます。

そのヒントになったのは、離職していった人がこの職業について「介護は誰でもできる仕事。」と、言いながらも同職に就いたことなのです。
「誰でもできる。」と、貶めておき、同じ職種に就いたのですから、「これはどういうことか?」と、疑問を抱きました。

そこで、離職理由と共に、なぜ介護職という仕事を選んだのかも幾人かの人から聴き取っていたので、その気持ちをもとに考えてみました。

なぜ、介護職を選んだのかという動機の一つが、なんとなく専門学校へ行き、なんとなく施設に就職したという人。2つ目が、対価を得たいが時間などの制約があり、その条件を満たす仕事が介護職しかなかった人。3つ目が、他の仕事もエントリーを試みたが、エントリーできず最終的に介護職に落ち着いた人。4つ目が、学校の先生の勧めで自身の意志とは無関係にエントリーしてきた人。5つ目が、介護という仕事がしたくて職に就いた人。
他にも、将来的には経営者となるためという方もいらっしゃりましたが、おおよそ、大きく分けて5つの理由が考えられます。
そこ5項目の中でも、介護の仕事をしたくて職に就いた人と、時間などの制約があり介護職に就いた人の中でも、介護職に就く以前は他の職種についてバリバリ働いていた経験のある人は、モチベーションも高く、仕事を理解しようとする意志がはっきりと見て取れますが、(前職を辞めた理由が個人的な感情論でない人)他の理由でエントリーしてきた人は、不思議と自己評価のみが高い人が多いように思いました。(少しづつ理解し、頑張って仕事に取り組めるようになる人もいました。)

そして、そういう人は共通して就業時間内だけが仕事という考え方に固執していました。
それは、たしかに間違いはないのだけれど、疑問に思ったことや分からないことは仕事を離れたときに調べたり考えたりすることで自身を向上させると思うのですが、彼らはどうも向上することは必要がないと思っているようです。また、彼らの多くは自身の正しさがすべてである為他者を必要としません。

仕事にしても趣味にしても楽しいいう喜びを感じるには、他者の存在が欠かせないと思うのです。たとえば、美味しいものを食べて「美味しい」という喜びを得るためには、「美味しいもの」を作るために修業した「他者」から「私」に送り届けられなければ得ることのできない喜びです。
それは、音楽でもスポーツでもゲームでも恋愛でも学問でも共通していることでしょう。
他者から送り届けられる技術や知識、気持ちが身についてゆくことこそ、喜びが得られるのだとしたら、他者から送り届けられるものがなければ、自身が向上してゆくという喜びは得られるはずがありません。よって、彼らは、知るという喜びよりも、知らないということを示されることをとても嫌います。

確かに、楽しさというものは個人によって感じ方が違うので、仕事を向上させるよりも、恋愛をしたり、友達を作ってお喋りを講じたりすることも楽しいと思うでしょう。しかし、恋愛や友達作りが目的ではない人にとっては、向上心が刺激されないばかりか、向上心のある者にとって魅力を感じない組織として映るのではないでしょうか。

そう考えると、自身の仕事を貶めた理由は、自分のスキルの低さを仕事を貶めることによって自身の自尊心を担保したかったのではないだろうかと思ったのです。そうすれば、その人の言動に納得がいくのです。
そのような人は、自分のミスには寛容で、他者のミスには狭量である傾向がみられ、そういう人物であるからこそ、自身が初歩ミスを繰り返していても、改善しようという考えには至りません。そして、そのリーダーに対して従順であれば、支配内においての自由と権利認められるので、対価を得る手段がそこにしかない人は従順であることを選択してしまいますが、そのような歪んだ構造に違和感を抱かない人はいません。

そこが、人間関係で離職する原因の一つと考えられるのですが、従事者が減っている理由はもう一つあるようにおもいます。それは、少子化と経済が上向いていることに起因しています。経済の向上は一見、福祉にも補助金が回り良い影響を及ぼしてくれるのではと期待できるところもありますが、少子化が進行し続けている以上、施設が乱立していけば、担い手が減少してゆくのは自然です。場所があっても学校のように義務ではないのだから、新卒採用という人材を期待できません。介護保険が導入されたころは、就職難といわれる時期と相成ってそのような構造を保有していたけれども、もはやそのような構造は成り立たなくなってしまったのです。

また、横に流れてゆく人の口には戸が立てることはできません。したがって、その施設がどのような問題を抱えていたのかが自然に広がってゆきます。それは、横に流れようとしている人の判断材料になります。そうすれば、横に流れる人すらも流れてこなくなります。

介護現場は共産主義的な共同体であるので、全員がフラットな位置で互いが助け合い補い合いしなければ、組織として成り立ちません。できる人はできない人を助けつつ伸ばし、できない人はできないなりに謙虚に努力しなければ、ともに助けあう共同体は構築できないように思います。

現状は表面的には平等に見えますが、その中身は権威主義に陥っています。それは職務の自由性というものに関係しています。自由性とは介護という仕事は現場では特殊な技術も知識も必要としない日常生活動作の延長でしかない為、現場に入ってしまえば自己主張の強い者の主張が優先されてしまう事象といえます。表向きには初任者研修制度や介護福祉士という資格がありますが、その自由性の為、施設によっては在籍年数が資格より幅を利かせてしまい資格の意味を成さないのです。

したがって、構造が改善されない以上、何かあれば、常に自己主張の張合いと、新しい者、主張できないものからの権利の搾取に傾倒してしまうので、耐えられない人は辞めていかざるを得ません。

そのような、負の連鎖が働いているのにもかかわらず、残留している中の一部の人は常に離職する者に問題があると思い込んでいます。それは、残留している人の一部が権威主義者である為、自身の立場に固執してしまっていて問題の本質を観ようとしなくなってしまっているからですが、彼らは他者が存在していることでしか権威を示すことが出来ないということを知りません。他者から権利を奪い続けてゆけば権利は最大化しますが、他者がいなくなるのですから自身への負荷が増してゆくばかりになります。もしくは自身に問題抱えた人たちしか集まらなくなります。

そのような他者への配慮が欠ける思考の人達が、身心に生じた障害の為に社会資源を利用し辛うじて生を伸ばしている人に対して、他者の身心の機微に応じて自身の感情を制御し対応し続けることが出来るとは思えません。そして、その負担を被るのは社会資源の下で生活をしている私たちの延長線上にある高齢者なのです。しかし、無意識化で他者の権利を奪っているので問題の深刻さに気付いていません。しかし、そういう人達だからこそ低賃金で雇用できるのだと考えている資本家が存在していることが問題をより深刻にしているようにも思います。

だから、厚生労働省や公益社団法人が示す倫理綱領に沿う働きを行うためには心の成熟が必要となるのですが、人の心が不完全である以上、どうすればよいかという問いには答えることが出来ません。
意識改革や構造改革が必要である。という抽象的な表現で表せることもできますが、言行合一の困難さは社会情勢を見てみればいかに難しいかが分かりますが、問題を少しでも解決したいならば、資本家が意図をもって組織作りに取り組まないと、変化は起こらないことは確かなことです。しかし、その資本家の中に、人材を育て、持続的な職業として成長を図るのではなく、従事者を労働力として効率よく搾取することに重きを置いているという考えの持ち主が無くならない以上、従事者もその境遇下では自身の権利の最大化に固執してしまうのは自然であり、そのような歪な構造が離職率を高めているのではないかと考えられるのです。

介護現場は社会的弱者を社会資源という共同体で支えると共に、社会でうまく立ち振る舞えない人たちにとっての雇用の場という社会資源の役目も担っています。無論、それを理解し、地域に貢献するために努力を惜しまない福祉施設も存在します。
しかしながら、社会保障制度という制度で支えられている社会資源の中で、生産性が無いに等しく、資本主義者が社会的弱者から搾取し、その弱者が更に低い社会的弱者から搾取する構造を、行政はわざわざ介入し指導するより、徐々に投資額を削減し、体力のない事業所を成り立たなくしてゆくのではないかと思います。なぜならば、その方が彼らの手を煩わせずに済み、彼らにとってメリットが大きいと思われるからです。
そうなれば、職業としての社会的地位の向上はおろか、職種と共に組織も緩やかに衰退してゆくしかないのだという悲観的な予測しか立てることが出来ませんが、しかし、それは介護保険制度が導入される以前の体制に回帰するだけであり、言い換えれば多くの人たちが心のどこかで望んでいる個人主義が到達する体制になるとも考えることが出来るのではないかと思うのです。