硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

セクシー田中さん。

2024-01-31 22:05:34 | 日記
芦原妃名子さんの訃報を新聞で知る。

ドラマの最終話がぎごちなかったのでどうしたのだろうと思っていたら、翌日その事がネットニュースになっていた。
その記事は心に留まっていたので、見出しを見た瞬間、胸が痛んだ。

漫画が実写になるとき、必ずといっていいほどに起こる違和感。携わる人が多ければ多いほど原作とかけ離れてゆく。

「セクシー田中さん」もそうだった。

僕は、木南さんの熱演もあって、ドラマは違う世界線の物語として楽しんで観ていた。

原作者としては、原作者の意図を汲んでくれない進め方は納得のいかないことだったことは想像に難しくない。
でも、彼女を精神的に追い詰めた理由は、他にあるのではないかと思う。

SNSは人と人とを結ぶ距離を短くしたが、人を容易に傷つけられることも可能にした。

作品を見る側も作る側も、こういう悲劇が二度と起こらないよう、よく考えなければならないと思う。



政治資金パーティー問題の落としどころ。

2024-01-26 10:12:44 | 日記
政治資金パーティーを巡る組織的問題について、様々な意見があちこちで述べられている。

しかし、メディアでその問題について語る事の出来る人は、構造を理解し解説できるので、語る事が出来るのだと思うけれども、その意見が当事者に届かないのは何故なのかと思う。

当事者には届かないとしても、これだけ、メディアを通して問題が発信されているので有権者には届いているはずであるから、次の選挙で、現時点で名前の挙がっている人が再選した場合、その地区には、批判を受けた議員に票を投じる「特別な」働きがあるという事になる。

地検の捜査の落とし処から考えると、政治にまつわるお金の問題を掘り下げてゆけば、「触ってはいけない」ところに到達する可能性があるという事なのだと思う。

それが、根深い不動の事象だとして、法的に軟着陸させるとするならば、収支報告を怠ったら、脱税行為として法によって適切に罰し、再び国会議員にはなれないとすることと、国会議員70歳定年制と、世襲を禁止にするくらいしかないのではないかと思う。

2045 地球に隕石が衝突する?

2024-01-23 21:11:55 | 日記
(Ⅹ)から送られてくる様々な情報のお知らせの数字が大きくなっていたので、とりあえず開いてみた。

次から次へと流れてくる情報は、組織や個人への批判、笑える話、心温まる話、明らかな真実、明らかな虚偽、陰謀説、承認欲求を満たす為だけの言葉、対価を得るために発信された情報、罵詈雑言、などなど。

読んでいて、いい情報に出会う事の方が少ないし、ここから真実だけを抽出する事が出来るのだろうかと毎回頭を抱える。(アンインストールしてしまえばよいのだけれど、テレビなどで報道されている情報と比較するときなどには、役に立っていると思う)

それでも、とある(ポスト)を読んでいて、これはよいなぁと思った事があった。
それは、2045年に地球に隕石が衝突して、地球上の大半の大地が水没してしまうという、予言めいた情報であったが、それに対しての(リポスト)の意見が様々であったことだ。

テレビや本からの情報ならば、「私」が信じてしまうと、「私」の中で真実になってしまう。しかし、(X)のような場所であると、「私」が信じる前に「他者」が囁いてくれているので、それを読んで「私」が思い込むことを防いでくれるのである。

アンチテーゼは思考の暴走を食い止めるブレーキの役目を果たしてくれていると思うが、発信者の思考や語り方は、宗教に近いような気もするので、逆に、発信者に「ついてゆこう」と思う人も出てくるのではないかと思った。
そして、もしかしたら、新興宗教の教祖誕生に立ち会っているのかもしれないなと思いながらも、頭と目がひどく疲れたので、考えるのを止めてスマホを閉じたが、不思議な事に2045年グレートリセット説という都市伝説のような言葉だけが心に残った。



その問題はどこにあるのか。

2024-01-18 21:55:44 | 日記
今日の朝刊の記事に目を通していると、「鼻から食事 虐待認定」という見出しに目が留まった。

詳細を読んでゆくと、医療療育センターにて食事をうまく摂れない要介護者に対し、とろみをつけた食べ物や水分をスプーンで鼻から体内に送るという介助をおこなっていたという内容であった。
そして、その介護者はその事について「食べ物や水分をできるだけ摂らせようという意図だった」という理由を述べていた。

おそらく、経験による成功例によって経口摂取困難者には有効な介助方法だと思い込んでしまったことが、要介護者の人権や命に係わるリスクを軽んじる原因になったのではと思う。

しかし、そもそも、その介護者は、介助方法以前に「自分がその立場だったらどう感じるか」という基本的な思考が欠落している。

仮にドクターの指示と要介護者の家族の同意のもとで、カテーテルを用いて鼻腔からラコールなどの経腸栄養剤を注射器で流し込むというのであれば、「仕方のないことなのだ」と飲み込めるが、自分の経験のみで判断してしまう思考は理解に苦しむ。

また、経口摂取の困難な要介護者であるのなら、現場レベルで介助方法についてのカンファレンスも行われているはずであるから、なぜそのような手法がまかり通ってしまったのかが分からない。

要介護者の身体に回復の見込みがない障害が生じていて、緩やかに衰退が進んでいても、「食べなければ元気にならない」という幻想を信じて疑わず、無理矢理に食べさせる事が「正しい」のだと言い張る人が介護現場で幅を利かせている間は、このような事案はこれからも繰り返されていくのではないかと思う。



日進月歩しているはず。

2024-01-14 16:14:33 | 日記
携帯電話が進化したことでいつでもどこでもネットにアクセスできる時代になった。
アプリケーションソフトが開発され、進化し、瞬時に情報を収集できるようになった。
ドローンという飛行物体が登場したことによって、上空からの観測や、小さな貨物の運搬が無線で出来るようになった。
輸送機器や重機の性能も随分上がった。
デジタルネイティブ世代も、社会をけん引している世代になってきている。

50年生きた中で、地震による大きな自然災害を何度か目の当たりにした。
その度に政府の対応が問われてきたが、現在の政府関係者にはデジタルネイティブ世代も多く含まれているはずである。
そして、一流大学を卒業している人達が国を動かしているはずである。

それであるのに、政府という組織が一番進歩していないと感じるのは何故なのだろうか。

笑いのツボは。

2024-01-10 22:14:04 | 日記
昨日の午前中、車を運転しながらラジオを聴いていた。

チャンネルをNHKに合わせると、キム兄さんと澤田彩香さんのトークと共に桂文珍さんの声が聞こえてきた。
ボリュームを上げて、その会話のやり取りに耳を傾けていると、思わず爆笑してしまった。
そして、ふと思った。

笑いには質というものがあるのだなと。

そして、誰も傷つかない「ああ面白かった」といえる笑いがあるのだとしたら、今日のような話し方なのだと。
澤田さんの笑い声が絶えなかったのは、キム兄さんと文珍さんの話芸がその域に達していたからなんだろうなと思った。

僕が住んでいる三重県は、関東と関西の文化が両方入ってきている土地柄なのであるが、お笑いといえば色濃く吉本なのである。

だから、割とキツめのツッコミも笑に昇華できてしまうのであるが、それはある人にとってはキツすぎてしまうのである。
総体的に関東と関西の人の笑いのマインドは違うので、双方にとって受け入れられないワードが出てきてしまうのであるが、それを乗り越えてゆくのが、笑いの難しさなのではと思う。

人は新しくて刺激の強い方へ集まる傾向にあるけれど、笑いのツボは人それぞれであるし、時代の移り変りによって変化は求められるけれども、笑いの根源的な所は普遍なのだと思わされるラジオであった。

ぼんやり思う事。

2024-01-08 09:58:34 | 日記
元旦から、心が痛むニュースばかりが伝えられ続けていた。

心痛めた所で、今すぐにはどうすることも出来ない。だからせめて心がくたびれないように共感しないように意識してみるものの、どうしても気になってしまう。

そして、なぜ、そこにいなければならなかったのかを考えてしまう。
偶然なのか必然なのか・・・・・・。

朝、目覚めると、携帯電話の画面で時刻を確認し、暖かい布団を抜け出し、部屋の電灯をともし、暖房をつけ、水道の蛇口をひねり顔を洗う。そんな当たり前の事が、ある日突然できなくなってしまう。

便利であるはずのSNSは、正否の分からない情報で溢れていて頭を悩ませてしまう。

地球は生きていてその断層の上で営んでいることを、忘れてしまっているのに。

そして、事あるごとに諸行は無常なのだと気づかされる。

これは、偶然に生まれたことなのだろうか。それとも必然的なものなのだろうか。