硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

近藤善文展。この男がジブリを支えた。

2018-07-28 20:59:07 | 日記
浜松市美術館で開催されている、「近藤善文展」を鑑賞しました。理屈抜きに近藤さんの絵が好きなので、近藤さんの筆跡に只々感動。また、常に新しい作品の構想をしていてクリエイターとしての情熱もひしひしと伝わってきます。

そしてなにより感動したのは、もちろん「耳をすませば」です。
じっくりと、その軌跡を鑑賞。キャラクター設定にラフスケッチをみてゆくと、杉村君と夕子ちゃんの設定の空間に「この人は美人 夕子」と書いてあったのを見つけた時、体が震えました。
僕が描いた「耳すま」の続編を構想しているとき、「夕子さん」の今を、フィルムから色々と想像してみた時「この子はきっと美人になるんだろうなぁ」と思い浮かんで、そこから、夕子さんのストーリーの肉付けをしていきました。

だから、近藤善文さんのキャラクターへの思いを、上手く捉えることが出来ていたんだと、ラフスケッチの前で感動してしまったのです。

今思うと、目が覚めてから仕事時間以外の時間は、夢中で物語の事を考えていたから、近藤善文さんがほんの少し力を貸してくれたのかもしれません。

そして、数々の作品の筆跡を観て思ったのは、「未来のミライ」の監督の細田さんが、スタ時をジブリを不採用になってしまったのは、宮崎駿さんと高畑勲さんには近藤善文さんという素晴らしいクリエイターが存在していたから、才能のあった細田さんを採用しなかったのではと思ったのです。

昨日テレビで放送されていた「ばけものの子」。じっくりと画を見ていると、「あっ近藤さん」と思ってしまう所が随所に観られたので、意外と的を射ているのかもしれません。

ジブリファンならずとも、画が好きな方なら、線の引き方をじっくり見ることだけでも感動できるのではないかと思います。9月9日まで公開しているので興味が湧いた方は、ぜひ浜松市美術館へ足を運んでくださいませ。

津久井やまゆり園での事件をもう一度考えてみる。

2018-07-27 21:04:39 | 日記
津久井やまゆり園の事件から2年。昨日、今日と、新聞は紙面を大きく割いて現状を伝えていた。

そこから知りえたことは、加害者の考え方は現在においてもゆるぎないという事であったけれど、世の中は、あの事件を通して障碍者に対しどう変わったのかは伝わってこない。

気の毒だったねとか、可愛そうだったねとか、加害者は狂っているというありきたりな情報は読み取ることは出来たけれど、具体的にどのような支援をするべきかは現在も模索中のようである。
理想論としては社会資源を必要とする被保険者の心の声を正確に聴き取り、自己決定によってサービスを提供できれば良いのだけれど、意思疎通のとれない人には困難な選択となり、結果として家族としては行く末を考えたうえで社会福祉に頼らざるを得なくなるのは否めません。
だから、その事情を知らない多くの人が、頭では分かっているけれど、どこかで線を引いてしまうのは、人の感情として自然なように感じます。

しかしながら、人権を擁護する為に、最低限の生活を保障する為に、社会福祉に頼らなければならない人が増加してゆけば、その現場で、他者の人生や生活を支える人たちに負荷がかかる事も事実であり、業種の構造から、低価格でのサービスを求めている人が多いので、賃金も抑えられていて、物価の上昇は、支える人たちの生活を圧迫してしまいます。
そう考えると、サービスを支える人たちの人生もあるのだから、支える人たちの選択肢も、必然的に発生します。
その選択肢を僕なりに考えてみると、自身の生活の豊かさを取るか、他者の幸せのために地震を犠牲にし身を粉にして仕えるか、もしくは、主たる人の収入が支えにある人が、主として支えてゆくという選択肢があるように思えますが、現在は、それすらも、ぼやけてしまっているように思えます。

それに伴う問題は、質を維持する事の難しさであり、宗教的思想のような気持ちをもって、身を粉にして社会資源を必要とする人たちを支えたいという人達ばかりではないので、支える人たちが、疲弊してゆけば、自身より弱者な者に強く当たってしまう事は、人の感情としてはごく自然なものであり、それをプロ意識が足りないという概念で否定すれば、張り詰めていた緊張の糸がプツリと切れてしまうのも分からないでもありません。
その時、どのように心が動くかを想像してみると、すっぱりと福祉業界から離れるか、自己改善を試みるか、適当に受け流し自身を護るか、誰かに依存するかという選択に進むように思う。

誰もが持っている心の弱さを、さらけ出され、否定されれば、理性で留めていた感情が溢れ出すのも無理はないけれども、福祉の仕事に従事する者を育ててゆく為には、人が持っている自尊心の高さは千差万別である事を理解し、他者からの否定によって感情がどのように溢れ出すかは予測不能であることを、否定する側も否定する前によく考えなければならないと思うけれど、誰もがそのような忖度が出来れば世の中はもっと穏やかであるような気がします。

少し話の筋はそれてしまいましたが、否定され、次の選択を余儀なくされた者が、進むべき道筋を考えると、失意の中で彷徨い続けるか、否定された事で、自尊心が傷つけられたと感じた者は、自身を護る為に、責任を転嫁し、怒りに執着し、自身の正しさを知らしめてやろうという考えに至るのではと思う。

そこで、多くの人が抱く線を、より強固に引いたのが、加害者の彼だったのかもしれないけれど、差別や偏見によって生まれた悲劇が繰り返されてきた歴史から、彼の考え方は誰もが抱く「黒い感情」であることを自覚していなければ、この事件を乗り越えていけないのではないかとも思うのです。

もし、乗り越えられないようであれば、社会福祉の現場が最終的に落ち着くところは、少し歪ではありますが、資本者が、個人的になんらかの問題があり、他の職種では従事する事の出来ない「危なくない人」を中心に雇用し、共産主義的な社会を構築し、被保険者を支えてゆくという形に落ち着いてしまうような気がするのです。
でも、それが優しい世界の形であるのかもしれません。

時代遅れの男

2018-07-16 21:19:27 | 日記
少年ジャンプに久保帯人さんの読み切りの漫画がのった。驚きつつも久しぶりに立ち読み。相変わらずのネーミングセンスの良さに感動。BLEACHファンだった甥っ子に連絡せねばとLINEで『コンビニへ急げ」と送ると、ユーチューバーで活躍中の甥っ子に「ジャンプはアプリで読むんだよ」とメッセージと、「お手上げね」というセリフが貼ったスタンプが送られてきた。

流石、デジタル社会の先端を行く若者。いや、僕がすでに時代遅れになってしまったという事だろう。

僕が少年だったころ、携帯の電話で、少年ジャンプが読める時代が来るなんで思いもしなかった。

しかし、これから先、これほどまでに利便性に依存した生活を送る私達が、利便性を支えるエネルギーとツールを、天災や人災で喪失した時、強く生きてゆくことが出来るだろうかと不安になったのです。

神様という存在。

2018-07-06 19:50:12 | 日記
ニュース速報が流れ「あさイチ」が中断した。楽しみにしていたでがっかりしたが、速報の内容は重たい頭をさらにもたげた。

つい先日、職場でたまたま宗教の話になり、僕は神の存在を肯定した。それを聞いた女性は「神様はいない」と言って否定したが、無神論者の哲学者を知っているのでその言葉に驚きはしなかった。しかし、不思議と違和感は残ったので僕は会話の続きとして、信じていた方が科学的に説明できない事も納得できるからと答えたのであるが、彼女は「神様がいると信じている人は心の弱い人」と言い切った。その意見も確かに間違いはないので肯定した。その後もいろいろなケースを話して、一概に否定できない存在であることを説明してみたが、頑なに神の存在を否定。
僕は彼女がそこまで自信をもって否定できたのは、持って生まれた容姿と動作から、実質的に甘えられる人が常にそばにいることが出来たからではないかと推測したが、それはあえて口にせず朗らかに会話を進めた。

神の存在を肯定する者が、彼女の言う通り「心の弱い人」であるのは、社会の息苦しさを痛感し絶望したからではないでしょうか。他の人よりも敏感であったがために、神秘的な働きをする場所を求めたのではないでしょうか。

しかし、その神秘性を持つものが度々暴走し、隣人を苦しめることになるのはなぜなのでしょう。
安寧な人生を望んでいたはずであるのに、それを良しとしない人がそこにいるのはなぜなのでしょう。
「悟り」とは「迷い」なのでしょうか。自身の正しさが常に不確定であることに気づかねば、悟りへの道は遠ざかるばかりであるように思うのですが、なぜ、正しい、これが悟りの境地だと言い切れるのでしょう。
教理に生きてゆく上での正しさがあったのかもしれません。その中に心を揺さぶられた言葉があったのかもしれません。しかし、同じように苦しみながら「他宗教に頼りながら」も実社会での日々を踏ん張って生きている人々のささやかな幸せを奪う行為が、どうして是であると、信じることが出来たのでしょう。

貧困や差別があるからでしょうか。社会的格差があるからでしょうか。人は簡単に欺く存在だからでしょうか。それとも、執着や嫉妬がそうさせてしまったのでしょうか。

刑が執行されたからと言ってすべてが解決したとは言い難い。私達はこの事件を当事者として忘れずに考え続けなければ、また同じ過ちを繰り返すのではないかと思ったのです。

誰かの夢、誰かの希望。ワールドカップサッカー。

2018-07-05 21:23:19 | 日記
日本代表チームが帰国した。どの試合も本当に良かった。

西野監督が監督を続けない事を表明した。西野さんらしいなと思った。また、コメントを聴いて、世界最強のサッカーチームを作るには、監督を続けるより、才能のある選手を見つけて育てる事が遠回りのようで一番近道なんだと考えてらっしゃるのではと思った。

そして、日本チームが優勝する事を「夢」ではなく、目標にしているのではないかと感じました。

また、なによりも、礼に始まり礼に終わる「道」を実践された日本チーム、最後までかっこよかったです。

僕たちも見習わないといけないですね。