硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

その判決が導く未来とは?

2018-10-30 20:54:14 | 日記
ラジオで徴用工問題の裁判の結果を知り、思わず「えーっ!!」と声が出てしまった。
外交上は解決済みだったはずなのに、日本企業側が敗訴となった。
渋谷のスクランブル交差点での騒ぎに、「平和だなぁ」と、想っていたのですが、この判決を聞いて、日本が敗戦国であることに引き戻されてしまった。

もし、このまま賠償請求がなされるとなると、韓国籍を持つ日本で暮らす人たちは、今以上に住みづらくなるであろうし、ヨーロッパや、ロシア、アジア、アメリカなどの国々が「右傾化」している現代であるから、信頼に値しない国とみなされれば、第9条の改憲も加速し、ますます軍備は増強されるであろう。また、今後、北朝鮮が、ロシア、もしくは中国にのみ込まれるようなことがあれば、孤立してしまう可能性もある。

戦争は起こらないとは思うけれど、兵器がある限り絶対にないとは言い切れない。些細な事で大戦につながらないとも言い切れない。
韓国の大統領は企業と個人の間には請求権があるとしていて、その文脈では間違ってはいないのだけれど、では、韓日請求権協定で支払われた5億ドルは、労働者には支払われなかったのでしようか。まず、そこを明らかにしないと、矛盾してしまうので、その判断で大丈夫なんだろうかと心配になってしまうのです。

「生産性が無い」というのは?

2018-10-28 20:55:48 | 日記
杉田水脈さんの発言が問題になった件、そろそろクールダウンしてきたようなので、想ったことを一石。

彼女は「LGBTの人達は、未来の納税者を生み出さないので、彼らに投資しても、リターンは望めないので、投資する意味があるのでしょうか」という考え方なのではないでしょうか。

数字で予測を立て、その数値に近づけるように、あらゆる物事を進めてゆくことが戦略かも知れないけれど、数字を重視する彼女の考え方は、少し大げさかもしれないけれど、

「国境線を押し上げる為に、熱帯雨林の山岳地帯の密林の道なき道を、1000人の兵士を100キロ移動させ、奇襲攻撃をかける」という作戦を地図を広げた机上のみで計画するも、そこには、兵士が移動中に出会うリスクや、弾薬や兵糧などの補給を勘定に入れずに、作戦を遂行させることに似ているように思う。

純粋に持続可能な社会を実現させるにはという理論から導き出された思考なのかもしれないけれど、純粋すぎるゆえに、日本に暮らす、様々な「人」を見落としてしまったのではと思う。また、深読みしすぎかもしれないけれど、女子高時代の体験から、男性的な志向性になってしまったのではと思ったりもするのですが、女性が多様性を認めなくなるという事は、スターウォーズの「キャプテン・ファズマ」みたいになってしまうのではと思うですが・・・。

いじめ。なくならないかなぁ。

2018-10-26 21:48:29 | 日記
朝刊の一面、「いじめ最多」という見出しにドキリとする。

少年少女たちの両親の世代を見ていると、いい意味で個人主義であり、対価を得る為に子供たちと接する時間をあまり作れないという印象がある。放課後児童クラブ等のサービスが必要とされている現代社会では子育ても大変であるけれど、其の反面、利己的な所も見受けられるので、「弱きものの為に」という、意識は希薄にみえる。無論すべての人がそうではないけれど、仮に10人に一人という割合で存在しているとするならば、その立ち居振る舞いは、少なからず共に生活をする子供に影響を与え、弱者や上手く協調できない人を排除しようとする行為を間違っていると認識する事を難しくさせているように思う。

もし、すべての子供たちの自我に、弱者を排除する感性が養われているとするならば、もっと争いは過酷になるか、均衡によって、いじめにはならないのではと思う。

元教員の人に、「子供たちに間違いを説明し理解してもらうことよりも、その親御さんに間違いを説明し理解してもらう事の方が難しい」と聞いた事があるのですが、そこから察すると、大きく外れていないような気もするのですが、残念ながら人類の力では、いじめを根絶する事は難しく、アニメ「psycho―pass」の「シュビラシステム」のようなものが導入され即座に「犯罪係数」が数値化されないと、いじめはなくならないのではと思うのです。

もっともらしいけれど・・・・・・。

2018-10-23 19:37:31 | 日記
とても、引っ掛かった言葉がある。それは、

「法定雇用率を充足する為、恣意的な障碍者区分に当てはめるなどしてきた」

である。ぼんやりと聞いていると、なんとなくそんなものなのかという気になるけれど、引っ掛かってしまうと、上手くかみ砕けない。上記の言葉は平たく言うと

「法で決められた、障碍を持つ人に働いてもらう人数のわりあいを、十分に満たすために、自分たちの都合のいいように、障碍の区分けをしました」となると思うのだけれど、これであると「あやまち、しくじり」ではなく「おもわく、目的」にならないであろうか。

日本語って難しいなぁ。

消費税の不思議。

2018-10-22 18:20:37 | 日記
消費税増税の話題が職場でも聞かれるようになってきた。僕個人としては、仕方がないのかな、倹約しなければなという位に考えているのだけれど、素朴な疑問があるのです。

1989年に3%の消費税が導入され、1997年に5%になり、2014年には8%になりました。増税したのであるから、増税前に比べれば収入は増えているはずなので、理屈から言うと国が抱えている借金というものも、減っていなければならないはずだと思うのですが、有識者の方が言うには借金は増えているという。
つまり、増税を重ねて、借金が増えているならば、増税を重ねても借金は増え続けるという事になる。

この素朴な疑問をどうして誰も問わないのでしょうか。

愚問であるから?

なぜなんだろう。不思議である。

「ハン・ソロ」を観る。

2018-10-21 20:19:23 | 日記
映画「ハン・ソロ」を観る。落ち込んだ時、気持ちを持ち上げる為に、意図的にSFやアクション映画を観るようになってしまった。

レンタル屋さんにゆくと、もうレンタル化されていて驚いたけれど、劇場に足を運ばなかったことを後悔していたので、さっそく借りてみました。

後悔した通り、やはり、面白いのです。スターウォーズに続く伏線を散りばめたストーリーや、アクションは、観ていることを忘れてしまうほど面白い。同じジャンルの他の映画を観てみても、このような感じにはならないのが、スターウォーズなのかもしれませんね。

でも、観終わった後、思い返しストーリーをじっくり考えると、面白い事が次々と見えてくるのもこのシリーズ。

「ハン・ソロ」でも、キーワードになるのは、女性の存在。
同盟軍の創設者は、やはり、女性で、多様性を含んでいました。ドロイドの扱いに、異を唱え、奴隷として強制労働されていた者たちを解放し、それが、自身のアイデンティティーであったと気づく、女性性を有したドロイド。そして、帝国軍で生きてゆかねば、殺されてしまう為、男性的に振舞わなければならないハン・ソロの元恋人。

このようなハリウッド映画が発信するメッセージ、アメリカが潜在的に求めているものであろうと思われるストーリー展開は、女性の大統領が誕生した時に、また、緩やかに転換してゆくのかもしれない。

福祉施設での高齢者虐待について。その2

2018-10-20 21:03:09 | 日記
以前記した「高齢者虐待事件」の続報が小さく報じられていた。男性の事件は「その行為」が暴行罪として改めて問われる事になったようであるが、女性二人による事件は、看護師は依願退職、介護士は減給となっているようである。

虐待の質が異なっている事で、加害者の扱いにも違いが出たのであろうと思われるが、社会資源を必要とする社会的弱者を社会保障制度によって擁護するという、「仕事」において、擁護せず虐待を行う事は、正しい事とは言えない。

たしかに、他者を理解する事は難しく、意思疎通が正しく図れないと、ストレスフルな状況に置かれる事も多く、要介護者から理不尽な要求をされ、仕事とはいえ、我慢を強いられる事にも問題があるとは思うが、それならば、会議で検討する方法もあったとはいえるが、慈善事業ではない為、売り上げを求められてしまうと、お金の為に我慢を強いられなければならなくなるケースも発生してしまうのである。

このように、現場は矛盾に満ちているが故に、「誰でもできる仕事」であるが故に、全体的にモチベーションは低下し、あきらめが生じ、仕事の質も低下してゆく。その中で強く主張する者によって、歪めてはならぬものが歪めてられてゆくのである。

二人の女性の処遇について考察すると、看護師という資格は、介護現場でなくても医療機関で仕事を得ることが出来るので、依願退職という形をとっても、その後も対価を得ることが出来るが、介護職は、事実上「無資格でもできる仕事」であるので、なにか問題を起こしてしまったら、職に就くためはに介護という選択しかなかった人はもう後がないと考えられ、雇用する側も慢性的な人で不足という理由から、減給という形で落ち着いたのではと思う。

たしかに優しい世界ではあるけれど、次世代の人達が、そこに「夢」や「希望」を見出すことは難しいように思う。

介護現場における日常。

2018-10-04 21:17:33 | 日記
「体が痛いから、寝かせてほしい」と、立つこともできない片麻痺の老人は訴えた。
他者の身体の痛みは、理解することが出来ない。ならば、その訴えに応えることが、介護職としてできる唯一の仕事だろうと考えた。
しかし、施設では、他の利用者や、複数の職員もおり、考え方もそれぞれである為、他の利用者から、どうしてあの人だけ時間を護らず煉るのかという不満が起こる事や、リハビリも兼ねているのだから、寝たきりにならないように、がんばってもらわなければならないといった、注意が入る。

利用者の身体の痛みは、他者には理解できない為、甘えかも知れないという余地がある。
しかし、血圧は不安定であり、上半身がどちらかに傾くと自力で支えられないほどADLは低下していることから察すると、身体の痛みは、真実であると推測が出来る。

しかし、公共の場である事と、職場でのルールに重きに置く事が優先されなければならない為、議論は、ほとんどの場合、そこで収束する。
それ以上、議論が深まらない理由は、我々には理解できない他者の身体の痛みだからのように思える。

だが、弱者や助けを求める者の声に耳を傾けるよりも、強く主張する多数派の声を重んじなければならないというのは、社会福祉の体を喪失しているのではないのだろうかと考えるのであるが、言葉を飲み込んでおく事でしか、選択肢がないのが現状なように思う。

そして、こういう場合、幸福を感じられるのは、痛みを抱えている者でもなく、痛みを抱えている者に対して安楽な状況を提供しようとする者でもなく、多数派の意見によって説き伏せた方にしかないのである。