硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

どうして、誰も口に出さないのだろうか?

2022-03-30 20:56:49 | 日記
プーチン大統領に、「そんなに火器を使っては、CO₂排出量が増える一方だ。カーボンニュートラルに逆行するではないか」と、どうして誰も言わないのだろうか。

先進国の代表の人々は、こんな時こそ、SDGsを主張するべきではないのだろうか。

突如露呈する闇

2022-03-29 21:54:58 | 日記
アカデミー賞の授賞式で、ウィル・スミスさんが司会者のクリス・ロックさんを平手打ちする映像がテレビで流れた。
原因はクリス・ロックさんが、ウィル・スミスさんの奥さん身体の事をジョークにして笑いを取ろうとした事が発端であるらしい。

クリスさんの芸風が、そのような芸風であったとしても、他者の、妻であり女性の、身体の、疾患を、からかうことは、笑いではなく、子供たちがする「弱い者いじめ」と同じではないだろうか。
笑いで飯を食っているなら、他国でも取り上げられている現場であるのなら、そこは考えるべきではなかっただろうか。
そして、なにより、Brother同士が傷つけあう理由があるとしたら、才能への嫉妬か、そこに生じている社会的格差ではないだろうか。
どちらにせよ、キング牧師やマルコムⅩは、あの世でため息をついているに違いない。

せっかく「ドライブ・マイ・カー」が受賞したのに、なんか残念で仕方がない。

どんなに素晴らしい芸術であっても、響かない人には響かない。

2022-03-21 22:25:59 | 日記
職場で映画の話題になり、戦争映画が好きなおじさんと意見交換。
僕は、「プライベート・ライアン」を観て以来、戦争映画が苦手になったという話をすると、「バンズ・オブ・ブラザーズというテレビシリーズ、観たことある?」と尋ねられた。

「プライベート・ライアン」と同様にスピルバーグとトム・ハンクスが制作に携わっていたから、気にはなっていたけれど、手が伸びなかった作品。
そのことを伝えると、「DVD全巻あるから貸してあげる。」と、言われましたが、全巻はきっと観れないから、一本だけとお願いして借りて観る事にした。

「バンズ・オブ・ブラザーズ」は第二次世界大戦における、アメリカとドイツの戦い。ノルマンディー上陸作戦のお話。
導入に、実際に戦場へ行き、生きて帰還した人の話が使われており、これから始まる物語が、戦争の追体験である事を認識させられて、一気に戦場へと気持ちが持って行かれる。

戦争の理不尽さと悲惨さがとても伝わってきてしんどいけれど何とか二話を観る。
そして思う。

どんなに素晴らしい芸術でも、人を疑ったり出し抜いたりする事を生業にしてしまうと、目にも耳にも入らなくなってしまうのだと。

ミスリード。

2022-03-18 19:44:39 | 日記
侵攻は続いている。
世界の多くの人々は、君主の姿勢に拒否を示していて、自国の兵士も沢山亡くなっているというのに、一向に態度を変えないのは、裸の王様のごとく、彼に正しい情報を伝えていないのであろうか。

民間施設も破壊され、戦争に関係のない多くの人々の命が奪われている。
なぜ、そこまでするのだろう。それが戦争だからであろうか。だとしても、あまりにも非道である。

もし、その非道な行為に狙いがあるのだとしたら、考えられる理由は、理不尽な暴力によって、国民から「私たちが被害を受けているのは、私たちの大統領が無能だからだ」と、思わせ、大統領を失脚させたいからではないだろうか。

もし、そうだとしたら、もはやミスリードであり、君主に残された手は限られてきているように思う。

食と現代人。

2022-03-13 20:38:59 | 日記
今日は朝から田んぼの溝掃除。
これは春の恒例行事で、田植えをする為の準備の一つで、水は田んぼの面倒を見ている者にとっては共有財産であるから、水の流れが留まらないようにみんなで水路を清掃する。
農業に携わっていない人にはピンとこないかもしれませんが、田んぼに引く水はとても大切で、戦前に起こった干ばつの時には、水の取り合いで殺人事件になったほどです。現在では、ポンプなどの整備もされて、それほど揉めなくなりましたが、気候変動によって大干ばつが起こってしまったら、人々は、また、水の権利で争いあうかもしれません。

閑話休題。

集まった人々の顔触れは、この地区の高齢化を顕著に表していて、数年前まではしゃんとしていたおじいちゃんおばあちゃんも、背が曲がり、よろよろ歩いている。
水利を管理する代表の人が、清掃前に皆に向けて挨拶をする。集まった人々は耳を傾ける。

例年は、怪我無ないようにとか、水路に泥や落ち葉がたまっている個所など、水利を円滑に利用するためのお話をされるのですが、今年は、トラクターで田んぼを起こした後、泥を道路に落としてゆくので困るという苦情が来ましたという話が追加されていた。

農村部だから、農機具の使用は日常であり、田んぼに入れば泥も付くし、泥が付いた足で道に出れば泥は落ちる。
それはごくごく当たり前の情景であり事象なのだけれど、ついに、その風物詩ともいえる情景を否定する人が出てきた。

道路は整備され、便利になったおかげで車の往来は増えたけれど、その道はもともと農作業に行く人々の道だったので、おじいちゃんたちは我が物顔で道を行き、車の列ができていてもペースは変えない。
おそらく、それも苦情につながる原因の一つになっているのではと思うけれど、本質は道路に残された泥によって車が汚れるのが許せないからだろう。

食べるものがなければ人は生きてゆけない。それは至極当然の事である。
しかし、現在の食料は、過剰なほどに供給されているので、現代人にとっての食は、お金との交換物として考えられてしまい、その結果、食と生活とが、頭の中で切り離されてしまったのではないかと思う。

泥の苦情は、その事象を如実に表しているのではないだろうか。

その問いはしてはいけない?

2022-03-10 21:45:40 | 日記
君主は手を緩めない。死者は増える一方である。停戦への着地点はまだ見つからない。
大国はこのまま押し切るしか道はないのであろうか。

こういう時、前例を用いて考えてみればよい方法が見つかると思うのであるが、1990年に起こったイラクのクエート侵攻と、現在の実情はどう違うのであろうか。

詳しく説明でき、かつ、解決の糸口を探りだせる学者さんはいらっしゃらないであろうか。
優秀な人は沢山いらっしゃるのだから、前例をもとに戦争を終わせる方法を世界に向けて発信してほしいと思う。

それとも、クエート侵攻を例にしまうと、湾岸戦争の是非を問うことになってしまうのであろうか。

トロッコ問題とヒーローの不在?

2022-03-08 18:09:46 | 日記
今日も悲しいニュースが報道されている。大国の君主は手を緩めず、他国も直接手をださない。近隣諸国は、大国からのエネルギー依存を脱却できず、経済制裁もぼんやりとしたものへと変化し始めた。

これはトロッコ問題を見ているような気になる。

(トロッコ問題とは)

線路を走っていたトロッコの制御が不能になり、このままでは、その先で作業をしている五人が轢かれて死んでしまう。しかし、この時、線路の分岐器祖すぐ側にいた人いて、その人が、進路を切り替えれば、五人は助かるが、別路線にいる一人の人が死んでしまう事になる。
その時、分岐器の側にいる人の正しい選択はどちらかという問題である。

功利主義的に判断すれば、五人を助け、一人を犠牲とする。義務論ならば、何もせず、五人が死んでしまうというジレンマに陥ってしまうのであるが、これを現状に置き換えて考えてみると、どうやら、他国は功利主義を選択しているように思う。

しかし、君主と側近を倒す選択をすれば、正しい功利主義になるように思うのであるが、この選択をしてしまうと、上記の論理では、他国は義務論を選択しているようにも思う。

したがって、現状はパラドクスに陥ってしまっていて、どうすることもできない状態であることを意味しているように思う。

ジェームス・ボンドもイーサン・ハントも架空なのはわかっているけれど、こんな時こそ表には出ないヒーロー的な存在が求められていると思うけれど、現実は映画のようにはいかない。

それはわかっているけれど、大勢の人々のために、何とかならないのかなぁ。

歴史は繰り返されるのものなのか。

2022-03-07 18:06:09 | 日記
今日の朝刊に、英国王立防衛安全保障研究所に所属している日本の方のインタビューが掲載されていた。
その方が言うには「大統領が描いた筋書きとは違う展開になっている」と、分析しているのであるが、「防衛している国の勝ち目は薄い」とし、さらに、「占領したとしても、抵抗を続け全土を投じするのは難しい」と、締めくくっている。

この文章から読みとれる未来像は、「戦闘終結の予測は不明で、その間、たくさんの人が理不尽な暴力によって、憎しみあい、殺しあい続ける」という事なのだと思う。

この事象は、何度繰り返されればよいのであろうか。

人類が戦争に関心を持たなくなるには、あとどれくらい時間を要するのであろうか。

実態の正体。

2022-03-06 20:55:15 | 日記
先の見えない争いが続いている。君主は表現の自由を奪い、自身の行いを正当化しようと躍起になっている。

紙、テレビ、ラジオなどの従来の情報発信ならば、情報操作も可能であるが、ネットと言う媒体がある現在では、完全な掌握は不可能であるから、孤立は深まるばかりである。

君主には戦闘を行うだけの大義名分があるとは思うが、今やっていることは、「殺人行為」でしかないように思う。

戦争とか侵攻とか侵略という言葉を使うと実態がぼやけてしまうが、シンプルに殺人は罪とするならば、君主は裁きを受けなければならない立場である。

しかし、殺人をやめようとしない。

それは、彼を裁けるほどの人物が存在していないからであろうか。もしくは、それが、わかっているから手を緩めないのであろうか。

過ちは過ち。

2022-03-04 21:38:50 | 日記
今日の朝刊記事のなかに、元首相がテレビ番組で「核シェアリング」という考えを口にされたとあった。
「打撃力を持つべきだ」とも発言されたそうである。

保有することでリスクは高まる。福島第一原発事故さえもコントロールできていないのに、どういう了見だろうか。

さらに言えば、国民の多くが苦しんでいる時に、体調不良を理由に、政治を投げ出してしまう人である。
そういう人は、「本土決戦、一億総玉砕」と国民に訴えながら、自分の身は守る人なのではないかと思う。

核保有することは、「撃つ覚悟がある」と、内外に示すことである。
撃っても、撃たなくても、撃たれてしまえば、たくさんの人が死ぬのである。

その現実を理解しているなら、「核シェアリング」という言葉は軽々しく口に出せないのではないかと思う。

アンゴルモアの大王を蘇らせようとする者。

2022-03-03 21:43:30 | 日記
停戦はなされない。侵攻に異を唱える国は協力して貨幣の流れを止めようとしている。
それでも、君主は、怯むことなく、態度を変えない。

余剰した武器弾薬を使い切るまで、手を止めないのか。それとも、降伏するまで侵攻を貫徹させるのだろうか。
自国の経済が衰退しても、国土の広さが自給自足を可能にするとでも言うのであろうか。

それとも核兵器というカードが、すでに手の内にあり、そのカードを切らせる口実を待っているのだろうか。

空から恐怖の大王をこさせる気だろうか。そして、アンゴルモアの大王をよみがえらせ、マルスの前後に首尾よく支配させるつもりなのだろうか。

「チャーリー・ウィルソンズ・ウォー」

2022-03-01 21:42:03 | 日記
休日。昼前から降り出した雨。ゆっくり過ごそうとTSUTAYAさんへ。

今日はどんな映画にしようかと、陳列棚をぐるぐる回る。気になっていた映画を観てみるか、それとも、じっくり選んで開拓するか迷う。
ふと、一本の映画に目が留まる。

トムハンクスとジュリアロバーツが出演している映画。よく知っている人だから、面白いんじゃないかなと手に取る。

題名は「チャーリー・ウィルソン・ウォー」2008年の作品である。

最初から最後まで集中力が途切れることなく観続け、なぜこのタイミングでこの映画にしたのだろうかと考える。

そして、同じことが繰り返されているのだろうかと心配になる。

百聞は一見に如かず。気になる方は、是非ご覧になってください。